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4.夜会での距離が正しくて
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「……花?」
「え?」
ぽかんとするベネディクトに私もぽかんとしてしまう。
“花であることすら知らなかったのかしら”
何か贈れ、とだけレヴィン様に言いつけたのかも。
そんな想像が頭を過り、むしろそれが正解だろうと納得してしまう。
「……いや、婚約者として当然だ。喜んで貰えてなにより」
呆れた雰囲気を私から感じたのか、ハッとしたベネディクトが薄っぺらい笑顔を貼り付けそんな事を口にしたが、なんだか面倒に感じた私は愛想笑いだけして入場する扉に視線を移した。
“何が婚約者よ”
招待客の入場が終わるのを待ちながらぼんやり思い出すのはレヴィン様のことだ。
“……そういえば、レヴィン様は今日一言も代理で来たとは言わなかったわね”
――まさか?
まさか、贈り物という存在自体彼が自発的に用意してくれたものだというのだろうか。
“パーティーが始まってからでも渡せる機会はあるはずだけれど”
それでも、隣に婚約者がいる状態の私になんだかんだで毎月会っている彼が彼の瞳の色と同じ花束を渡したとしたら。
何がキッカケでどんな噂にねじ曲げるかわからない社交の世界。
私とレヴィン様の間に何一つやましいことなどなかったとしても、きっと代理で彼が来ることはなくなるだろう。
“そうなれば、レヴィン様はレヴィン様のお相手を探せるわね”
そんな考えに行き着いた私の心が少しだけ重くなった。
「入場だ」
「はい」
ぽつりとかけられた声に意識を目の前へ戻した私は、そっと彼の腕に手を絡める。
寄り添った私たちを確認したエングフェルト家の執事がさっと扉を開いてくれた。
にこりと微笑みながら足を進めると、さすが公爵家主催のパーティー。
私のお祝い、というよりエングフェルト家との顔繋ぎをしようとかなりの人数が来てくれていて。
「本日はご成人、誠におめでとうございます」
「ありがとうございます」
“これ、見張り以前の問題で食べる時間なんてなかったわね……!?”
開始して間もないというのに既に疲れはじめていたものの、それでも自身主催のパーティーだからとなんとか気合いで誤魔化す。
ちなみに隣のベネディクトは挨拶に来てくれた令嬢の胸元ばかりを見ており、その一貫した様子に腹すら立たなくなってしまった。
“まぁ、他の令嬢へ声をかけに行かないだけよしとしましょう”
それでも、こんな時レヴィン様だったらどうするかしらと考え――……
“そういえば、レヴィン様も来てるのよね?”
ひっきりなしに来る挨拶の合間に、つい横目であの綺麗な濃紺の髪を探していた時だった。
「本日はご成人、おめでとうございます」
「社交界にまた大輪が咲きますな」
穏やかな微笑みで話しかけてくれたのは、つい探してしまっていたあの濃紺の髪の持ち主である……
「クラウリー伯爵、そしてご子息のレヴィン・クラウリー様ですね」
ベネディクトの身代わりとして毎月会っていたとはいえ、公式の場で挨拶をかわすのははじめてだった私たち。
当たり障りなく無難な会話をしながらちらりとレヴィン様の髪を見る。
室内だからか、いつも茶会で見る濃紺ではなく黒髪に見えて少し残念な気持ちになるものの、それでも右側だけ耳にかけた髪がさらりと揺れて相変わらず美しいと感じた。
“お父様似なのね”
口元をきゅっと結んだままのレヴィン様とは違い、穏やかな微笑みで柔らかな表情のクラウリー伯爵。
それでもその表情はどこか血筋を感じさせ、そして髪色も同じだった。
きっと伯爵の髪も太陽の下ならば濃紺に見えるのだろう。
「では、私たちはこれで」
「え? あ、はい。どうぞお楽しみください」
あっさりと挨拶を終えたクラウリー伯爵とレヴィン様がくるりと背中を向ける。
会話はあまりなくともそれなりの時間を一緒に過ごしたせいか、余りにもあっさりとしたこのやり取りに心の距離を感じ――
“……これが、本来の距離ね”
そして彼がただの身代わりで来ていただけだと改めて突きつけられたようで少し胸の辺りが重くなる。
“と、いうか”
胸じゃない。
いや、胸もだが胸だけじゃない。
「く、苦し……」
うぷ、と思わず口元を押さえる。
“だめ、主役の私がこんな会場のど真ん中で倒れるだなんて許されないわ”
ぐらりと視界が暗くなり額に冷や汗が滲む。
けれど今日が成人、夜会デビューの日なのだ。
少しだけでも夜風に当たれば気分も良くなるかもしれないが、けれどバルコニーまで一人では歩けそうになく……
“どうすれば”
どんどん悪くなる具合に焦りながら思わず視線を投げたのは、隣に立つ婚約者ではなく、既に背中を向け歩き去ったはずのレヴィン様だった。
「ベネディクト!」
その瞬間、鋭い声が私に届きドキリとする。
とっくに遠くまで歩き去ってしまったと思っていたレヴィン様が、何故か私を見てその紫の瞳を見開いていた。
「……あ? レヴィン?」
驚いたのは私だけではなく、隣にいたベネディクトも同じだったようで、キョトンとレヴィン様に視線を移す。
レヴィン様は一瞬だけ私の方へ手を伸ばそうとし、その手の先をベネディクトへと変えた。
「アルベルティーナ嬢の具合が悪そうだ、少し風に当たって来た方がいい」
周りに悟られないよう声を押さえたレヴィン様。
“気付いてくれてたの?”
隣にいた婚約者は他のご令嬢の胸を盗み見ていたのに、いつも身代わりにされている彼は私の体と、そして立場までも気遣ってくれる。
なんだかこの差に、具合が悪いというのに小さな笑いが込み上げた。
指示されたベネディクトは、私の様子を確認してすぐに手を差し伸べてくれて。
「アルベルティーナ嬢、挨拶ばかりで疲れたでしょう? 少しだけ二人の時間、なんていかがでしょうか」
「えぇ、構いませんわ」
なんとか平静を装った私の腰を引き寄せつつ周りにバレないよう体を支え、バルコニーまで連れてくれた。
弾力が足りないな、とボソッと聞こえたことをスルーすれば、ベネディクトの対応もそれなりにスマートで、なんだかんだで令嬢人気があるという噂は本物なのだろうと実感する。
風に当たりながら用意されていたベンチに座ると、婚約者同士とはいえ二人きりで長時間抜けることへの配慮からか、すぐに水を手にしたレヴィン様がかなり早歩きでやってきて。
「少しだけ口に含んでください、水分は補給した方がいい」
「ありがとうございます」
私の前に跪くようにしゃがみ、グラスに入った水を差し出してくれる。
一滴すら入らないほど締め上げられているが、やはり緊張もあり汗をかいていたのだろう。
冷たい水が美味しく感じ、気付けばコクコクとすぐに飲み干していた。
危ないから、と空になったグラスをすぐに回収したレヴィン様は、ベンチに座っている私とベネディクトから離れバルコニーとを繋ぐ扉の前に一人まるで見張りのように立つ。
“二人きり、という状況を作らないという配慮ね”
それでいて落ち着けるよう距離も取るというその細やかな気遣いが少し嬉しく――そして、この離れた距離が寂しく感じる。
“次に会うときは、いつもの距離であの紺色の髪を見れるかしら”
なんて内心思いつつ、休んだことで少し回復した私はなんとか最後まで自分の足で立ち、この成人のパーティーを終えたのだった。
「え?」
ぽかんとするベネディクトに私もぽかんとしてしまう。
“花であることすら知らなかったのかしら”
何か贈れ、とだけレヴィン様に言いつけたのかも。
そんな想像が頭を過り、むしろそれが正解だろうと納得してしまう。
「……いや、婚約者として当然だ。喜んで貰えてなにより」
呆れた雰囲気を私から感じたのか、ハッとしたベネディクトが薄っぺらい笑顔を貼り付けそんな事を口にしたが、なんだか面倒に感じた私は愛想笑いだけして入場する扉に視線を移した。
“何が婚約者よ”
招待客の入場が終わるのを待ちながらぼんやり思い出すのはレヴィン様のことだ。
“……そういえば、レヴィン様は今日一言も代理で来たとは言わなかったわね”
――まさか?
まさか、贈り物という存在自体彼が自発的に用意してくれたものだというのだろうか。
“パーティーが始まってからでも渡せる機会はあるはずだけれど”
それでも、隣に婚約者がいる状態の私になんだかんだで毎月会っている彼が彼の瞳の色と同じ花束を渡したとしたら。
何がキッカケでどんな噂にねじ曲げるかわからない社交の世界。
私とレヴィン様の間に何一つやましいことなどなかったとしても、きっと代理で彼が来ることはなくなるだろう。
“そうなれば、レヴィン様はレヴィン様のお相手を探せるわね”
そんな考えに行き着いた私の心が少しだけ重くなった。
「入場だ」
「はい」
ぽつりとかけられた声に意識を目の前へ戻した私は、そっと彼の腕に手を絡める。
寄り添った私たちを確認したエングフェルト家の執事がさっと扉を開いてくれた。
にこりと微笑みながら足を進めると、さすが公爵家主催のパーティー。
私のお祝い、というよりエングフェルト家との顔繋ぎをしようとかなりの人数が来てくれていて。
「本日はご成人、誠におめでとうございます」
「ありがとうございます」
“これ、見張り以前の問題で食べる時間なんてなかったわね……!?”
開始して間もないというのに既に疲れはじめていたものの、それでも自身主催のパーティーだからとなんとか気合いで誤魔化す。
ちなみに隣のベネディクトは挨拶に来てくれた令嬢の胸元ばかりを見ており、その一貫した様子に腹すら立たなくなってしまった。
“まぁ、他の令嬢へ声をかけに行かないだけよしとしましょう”
それでも、こんな時レヴィン様だったらどうするかしらと考え――……
“そういえば、レヴィン様も来てるのよね?”
ひっきりなしに来る挨拶の合間に、つい横目であの綺麗な濃紺の髪を探していた時だった。
「本日はご成人、おめでとうございます」
「社交界にまた大輪が咲きますな」
穏やかな微笑みで話しかけてくれたのは、つい探してしまっていたあの濃紺の髪の持ち主である……
「クラウリー伯爵、そしてご子息のレヴィン・クラウリー様ですね」
ベネディクトの身代わりとして毎月会っていたとはいえ、公式の場で挨拶をかわすのははじめてだった私たち。
当たり障りなく無難な会話をしながらちらりとレヴィン様の髪を見る。
室内だからか、いつも茶会で見る濃紺ではなく黒髪に見えて少し残念な気持ちになるものの、それでも右側だけ耳にかけた髪がさらりと揺れて相変わらず美しいと感じた。
“お父様似なのね”
口元をきゅっと結んだままのレヴィン様とは違い、穏やかな微笑みで柔らかな表情のクラウリー伯爵。
それでもその表情はどこか血筋を感じさせ、そして髪色も同じだった。
きっと伯爵の髪も太陽の下ならば濃紺に見えるのだろう。
「では、私たちはこれで」
「え? あ、はい。どうぞお楽しみください」
あっさりと挨拶を終えたクラウリー伯爵とレヴィン様がくるりと背中を向ける。
会話はあまりなくともそれなりの時間を一緒に過ごしたせいか、余りにもあっさりとしたこのやり取りに心の距離を感じ――
“……これが、本来の距離ね”
そして彼がただの身代わりで来ていただけだと改めて突きつけられたようで少し胸の辺りが重くなる。
“と、いうか”
胸じゃない。
いや、胸もだが胸だけじゃない。
「く、苦し……」
うぷ、と思わず口元を押さえる。
“だめ、主役の私がこんな会場のど真ん中で倒れるだなんて許されないわ”
ぐらりと視界が暗くなり額に冷や汗が滲む。
けれど今日が成人、夜会デビューの日なのだ。
少しだけでも夜風に当たれば気分も良くなるかもしれないが、けれどバルコニーまで一人では歩けそうになく……
“どうすれば”
どんどん悪くなる具合に焦りながら思わず視線を投げたのは、隣に立つ婚約者ではなく、既に背中を向け歩き去ったはずのレヴィン様だった。
「ベネディクト!」
その瞬間、鋭い声が私に届きドキリとする。
とっくに遠くまで歩き去ってしまったと思っていたレヴィン様が、何故か私を見てその紫の瞳を見開いていた。
「……あ? レヴィン?」
驚いたのは私だけではなく、隣にいたベネディクトも同じだったようで、キョトンとレヴィン様に視線を移す。
レヴィン様は一瞬だけ私の方へ手を伸ばそうとし、その手の先をベネディクトへと変えた。
「アルベルティーナ嬢の具合が悪そうだ、少し風に当たって来た方がいい」
周りに悟られないよう声を押さえたレヴィン様。
“気付いてくれてたの?”
隣にいた婚約者は他のご令嬢の胸を盗み見ていたのに、いつも身代わりにされている彼は私の体と、そして立場までも気遣ってくれる。
なんだかこの差に、具合が悪いというのに小さな笑いが込み上げた。
指示されたベネディクトは、私の様子を確認してすぐに手を差し伸べてくれて。
「アルベルティーナ嬢、挨拶ばかりで疲れたでしょう? 少しだけ二人の時間、なんていかがでしょうか」
「えぇ、構いませんわ」
なんとか平静を装った私の腰を引き寄せつつ周りにバレないよう体を支え、バルコニーまで連れてくれた。
弾力が足りないな、とボソッと聞こえたことをスルーすれば、ベネディクトの対応もそれなりにスマートで、なんだかんだで令嬢人気があるという噂は本物なのだろうと実感する。
風に当たりながら用意されていたベンチに座ると、婚約者同士とはいえ二人きりで長時間抜けることへの配慮からか、すぐに水を手にしたレヴィン様がかなり早歩きでやってきて。
「少しだけ口に含んでください、水分は補給した方がいい」
「ありがとうございます」
私の前に跪くようにしゃがみ、グラスに入った水を差し出してくれる。
一滴すら入らないほど締め上げられているが、やはり緊張もあり汗をかいていたのだろう。
冷たい水が美味しく感じ、気付けばコクコクとすぐに飲み干していた。
危ないから、と空になったグラスをすぐに回収したレヴィン様は、ベンチに座っている私とベネディクトから離れバルコニーとを繋ぐ扉の前に一人まるで見張りのように立つ。
“二人きり、という状況を作らないという配慮ね”
それでいて落ち着けるよう距離も取るというその細やかな気遣いが少し嬉しく――そして、この離れた距離が寂しく感じる。
“次に会うときは、いつもの距離であの紺色の髪を見れるかしら”
なんて内心思いつつ、休んだことで少し回復した私はなんとか最後まで自分の足で立ち、この成人のパーティーを終えたのだった。
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