我、輝夜の空に君を想ふ。

桜部遥

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小鳥遊ミツル編

全部俺のせいだ。

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‪✿

そこは、真っ暗な場所だった。
「……ここ、は?」
意識を取り戻した少女は、ゆっくりと立ち上がる。
その空間は、以前帆影が作った空間に良く似ていた。
(私、どうしてここに……?)
彼女は朧気な記憶を辿る。
(確か、光蓮寺くんが倒れて私がそれを治して……それで……)
それで。
——それで、ある男に斬られた。
少女は視線を落とす。
何故あの時、彼が自分を切りつけたのか分からない。
ただ、刀を振り上げるその瞬間まで、男は何かに抗っているように見えた。
(小鳥遊さん……)
そう思っていた瞬間、彼女の前に光が差し込んだ。

「初めてまして。雨宮唯さん。」
唯の先で、静かに佇む美しい少女。
長いまつ毛、大きな瞳。その少女の名前を、唯は知っている。
「貴女は……輝夜、さん?」
ふわりと柔らかく微笑む輝夜は、唯の顔を見てゆっくりと告げた。

「貴女にはこれから、ある話をしなければならないわ。とても辛くて、とても悲しくて。貴女はきっと傷付いてしまうかもしれない。耐えられないかもしれない。……それでも聞いて欲しいの。彼の——天狗の話を。」

天狗。それはきっとミツルの事だろう。
誰よりも唯を見ていてくれた優しい先輩。
あの時どうしてあんなにも、苦しそうな顔で自分を斬ったのか。
ミツルは一人で何を背負っているのか。
(知りたい。……ううん。知らなくちゃいけない。)
唯は静かに頷く。
それを見た輝夜は、ゆっくりと目を伏せた。
「ありがとう。長話になるから、そこに座って聞いてくれる?——呪われた、ある妖の話を。」
そうして輝夜は語りだす。

全ての妖に癒えない傷となって、今も尚残り続けるある地獄の日の話を。

‪✿

陰陽師と接触した翌日。
天狗はいつものように輝夜の屋敷に赴いた。
「おはよう、天狗!今日は随分早いのね?」
あれこれと考えながら、結局寝れずに朝を迎えた天狗はいつもよりも早く屋敷に着いていた。
「あ、ああ。たまにはな……」
「? まあ私は嬉しいからいいけどね!朝ごはんは食べた?」
「食べなくても腹は減らねぇ。……なぁ、輝夜。」
どうしたの、と輝夜は首を傾げる。
「俺と輝夜は友達……だよな?」
「そうだよ。私と天狗は友達!それに、皆も!」
純粋無垢な笑顔で、輝夜は答える。
今迄も、これからも、ずっと輝夜はこうして笑っているのだろう。

——いや、俺が笑っていて欲しいだけだったのか。

「だよな。んじゃ、俺九尾に用があるから先に部屋入ってる。」
いつもよりも瞳に光が無い天狗に、輝夜は声をかける事が出来なかった。
その後になって、輝夜は思う。
もしもこの時、自分の中の違和感に気づけていたら。
少しでも不信感を見過ごさないでいたら。
この結末は、変わっていたのだろうか。


「さて、あとは探すだけ、か。」
輝夜と別れ、天狗は屋敷の中を虱潰しに探した。
一部屋一部屋周り、隅々まで目を凝らす。
「天狗じゃーん!何してんの?」
途中、天邪鬼に声をかけられた。
詳しい事も言えなかったので、とりあえず
「仲直りの道具を探してる」
と答えてみる。
「なにそれ?誰と誰が喧嘩してんのー?」
「るっせえ。お前には言わねぇよ。すぐにばらすだろ。」
「ひっど!まあ、いいけどさー。見つかるといいねー」
のらりくらりと、天邪鬼は去っていく。
(嘘は言ってねえ……よな?)
そう。決してこれは嘘では無い。
だと言うのに、なんでこんなに心臓の音はうるさいのだろうか。

結局、夕方まで探し回ったが護符らしきものは見当たらなかった。
(何処に貼ったんだ、あいつ……)
柱一本一本探し、屋根裏まで這いずり回ったのに、収穫は無い。
もう探していない場所は無い程に、屋敷の隅々を見て回った。
縁側に腰を下ろし、空を仰ぐ。
もうすぐ春になるせいか、少しずつ暖かくなってきた。
とは言ってもやっぱりこの時間は少し肌寒い。
(あと探してないのは……)
もう手詰まりかと諦め、顔を下ろしたその瞬間、天狗の視界にはある物が写った。
それは、この屋敷の象徴とも呼べる大きな木。
桜の大木だった。
天狗はゆっくりと腰を上げて、桜の大木に近付く。
桜の花びらがゆらりと風に舞い、地面に落ちる。
まさか、そんなはずは無い。そう思いながらも、天狗の手は大木に触れていた。

木登りが得意な天狗だからこそ、その大きな木にも楽々登れたのかもしれない。
「……!」
その枝には、白い紙が巻き付けてあった。
桜の花で遠くからは隠れて見えなかったけれど、確かにその枝に巻き付けられていたそれは……護符だ。

——みつ、けたのか?

天狗はゆっくり自分の腰刀を引き抜く。
(でも、本当に良いのか?これを斬ったら……。)
斬ったらきっと、陰陽師がこの屋敷に入ってくる。
でも彼は天狗に誓った。『決して輝夜を傷つけない』と。
(だから、大丈夫……。これは輝夜の為でもあるんだ。だから……だから——!)

——俺は、間違っていない!

天狗は、その枝に巻き付けられていた紙を思い切り斬った。
……その刹那。
バリン!
屋敷を囲んでいた何かが割れる音。そして、忌々しい気配が近付いてくる足音が聞こえてくる。

「——どうして結界が……!?」

驚いて外に飛び出して来た輝夜は、動揺しながら辺りを見渡す。
大輪の桜のおかげで、どうやら天狗の姿は見えていないようだ。

「——お久しゅうございます、輝夜姫。」


ぎぃと門が静かに開く。
そしてそこに立っていたのは、十人は超える陰陽師の姿だった。
その中には昨夜、天狗と接触した陰陽師の姿もある。
「貴方達がどうして……!!っ、お話する事はありません!直ちに帰りなさい!」
「おやおや。久方ぶりにお会い出来たというのに、そのような言い草……。とても悲しく思います。それに、この屋敷をこのまま野放しにはできませぬ。」
「どう、いう……」
「臭うのですよ!!臭い臭い——妖の匂いが!」
そう大声で言い放つと、先頭に立っていた陰陽師が静かに手を上げる。

「良いですかな、輝夜姫。これは貴女様の為でもあるのです。——妖は、我々陰陽師が滅するべき悪なのですから!!」

その言葉を合図に、陰陽師達は一斉に屋敷に侵入する。
輝夜は、回らない思考の中ただ一つの思いだけで声を上げた。

「——皆、逃げてーーー!!!」

一瞬で、その場は地獄と化した。
陰陽師達の手によって、屋敷に住んでいた妖達は滅ぼされていく。
「貴方達、こんな事して——」
「お黙り下さい、輝夜姫。我々はご当主様から貴女を生きて連れ戻すようにと言われているのです。」
輝夜の両腕をがっと掴んだのは、天狗に接触してきた陰陽師達だった。
その光景に、天狗は思わず輝夜の元に駆け寄る。
「輝夜を離せ!!」
大きく振りかざした刃は別の陰陽師によってはばかられ、天狗はその場に這いつくばった。
「ぐっ!」
頭を押さえつけられた天狗は、そのまま無様な姿を陰陽師に晒す。

「輝夜を傷付けないと約束したはずだ!ただ話し合うだけだと!」
「天狗……?どういう事?」
動揺する輝夜の顔を見れない天狗は、ぎろりと陰陽師を睨みつける。
それを聞いた陰陽師は地面に這い蹲る天狗を嘲笑った。
「はっ。そんな約束を守るわけ無いだろう?貴様ら妖の事など、我々が信じるものか!」
「だが貴様は扱い易くて良かったなぁ。また今度も頼むとするか」
あははと、胸糞悪い笑い声が頭の中で木霊する。
(俺がこれを引き起こしたのか……!?俺が……俺の、せいで……っ!!!)
「やめろ、やめっ……ぐうあああ!」
「ふざけるな、陰陽師め——うわぁぁぁ!!」
断末魔があちらこちらから聞こえてくる。
こんな地獄を作り上げたのは、紛れもなく……。

——俺だ。

「やめろっ……やめて、くれぇ……」
ただ泣きながら、己の犯した罪に耐えきれず陰陽師に縋ることしか出来ない。
輝夜が知ったら、どう思うだろう。
(俺はただ、輝夜を思って……)
地面が、涙で斑点模様を作っていく。
声が震えて、こんな無力な自分を殺したくなる。
「やめろ、か。良いだろう、貴様は良い働きをしたからな。それ相応の褒美をやろう。」
門の前で先頭に立っていた陰陽師が、ゆっくりと天狗に近付いてくる。

「——喜べ、妖よ。これはお前が起こした結果だ。お前のせいで、我々の願いは果たされる。だが……」

陰陽師の右手が、天狗の顔面を掴む。
その間にも、絶え間なく妖の誰かが死にゆく声が聞こえてくる。
目の前の陰陽師は何かを呟いているようだが、絶望の中で何も出来ず立ち尽くす天狗には聞こえない。
「今は輝夜を殺さないでやろう。しかし——貴様が次に輝夜に出会った時。貴様に刻まれたこの呪いが、輝夜を殺すだろう!」

天狗の額に、禍々しい紋様が浮かぶ。
涙でぐしゃぐしゃになりながら、天狗は最後のその陰陽師の声を、ただ力なく聞いていた。

「——良く聞け、天狗。その時が来たら、お前は……輝夜を殺すだろう。」

虚ろな瞳は、ゆっくりと閉じていく。
プツリと途切れた彼の記憶は、その後の結末を知らない。
次に彼が目を覚ました時には、輝夜はもう息を引き取っていたのだ。
屋敷はほとんど燃え焼け、もう到底人の住める場所では無くなった。
そんな中で唯一無傷だったのは、あの時護符を見つけた桜の大木だけ。

「——ごめん、……ごめん、輝夜……俺のせいで……っ!」

もう二度と、彼女は笑わない。もう二度と、彼女は名前を呼んでくれない。
全部、全部。自分が壊したのだから。
「——天狗。」
一人、桜の木の下で泣きじゃくる天狗の名前を呼んだのは、九尾の狐だった。
「九尾……?」
「天狗、話がある。」
目の下を真っ赤に腫らした九尾は、天狗にある提案をした。

生き残った妖の力を集めて、輝夜の魂を天に送るという提案だった。
魂さえ無事なら、彼女はきっと転生しまた皆の前に姿を見せるだろう。
「それには、天狗の力も必要だ。妖力は、多いに越したことは無い。」
「——本当にそれで、また輝夜に会えるの?」
「確証は無い。だが……やるだけの価値はある。」
引き込まれるようなその瞳に、天狗は首を縦に下ろした。

自分が起こしたのは、決して許す事の出来ない罪。
でももし、また彼女に会えるのなら。
許されなくてもいい。それでも俺は、もう一度……君に会いたい。
そうして、輝夜の魂は天に登った。

それから数日が経った後、天狗はある言葉を思い出す。
それは絶望の中で、陰陽師が嬉しそうに吐いた言葉。
「——良く聞け、天狗。その時が来たら……お前は輝夜を殺すだろう。」
もしかして、と天狗は口を抑える。

もし、本当に輝夜が転生したら。
もし、また輝夜に出会えたら。
陰陽師によって刻まれたこの呪いは、本当に輝夜を殺すのでは無いだろうか。
また、彼女を裏切る事になってしまうのだろうか。
「嫌だ……そんなの、嫌だ……。」
自分が犯した罪は、誰にも話せない。
だから、この呪いの事もまた、誰にも言えない。
その時、天狗は二つの矛盾した感情に駆られる。
——もう一度、輝夜に逢いたい。

——もう、俺は君に逢えない。

そしてそれからそう長くない間に、妖はその在り方を変える事となる。
輝夜が死んでから、千年経っても尚、輝夜は見つからなかった。
それは辛い事だったけれど、天狗にとっては安心出来る事でもあった。

そして天狗はまた新しい生を受けて、この世界に誕生する。
——小鳥遊ミツルとして。
呪いのせいか、ミツルは自分が母親の腹の中にいる時から自分の正体を知っていた。
だから、またいつものように神に願う。
——どうか、輝夜と出会いませんように。
そんな願いを、神は嘲笑うように破り捨てたとも知らぬまま。
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