記憶違いの従者

元森

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 じゃあ何がお望みなんだ、といわれれば言葉につまってしまうが、これではないことはたしかだ。

「リカド…――お前は、昨日のことは覚えているよな…」

 気になって、つい聞いてしまった。

 リカドは、ナイフとフォークを置いて話しはじめたリチャードを一瞬目を見開いてみた。だが、すぐそれは、なくなり、いつもの無表情のリカドになった。昨日の彼の笑顔はどこにいってしまったのだろう、と思ってしまうほどに、彼はいつもの『従者』の彼だった。

「ええ」

 彼の答えにほっと撫で下ろす。リチャードはそのまま続けた。

「私たちの関係は、変わったんだよな…?」

「ええ」

 リカドは、また頷いた。

 でも、傅(かしず)くリカドの態度は変わっていないようだった。

「失礼ながら、リチャード様の恋人にさせていただきました」

「そうだ。……――えっ」

 はっきりとした声音で云われ、リチャードは驚きの声をあげてしまう。

 ちゃんと、分かってくれていたようで安心した。だが…。

「だから、なんでお前は私の家臣の態度で接するのだ。それじゃあ、恋人の意味はないだろう!」

 なんで、恋人になりたかったのか、リカドは理解していない。リチャードは、リカドと対等になりたくて、愛し合いたくて、恋人になったのに。それが、分かっていなかったのか、とリチャードは怒鳴り声を出した。

 それをリカドは、真剣な表情で答えを出す。

「あります。貴方様は、やはり私より尊いお方なのです。一緒になれただけで、私には身分不相応のありがたさなのです」

 彼の赤い目は一点の曇りがなかった。

 これが、彼の答え。なんとも、幸せそうに云っている。

「……お前と対等になるために、私は努力をする。絶対にだ」

 リチャードは、はっきりとした声で言った。

 リカドは、顔をこわばわせる。すぐに、彼は、微笑んだ。

「私と、対等になって、どうするんです? 対等になったら、命令なんて聞きませんよ。貴方がやめてくれといっても、やめませんし、私が貴方に命令したら貴方は従わなければいけませんよ」

 珍しく、挑発するようなことをいった。

 こんなこと、初めてで、リチャードはどうしていいか分からない。心が、どうしてもうろついてしまう。こういうところが、彼とは対等になれないと証明しているのではないか。そうもう一人の自分が、嘲笑している。

「あぁ…。お前の命令だったら、なんでも従うさ。私がリカドにやった、床に撒き散らしたものを舐める…それでもダメか?」

「…貴方は…なにを……」

 震える手を叱咤して、なんとか言葉をつむいだ。

 リチャードの言葉を聴いたリカドは、呆然としているようだった。唖然とした表情で、「何を云っているのか」と暗に責めている。リチャード自身も、初めてこんなこと言ったので、声が震えた。

「そのままだ。お前に私は、散々なことしたしな。それ以前に、私はお前と対等になりたいんだがな」

 ちゃんと、できるかはやってみないとわからない。だが、リカドが出来たことが、出来ないはずはない。

 リカドは、わなわなとふるえて、怒鳴り声を出した。

「貴方様は、私の主人なのです! そんなことさせません! ご無礼を…ご無礼をお許しください……先ほどの言葉は失言でした。撤回します…。どんな、仕打ちもお受けします…」

「リカド…」

 リチャードの声がここまで大声を出したのは、初めてだ。

 その迫真の声に、何もいえない。リカドは、まだ『主人と従者』の呪縛が残っているのだ。それを外すのは、すぐには無理なのだと悟った。

 だが、ずっとあるわけではない。いつかは、はずれるはずだ。

「昔の私だったらしただろうがな。しないさ。なんでアレが、失言なんだ? もう、お仕置きなんてしないさ。だって、私たちは、恋人なんだから」

 リカドの表情はいろいろの、感情が混じっていた。

 そして、かすかに震えていた。どこかに迷って、誰かを探している顔だった。

 リチャードは、ひざを折り曲げかしずくリカドをそっと抱きしめた。彼の体は、大きくて、安心する。

「…リチャード…さ、ま…」

 リチャードの背中に触れるリカドの手は、まだまだ不器用だ。

 きっと、きっと、抱きしめ方が得意になると信じている。

 

 

 

 ホテルの外に出たら、老人と青年が馬車をたずさえて待っていた。

 二人は、リチャードとリカドの雰囲気を見て、驚いていた。リカドは、絶対にリチャードの後ろで歩いていたが、今は違う。二人は、隣で、対等に歩いていたのだ。だが、少しリカドのほうが後ろにいるが前よりは近くにいた。

「おい…俺は、夢でも見てるの? 何事もなかったかのように帰ろうとしたけど、二人とも、どうしちゃったの?」

 と、弟のチャールズが目をぱちくりさせて驚いている。

「私も気になりますね」

 と、その弟の従者であるリーラも同様に驚いていた。

「やはり、記憶を消されたのは、貴方の助言があったからでしたか」

 リカドは、やっぱり、とした顔でチャールズを見ている。

 チャールズは、まだ状況を理解していないようでオロオロとしていた。

「え? なに? まさか、記憶が消えてなかったの? 兄さん、もしかしてばれちゃったの?」

「まあな。なぜか、途中でリカドの記憶が戻ったんだ。なんとかなったけどな」

「ええええっ、なんとかなったって、何?! 何が、どうなってんの?」

 驚いているチャールズに、苦笑しながらリチャードはため息をつく。リチャードは、これまであったことを話しはじめた。リカドは無表情でそれを聞いていた。そしてたまに、付け加えて二人に説明をする。

 リカドが、途中から思い出したこと。そして、それをリカドが覚えていないふりをしたこと。その後のこと。恥かしかったので、かなりの部分ははしょってしまったが、しょうがないだろう。

 それを、リーラとチャールズはびっくりした顔で聞いていた。

 リーラの目には、涙が浮かんでいた。お二人は結ばれたのですね…と、ずいぶん乙女チックなことをいっている。

「記憶を思い出すなんて、なんてサイテーなタイミングだよ。あの店のオーナー訴えてやろうか」

 チャールズは、そういって怒っていた。いますぐに、地団駄を踏みそうであった。

 リーラが、ごほんと咳払いしていった。

「あの店には、相手がずっと思っていることをそこまで消せない、というアレがあるんです。リカドさんが、リチャード様のことを好きだったから、リチャード様の願いである『恋人になりたい』は、リカドさんも思っていたことなんじゃないんですか?

 だから、記憶が、変な風に思い出せたのが推測できますが…」

「それだ!」

 チャールズが、指を指して、リカドを示している。

 当のリカドは、恥かしそうに顔を俯かせていた。

 そういうことか。と、妙にリチャードは納得していた。そして、また幸福感に包まれていた。

 馬車が長時間止まっているのも、邪魔になるため、4人は馬車に乗り込んだ。そのまま、家に出発していく。

 そうだ――…と、リチャードは、チャールズにお前が当主になれ、といった。突然のことに、チャールズは仰天して、飲んでいた水をむせている。

「急にどうしたんだよ、兄さん」

「私は、婚約を破棄する。リカドと、恋人になったんだからな。当主に、別段興味はないし、お前に譲るよ。お前のほうがたぶん子供も作れるだろうし、そしたらケリー家の跡継ぎも出来て、父も喜ぶだろう」

 ぺらぺらと喋ったら、チャールズはあっけにとられていた。

 チャールズは、ひゅうっ、やるねえと口笛を吹いた。

 そんなチャールズを睨んだのは、リカドだった。

「おぉ、どうしたリカド。怖い怖い」

 子供のように怯えて喋る彼を、リカドは大声で投げ捨てるかのように言った。

「私は、認めません。貴方よりも、リチャード様のほうが、当主に相応しい…」

「……リカド」

 彼の目は真剣だった。だからこそ、嫌な予感がした。

「リチャード様が、当主にお成りになれないのなら…私は、恋人である資格はありません」

「え」

 その後続けられた言葉に、チャールズとリチャードに衝撃を与えた。嫌な予感が、的中した。

 呆然として何もいえないリチャードに、チャールズが口を開く。

「お前は何を言ってんだ。リチャードが、当主を捨てて、お前と一緒になるって云ってんだよ。兄さんがどれだけ、お前を愛していると思ってるんだ。それをお前は無下にするのか? お前も、同等に愛してるなら、それが兄さんにとって酷だと何故分からない!」

 最後のほうは、怒鳴り声だった。

 ずっとリチャードの恋路を見ていたチャールズだから、いえることだった。

 リカドは、呆然とした顔で、チャールズのことを見詰めていた。そこには、先ほどの睨んだ怖い目はもうない。ただ、何もいえない彼がいた。リチャードも、弟の大声に驚いたが、その言葉を理解したとたんに恥かしくなる。

「…もうしわけ…ございません」

 リカドは、そう震えながら、深く頭を下げた。

「な? 俺が、当主になってやるから、二人は仲良くしろよ?」

 チャールズはそういって、笑った。

 ほらやっぱり彼のほうが、当主に向いているのだ。

 

 

 それから、1週間後、婚約者の破棄を相手の女性から正式に貰った。マーガレット嬢は、実は身分の低い男と恋仲だったらしい。それをやめさせるために、相手の家は強引にリチャードと結婚させようとしたらしい。

 だが、それも敵わず『申し訳ございません。娘の、迫力に負けてしまいました』とオブラートにも隠さずに、相手から断りの話が来た。

 父はその知らせに、ご立腹だったが、どうにかなだめた。どうせ、あっちが断わらなければこっちから断わるつもりだったから、手間がはぶけたといってしまおう。

 リチャードは、自分には当主が務まらないので、弟のチャールズに譲ると父に言った。父は、怒って、『何を寝言を云ってるのだ。お前こそ、この家の主に相応しい!』と反対した。

 父は、まだこの話を理解してくれない。

 だが、別にいいのだ。リチャードは、むしろ晴れ晴れしかった。

 だって、隣にはリカドがいる。

 結婚もしない。永遠に。だって、隣にリカドがいてくれるから。それだけで、十分だった。社会的地位なんて、もう必要はない。それを云うと、リカドに怒られてしまうから、リチャードは言わないけれど。

 だけど、本当に思っているのだ。地位も、名誉だっていらない。

 やっと、手に入れたのだから。

「リカド」

 リチャードは、小さく声で近くにいたリカドを呼んだ。はい、と返事してリカドはこちらにきてくれる。

「リチャード様…」

 しゃがんでくれないか、リチャードは命令ではなく、頼んでいった。これが、今の二人の距離だ。もうこれで、十分だと思った。だって、しあわせなのだから。

「好きです…」

 うっとりと、リカドはつぶやくように愛をささやく。彼は、確かめるように、リチャードの顔に手を触れた。

 これを、しあわせといわずに何と言おう。

「私も、愛してる」

 そういうと、リカドは蕩けそうに顔を緩ませる。

 何度でも云う。だから――…。

「リカド、お前は一生私のそばにいてくれ」

「はい」

 リカドの言葉に迷いはなかった。

 二人は、何も云わずに抱きしめあった。リカドの、手はしっかりとリチャードの背中を守るように、やさしく触れていた。

 

◇END◇
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