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6.ギャップというのはいつもずるい

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「流石にそれは……」

“ダメだったかしら”

 特に深い理由などはないが、それでもなんとなく彼に呼んで欲しいと思った愛称。

 戸惑った表情を向けられるが、何故だか諦めきれずにレヴィン様をじっと見ていると。


「……では、俺のこともレヴィンと」
「え、でも」

 年齢は彼の方が二歳上。
 確かに家格としては公爵家である私の方が上だが、それでも年上の男性をいきなり呼び捨てにすることに戸惑いを覚えた私だったのだが。

 
「俺たちは婚約者同士ですから、ね? ティナ」

 さっきまでの戸惑いをどこか悪戯っぽい笑顔に塗り替えたレヴィン様が、くすりと笑みを溢しながら人差し指を自身の唇に当ててそう口にする。

 その所作がなんだか艶めいて見え、私の胸がドクンと高鳴った。

“その表情はズルくないかしら”

 私だけがドキドキさせられているようで少し悔しく思いつつ、それでも呼ばれた愛称が何故だかとても嬉しくて。


「……わかりましたわ、レヴィン」

 ふふ、とお互い顔を見合わせて笑ってしまう。
 少しむず痒いようなこの心地よさが嬉しくて、エスコートの為に差し出してくれた腕に私もぎゅっと腕を絡めたのだった。

 

「ねぇ! あれは何かしら」
「あれは綿菓子と言って甘いお菓子ですね」
「綿菓子」

 ふわふわの、まるで雲のようなものが並べられた屋台を指差しながら聞くとすぐに返事をくれたレヴィンが店主に銅貨を渡す。

「ま、待って! 今日は私がお礼をする日で……っ」

 ハッとし慌てて私がそう口にすると、銅貨と交換で手渡されたそのお菓子を差し出されて。
 
「なら尚更こちらをどうぞ」
「で、でも」
「お礼なら、ティナの喜んだ顔が見たいです」
「……っ」

 受け取るべきか咄嗟に迷った私だったのだが、そこまで言われれば受け取るしかない。

「わ、かりましたわ。ありがとうございます」

 レヴィンから受け取ったお菓子を早速食べようと思った私だった、の、だが。

 
“これ、どうやって食べるものなのかしら”

 持ち手だろう木の棒を受け取ったまでは良かったのだが、目の前で軽く揺れるその綿雲のような部分は私の顔より少し大きい。

 そして木の棒部分を手に持ってしまっている以上フォークもナイフも持てない訳で。

“そもそもフォークもナイフも渡されてないのだけれど”

 食べ方がわからず、思わずレヴィンの方を見上げると、どこか楽しそうに細めた彼のアメジストのような紫の瞳と目があった。


「そのまま直接かぶりつくんですよ」
「か、かぶりつくですって……!?」

 レヴィンの言った言葉に愕然としながら周りへ視線を向けると、確かにこのお菓子を持っている人たちは直接かぶりついている。

“公爵令嬢たる私がそんなはしたないことを……? で、ですがこの場でのルールはかぶりつくことなの……っ!?”


 そんなまさかと葛藤したが、折角買って貰ったのに食べないなんて失礼なことは出来ない。
 それにお礼をする立場の私は、レヴィンのお願いを聞かなくてはならなくて。


 ごくり、と唾を呑んだ私は、勇気を出して目の前のその綿菓子にかぶりついた。

「!?」

 その瞬間口内に甘さが広がりふわりと香る。
 それなのに口に入れたはずの綿菓子はもう跡形もなく溶けてしまっていて。

「ほ、本当に雲なんですの?」
「ふはっ! 本当にティナは可愛いですね」
「なっ」

 思わずそう聞いた私にレヴィンが吹き出す。
 笑い出してしまった彼にムッとしつつ、この不思議な食感と味が気になってつい二口、三口と食べ進めてしまった。

「確かに雲みたいですが、それは砂糖で作った細い糸の塊です」
「糸なの?」
「はい。……お気に召しました?」

 あまりにも楽しそうに笑いかけられた私はなんだか気恥ずかしく感じ、レヴィンの顔の前にその綿菓子を押し付けるように差し出す。

 
「……はい、レヴィンも」

 少しそっぽを向きながら木の棒を彼に手渡そうとしたのだが、一瞬だけ考え込んだレヴィンが木の棒を握っていた私の手ごとぎゅっと握って。

「ん、甘いな」
「ッ!!」

“手! 手……っ!!”

 そのまま一口食べたレヴィンの行動にぎょっとした。
 そして何より……


「ははっ、真っ赤ですよ? ティナ」
「誰のせいですかっ」
「ふふ、俺ですね」


 真っ赤に染まった私を、本当に嬉しそうにしながら見つめるレヴィンの頬も、少しだけ赤く染まったように見えたのだった。


 
「そういえば、こんな話をご存知ですか?」
「あら! もしかして新しい本の話?」

 特に目的なくぶらぶら街を散策しながらレヴィンと話す。
 
 今までどうして話さなかったのかしら? なんて思うほど彼との会話は楽しく弾み、クールで少し無愛想にも見えていたレヴィンが案外表情豊かであることに驚きつつ心が踊る。

“目的がない散策というのも楽しいものね”

 とりとめのない話をダラダラと重ねながら時に珍しいお菓子を、時に不思議な雑貨を見る。

 公爵家に来る行商人が見せてくれるものは全て一級品で、どこに出しても遜色ない素晴らしい逸品であることは間違いない。

 けれど、こうやってレヴィンと見て回る、庶民向けの品も何故だかキラキラと輝いて見える。
 それが不思議で仕方なく、つい辺りをキョロキョロと見渡して。

“あ”

 そんな時ふと目に飛び込んで来たのは男性向けの服飾店だった。

 飾られていたのは色とりどりのカフスボタン。
 おそらくこれも、公爵家で取り寄せるものと比べればとても安物なのだろうが……


“とっても綺麗だわ”

 それにどうしてだろう。
 安物だとしても、これをプレゼントすればレヴィンはとても喜んでくれるという確信が私にはあって。

“きっとベネディクトならすぐに捨てるのだろうけれど”

「カフスボタンですか?」
「えぇ、少し見てもいいかしら」
「もちろんですよ」

 すぐに頷いてくれたレヴィンと連れ立って店内に入る。
 私たちが入店したことに気付いた店主がすぐに近付いてきてくれたので、私は彼の綺麗な濃紺の髪に似た色のカフスボタンを指差し……


「こちらでしょうか」
「いいえ、やっぱりその隣の薄水色を包んでくださる?」

 その濃紺のカフスボタンの隣にあった、薄水色、つまり私の瞳と同じ色のカフスボタンを購入した。


「お父様にですか?」
「いいえ」

“悪戯を仕掛ける時ってこんなにワクワクするものなのね”


 思い付きで購入直前に変えたカフスボタン。
 店外に出て、私の瞳と同じ色のそのカフスボタンを、薄水色の瞳を細めた私がレヴィンの胸元に押し付ける。


「私の身代わりの婚約者様にですわっ」
「えっ」
「ふふ、お礼になるかしら」

 受け取ったレヴィンの反応が気になり、緩みそうになる頬を叱咤しながら彼の顔を見上げて。
 

「――ッ、あ、ありがとう、ございます」

 受け取ったカフスボタンの入った小さな包みを表情を隠すように顔の前に出したレヴィン。
 けれどもそんな小さな包みでは隠れるはずもなく、文字通り真っ赤に染まった彼がいて。


「――すみません、その、嬉しい……のですが、少しだけ向こうを向いていてくれませんか」
「はっ、はいっ!」

 釣られて真っ赤になっただろう私も、その顔を隠すように慌ててレヴィンに背を向けた。


“大成功……で、いいのよね?”

 バクバクと痛いくらいに跳ねる胸に戸惑いつつ、喜んでくれたことにホッと胸を撫で下ろす。

 いつまで違う方を見てたらいいのかしら、なんて迷いながらふと顔を上げた私は、その先のある光景にギシリと体を強張らせた。


「――レヴィン、そういえば今日はベネディクト様の欠席理由を聞いてませんでしたね」
「あ、え? えっとベネディクトは、今回も仕事で手が離せず……」
「そうですか。それで、ベネディクト様の仕事とは」


 さっきまでぽかぽかと温かかった胸が急速に冷えるのを感じる。


「……あぁやって、知らない令嬢の腰を抱きながらデートをすることなのかしら」
 
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