我、輝夜の空に君を想ふ。

桜部遥

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光蓮寺和己編

物語は動き出す

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ぼふっ。

唯はそんな豪快な音と共に、ふかふかのベットに飛び込んだ。
「……。」
目を閉じた唯の前に浮かんでいたのは青い炎の記憶。
どうしてだろう。今までの出来事は全部本当の出来事だった筈なのに。
それを未だに受け入れられない自分がいた。唯は夢にも似た、不思議な感覚に襲われる。
天井を仰いだ唯は、自分の掌をぼんやりと眺めた。

——光蓮寺くんが炎に包まれた時、胸が凄く痛かった。

(あの時、光蓮寺くんがいなくなっちゃうかもしれないって考えただけで、目の前が真っ暗になって……。)
ついさっきまでの出来事が、頭の中で駆け回る。
自分でも、どうしてあんな行動に出たのか分からない。
ただ唯にとって、目の前で誰かが傷付く瞬間を見たくは無かった。
そんな衝動に駆られ、あの青い炎に手を伸ばしてしまったのだ。
ミツルや帆影の忠告を無視してまで。

青色の炎に包まれた和己。
その火に手を伸ばした唯。
(熱く、なかったな……。)
青い炎なんて、焚き火の火よりも高温だ。
皮膚が溶けるくらいでは済まないだろう。
けれど、和己の炎に触れた手は今も残っている。
(熱いと言うよりも暖かくて、心地よかった。)
それはきっと、和己の思いが炎から伝わって来たからだ。
誰も傷付けたくないという、和己の優しさが唯を守ってくれたのだとそう感じた。
真っ暗な部屋の中、窓からポツリと悲しげに浮かぶ月が見える。
唯はそれを眺めながら、和己の事を思い出した。
「光蓮寺くん、大丈夫かな?」
あの後、帰り道は一言も言葉を交わさなかった。
けれど、前のようなチクリと刺す空気は感じない。唯と和己の間に漂っていたのは、生温くて落ち着かない空気だけ。
寮に戻ってくるや否や、和己は自分の部屋に一直線。
声をかける隙間もなかった。
「明日は、ちゃんと話せるかな。」
なんて、ポツリと独り言を零すと、ノック音が聞こえてきた。

コンコン。

唯はすぐに立ち上がり、ドアノブをくるりと回す。
(こんな時間に、誰だろう?)
開いた扉の先にいたのは、唯が思いがけない人物だった。
「やあ、雨宮さん。こんな夜にごめんね。」
「……た、小鳥遊さん?」
そこには、いつもと同じように柔らかな笑顔を浮かべるミツルがいた。
廊下の明かりで、ミツルの髪がオレンジ色に輝く。
「悪いんだけれど、少しだけ時間を貰ってもいい?」
「は、はい!あ、それなら中にどうぞ!」
ありがとう、とミツルは唯の部屋に足を踏み入れた。
唯の部屋の中央に置いてあるテーブルを挟むように、ミツルと唯は正座した。
ぱっと、ついた部屋の明かりは少し眩しい。
「もしかして、寝る所だったかな。」
「いえ!ちょっと考え事をしていて……。」

「……。——それって和己の事?」

唯は、肩を動かした。図星だったからだ。
でも、それを素直にはいと、言っていいのか分からず少々躊躇する。
ミツルの突き刺さる視線と、静寂に耐えかねた唯はこくんと、小さく頷いた。
ミツルはそんな唯の様子を見て、それ以上詮索をすること無く、部屋を見渡す。
「それにしても、可愛い部屋だね。僕、女の子の部屋に入るの初めてだから、緊張しちゃうな。」
頬を淡いピンクに染め、照れた様子で笑うミツルに唯も頬を緩ませる。

小鳥遊ミツルは、唯の一学年上。
先輩だと言うのに変な緊張感は無く、寧ろどこか懐かしい気さえする。
その赤い髪も、染めた訳では無く地毛なのだろう。
そうでも無ければ、その髪の美しさは説明が出来ない。

「この部屋は、高天原荘の中で唯一の女子部屋なんだ。どうしてこの部屋だけなのか、雨宮さんは知っている?」

ミツルの質問に、唯は首を横に振る。
「そういえば初めて治さんに案内された時も、似たような事を言われました。」
「そっか……。迷ったんだ、君にこの話をするべきか。でも……これから高天原荘の一員として暮らしてくのなら、雨宮さんは知るべきだと思った。……いや、少しだけ違うな。知って欲しかったんだ、雨宮さんに。」
先程までとは違い、ミツルの顔は暗い面持ちだ。
(話すって、何を……?この寮に、女子部屋が一つしかない理由が関係しているのかな?)
「雨宮さん。聞いて、くれるかな。少しばかり、昔の話になるけれど。」
そう口にしたミツルの瞳は、今にも泣き出しそうなくらい弱々しくて、唯の心を騒ぎ立てる。

——もしかしたら、今の私が高天原荘の一員を名乗る資格なんて無いのかもしれない。

和己やミツル達の様に、力がある訳では無い。誰かを笑顔に出来るような強さも無い。
今、自分がこの高天原荘に居られるのは偶然だとすら思っている。
あの日、偶然。この高天原荘に辿り着けたから。
ならきっと、唯はここの住人からは歓迎されていないのだろう。
現に、和己はずっと唯を嫌がっていたのだから。
それでも、と唯は思う。
今夜の出来事を経て、唯は感じたのだ。
もっと、皆の事を知りたいと。
だから、唯は躊躇いながらもまたこくんと頷いた。
ミツルの放つ冷たい空気に当てられたように、唯は背中をピンとさせる。
そして、ミツルは語り出した。


——ある、隠された約束を。



それは、彼達がまだ妖として完全体だった頃の話。
「僕達妖と、人間との間には深い溝があったんだ。人間は妖を恐れていたし、妖は人間を脆弱な生き物だと決めつけて見下していた。だから互いの関係は良好とはいかなかった。」
妖は普段、人間の前に姿をみせない。
人間もまた、妖を見れば一目散に逃げていく。
決して交わる事の無い関係だった。
「そんな時だった。——僕らが『彼女』に出会ったのは。
人間の娘だった『彼女』は、僕達の存在をあっさりと受け入れた。妖を見ても微動だにせず、ただ、笑ってくれたんだ。」
そんな事は、初めてだった。
だから妖は、そんな彼女に興味を持ち始めた。
最初はほんの、興味本位。でも。
「妖達は、彼女の笑顔に惹かていった。いつも誰かの幸せを祈って、誰かが傷付くと自分が傷付いた様に涙を流す。その誰かが、たとえ妖でも。」
そんな一人のか弱い少女の背中に、妖は魅力された。
人間はいつも妖を忌み嫌い、恐れるけれど彼女は違う。
妖にとって、その少女の存在は陽だまりのように暖かかった。
少女の周りにはやがて、一人。また一人と妖が集まって行った。

「彼女は、芯から願っていた。妖と人間の共存を。彼女は言っていた。『手を取り合って、分かり合えたなら、それこそが本当の幸せだ』って。」
最初は誰もが、そんなものは夢物語だと思っていた。
無茶で無謀で、幻想を抱いているだけだとそう口を揃えた。
けれど、彼女の一心に願う姿を見て、妖達は心を動かされた。
彼女と一緒なら、そんな夢を願う事も悪くは無いかもしれない。
何より、心優しい彼女と、もっと一緒に居たい。

「——そんな時だった。」

彼女は、ある事件に巻き込まれて命を落とした。
真っ赤な業火に焼かれ、彼女は消えていく。
それは、とても残酷な光景だった。
皆が愛したその少女が鉛のように重く横たわっている。
その瞬間、その場にいた妖達が思っていた事は同じだった。

——こんなのは嫌だ。幸せだった日常に戻りたい。

「妖だって言うのに、涙を流していた奴も居たりしてさ。どうにかして、彼女を生き返らせたいって皆が口を揃えて言ったんだ。......そんな事、出来る訳も無いのに。」
だから、妖達は必死に考えた。どうすれば彼女が息を吹き返すのか。
もう一度笑ってくれるのか。
しかし、少女は人間だ。傷付いた脆い身体は二度と治らない。
愛した少女はもう、目を覚まさない。
そう悟り、絶望していた妖達の中の誰かがこう言った。

「なら彼女の魂を天に送って、別の身体に入れてもらうのはどうだろう。」

その声に、一人。また一人と妖は賛同した。
魂さえ、別の身体に入れてしまえば彼女は戻ってくる。
また再び暖かな笑顔で笑ってくれる。
「そして僕達は妖としての力を結集させて、彼女から魂と肉体を切り離した。肉体が消えても、魂さえ無事なら、またあの楽しい日々が戻ってくる。僕達はそんなちゃちな考えで、彼女の魂を天に送った。」
……彼女が転生し、また生まれ変わる事を願って。
「それから時代は変わって、僕達妖も、人の中に溶け込んで生きる事になった。何度も死んで、生まれ変わってを繰り返して。」
生き方を変え、在り方を変えた妖は、その力の半分を失う事になった。
「生まれ変わっても、僕が治、帆影や和己に出逢えたのは、妖としての力でお互いを呼び寄せる事が出来たからなんだ。この高天原荘に暮らしている妖の多くは、妖力に惹かれあって集まった。……でも。」
でも、人間である『彼女』が何処にいるのかは分からない。
ミツル達のように、前世の記憶が残っているならばまだいい方だ。
もしかしたら、人間である彼女は、その記憶を忘れて別人として生きているかもしれない。
「だから僕達は、何百年もかけて彼女を探している。それは、今も変わらないよ。この女子部屋は、彼女がいつ現れても良いように、ずっと前から用意してあるんだ。」

唯はその言葉を聞いて、心の中に何かがすとん、と落ちた。
(そっか……。だからこの部屋は……。)
唯がこの部屋を最初に見た時、違和感を感じた。
でもそれは、初めての寮で初めての一人部屋だから、変な感じがするだけだと、そう思い込んでいた。
(ずっと、ずっと思ってた。この部屋は私のものじゃないって。誰か、他の人の為に作られたものなんじゃ無いのかって。)
この部屋には唯にでは無く、別の誰かに向けた思いが込められていた。
暖かくて、愛おしいと感じる思いが、唯にも伝わるくらい、とても大きなもの。
(その誰かは……。)
唯は目を伏せる。
ミツルが口にした、悲しい話を聞いて唯は考えた。
そして、思っていることを包み隠さずに口にする。

「——私が、この部屋を使っても良いんでしょうか?」

唯はその答えを聞くことを少しだけ怖く思った。
もしも駄目だと言われたら、ここを出て行けと言われたら。
そう思うだけで、手に力が入る。
ミツルは、そんな唯の硬い表示するを見て、目を細めた。
柔らかな目元で、唯を見つめる。
「治さんが雨宮さんにこの部屋を渡したのは、願いがあったからだと、僕は思ってるんだ。そしてその願いは、今の僕が雨宮さんに託したいと思っているものと同じだと思う。」
唯はぱっと、顔を上げた。ミツルは言葉を紡ぐ。
唯の気持ちに寄り添うように。

「僕は、雨宮さんに希望を抱いた。今まで家族と『彼女』以外の人間に心を許さなかった和己が、君の手を取った時に僕は思ったんだ。——きっと君なら、第二の『彼女』になれるって。」

ゆっくりと、ミツルの手が唯に伸びる。真っ直ぐに伸びた右手は、唯の頭上にぽんと置かれる。
陽だまりのような暖かな笑顔で唯の不安を包み込んだ。
「大丈夫。雨宮さんを危ない目には合わせないから。僕達が絶対に雨宮さんを守るよ。」
ミツルの笑顔は、唯の心にあったもやもやを溶かしていく。
(どうしよう……泣きそうだよ。)
ミツルの包み込むような笑顔を見る度、唯の目頭はどんどん熱くなっていく。

でも唯は少しだけ、ミツルの言葉を否定したくもなる。
(だって……だって私は、守られるだけじゃなくて……。みんなを守りたい。)
そんな事を考えるなんて、おこがましいかもしれないけれど。
唯は、頭上から感じる暖かな温もりに身を任せながら、涙を必死に塞き止めた。

「私、これからもみんなのお傍にいても良いですか……?」
「うん。」
「迷惑とか、かけちゃうかもしれないけど、良いですか?」
「うん。」
「私、みんなの役に立ちたい、です……!」
「うん……!」

ミツルは、唯の頭を撫でながら何度も何度も頷いた。
(雨宮さんは、これから先も沢山の辛い目に遭うかもしれない。でも、雨宮さんなら立ち向かう事が出来ると思うんだ。)
ミツルが思い出したのは、今日の出来事。

あんなにも頑なに人と関わる事を嫌がっていた和己が、唯の声に応えた。
その手をとって、信じる事を受け入れた。
(……和己があんな笑顔をみせたのは、久しぶりにみたな。)
ミツルにとって、和己は孤独な男だった。
同じ妖として、何か出来る事は無いかと何度も悩んだけれど、結局何もしてあげられなかった。
傍にいるだけで、お互い干渉せずにいる事が正解だと思っていたから。
(君は……君は凄いな。僕には出来なかった事を、君は易々とこなしてみせるんだから。)
それは少しだけ、羨ましいとも思うけれど。
(なら、僕は、僕に出来ることを探してみなくちゃ。誰も悲しまないように。そして……。)
ミツルは唯に見られないように目を細める。

(——誰も、殺さないように。)

ミツルも、唯も、それぞれに固めた思いを胸に秘めて。
長い夜は、幕を閉じる。
そして、朝日が昇った時には、新しい日常が始まった。
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