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データのように、上書きを。

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「なぁ、お前キスってしたことあるか?」


まぁどうせ独り身だしな。そう考え、新人のミスを格好つけて肩代わりし残業していた俺に、そんな頓珍漢な言葉をかけてきたのはSE課に配属されたはずの同期だった。



「⋯俺、仕事してんだけど」
「俺もだけど?」
「だったら経理部じゃなくてSE課帰れよ」
「だって暇だし」
「だ、か、ら!俺は!暇じゃねぇのっ!!」


俺のいる経理部とは違ってSE課には『待機』というシフトがあり、顧客からトラブルの電話がかかってきた時に対応する。

つまり電話がかかってくるまではシフト名通り『待機』する事になる⋯ということはわかるのだが。


「経理部じゃなくて自分の部署で待機してくんねぇか?」
「え?なんで?」


“なんでって、俺こそなんで?なんだが!!?”

心底不思議そうな顔をされて唖然とした。


「顧客からの連絡はこの業務用携帯にかかってくるから、どこで待機してても一緒だぞ?」
「どこで待機してても一緒ならここじゃなくていいだろ?」
「えー」
「なんで『えー』なんだよっ」

あまりにも不服な顔をされて一瞬俺が間違っているのかと思うが、どう考えてもそんなはずはなく。


「俺はお前と違って仕事があんの!」
「うは、だから俺も仕事中だって」


はははっと笑い飛ばされ、毒気が抜かれる。

言っても無駄だと思った俺はわざとらしくため息を吐き、パソコンに向き直ったのだが。


「あー、数字ズレてんのか、つかこっちの式もおかしいな」
「!」

横から俺のパソコンを覗いたそいつが、しれっとそう言い切った。


「そ、そうなんだよ!なんかどっかからおかしくなっちまったみたいで、しかもそのまま保存しちまったらしくて。だから一個ずつ遡っておかしくなった箇所を探してる⋯ん、だけど⋯」

言いながらチラッと様子を窺うと、そんな俺に気付いたのかニッと笑って。


「これくらいなら簡単なプログラムでエラー直せるぞ」
「マジで!!?」

新人に格好つけたものの、あまりパソコンが得意じゃない俺は徹夜も覚悟していたのだが。

“か、帰れるかもしれない⋯!!?”

突如現れた希望に思わずトキメいて⋯



「で、キスしたことはあんの?」


スンッと希望が打ち砕かれた。



「⋯あ、からかうつもりなら自部署にお帰りくださーい。俺はエラー探しに夢中でーす」
「このエラー解除したら、俺に夢中になってくれるってこと?」
「はぁ?さっきから何ワケわかんねぇ事言ってんだよ」


なまじ希望を見せられたせいで少し苛立った俺は、パソコンに戻した視線を再びそいつの方に向けて。

「ッ?」

何故か真剣な表情をしているそいつにドキッとした。


「で、キスしたことは?」
「⋯⋯そ、そりゃあるだろ。俺ら26だぞ?高校も共学だったし⋯」

何故か答えなくてはいけない気がした俺は、少し気恥ずかしくなりながら視線を外しそう答えた。

の、だが。


「ふーん」

“な、なんなんだよ!正直に答えたのに!”


しつこく聞くから答えたのに、俺の答えが不満だったのか興味がなかったのか、こいつから振った話題のくせにそのまま流され思わず不服に思う。


ムッとした俺に気付かないのか、気付いていてスルーしているのかはわからないが俺の後ろに回ったそいつは、そのまま椅子ごと俺を後ろから抱き締めるような体勢でキーボードを操作して。



「⋯ほら、この赤い表示になったとこがエラー箇所だな。式もここをこうして⋯っと、直ったぞ」
「え、えっ!!?」

5分もかからずそう言った。



「うわ、すげぇ助かった!えー!ありがとなっ」

ムッとした事なんてサクッと忘れた俺が、嬉しくなってパッと振り向き彼を見上げる。


“⋯近っ!?”


俺の後ろからキーボード操作をしていたのだから当たり前だが、想像よりもそいつと顔が近かった事に驚いた俺は思わず息を呑んだ。



「⋯今まで誰とキスしてたとしてもさ、俺とはしたことないもんな」
「⋯は、は?」
「それって特別ってことじゃねぇ?」
「な、に⋯」


謎理論に動揺する俺を無視して、何故かそいつの顔がどんどん近付いてきてー⋯



ピリリリッ


突如そいつの持っていた業務用携帯が鳴る。

「⋯呼び出しだ」


すぐさまピッと電話を取ったそいつは、さっきまでとは違った外用の声色で顧客と何やら話しながら経理部を出て行った。
おそらくSE課へ戻ったのだろう。



“⋯なんだったんだ?”

適正距離に戻っただけなのに、離れてしまった顔に少し心が乱された。


“あのまま電話がかかってこなかったらー⋯”



『キスしたことはあるか』としつこく聞いてきたその声が耳に甦り、じわりと熱くなる。


「⋯帰るか」

ちゃんとお礼を言えてないことが引っ掛かるが、それは顧客対応の邪魔をしてまで今言わなくてはならない事でもない。

ふせんに『ありがとう』と書いた俺は鞄を抱えSE課に向かう。


“これだけ渡して、今度飯でも奢ってやろ”


そっとSE課を覗くと、電話をしながらカタカタと凄い勢いでキーボードを叩いているそいつがいたので、俺は邪魔にならないようにそいつの机の端にふせんを貼り片手を上げて帰ると合図を送った。


そんな俺に気付いたそいつは。



「へ?」

俺の手をガッと掴んで引き寄せて。


「⋯ッ!」


唇に、掠めるだけの感触と吐息がかかる。
それは本当に一瞬の出来事だった。



「⋯はい、ではこちらの承認を⋯、えぇ、その権限はキャンセルにしていただきまして、次の画面に⋯」


ハッとした時にはもうそいつは電話で何やら指示を出しながらパソコンに向かっていたし、俺はぼんやり一人で立っていたし。


「⋯か、帰ろ⋯」


そのままそいつにくるっと背を向けてSE課を出る。
エレベーターのボタンを押し、俺のいる階まで上ってくるのを階数表示の灯りを呆然と眺めて待っていた。



「⋯⋯⋯、な、なんだったんだ⋯?」


なんて呟いてももちろん返事なんてある訳なく。

俺はただ混乱しながら、そいつが経理部で言っていた『特別』という言葉を繰り返し考える。




『俺に夢中になるって約束、ちゃんと守れよ』


なんてふざけたメッセージが、鞄の奥に入れたスマホに届いていることを俺が知るまで、もう少しーー⋯
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