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小鳥遊ミツル編
使命と宿命
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「——あ、そういやお前、もう一人化けられる奴いたな。」
暫くまた各々テスト勉強を再開し、静寂が満ちていた時声を上げたのは和己だった。
その言葉に唯と帆影は走らせていたペンを止め、顔を上げる。
「何の話、和己。」
「さっき、化けられる女子は唯だけっつってただろ。」
どうやら話題は帆影の能力についてだ。
さっきまで帆影が化けられる者は、帆影と親しい者だけであり、女子だと唯だけという話をしていた。
その続き、という訳だろうか。
話の中心にいる帆影は、なんのこっちゃ、という顔をしている。
「もう一人いるだろ。お前……ってよりかは、天邪鬼が一番仲良かった奴が。」
和己の言い回しに帆影は、ハッとする。
帆影自身では無く、帆影の中にいる天邪鬼が最も親しかった女の子なんて一人しかいない。
「えっ、いや、確かにそうだけど……。でも会ったのはもう何百年も前だし、記憶も朧気だよ?」
「お前はそうでも、天邪鬼としての記憶なら残ってるだろ。お前昔、『アイツ』に化けて俺や他の妖の事おちょくってたじゃねぇか。」
ぐうの音も出ないのか、「それはそうだけどお」と帆影は口を尖らせている。
そんな二人の会話に耳を傾けていた唯は、和己達の話題に出てくる女の子の正体について考察していた。
とは言ってもそこまで考える事無く答えは導ける。
唯自身も、きっと『彼女』であると直感していたのだ。
「それって……光蓮寺くん達が探してる女の子の事?」
そう口にした瞬間、和己と帆影の目が変わる。驚きと困惑が混ざった色の瞳で、唯を見た。
一瞬、空気がパキッと凍った音が、唯の中に響いた。
「……唯ちゃん、どうしてそれを?」
「え?……あ、前小鳥遊さんに教えて貰ったの……。」
「ったく。あのお節介野郎……。」
和己の顔に『めんどくせぇ事しやがって』と書かれているのは言わないでおこう。
しかめっ面の和己の隣で、帆影はあちゃーっと笑っている。
何やら物々しい空気を感じた唯は恐る恐る尋ねてみた。
「あの……もしかして私、知ったら駄目だった?」
確かに、前世の話や妖の話は、人間である唯とは無関係だ。
もしかしたら、妖の間で秘密になっている事も聞いてしまったかもしれない。
唯の中で色々な不安が頭をよぎる。
「うーん、まあ唯ちゃんなら良いんじゃない?そりゃあ普通の人には言えない話だけどさ。あのミツルが自分で決めて、唯ちゃんに話したのなら、俺はその判断を信じるよ。」
「お前が知りたいと思うならそれでいい。お前はいつだって、馬鹿みたいに真っ直ぐなだけだろ。うじうじ悩んでたって、お前らしくねぇ。」
心の中にあった焦りや不安や、黒いモヤモヤとしたものは、和己と帆影のそんな言葉で綺麗さっぱり無くなった。
「うん……!ありがとう、二人とも!こうして励まして貰えるのって、凄く嬉しい事なんだね!」
なんて、裏表の無い言葉なんだと帆影は唯を見て微笑んだ。
思えばこうして、人間に自分の素の顔を見せたのは久しぶりだ。
目の前にいる、愛らしくて可愛らしい少女の前だと、どうしてか気が緩む。
そんな本当の自分を受け入れてくれる唯という存在が、帆影には安心できるものだった。
「あの……それで、帆影君がその女の子に変身出来るって本当?」
唯は、じいっと帆影の顔を見つめる。
思えば、帆影が妖力を使う瞬間を見た事が無い。
他の人に化ける事が出来る、とは知っているけれどその他は未知数だ。
唯にとって、この話題を切り出す理由なんてそんな簡単な物だった。
目の前できらきらと瞳を輝かせている姿を見た帆影は、目線を泳がせる。
「あ~……いやぁ、なんて言うか……ほら、あんまり凄い事じゃないし……」
どうにか逃げる糸口を探している帆影に、唯はキョトンと目を丸めた。
先程から、帆影はどうやら自分の妖としての素質を見誤っているらしい。
唯は、ゴニョニョと言葉を濁す帆影に対して真っ直ぐな瞳で答えた。
「——何言ってるの、帆影くんは凄い妖だよ?凄く強くて、かっこいいよ!」
唯のあまりに真っ直ぐな、ストレートな気持ちが帆影の心に突き刺さる。
唯の言葉に、邪な心が一切無いと知っているからこそ、帆影はうぐっとたじろいだ。
「もう……すぐに唯ちゃんはそうやってぇ…」
そう言い残し腕を組んだ帆影は、そのままじっと動かない。
何分かそんな帆影を見続けていると、あぁ、もう!と帆影は目をかっと開く。
さっきまで、迷いの抜けきれない顔をしていたというのに、今は何だか覚悟が決まった、という顔つきになっている。
唯の前で立ち上がった帆影は、少し顔を赤らめながら唯に声をかけた。
「こうなりゃ、ヤケだよ!言っておくけれど、唯ちゃんだから見せるんだからね!!」
帆影の今までに聞かない声量に、唯も和己もぽかんと口を開けた。
いいの!?、と唯が尋ねると帆影は少し潤んだ瞳でこくりと頷いた。
「でも、今回だけだからね!」
そう言うと、帆影は深く深呼吸をして瞳を閉じる。
胸の前で両手を握り、身体中に意識を循環させた。
日は落ち、闇の気配が濃くなっていく。そんな、大間が時。
「——見てて、唯ちゃん。一瞬も目を離さないくらい、しっかり見ていて。」
こくんと、頷いた唯はグッと瞳に力を入れる。
瞬きをした、その一瞬。
世界が百八十度回転したかのように、視界は色を変えた。
ピンクを基調とし、様々な大輪の華が咲き誇る美しい着物。
ちらりと見える、白くてキメ細やかな肌と、美しい琥珀色の瞳。
闇をも呑み込む黒くてつややかな黒い髪。
「——初めまして、唯ちゃん。」
その物腰柔らかな声が、唯の名前を呼ぶ。
初めて見たはずなのに。
唯の心臓はどくん、と跳ねる。
全身の毛が逆立つように、背筋が凍る。
——知っている。
本能で唯はそう感じた。
目の前のこの人を。絵画のように美しいこの女性を。
——私は、知っている。
「……あ、貴女の名前は……。」
唯の唇が、微かに震えた。
それは恐怖なのか、彼女の美しさに身を焦がれたからなのか。それとも……。
唯の声に、目の前にいる少女は答える。
桜が咲くような、愛おしい声で。
「——輝夜。」
少女はそう名乗った。
ああ、もしかして。そんなあやふやだった疑問は確証に変わる。
(この人は……輝夜さんは……)
それは、あの日のよる。居なくなった帆影を探している最中に聞こえた女の人の声。
『大丈夫。自分を信じて。貴方の中に眠る、本当の力を。貴方は力を持っている。それにまだ、気が付いていないだけ。今回だけは、私が手助けをしてあげるわ。』
そう言って、力を貸してくれた顔も知らない人の声。
まさか、あの時の女の子が、和己達の探している少女の声だったなんて。
(……待って。)
ならどうして、と唯の中で疑問が浮かぶ。
(どうして、輝夜さんは私に声をかけてくれたの?それに……私の中に眠る力って……?)
頭の中で色々な事がぐるぐると回る。
どうして唯の中で輝夜の声が聞こえてきたのか。
自分の中に眠る力とは一体何なのか。
そして何より……輝夜という人はどんな人なのか。
考えれば考えるほど、無数の糸が絡まるようにこんがらがっていく。
「……唯?」
まるで、底の無い海の中に沈むみたいに、頭が重い。
遠くの方で微かに、自分の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。
「……唯。──唯!!」
視界がぐにゃりと歪んでいく。
纏まらない思考。段々と手先の感覚も無くなっていく。
(どうしよう。このままじゃ、私……)
意識がどんどん薄れていく最中、
「——唯!!!」
光が差し込むような、声。
はっと我に返ると、そこには驚いた顔で私の手を掴む和己の姿があった。
「……こ、うれん、じ……くん?」
必死な顔をして、どうかしたのだろうか。
唯はきょとんと目を丸くすると、和己は驚愕した声で彼女に告げた。
「——お前、今どんな顔してたのか分からないのか?」
「え……?」
ゆっくりと自分の手のひらを覗き込む。
水に触れた訳でもないのに、手はびっしょりと濡れていた。
そういえば、ワイシャツや額も湿っている。
頭から水を被った記憶は無い。それにこの水は外側からというよりも、内側から出てきたもののように感じる。
いつの間に、こんなに大量の汗をかいていたのだろう。
「……光蓮寺くん、私どれくらいぼーっとしてたの?」
「十秒とか、そこらだ。そんなに長くねえはずだ。」
うそ。と、唯は心の中で呟く。
だって、私はあの海中に沈んでいく時、永遠にも似た時を感じたのに。
「何かあったのか?」
「大丈夫?唯ちゃん、顔色悪いよ?」
いつの間にか元の姿に戻った帆影と和己が、心配そうに唯を見つめる。
その視線に、唯の心臓はぎゅっと締め付けられた。
(言うべき……なのかな。)
輝夜の声を聞いた事。あの時の出来事を。
もし、その話をしたら二人はどんな顔をするだろうか。
唯という存在が、輝夜を探す手がかりになるかもしれない。
きっとそう分かれば、二人とも喜んでくれるだろう。でも。もしもそれが、勘違いだったら……?
(……駄目。まだ確証も無いままで、言っていい事じゃ無い。)
唯はぐっと喉から出かかった言葉を抑えて、二人を安心させる為に微笑んでみせた。
「大丈夫だよ。少し疲れちゃったみたい!先に部屋で休んでもいいかな?」
もしも、輝夜を見つけ出す手がかりが自分自身だったら。
もしも、輝夜が見つかると分かったら。
——皆は、私を捨てちゃうのかな?
数百年もずっと探し続けていたただ一人の少女と、数ヶ月しか苦楽を共にしていない少女。
その二人が天秤にかけられた時、この寮の皆はどちらに手を差し出すのだろう。
「風邪じゃないといいね。いつも唯ちゃんは頑張りすぎる癖があるんだから、ちゃんと休まないと駄目だよ!」
帆影のそんな言葉が、胸に染みる。
自分の事のように心配してくれる、優しい人。
「早く寝ろ。……明日までには治せ。」
トゲトゲしてるけど、誰よりも唯の味方でいてくれる人。
いつもは強気なのに、不意に目を離すと一人ぼっちになっちゃう目が離せない人。
(——ああ、私……二人が大好きなんだなぁ。)
ありがとう、と二人に礼を言って唯は自分の部屋に戻る。
唯が居間を離れた後、残された九尾と天邪鬼は肩を並べて座っていた。
「唯ちゃん、嘘つくの下手だよねぇ。今にも倒れそうな顔で大丈夫なんて言われても、そんな訳無いのにさ。」
唯の顔色が、死人のように真っ青になった時。
彼女は帆影が化けた輝夜の姿を見ていなかった。
まるでその更に奥に隠れている何かを見つけたみたいな瞳。それは動揺と恐怖が混ざったような。
「あいつが言いたくないなら、無理に聞く必要はねぇだろ。」
「それは、そうなんだけど……さ。唯ちゃん、明日には元に戻っているといいけど。」
見え透いた嘘だった。
気休め程度の「大丈夫」は、真逆の意味だと知っていた。
それでも二人が、それを追求しなかったのはその嘘が、二人を想っての事だと理解していたからだ。
いつも迷わず、助けに来てくれる。傍で笑ってくれる小さな少女の姿に、いつの日からか和己も帆影も同じ思いを抱くようになっていた。
——彼女を、守りたい。
それは遠い日に、別の少女に向けた感情と酷似している。
今も何処かで、生きているとそう願い続けた彼らの姫。
(重ねているのか……?俺は、輝夜とあいつを……。)
そんな和己の問いかけに答える者はいない。
笑った顔が、輝夜にそっくりだと思った。
自分じゃなくて、誰かの為に奮闘する姿も。変な所で意地っ張りな所も。
思えば、輝夜と似ている部分ばかりだ。
それでも、雨宮唯という人間はただ一人だけ。
今は。今だけは、そのたった一人の少女の為に、傍に居てやりたい。
——そう願ってしまうのは、罪なのか?
もしもそれが罪だと言うのなら。
和己は、その先にどんな未来を見据えるのだろうか。
暫くまた各々テスト勉強を再開し、静寂が満ちていた時声を上げたのは和己だった。
その言葉に唯と帆影は走らせていたペンを止め、顔を上げる。
「何の話、和己。」
「さっき、化けられる女子は唯だけっつってただろ。」
どうやら話題は帆影の能力についてだ。
さっきまで帆影が化けられる者は、帆影と親しい者だけであり、女子だと唯だけという話をしていた。
その続き、という訳だろうか。
話の中心にいる帆影は、なんのこっちゃ、という顔をしている。
「もう一人いるだろ。お前……ってよりかは、天邪鬼が一番仲良かった奴が。」
和己の言い回しに帆影は、ハッとする。
帆影自身では無く、帆影の中にいる天邪鬼が最も親しかった女の子なんて一人しかいない。
「えっ、いや、確かにそうだけど……。でも会ったのはもう何百年も前だし、記憶も朧気だよ?」
「お前はそうでも、天邪鬼としての記憶なら残ってるだろ。お前昔、『アイツ』に化けて俺や他の妖の事おちょくってたじゃねぇか。」
ぐうの音も出ないのか、「それはそうだけどお」と帆影は口を尖らせている。
そんな二人の会話に耳を傾けていた唯は、和己達の話題に出てくる女の子の正体について考察していた。
とは言ってもそこまで考える事無く答えは導ける。
唯自身も、きっと『彼女』であると直感していたのだ。
「それって……光蓮寺くん達が探してる女の子の事?」
そう口にした瞬間、和己と帆影の目が変わる。驚きと困惑が混ざった色の瞳で、唯を見た。
一瞬、空気がパキッと凍った音が、唯の中に響いた。
「……唯ちゃん、どうしてそれを?」
「え?……あ、前小鳥遊さんに教えて貰ったの……。」
「ったく。あのお節介野郎……。」
和己の顔に『めんどくせぇ事しやがって』と書かれているのは言わないでおこう。
しかめっ面の和己の隣で、帆影はあちゃーっと笑っている。
何やら物々しい空気を感じた唯は恐る恐る尋ねてみた。
「あの……もしかして私、知ったら駄目だった?」
確かに、前世の話や妖の話は、人間である唯とは無関係だ。
もしかしたら、妖の間で秘密になっている事も聞いてしまったかもしれない。
唯の中で色々な不安が頭をよぎる。
「うーん、まあ唯ちゃんなら良いんじゃない?そりゃあ普通の人には言えない話だけどさ。あのミツルが自分で決めて、唯ちゃんに話したのなら、俺はその判断を信じるよ。」
「お前が知りたいと思うならそれでいい。お前はいつだって、馬鹿みたいに真っ直ぐなだけだろ。うじうじ悩んでたって、お前らしくねぇ。」
心の中にあった焦りや不安や、黒いモヤモヤとしたものは、和己と帆影のそんな言葉で綺麗さっぱり無くなった。
「うん……!ありがとう、二人とも!こうして励まして貰えるのって、凄く嬉しい事なんだね!」
なんて、裏表の無い言葉なんだと帆影は唯を見て微笑んだ。
思えばこうして、人間に自分の素の顔を見せたのは久しぶりだ。
目の前にいる、愛らしくて可愛らしい少女の前だと、どうしてか気が緩む。
そんな本当の自分を受け入れてくれる唯という存在が、帆影には安心できるものだった。
「あの……それで、帆影君がその女の子に変身出来るって本当?」
唯は、じいっと帆影の顔を見つめる。
思えば、帆影が妖力を使う瞬間を見た事が無い。
他の人に化ける事が出来る、とは知っているけれどその他は未知数だ。
唯にとって、この話題を切り出す理由なんてそんな簡単な物だった。
目の前できらきらと瞳を輝かせている姿を見た帆影は、目線を泳がせる。
「あ~……いやぁ、なんて言うか……ほら、あんまり凄い事じゃないし……」
どうにか逃げる糸口を探している帆影に、唯はキョトンと目を丸めた。
先程から、帆影はどうやら自分の妖としての素質を見誤っているらしい。
唯は、ゴニョニョと言葉を濁す帆影に対して真っ直ぐな瞳で答えた。
「——何言ってるの、帆影くんは凄い妖だよ?凄く強くて、かっこいいよ!」
唯のあまりに真っ直ぐな、ストレートな気持ちが帆影の心に突き刺さる。
唯の言葉に、邪な心が一切無いと知っているからこそ、帆影はうぐっとたじろいだ。
「もう……すぐに唯ちゃんはそうやってぇ…」
そう言い残し腕を組んだ帆影は、そのままじっと動かない。
何分かそんな帆影を見続けていると、あぁ、もう!と帆影は目をかっと開く。
さっきまで、迷いの抜けきれない顔をしていたというのに、今は何だか覚悟が決まった、という顔つきになっている。
唯の前で立ち上がった帆影は、少し顔を赤らめながら唯に声をかけた。
「こうなりゃ、ヤケだよ!言っておくけれど、唯ちゃんだから見せるんだからね!!」
帆影の今までに聞かない声量に、唯も和己もぽかんと口を開けた。
いいの!?、と唯が尋ねると帆影は少し潤んだ瞳でこくりと頷いた。
「でも、今回だけだからね!」
そう言うと、帆影は深く深呼吸をして瞳を閉じる。
胸の前で両手を握り、身体中に意識を循環させた。
日は落ち、闇の気配が濃くなっていく。そんな、大間が時。
「——見てて、唯ちゃん。一瞬も目を離さないくらい、しっかり見ていて。」
こくんと、頷いた唯はグッと瞳に力を入れる。
瞬きをした、その一瞬。
世界が百八十度回転したかのように、視界は色を変えた。
ピンクを基調とし、様々な大輪の華が咲き誇る美しい着物。
ちらりと見える、白くてキメ細やかな肌と、美しい琥珀色の瞳。
闇をも呑み込む黒くてつややかな黒い髪。
「——初めまして、唯ちゃん。」
その物腰柔らかな声が、唯の名前を呼ぶ。
初めて見たはずなのに。
唯の心臓はどくん、と跳ねる。
全身の毛が逆立つように、背筋が凍る。
——知っている。
本能で唯はそう感じた。
目の前のこの人を。絵画のように美しいこの女性を。
——私は、知っている。
「……あ、貴女の名前は……。」
唯の唇が、微かに震えた。
それは恐怖なのか、彼女の美しさに身を焦がれたからなのか。それとも……。
唯の声に、目の前にいる少女は答える。
桜が咲くような、愛おしい声で。
「——輝夜。」
少女はそう名乗った。
ああ、もしかして。そんなあやふやだった疑問は確証に変わる。
(この人は……輝夜さんは……)
それは、あの日のよる。居なくなった帆影を探している最中に聞こえた女の人の声。
『大丈夫。自分を信じて。貴方の中に眠る、本当の力を。貴方は力を持っている。それにまだ、気が付いていないだけ。今回だけは、私が手助けをしてあげるわ。』
そう言って、力を貸してくれた顔も知らない人の声。
まさか、あの時の女の子が、和己達の探している少女の声だったなんて。
(……待って。)
ならどうして、と唯の中で疑問が浮かぶ。
(どうして、輝夜さんは私に声をかけてくれたの?それに……私の中に眠る力って……?)
頭の中で色々な事がぐるぐると回る。
どうして唯の中で輝夜の声が聞こえてきたのか。
自分の中に眠る力とは一体何なのか。
そして何より……輝夜という人はどんな人なのか。
考えれば考えるほど、無数の糸が絡まるようにこんがらがっていく。
「……唯?」
まるで、底の無い海の中に沈むみたいに、頭が重い。
遠くの方で微かに、自分の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。
「……唯。──唯!!」
視界がぐにゃりと歪んでいく。
纏まらない思考。段々と手先の感覚も無くなっていく。
(どうしよう。このままじゃ、私……)
意識がどんどん薄れていく最中、
「——唯!!!」
光が差し込むような、声。
はっと我に返ると、そこには驚いた顔で私の手を掴む和己の姿があった。
「……こ、うれん、じ……くん?」
必死な顔をして、どうかしたのだろうか。
唯はきょとんと目を丸くすると、和己は驚愕した声で彼女に告げた。
「——お前、今どんな顔してたのか分からないのか?」
「え……?」
ゆっくりと自分の手のひらを覗き込む。
水に触れた訳でもないのに、手はびっしょりと濡れていた。
そういえば、ワイシャツや額も湿っている。
頭から水を被った記憶は無い。それにこの水は外側からというよりも、内側から出てきたもののように感じる。
いつの間に、こんなに大量の汗をかいていたのだろう。
「……光蓮寺くん、私どれくらいぼーっとしてたの?」
「十秒とか、そこらだ。そんなに長くねえはずだ。」
うそ。と、唯は心の中で呟く。
だって、私はあの海中に沈んでいく時、永遠にも似た時を感じたのに。
「何かあったのか?」
「大丈夫?唯ちゃん、顔色悪いよ?」
いつの間にか元の姿に戻った帆影と和己が、心配そうに唯を見つめる。
その視線に、唯の心臓はぎゅっと締め付けられた。
(言うべき……なのかな。)
輝夜の声を聞いた事。あの時の出来事を。
もし、その話をしたら二人はどんな顔をするだろうか。
唯という存在が、輝夜を探す手がかりになるかもしれない。
きっとそう分かれば、二人とも喜んでくれるだろう。でも。もしもそれが、勘違いだったら……?
(……駄目。まだ確証も無いままで、言っていい事じゃ無い。)
唯はぐっと喉から出かかった言葉を抑えて、二人を安心させる為に微笑んでみせた。
「大丈夫だよ。少し疲れちゃったみたい!先に部屋で休んでもいいかな?」
もしも、輝夜を見つけ出す手がかりが自分自身だったら。
もしも、輝夜が見つかると分かったら。
——皆は、私を捨てちゃうのかな?
数百年もずっと探し続けていたただ一人の少女と、数ヶ月しか苦楽を共にしていない少女。
その二人が天秤にかけられた時、この寮の皆はどちらに手を差し出すのだろう。
「風邪じゃないといいね。いつも唯ちゃんは頑張りすぎる癖があるんだから、ちゃんと休まないと駄目だよ!」
帆影のそんな言葉が、胸に染みる。
自分の事のように心配してくれる、優しい人。
「早く寝ろ。……明日までには治せ。」
トゲトゲしてるけど、誰よりも唯の味方でいてくれる人。
いつもは強気なのに、不意に目を離すと一人ぼっちになっちゃう目が離せない人。
(——ああ、私……二人が大好きなんだなぁ。)
ありがとう、と二人に礼を言って唯は自分の部屋に戻る。
唯が居間を離れた後、残された九尾と天邪鬼は肩を並べて座っていた。
「唯ちゃん、嘘つくの下手だよねぇ。今にも倒れそうな顔で大丈夫なんて言われても、そんな訳無いのにさ。」
唯の顔色が、死人のように真っ青になった時。
彼女は帆影が化けた輝夜の姿を見ていなかった。
まるでその更に奥に隠れている何かを見つけたみたいな瞳。それは動揺と恐怖が混ざったような。
「あいつが言いたくないなら、無理に聞く必要はねぇだろ。」
「それは、そうなんだけど……さ。唯ちゃん、明日には元に戻っているといいけど。」
見え透いた嘘だった。
気休め程度の「大丈夫」は、真逆の意味だと知っていた。
それでも二人が、それを追求しなかったのはその嘘が、二人を想っての事だと理解していたからだ。
いつも迷わず、助けに来てくれる。傍で笑ってくれる小さな少女の姿に、いつの日からか和己も帆影も同じ思いを抱くようになっていた。
——彼女を、守りたい。
それは遠い日に、別の少女に向けた感情と酷似している。
今も何処かで、生きているとそう願い続けた彼らの姫。
(重ねているのか……?俺は、輝夜とあいつを……。)
そんな和己の問いかけに答える者はいない。
笑った顔が、輝夜にそっくりだと思った。
自分じゃなくて、誰かの為に奮闘する姿も。変な所で意地っ張りな所も。
思えば、輝夜と似ている部分ばかりだ。
それでも、雨宮唯という人間はただ一人だけ。
今は。今だけは、そのたった一人の少女の為に、傍に居てやりたい。
——そう願ってしまうのは、罪なのか?
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