エンドルフィンと隠し事

元森

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8 失言

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 食べたカレーは美味しくて、好紀は朝起きた時に居たイチに何度もお礼を言った。イチは笑ってただ「よかった」と言ってくれた。それが何よりも嬉しくて、好紀はまた泣きそうになりながらも何度も頷いた。 
 ―――その日の夜。 
 好紀はある疑問を抱きその答えを聞くため、ナンバー2 セイの部屋の前に来ていた。こんなことを直接本人に聞くのは失礼かもしれないと思ったが、聞かずにはいられなかった。まだ腰も身体も痛いので中腰姿勢のままドアの前に立った好紀は息を吐くと意を決して3回ノックをする。 
 セイは思っていた通り突き返すこともなく好紀の身体を心配しながらも部屋の中に入れてくれた。 
 ドーナツ型のクッションまで渡してくれたセイに、好紀は問う。 
「昨日、なんで…来てたんすか…?」 
 自分の声が震えているのが分かる。ベットの上に座った2人の間に妙な雰囲気が流れた。 
 ―――どうしてこの人は来たのだろう。 
 好紀の言葉に、セイは狼狽えていた。声をあげどもり、好紀を心配そうに見つめている。その顔を見た刹那目の奥が熱くなった。 
「心配してくれるのは、わかったんです…。だけど、俺……あんなところ、見られたくなかったっす…」 
 好紀は頬を濡らし泣いてしまっていた。 
 どうして自分が泣いているのか、好紀でさえ分からなかった。だが昨日のことを思い出し―――セイもあの場所に居て、あんな屈辱的な自分の姿を見られてしまった―――そう思うだけで胸が苦しかった。 
 ―――自分があられもない姿で快楽に耽るシーンを見られた。 
 好紀はそう考えるだけで、今にも死んでしまいたい衝動に駆られる。  
「…ごめん…」 
 セイは申し訳なさそうにして謝る。 
 ―――謝る必要なんてないのに。全部俺が、受けいれられない俺が悪いのに―――。 
「俺…客が…気持ち悪くて…毎回吐いて……、それで講習会にいくはめになって……」 
 好紀は懺悔にも似た告白を隣の優しい彼にすすり泣きながら話してしまう。セイは小さく何度も頷いてくれた。 
「……俺も、ちっちぇ…プライドなんて捨てて…、キスも、えろいことも…受け入られたらどれだけ楽なんだろうって…」 
 ―――本当にそうだ。 
 吐露した気持ちは、ずっと想っていた事だった。講習会で隣に居たサツのように快楽を受け入れれば楽になれるのに。ディメントに居続けるためにはそれしか道は残されていないのに。それなのにどうしても出来ない。何度も克服しようとしてきたのに、心が、身体が『ソレ』を拒否するのだ。 
 セイが好紀の震えている肩をそっと手で引き寄せる。思わず身体がビクリと震える。 
「俺もそう思う…。もっとうまくできないかなって…、もっとうまく日々を送れないかなって」 
 彼の言葉に好紀は目を見開いて驚く。そう言った彼はもっと強い人間だとそう考えていた。だがその後、違うのだとセイは続ける。その表情は嘘は言っていないものだった。無表情でいることが多いセイの顔が優しく微笑む。好紀はその瞬間を見るのが好きだった。 
 好紀は帰った方がいいと言ってくれた彼の気遣いを断り、もう少しここに居たいと我儘を言った。 
 するとやはり何か思うところがあったのだろう。イチと何かあったのか、と聞かれてしまった。 
『カレーおかわりあるからな? 鍋の中だから食べたかったら食うんだぞ』 
 今日言われた言葉を思い出す。さっき食べたよ、と言ったら『食べれるときに食べとけよ』と言われてしまった。 
 まるでお母さんみたいなことを言ってきたイチは真剣だった。イチは好紀を純粋にただ心配してくれていることは分かるが、なんだか妙に恥ずかしかった。そんな気持ちを吐露したらセイは「そっか…それはちょっと気まずいね」と言ってくれた。 
 その後もセイと雑談をして過ごした。 
 イチと同室になった理由を聞かれたので答えたら驚いていたけれど、それも無理はない。ディメントの量で男役と女役が一緒の同室になるなんて今までなかったらしいが、好紀が寮に入った時、満室で特例として品行方正なイチと同室になったのだ。 
 まさにあのイチだからこそ同室としてなれたのだと思う。 
 どうしても寮に入りたいと言った好紀を受け入れてくれたオーナーの小向、何よりイチにはもう足を向けて寝られない。 
 それから…―――すっかり時間が経ち好紀はセイの部屋を後にすることになった。帰り際に頑張ってください、そんなありきたりなことしか言えなかったがセイはありがとうと言ってくれた。 
 先輩であるセイに好紀は聞くだけだったのに、逆に元気づけられた。 
 あれはナンバー3になるなぁ―――。 
 口下手な彼だが、優しくこちらを見る彼の眼差しは、汚れきったこのディメントの世界にはとても綺麗なもので。 
「明日からがんばろ…」 
 先輩に勇気づけられた好紀は、重い腰を抱えながら、好紀は小さく呟き暗い廊下を歩いていた。 


 そのまま帰ろうとしたけれど、急な同伴としての仕事が入ってきたので好紀は重くなった腰を動かし、服をスーツに変えて急いで呼び出された場所に向かう。 
「あっ、クミヤさん…」 
 今日も指名してくれたのはクミヤだった。未だにズキズキと痛む腰のせいか、出した声がいつもより元気がないことに気づく。ナンバー2であるクミヤは今日も夜なのに輝いて見えるぐらいスーツが似合っていた。その佇まいはまさしく支配者で、平民である好紀はへこへこと頭を下げるしかない。 
「お疲れさまです、今日もスーツが似合ってますね」 
 笑みを浮かべ好紀は労いの言葉は話す。  
「……」 
 普段であったら彼はスルーして、目の前の車に乗るのだが少し今日は違かった。ジロリと一瞥したあと、車に乗り込んだ。それに驚きつつ固まっていると、またいつものように「早くしろ」と目線で訴えられ、急いで車に乗り込む。 
 ドアを閉めたのを確認したクミヤは専属の運転手にアイコンタクトをして、車を発進させた。 
 瞬間、車内に静寂が流れる。 
 ―――き、気まずい…。 
 後部座席に並んで座る二人だったが、好紀は普段の静寂とは違う気まずさを感じていた。 
 あの時―――あの講習会でクミヤが見ていたのを思い出す。見られたのだ、あんな姿を。どうして?なんで来たんですか?――なんて聞いても答えてくれはしないだろう。だが、ただただ恥ずかしい気持ちが湧き上がってくる。 
 好紀は『仕事しなくちゃ』といつもより時間が経ってから話を始めた。 
「いや~、俺…この前講習会出たんですけど、アレキツイっすねぇ…」 
 もっと明るい話題を話そうと思ったのに、出てきたのは愚痴だった。 
「何というか、尊厳?みたいなもんを全部とられちゃうっていうか、皆にあんなところ見られて恥ずかしいって言うか…。まあ俺が下手なのが悪いんですけどね~」 
 自分で自分を刺しているみたいだった。あははっ、と明るく好紀は笑ったがクミヤは何も反応を示さない。 
「ホント客の前で吐くとか信じられないっすよねぇ~。俺もやだなぁって思ってるんですけど、そんなことやりたくないって思ってるのに、やっちゃうっていうか。ホントクミヤさん凄いっすよね、毎日お客さんを喜ばせて…俺も見習っていきたいっす」 
 何も言わないからこそ好紀はペラペラと普段は言わないだろう、本音をクミヤに対し言ってしまっていた。 
 司会の男が言っていた言葉を思い出す。あの好紀が犯した罪の数々を。 
 あれは全て好紀が何もかも『下手くそ』だったからだ。 
「…だから是非ナンバー2クミヤさんのテクニックを直接教えてもらいたいなぁ…なーんて」 
  言ってしまった後、好紀は自分の言った言葉に青ざめ口を押える。 
 クミヤの表情なんて見れるわけがない。今自分は冗談でも有り得ないことを口にしてしまった。これで彼の怒りを買い同伴としてもう呼ばれなかったらどうしよう―――。好紀は全身の汗が噴き出るのを感じながらなるべく軽く見えるようにへらへらと笑った。 
「あははっ、はは…っ、あ、何でもないですっ、気にしないでくださいっ、」 
 いやぁ、俺何言っちゃってるんだろ―――。 そう言葉を続けようとした好紀に隣の男の声が遮る。 
「――――3日後、夜22時部屋に来い」 
「…え?」 
 クミヤが声を発した瞬間車内の時間が止まった。好紀は素っ頓狂な声を上げ、思わず固まる。運転手も驚いた様子で、バックミラーを見ていた。 
 はじめて声聞いた―――。 
 初めて聞いたクミヤの声は、低く、どこか甘さを含んだ声質だった。クミヤが喋ったのは初めてで一瞬誰が喋ったのか分からず好紀は混乱した。全てのことがどうでもいいと言いたげな投げやりな言い方をしたクミヤは、さらに綺麗な唇を動かした。 
「技術指導、やるんだろ?」 
 ゆっくりとハッキリとした声で言った彼は好紀の驚いた顔をじっと見ている。 
「…え?  あ、はいっ!」 
 訳も分からず好紀は大きく返事をしていた。 
 ―――バタンッ。 
 そのドアが閉まる音を聞いて、いつの間にか車が停車し寮の正門前に着いたことを知る。まるで石にされたようになる好紀を置いてクミヤは車を降り、その場を離れていくのが見えた。追いかけなくちゃ、そう思うのに混乱した頭では身体は動いてくれない。 
 ―――3日後、夜22時部屋に来い。技術指導、やるんだろ?。 
 先ほど言われた言葉が好紀の中でグルグル回る。それはつまり好紀に対してクミヤが『技術指導』してくれるということなのか。車の椅子の上で魂が抜けかかった好紀に運転手が話しかけた。 
「…コウくん、アンタとんでもないことになったね…というかクミヤさんが喋ってるところ初めて見たよ」 
 振り返った運転手の表情は驚きに満ちていた。こんなことあり得ないと言いたげだった。 
「あ、あはは…、そ、そうっすね~、最近俺、疲れてるし…ゆ、夢かな?」 
 好紀も訳が分からずただ笑うことしかできない。 
 ふと窓の外を見ると暗く、夜の空見上げれば小さな星々が輝いている。視界にあるディメントの寮が好紀の目では歪んで見えた。 
「夢なんかじゃないよ…、私がはっきり見ちゃったよ…」 
 そんな運転手の声が遠く聞こえる。好紀は現実から目を逸らすため目を瞑り、しばらくその場所から動けなかった。  
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