俺のものになりなさい

にしだてえま

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#16 Come with me !

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#16 Come with me !

「やっぱりカナは秀司が好きなんだ」
「違う」
 周りの楽しそうな話し声や場内に時折響く笑い声が急に遠ざかった。香夏子は聖夜と二人、賑やかな同窓会の場から切り離され、凍土で向き合っているような気分だった。実際、場内の冷房が効きすぎているのか、香夏子は小さく身震いする。
「じゃあ……」
 聖夜は苦い顔で唇を噛んだ。
「カナは俺のことをまったく信用していないってことか」
 視線が下に向く。何秒か考えて、それから上目遣いで聖夜を見た。
「だって、何を信じたらいいの? 聖夜が何を考えているのか、私には全然わかんない!」
 長年自分の中に積もり積もっていたものを思い切って目の前の人にぶつけた。ついに言った、という爽快感とともに、たぶん聖夜を傷つけたという罪の意識が香夏子の胸の中にドンと跳ね返ってくる。
「そっか」
 そっけない短い返事だ。聖夜はそれ以上何も言う気はないようだった。
(だめだ、このままじゃ……)
 何か言おうと香夏子が口を開きかけたとき、聖夜がおもむろにズボンのポケットから何かを取り出した。
「これは返しておく」
 バンと乱暴にテーブルの中央へ置かれたのは畳まれた紙幣だった。
(いち……まんえん)
 聖夜の家に居候になる際に彼が「預かっておく」と言っていた一万円だ。香夏子は黙ってその紙幣を見つめる。どうすべきか考えるが答えは決まらない。
 ちらっと聖夜の顔を窺うと、彼も複雑な表情でテーブルの上の紙幣を見つめていた。どうしてこんな奇妙なことになったのか、と聖夜と同じく紙幣を見て香夏子は改めて考え込んだ。
「あら、これなあに?」
 四角く畳まれてよれた紙幣は細くすらりと伸びた美しい女性の指に摘み上げられた。形よく手入れされた爪にはベージュのマニキュアが控えめに塗られている。
 ハッとしてテーブルの横に立つ人物を振り返ると、純粋に不思議そうな光を宿した大きな瞳に見つめ返された。
「香夏子ちゃん、お久しぶりね」
「……久しぶり……です」
 声を腹の底から無理矢理押し出して香夏子が答えると、奥野なつきは嬉しそうに大きな目を細めて微笑んだ。そして当たり前のように自然な動作で聖夜の隣に座る。
(ちょっと、なんで……!?)
 香夏子がなつきの挙動に反感を抱いた瞬間、隣に人の気配を感じた。
「なんだ、その一万円は」
 思わず目を瞑った。呼んでもいないのに現れるのはこの男しかいない。
 目を開けると秀司がなつきの手から折り畳まれた紙幣を取り上げ、意味もなく広げているところだった。
 聖夜が小さくため息をついて口を開いた。
「それ、誰のだと思う?」
 向かい側で相変わらず不機嫌な顔をしている聖夜は面倒そうな仕草で足を組み直した。隣のなつきが小さく首を傾げる。その首の角度すら自らを美しく見せるために計算されているような気がして香夏子は思わず目をそらした。
「誰のでもない、とか」
 なつきが遠慮がちに答えると、聖夜は腕を組んで思案顔になった。
 すると秀司が両手で紙幣をピンと伸ばして表と裏を交互に見た。名前などどこにも書いていないのに、と香夏子が軽蔑の視線を送ったときだった。
「カナだろうな、こんなバカなことをするのは」
「は? バカって……秀司に何がわかるのよ!?」
 気がつくと香夏子は秀司の手から一万円札をひったくり、自分の手に握り締めていた。そしてまたテーブルの中央へバンと乱暴に戻す。
「それに、このお金は私のじゃない!」
「俺のでもない」
 聖夜が負けじと言い返してきた。お互いだんだんと意地になって、絶対に自分の懐には納めないという気迫で睨み合う。香夏子にしてみれば聖夜に多大な迷惑を掛けたのだから、せめてそれだけでも受け取ってほしかったのだ。
「じゃあ、俺が貰おう」
 秀司はそう言うが早いか紙幣を掴み、スーツの内ポケットへしまった。その素早い動作にあっけに取られ、香夏子も聖夜も口を挟むことができなかった。
「なつきが正解か。さすがだな」
 出来のよい生徒を褒めるように秀司はなつきに笑いかけた。なつきはそれを素直に受け取ったのかクスッと笑う。
「聖夜くんと香夏子ちゃんって……相変わらずなのね」
 なつきが聖夜と香夏子を見比べながら言った。
 香夏子は怪訝な顔でなつきを見る。中学時代、秀司とはペアであれこれ言われることはあったが、聖夜と香夏子がペアで見られることはまずなかった。秀司に指摘されるのは理解できるが、なつきが自分たちの何を知っているというのだろう。
 その香夏子の疑問に答えるようになつきは口を開いた。
「私、ずっと聖夜くんのことが好きで、いつも目で追ってたから、本当は気がついてたの」
「何を?」
 聖夜はなつきから心持ち身を引き気味にする。
「二人がお互いをすごく意識していること。……みんな、香夏子ちゃんと言えば秀司くんだと思ってるから誰も気がついていなかったと思うけどね」
 なつきは自信に満ちた表情で香夏子の目を真っ直ぐに見た。ドキッとする心臓の音が周りにも聞こえたのではないかと心配になる。
「だから高校生の最後にダメ元で聖夜くんに告白して、OKもらったときはすぐには信じられなかったわ。でも、本当に嬉しかった」
 聞くに堪えないなつきの告白をテーブルの上の紙幣を見つめることでやり過ごした。何が言いたいのだろう。自慢ならうんざりだ、と香夏子は小さく息をついた。
「……だけど、結局すぐにふられちゃった」
 なつきは両肘をテーブルについて顎を支えた。そして顎を高い位置に据えたまま聖夜を見る。
「後でわかったけど、私と付き合ったのは香夏子ちゃんに対する当てつけだったのね」
「…………」
 聖夜は静かに呼吸を繰り返すだけで、なつきの言葉に答えない。
 香夏子は向かい側の席に座る人をじっと見つめた。
(否定しないの?)
 今にもその口が「違う」と言い出すだろうと待ち構えていたが、一向にその気配が感じられない。心臓がバクバクと鳴り始めた。
「……ごめん」
(え?)
 聖夜の言葉が誰に宛てたものかわからず、一瞬息が止まる。
「やだ。今更あやまらないで。もうずっと昔のことじゃない?」
 なつきが困ったように肩をすくめた。それから香夏子を見る。
「私、香夏子ちゃんが羨ましかったわ。こんな素敵な幼馴染が二人もいて、いつも二人に守られていて」
「そんなんじゃ……」
 香夏子は首を横に振った。それを見てなつきはにっこりと微笑む。
「さて、そろそろお邪魔虫は消えるね」
 そう言ってなつきはすぐさま席を立ち、名残惜しい様子で聖夜を束の間見つめ、それから香夏子に小さく頷いて背を向けた。

 なつきが去った後、しばらく誰も口を開かなかったが、沈黙を破ったのは香夏子の隣に座っている秀司だった。
「珍しいな」
「そう?」
 聖夜がつまらなさそうに返事をした。確かにこんな聖夜は今まで見たことがない。
「お前のせいだ」
 秀司が言った。香夏子は言葉の意味がわからず秀司の表情を確認する。だが、眼鏡の奥の瞳は冷たく聖夜を見据えているだけで、香夏子には何も読み取れない。
「何が?」
「カナが俺と別れるという選択をしたのが、だ」
(…………!)
 ついにバレてしまった。
 香夏子は口元に手を当てて二人から顔を背けた。

 家の前で聖夜となつきに出くわしたその日に、香夏子は重い足を引きずるようにして向かいの秀司の家へ赴いた。顔面蒼白で魂が抜けた状態の香夏子は、秀司の顔を見るなり言った。
「ごめん。もうこれ以上秀司と付き合うことは出来ない」
「何だ、それは? 意味がわからない」
「だって……」
 自室の窓越しに見たカーテンが目の前にちらついた。
「ごめん。私、もう秀司とは……できない」
 考えるより先にそう言っていた。返事も聞かずに香夏子はふらふらと家に戻った。心の疼痛以外何も感じなくなってしまった。秀司の気持ちなど考える余裕はなかったのだ。
 その翌日、ほとんど寝ていない香夏子に向かって、秀司は訣別を匂わせる言葉を突きつけたのだった。
「俺はかけがえのないものと引き換えにもっと大きなものを手にするんだ。だから……俺はこの先結婚するつもりはない。誰とも、だ」

(まだ同じように思ってる……わけないか)
 苦い回想から我に返った香夏子は自分の隣を気遣いながら見た。
「それがどうした?」
 聖夜がため息混じりに言う。秀司は少しだけ目を細めて聖夜を見返した。
「そのくせお前らは相変わらず仲のいい幼馴染ごっこを続けて、一体何のつもりだ?」
「別に。そもそも俺とカナのことは、秀司に関係ないだろ」
「それならどうして取り返しに来ない? わざわざ教えてやったのに。まぁ、どうせ聖夜はカナが俺から逃げ出して自分のところに戻ってくると高を括っていたんだろうが。だが言っておくが、俺はもうガキの頃とは違う」
 フンと鼻で笑った聖夜は顔に酷薄な表情を刻んで顎を引いた。
「俺も、だ」
 香夏子は顔を下げて考えた。
(……なんだ、このやりとりは?)
 短くてお世辞にも綺麗とは言いがたい指をゆっくりと広げたり握ったりしながら、自分の存在意義を考える。
(ていうか、この二人、私がいることを忘れてない?)
 どういう態度を取るべきか決めかねていると、突然秀司に腕を掴まれた。
「行くぞ」
「どこに?」
 香夏子は秀司に引きずられて立ち上がる。秀司は振り向きもせず強引に香夏子を引っ張って歩き始めた。席にひとり残された聖夜を肩越しに振り返ると、また鋭い視線が香夏子を射抜いた。
「腹が減った。何か食うぞ」
「ちょ、ちょっと待ってよ! 私は……」
 予告なしに秀司は立ち止まった。そして香夏子を見下ろす。
「言いたいことがあるならはっきり言え」
 香夏子はただ黙って秀司を見ることしかできない。
「こんなもので誤魔化すな!」
 秀司は内ポケットから取り出した紙幣を香夏子の喉元に突きつけた。ガンと頭を殴られたようなショックが香夏子の全身を襲う。身動きできず棒立ちのまま、足元にひらひらと落ちていく一万円を茫然と見た。
「お前らの仲良しごっこに付き合うのはもううんざりだ」
 そう言い捨てて、秀司は立ち去った。
 しばらく香夏子はそのままの姿勢で床に落ちているよれた紙幣を眺めていた。
「泣かないんだ?」
 後ろから声が聞こえたかと思うと、足元の紙幣が拾い上げられた。ようやく香夏子は金縛りから解放されて、いつの間にか自分の傍に来ていた聖夜を見る。
「どこがガキの頃と違うんだよ。やっぱり全然変わってない」
 聖夜は呆れたように言って、香夏子の目の前で紙幣をひらひらとさせた。
「で、これ、どうするの? そろそろしまったら?」
「……いらない」
「カナ」
「だって……」
 周囲の目が気にならないわけではないが、形容しがたい気持ちが一気に膨張して爆発しそうになる。
 その瞬間、聖夜は近くのテーブルからグラスを取ったかと思うと、自分と香夏子の足元へ落とした。
 ――ガシャン!
(…………!?)
「あーあ、落としちゃった。カナ、こっち来て。早く拭かないと染みになる。ごめん、横井、そこ片付けといて」
 グラスが割れる音に驚いて駆け寄った横井におしぼりを押し付けると、聖夜は香夏子の背中を押して会場の外へ出た。急かすように力強く背中を押す聖夜の腕に、香夏子はぼうっとなる。服が汚れたことなどもうどうでもよかった。
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