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17.何度懐中時計を見たとしても
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“月日が経つのはあっという間ね”
ハンナが毎日水をかえ丁寧にしてくれているお陰で、元々日持ちする品種だったらしいスターチスはまだキレイな花をつけていた。
「でも、さすがにそろそろ終わっちゃうわね」
プレゼントして貰った時よりだいぶ花の数を減らしてしまったスターチス。
そんなスターチスの花を指先でつつきながら、私室で一人そう呟いた。
「花言葉は、変わらぬ心……か」
心は変わらなくても、周りは変わるわ。
結婚し、公爵になり、子を成す。
私にはまだまだやらなくてはならないことがあり、そしてやりたいことがある。
恋心だけでは生きていけない。
“黄色のスターチスの花言葉は、愛の喜び……”
花の横に置いておいた図鑑をパラリと捲り、スターチスの色別の花言葉を指でそっとなぞった。
「どうするのがいいのかしら……」
長いようで短かった時間。
花の終わりと共に楽しかったその時間の終わりが近付いていることを示しているようで苦しかった。
沈んだ心を誤魔化すように頭を軽く振る。
だって今日は月に一度の茶会の日だから。
「先月は私の体調を気遣ってのんびり座って話をするだけだったわね」
あと何回こういう時間を過ごせるかわからないなら、精一杯楽しい思い出をつくりたい。
ならば今日はどこかに行こうかしら、なんて考える。
レヴィンとの時間をどう過ごすか考えていると少し気が紛れ、わくわくした気持ちで約束の時間のために準備した。
流石に遠駆けに突然連れ出すのは無理なので、また街中をぶらりとしようか、と考えた私が動きやすいワンピースに近い薄めのドレスに袖を通す。
ポケットに入れた懐中時計でいつものように時間を確認し、そろそろ来るだろうと思った私は玄関ロビーでレヴィンを待つことにした。
「綿菓子美味しかったわね。他にはどんなお菓子があるのかしら?」
あの時ちらっと見たのは、パンにソーセージを挟んだもの。
何故同時に食べるのかわからなかったが、一緒に食べれば時短になるのは間違いなく、そして実際に食せば効率以上の発見もあるかもしれない。
“レヴィンは食べたことあるかしら?”
あるならば食べ方を聞き、ないなら周りの見よう見まねで二人して食べるのも楽しいだろう。
もし食べ方を間違ったとしても、レヴィンと一緒ならそれもきっと笑い話になるから。
そんな時間を想像した私はふふ、と笑いを溢しレヴィンが到着するのを待っていて――
「……? 遅いわね」
そろそろ来る、と思った時間から思ったよりも妄想が捗り疑問に思う。
懐中時計でもう一度時間を確認すると、とっくに待ち合わせ時間の十分前は過ぎていて。
“まさか、事故……!?”
嫌なことを連想しドキリとする。
「違う、それにまだ約束の時間は過ぎてないもの」
いつもキッチリ十分前だったレヴィンが最近更に少し早く来るように、十分前から遅れることだってあるかもしれない。
まだ約束した時間は過ぎてないのだから、当然遅刻なんかでもない。
だからこそ心配する必要はないのだ、と思った私だったが、嫌な予感で額にじわりと汗が滲んだ。
不安になった私が玄関前でオロオロと歩いていると、ハンナも少し不安そうにする。
「お嬢様、近くを見に行かせましょうか?」
「まだ、まだいいわ……、だってまだ約束の時間じゃないんだし」
“こんなこと、今まで無かったのに”
ゴクリと唾を呑んだ私は、少し冷静になろうとゆっくり深呼吸をする。
けれど時間は刻々と過ぎ、気付けば約束の時間も回っていた。
流石におかしい。
この四年間、ずっと時間に正確だったレヴィンが遅れるなんて……!
バクバクと心臓が逸り、これは本当に誰かを見に行かせるべきかと思った、その時だった。
ガチャリと玄関のドアが開き、そしてそこに立っていた私の姿を見て一瞬ギョッとした侍従が慌てて頭を下げる。
「ご、ご婚約者様がいらっしゃっております」
「……っ! そ、そのようね」
私の口から思わず漏れるのはそんな間抜けな一言。
流石にハンナは表情を変えずにさっと私の近くに控えてくれているが、それでも動揺しているのか彼女の手が少しピクリと動いていた。
「えっと、レヴィンは……?」
「は? 今日約束してんのは婚約者である俺だろ?」
つい口を滑らせた私に怪訝な顔を向けるのは、いつものように身代わりで来たレヴィンではなく、正真正銘の婚約者、ベネディクト本人だった。
この四年で初めて茶会に顔を出したベネディクトに戸惑いを隠せない。
そんな私の様子を眺めていたベネディクトは、挨拶すらせず「ふぅん?」とだけ口にした。
「じゃ、行くか」
「え、ど、どこにでしょう?」
戸惑う私を一瞥したベネディクトはフンと鼻を小さく鳴らし、ゆっくり足元から頭のてっぺんまでじろじろと見てハッと息を吐いた。
「出かけるつもりだったんだろ? ま、お喋りなんて退屈だからな。いいんじゃね」
「あ、そう……です、わね」
“これはレヴィンと出かけるつもりで着た服だったのに”
つい残念に思うが、そんな私の様子なんて興味ないらしくベネディクトがくるりと背を向け外に出る。
「あ、ちょ……!」
このまま見送る訳にはいかず、私は渋々彼の後を追った。
特に話すこともなく、特に話しかけられることもない馬車内。
退屈そうにあくびをするベネディクトを見ながら小さくため息を吐く。
“今日はずっとこうなのかしら”
楽しみにしていた月に一度の茶会。
これが正しい形だとわかっているのに落胆してしまう自分が滑稽で、いよいよ取り返しがつかないほど気持ちが育ってしまったのだと改めて実感させられた。
ベネディクトが馬車を停めたのは、偶然にもレヴィンと初めて街に来た場所と同じで。
「綿菓子屋さん、今日もあるわね」
前に来たときはあんなにわくわくしたのに、と思わず呟くと、どうやら聞こえてしまっていたらしいベネディクトが反応する。
「あぁ、庶民の食い物だろ。口にする価値はないな」
「なっ」
「普段いいもん食ってるんだから、わざわざ出店で買う必要もねぇだろ」
庶民の店、と一瞥するだけのベネディクト。
そんな彼の様子に苛立つものの、これが正しい貴族の姿というのも事実だった。
「じゃあ、どこに行くのよ」
「んー、どうすっかなぁ……」
曖昧な返事をしながらズンズンと歩くベネディクトを必死で追う。
次に見えてきたのは、レヴィンにカフスボタンを買ったあの宝飾品店だった。
その店が見えてきたことに焦りを感じる。
“どうしよう”
だってその店が見えるということは、あの日目撃してしまったベネディクトが消えた繁華街が近くにあるということで――
「まさか、よね?」
ゴクリと唾を呑み、自然と彼を追う足が止まったことに気付いたベネディクトは、私の腕をギュッと掴んだ。
「な、何するの!」
「さぁ、ナニだろうな」
ニヤリと嫌な笑顔を向けられ、ぞわりと鳥肌が立つ。
必死に抵抗してみるが、体格差のあるベネディクトには敵わず引きずられるような格好で一軒の宿屋に入った。
“このままじゃまずいわ……!”
パニックになりそうな思考を何とか抑え、ここで大声を出せばまだギリギリ回避できるかもしれない、と宿屋の受付の方をチラリと見る。
こんな場所で警備隊を呼ばれ注目されるなんて公爵家としても侯爵家としても醜聞に他ならないが、それでもそちらの方がマシだと口を大きく開いた、その時だった。
「“レヴィン”な」
「!」
ボソッとベネディクトに耳打ちされた言葉にギシリと体が固まる。
相変わらずニヤニヤしているベネディクトは、何とも思っていないように私を一瞥して。
「なぁ、あいつともこういう店に来たのか?」
「な、んで……?」
喉が張り付き声が掠れる。
そんな私を面白そうに見ながらベネディクトは言葉を重ねた。
「だってお前、この店が『どういうことをする店』か知ってるみたいだったからな」
ハンナが毎日水をかえ丁寧にしてくれているお陰で、元々日持ちする品種だったらしいスターチスはまだキレイな花をつけていた。
「でも、さすがにそろそろ終わっちゃうわね」
プレゼントして貰った時よりだいぶ花の数を減らしてしまったスターチス。
そんなスターチスの花を指先でつつきながら、私室で一人そう呟いた。
「花言葉は、変わらぬ心……か」
心は変わらなくても、周りは変わるわ。
結婚し、公爵になり、子を成す。
私にはまだまだやらなくてはならないことがあり、そしてやりたいことがある。
恋心だけでは生きていけない。
“黄色のスターチスの花言葉は、愛の喜び……”
花の横に置いておいた図鑑をパラリと捲り、スターチスの色別の花言葉を指でそっとなぞった。
「どうするのがいいのかしら……」
長いようで短かった時間。
花の終わりと共に楽しかったその時間の終わりが近付いていることを示しているようで苦しかった。
沈んだ心を誤魔化すように頭を軽く振る。
だって今日は月に一度の茶会の日だから。
「先月は私の体調を気遣ってのんびり座って話をするだけだったわね」
あと何回こういう時間を過ごせるかわからないなら、精一杯楽しい思い出をつくりたい。
ならば今日はどこかに行こうかしら、なんて考える。
レヴィンとの時間をどう過ごすか考えていると少し気が紛れ、わくわくした気持ちで約束の時間のために準備した。
流石に遠駆けに突然連れ出すのは無理なので、また街中をぶらりとしようか、と考えた私が動きやすいワンピースに近い薄めのドレスに袖を通す。
ポケットに入れた懐中時計でいつものように時間を確認し、そろそろ来るだろうと思った私は玄関ロビーでレヴィンを待つことにした。
「綿菓子美味しかったわね。他にはどんなお菓子があるのかしら?」
あの時ちらっと見たのは、パンにソーセージを挟んだもの。
何故同時に食べるのかわからなかったが、一緒に食べれば時短になるのは間違いなく、そして実際に食せば効率以上の発見もあるかもしれない。
“レヴィンは食べたことあるかしら?”
あるならば食べ方を聞き、ないなら周りの見よう見まねで二人して食べるのも楽しいだろう。
もし食べ方を間違ったとしても、レヴィンと一緒ならそれもきっと笑い話になるから。
そんな時間を想像した私はふふ、と笑いを溢しレヴィンが到着するのを待っていて――
「……? 遅いわね」
そろそろ来る、と思った時間から思ったよりも妄想が捗り疑問に思う。
懐中時計でもう一度時間を確認すると、とっくに待ち合わせ時間の十分前は過ぎていて。
“まさか、事故……!?”
嫌なことを連想しドキリとする。
「違う、それにまだ約束の時間は過ぎてないもの」
いつもキッチリ十分前だったレヴィンが最近更に少し早く来るように、十分前から遅れることだってあるかもしれない。
まだ約束した時間は過ぎてないのだから、当然遅刻なんかでもない。
だからこそ心配する必要はないのだ、と思った私だったが、嫌な予感で額にじわりと汗が滲んだ。
不安になった私が玄関前でオロオロと歩いていると、ハンナも少し不安そうにする。
「お嬢様、近くを見に行かせましょうか?」
「まだ、まだいいわ……、だってまだ約束の時間じゃないんだし」
“こんなこと、今まで無かったのに”
ゴクリと唾を呑んだ私は、少し冷静になろうとゆっくり深呼吸をする。
けれど時間は刻々と過ぎ、気付けば約束の時間も回っていた。
流石におかしい。
この四年間、ずっと時間に正確だったレヴィンが遅れるなんて……!
バクバクと心臓が逸り、これは本当に誰かを見に行かせるべきかと思った、その時だった。
ガチャリと玄関のドアが開き、そしてそこに立っていた私の姿を見て一瞬ギョッとした侍従が慌てて頭を下げる。
「ご、ご婚約者様がいらっしゃっております」
「……っ! そ、そのようね」
私の口から思わず漏れるのはそんな間抜けな一言。
流石にハンナは表情を変えずにさっと私の近くに控えてくれているが、それでも動揺しているのか彼女の手が少しピクリと動いていた。
「えっと、レヴィンは……?」
「は? 今日約束してんのは婚約者である俺だろ?」
つい口を滑らせた私に怪訝な顔を向けるのは、いつものように身代わりで来たレヴィンではなく、正真正銘の婚約者、ベネディクト本人だった。
この四年で初めて茶会に顔を出したベネディクトに戸惑いを隠せない。
そんな私の様子を眺めていたベネディクトは、挨拶すらせず「ふぅん?」とだけ口にした。
「じゃ、行くか」
「え、ど、どこにでしょう?」
戸惑う私を一瞥したベネディクトはフンと鼻を小さく鳴らし、ゆっくり足元から頭のてっぺんまでじろじろと見てハッと息を吐いた。
「出かけるつもりだったんだろ? ま、お喋りなんて退屈だからな。いいんじゃね」
「あ、そう……です、わね」
“これはレヴィンと出かけるつもりで着た服だったのに”
つい残念に思うが、そんな私の様子なんて興味ないらしくベネディクトがくるりと背を向け外に出る。
「あ、ちょ……!」
このまま見送る訳にはいかず、私は渋々彼の後を追った。
特に話すこともなく、特に話しかけられることもない馬車内。
退屈そうにあくびをするベネディクトを見ながら小さくため息を吐く。
“今日はずっとこうなのかしら”
楽しみにしていた月に一度の茶会。
これが正しい形だとわかっているのに落胆してしまう自分が滑稽で、いよいよ取り返しがつかないほど気持ちが育ってしまったのだと改めて実感させられた。
ベネディクトが馬車を停めたのは、偶然にもレヴィンと初めて街に来た場所と同じで。
「綿菓子屋さん、今日もあるわね」
前に来たときはあんなにわくわくしたのに、と思わず呟くと、どうやら聞こえてしまっていたらしいベネディクトが反応する。
「あぁ、庶民の食い物だろ。口にする価値はないな」
「なっ」
「普段いいもん食ってるんだから、わざわざ出店で買う必要もねぇだろ」
庶民の店、と一瞥するだけのベネディクト。
そんな彼の様子に苛立つものの、これが正しい貴族の姿というのも事実だった。
「じゃあ、どこに行くのよ」
「んー、どうすっかなぁ……」
曖昧な返事をしながらズンズンと歩くベネディクトを必死で追う。
次に見えてきたのは、レヴィンにカフスボタンを買ったあの宝飾品店だった。
その店が見えてきたことに焦りを感じる。
“どうしよう”
だってその店が見えるということは、あの日目撃してしまったベネディクトが消えた繁華街が近くにあるということで――
「まさか、よね?」
ゴクリと唾を呑み、自然と彼を追う足が止まったことに気付いたベネディクトは、私の腕をギュッと掴んだ。
「な、何するの!」
「さぁ、ナニだろうな」
ニヤリと嫌な笑顔を向けられ、ぞわりと鳥肌が立つ。
必死に抵抗してみるが、体格差のあるベネディクトには敵わず引きずられるような格好で一軒の宿屋に入った。
“このままじゃまずいわ……!”
パニックになりそうな思考を何とか抑え、ここで大声を出せばまだギリギリ回避できるかもしれない、と宿屋の受付の方をチラリと見る。
こんな場所で警備隊を呼ばれ注目されるなんて公爵家としても侯爵家としても醜聞に他ならないが、それでもそちらの方がマシだと口を大きく開いた、その時だった。
「“レヴィン”な」
「!」
ボソッとベネディクトに耳打ちされた言葉にギシリと体が固まる。
相変わらずニヤニヤしているベネディクトは、何とも思っていないように私を一瞥して。
「なぁ、あいつともこういう店に来たのか?」
「な、んで……?」
喉が張り付き声が掠れる。
そんな私を面白そうに見ながらベネディクトは言葉を重ねた。
「だってお前、この店が『どういうことをする店』か知ってるみたいだったからな」
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