我、輝夜の空に君を想ふ。

桜部遥

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小鳥遊ミツル編

誰か僕を助けてよ

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‪✿

——長いようで短い話は、そうして幕を下ろした。

切なげな顔で、輝夜は唯に話す。
「私が知っているのは、天狗が陰陽師によって呪いをかけられた所まで。その後私は九尾達に助けて貰って……まぁ、色々あって死んじゃった。」
唯は今にも溢れそうな涙を必死に堪えて、輝夜の目を見つめる。
(この人は本当に、皆の事が……妖の事が大好きなんだ。)
その気持ちは、痛い程分かる。
唯だって最初から妖が怖くなかった訳じゃない。でも、和己と出会って帆影とミツルと、修と出会って。
妖も人間も同じだと思った。心があるから傷付くし傷つけてしまう。
でもいつかは分かり合える。唯がそうだったように。輝夜がそうだったように。
「あの……私はもう死んだんですか?」
「ううん。死んでないよ。……正確にはまだ、死んでないって感じだけれど。」
その含みのある言い方に、唯は首を傾げる。

「うーん、何処から話そうかな。……神様って、本当に存在してるの。私はその神様によって唯ちゃんの体の中に魂を送り込まれた。今まではずっと眠っていたんだけどね。」
輝夜の言っている事は、つまりこういう事だった。

今、雨宮唯という器の中には、唯と輝夜二つの魂が同時に存在している。
今までは、輝夜の魂は殆ど眠っていたが唯の、仲間を助けたいという願いに同調し、目覚める事となった。
そして、問題はここからだった。

「一つの器には、一つの魂しか存在出来ない。私が目覚めてしまったという事は——私か唯ちゃん、どちらかの魂は消滅する。」

その言葉に裏も表も無かった。
それが、真実だったのだろう。だから輝夜は苦しそうな顔で唯を見つめているのだ。
「どちらかって……?」
「それを決めるのはね——唯ちゃん、貴女なの。」
どくんと心臓が跳ね上がる。
「今の身体の主導権を握っているのは唯ちゃん。だから唯ちゃんに決める権利があるって事よ。」
「輝夜さんは決められないんですか……?」
「うん。私は元々千年以上も前に死ぬはずだった魂だから。」
 意味が分からない。
頭が回らない。

それでも目の前の美しい姫は、混乱する唯に向かって言う。
慈悲もない現実を突きつけるように。
冷たい声で、非力な少女に選択を迫った。

「——だから、唯ちゃん。貴女が今ここで決めて。」


‪✿

時を同じくして、ここは高天原荘。
時刻は朝の五時を回った所だ。
「——唯」
あの後、斬られた唯は帆影に担がれ高天原荘に帰還した。
待っていた治に状況を説明し、唯の身体は自室のベットの上に置かれている。
幸い傷はそこまで深くなく、命に別状は無いそうだ。
「一応と思って取っておいた医師免許が、まさかここで役立つとはね。」
ははっと、軽く笑いながら治はミツルに話す。
居間でカタカタと震えながら何度も「ごめんなさいごめんなさい」と繰り返すミツル。
返り血を浴び、放心状態のミツルの隣に、治はゆっくりと腰を下ろした。

「ねぇ、ミツル。何で唯ちゃんの傷は浅かったと思う?」
「なん、で……」
「——君が、最後まで呪いに抗ってくれたおかげなんだよ。だから唯ちゃんは死ななかった。」
治はそうミツルに告げた。

「——君が唯ちゃんを守ったんだよ。」


その言葉に、ぽんと頭の上に置かれた大きな手に。
ミツルは大粒の涙を流す。
それまでせき止められていた色々な感情が声にならない声になって溢れ出す。
それは千年以上の間、ずっと一人で戦っていた勇敢な彼が初めて涙を見せた瞬間だった。
ひとしきり泣いた後、目を真っ赤に腫らしながらミツルは治に問いかける。
「和己と帆影は……?」
「和己はまだ寝ているよ。帆影は……多分、唯ちゃんの部屋じゃないかな?」
机の上には、涙で濡れたティッシュが山のように積まれていた。
ずずっと鼻水を啜ったミツルは、静かに立ち上がる。
「僕も行ってくる。」
鼻声で、ガサガサになった声でそう告げたミツルに、治は柔らかく微笑んだ。

「——行ってらっしゃい。」


ぎぃと軋む階段を登って、ミツルは唯の部屋の前に立つ。
すうっと深呼吸をしてから、扉をノックした。
中からの返事は無い。
「……入るね。」
ゆっくりとドアノブを回し、ミツルは部屋に入る。
電気も付けず、唯の眠るベットの横で正座をしながら俯く人影。
「——帆影。」
その名前を呼ぶと、帆影は勢いよく立ち上がりミツルの胸ぐらを掴んだ。
「お前、良くもこの部屋に入ってこられたな!!!」
激怒で、我を忘れた声にミツルは何も言い返す事無く、その場に立ち尽くす。
その瞬間、太陽がゆっくりと顔を出しミツルの妖化が溶けた。
人間になった二人の男。
ミツルは何も言わず、帆影の目を見つめた。
そんはミツルの姿に、帆影が歯を食いしばる。

「……んでっ……何で何も言わないんだよ!!!」

帆影の声が、小さな部屋の中に響き渡る。
「何とか言ってよ!!言い訳の一つでもしろよ!!仕方なかったんだって、弁解するようなクソ野郎だったら……一発ぶん殴ってやれたのに……何で……」
力なく、帆影はその場に座り込む。
帆影の怒りは最もだ。きっと何を言ったところで、彼はミツルを許さないだろう。
だからミツルはそれを受け入れるしかないのだ。
「帆影。殴りたいなら殴ってくれ。僕は、それだけの事をしてしまったんだから。」
ミツルは淡々とそう帆影に話す。
殴れるものなら、今すぐに飛びかかって何度も殴っている。
歯が折れる程に、鼻の骨が砕ける程に。
でも、帆影がそうしないのは……。

——誰よりも、お前が一番傷ついてるだろ……!

今にも死にたいというその顔。
そうすることで救われたいという顔。
そんな顔をする奴の事を、殴れる程帆影は強い男では無かった。
だからこそ、帆影はやるせない気持ちでいっぱいになる。
「ねぇ、帆影。このまま雨宮さんが目を覚まさなかったら——僕の事殺してよ。」
ミツルのその言葉に、帆影は顔を上げる。
「……は?何言ってんの、ミツル」
「そうするしか、償えないのなら、僕はそれでいい。」
「馬鹿なの!?そんな事出来るわけ——」

「——分かった。」

その返事をしたのは、ミツルでも帆影でも、ましてや治でも無い。
ミツルがくるりと振り返ると、そこには包帯で身体中を巻かれた和己が立っていた。
「……か、ずみ」
「おい、和己!今自分が何言ったのか分かってるの!?ミツルを——」
「だから、唯が目を覚まさなかったら、俺がミツルを殺す。」
和己はゆっくりと、ミツルに近づいて行く。
目を合わせられず、視線を下ろすミツルに和己は冷徹な声で言った。
「どんな理由があるか知らねぇが、唯を傷付けたのはお前だ。ならケジメはつけろ。」
「和己……!いくらなんでも……」
和己の声は、本気だった。
まるで、入学したての和己のように鋭い眼光がミツルを捉える。
唯と一番親しくしていたのは、和己だ。
ミツルのした事を許せない気持ちは、分かる。
「……わかっ——」
「けどそれは、てめぇが一人楽になるだけだろ!」

ミツルの声を遮るように、和己の怒鳴り声が響く。
ミツルと帆影は驚いて、和己の方を向いた。
そこには顔を顰めながら、怒りで我を忘れそうになっている和己が立っている。
「俺はてめぇ一人だけが楽になる道なんて選ばせねぇ!だから……唯が目を覚ましたら死にたく無くなる程謝れ!!」
ミツルは目を丸くさせながら、和己を見つめる。
日が登り、もう妖では無くなった人間としての和己の本心がそこにはあった。
いつから忘れていたのだろう。

ここには、皆がいる。
天狗として生きた千年以上前からずっと、自分の傍には彼らが居た。
いつの間にかそれが心地よくて、皆を守りたいと思うようになった。
紛れもなく、今ここにいる和己は。帆影は。治は。唯は。

——ミツルの守りたいと思う、仲間だ。

和己の心が、ゆっくりとミツルを縛っていた鎖を溶かしていく。
千年以上堰き止めていた思いが、涙と一緒にこぼれ落ちる。
(もう少し、先輩らしく振る舞いたかったのにな……)
そんな小さな心残り。
でも今はそんな事よりも、やるべき事がある。
ミツルはゴシゴシと目元を強く擦って、顔を上げた。

「和己、帆影。聞いてくれる?——千年前、僕に刻まれた呪いの事を。」

もう、包み隠す必要は無い。
だって今は仲間がちゃんと見ていてくれる。
独りぼっちで全てを背負う必要は無くなったのだから。
そうして、ミツルが全ての話を語り終える頃には登校時間になっていた。
ミツルの話を、和己も帆影も何も言わずに聞いてくれた。
それが、ミツルにとって救いだった。
責める事も、同情する事も無く、ただずっと無言のまま。
話終えた後、和己はゆっくりと立ち上がった。
一発くらい殴られる覚悟はしていたけれど、和己は晴れない表情のまま、
「風呂入ってくる」
と唯の部屋を後にする。
それに続くように、帆影も腰を上げグッと背伸びをした。
「俺も着替えてくるよ~汗でびしょびしょだしね。」
そう言って、部屋を出る時帆影はピタリと足を止める。
「俺も和己も、きっとミツルを簡単に許せないと思う。それでも……それでもさ。やっぱり今のミツルはミツルでしょ?だから、そうやって自分だけを責めないでよ。」
ずっとずっと、死にたいと思っていた。
死ぬ事で救われるなら、そうしたいと。
けれど、ここで小鳥遊ミツルが死んでも、呪いと共に新たな天狗が目を覚ます。
連鎖は決して止められない。
だからずっとひた隠しにして生きてきた。
それが自分の罪を隠す方法だったから。

でも……もう僕はただの天狗じゃない。
帆影が言ってくれたように、和己が背中を叩いてくれたように。
もう自分だけを責めて、救いを求めるのはおしまいだ。
だって僕は——小鳥遊ミツルなんだから。

ぱたんと、扉は締まり空間には二人の人間が取り残される。
ミツルはベットで横になっている少女にゆっくりと近付き、腰を下ろした。
未だ、唯は目を覚まさない。
眠り姫のように、微動だにせずその場で寝息を立てている。
「——雨宮、さん」
早く目を覚ましてよ。
言いたい事が沢山あるんだ。
そんな思いと共に、ミツルはそっと唯の指先に触れる。
温度を感じない、冷たい手。
まるで死人のように瞼を閉じた少女。
(会いたい……君と、話したい……。)
彼女を傷付けた張本人だと言うのに、こんなにも身勝手な願いを抱いてしまう。

和己が炎を操れるようになって、帆影が自分を隠す事をやめて。
それを見た時から、何となく気付いていた。
こんな事が出来る勇敢な少女は一人だけだと。
——輝夜しかいないと。
それを必死に否定して、否定すればするほど、やっぱり目の前にいる少女の背中に輝夜を重ねてしまう。
でも今なら分かる。
和己が変わったのも、帆影が変われたのも全部輝夜の力じゃない。
——雨宮さん自身の力だったんだね。
早く、早くその目を開けて。
そして、最初に言うことはきっと……。


「——てん、ぐ……?」

ミツルが触れていた彼女の指先がぴくっと動く。
その振動と、その声にミツルは今にも泣きそうな顔を上げた。
「雨宮さ……!」
喜びは一瞬で、困惑に切り替わる。
その場で目を覚ました少女は、ミツルの事を「小鳥遊さん」では無く「天狗」と呼んだのだ。
ゆっくりと身体を起こした少女の瞳は、天狗の姿を捉える。
唯の柔らかなオーラでは無い。でも、ミツルは知っていた、その笑みを浮かべる人物の名前を。
ミツルは震えながら、恐る恐る少女に尋ねる。
「君は……誰?」
確かに見た目は、雨宮唯自身なのに。どうして心はこの少女が唯では無いとそう叫んでいるのだろう。
唯の見た目をした少女は、にこっと嬉しそうに笑った。
桜の花びらが咲き誇るような笑顔で、彼女は告げる。

「久しぶりね、天狗!——私は、輝夜よ。」


かくして、願いは成就する。
誰かが望んだ。彼女に会いたいと。
誰かが祈った。彼女に触れたいと。
その願いは、神のイタズラによって叶えられる。
誰もが予想していなかった最悪の形で。
そして、その瞬間一人の少女は眠りにつく。
大切な仲間の顔を心の中で描きながら、ゆっくりと深い眠りに落ちていく。

——そうして、願いは叶ったのだ。
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