記憶違いの従者

元森

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「リチャード、あんたアレほんとにやるんだ?」

「お前がすすめたんだろ」

 リカドが部屋から出た後、3歳下の弟であるチャールズがやってきて、問答無用でそういった。

 リチャードは、先ほどのリカドの舐めた床がチャールズが踏もうとしているのを見て慌てて声をあげる。

「そこ! 踏むなっ」

 兄と同じ金髪の髪をひるがえし、チャールズが怪訝な顔をした。

「は? おいおい、まさかここの――この床のべたつき…リカドが舐めた痕じゃないだろうな」

「だったら、どうした」

「ははっ! マジで云ってんの?! ケリー家の主になるであろう兄さんが、そんなキモイこと思ってるなんてスキャンダルものだわ。あと、重症だね」

 チャールズは、美しい顔をゆがめて笑った。リチャードには劣るが、顔は整っているチャールズだ。笑っている姿はさまになっている。

 チャールズは、リチャードがかなわない恋を従者にしていることを知っていた。妙に勘のいい男で、リチャードの態度で気持ちが分かったらしい。言われた瞬間生きた心地がしなかったが、言うわけないじゃんといってくれているので安心している。

「リカドにさぁ、告白したらどうよ、うそでも好きですっていってくれるかもよ?」

「…結果は目に見えている」

「兄さん臆病者だね。彼にあんな酷い仕打ちしといてそれはないんじゃない」

 チャールズは、散々リカドを虐げるリチャードを見てきた。彼の目は、冷たく、侮蔑した表情だった。

「…っ」

 リカドに告白したところで、結果は同じだろう。

 はじめに、冗談はよしてください、といって、こういう冗談はいけませんよというところまでシュミレーションは出来上がっている。そんなことをされたら、一生立ち直れないだろう。

 弟の言う通り、従者として散々な態度で接してきた自分には告白する権利すらない気がする。

「だから、こんな酷い…相手のことを考えない最低でエゴの塊みたいなことをしようとしてるんだろうけどね」

「煩い。元はといえば、お前がコレを教えてくれたんだろ」

 そうだ。

 チャールズの言うとおり、これからリチャードは「相手のことを考えない最低でエゴの塊みたいなことをしようとしてる」のだ。そんな情報をくれたのは、敵わない思いを知って哀れに思ったチャールズ本人だ。

「これで、少しは報われるならいいんだけどね」

「……リカドには悪いことをする…」

「そうだね。だけど、覚えていないから平気だよ」

「そうだな」

 チャールズは「ご愁傷様」といったあと、詳しい日時と、場所を伝えた。行くまでの馬車は、俺が手配してやるからと言っている。あと、先に待ってるからなどといってい。なんてできた弟なのだろうと思う。こんな醜い恋をしている自分より、よほど当主に向いている。

 リカドには、自尊心も、何もない状況だと感じた。

 それを、これから開放してやるから、最後の我が侭を聞いてくれ――そうリチャードは願い目を瞑った。

 

 



 

 

 ある日のある昼時。

 リチャードは、リカドを呼び出した。そして、単刀直入に言い放った。

「食事―――で、ございますか」

「あぁ。久しぶりに一人で食いたくなった。ついて来い」

 有無を言わせぬ様子で、二人は、リカドは知らないチャールズの用意した馬車に乗り込んだ。リカドは、なんでも言うことを聞くので、何も聞かれなくて本当に助かった。馬車を操っていたのは、老人だった。

 老人が、ふいに馬車を止めて言う。

「喉が渇いたでしょう。一杯いただいてください」

 窓が開かれ、筒に入った水が差し出される。

 老人と目があうと、これを飲ませろ、と目で語っていた。それに、小さく頷きながら、その筒を受け取った。

「ありがとうございます。リカド、毒味しろ」

「かしこまりました」

 リカドは、筒を受け取ってその筒の中身の水をごくりと飲んだ。

 老人と、リチャードはその様子を見守った。

「毒は入っていないようです」

「あぁ。分かった」

 ――中身は毒ではないのだけどな。

 リチャードは、そう思いつつ筒のなかの水を飲んだふりをする。そうして残ったものを、道端に捨てた。

「美味しかった。出発してくれ」

「了解しました」

 老人はにっこりと笑った。やがてガタガタと音を出して、馬車はゆっくりと出発していった。隣のリカドを見ると、目を薄めに開けて必死に睡魔と戦っている様子だった。リチャードはその様子に罪悪感を感じつつ、興奮を隠し切れないでいた。

 やがて、かくりかくりと、首が揺れ始め――ものの10分ほどでリカドは寝てしまった。揺らしても、起きる様子は一切ない。

 晒している寝顔を見つつ、老人に言った。

「寝ました」

「かしこまりました。今から、店に向かいます」

 老人はそういうと、進路を変更して馬車を動かし始める。

 リカドの寝顔は、出会ったときのままだった。子供らしい一面が見えて、ドキドキと心臓がはねる。リカドに毒味と称して飲ませたのは、眠り薬だった。かなり、強力なものらしくすっかり寝てしまっている。

 爆睡しているリカドの頭を自身のひざにのせ、頭をなでた。

 ああ、これだけでもこれは価値があるかもしれない――…。

 リチャードはそう思いつつ、こうなった経緯を静かに思い出していた。

 一日ばかり記憶を変えられる術をする、そういう店がある――…そういったのは弟のチャールズだった。

 チャールズは物知りで、裏社会のことをよく知っていた。そんな店は、あるわけがないとリチャードは馬鹿にすると、真剣な表情で「これで兄さん、リカドと一日だけ恋人同士になれるんだよ」といったので驚いた。

 そして、欲が出た。

 一日だけでも、恋人同士になれる――。

 そんな、敵わない恋だと思っているリチャードにとっては喉から手が出るほど、欲しいものはない。気がつけば、弟の話を真剣に聞いていた。

 チャールズの話は、こうだった。

 ある非合法の店に、一日だけ記憶を消せるすべを持つ人間がいるという。その記憶を消されたものは、1日だけ記憶がすべてなくなってしまう。記憶というのは、人物や思い出といったものだ。

 そして、その記憶をなくしたものは、いわゆる真っ裸の状態で、相手のいうことをすべて信じてしまうのだという。だが、一日たてばその日の記憶がなくなり、いつも通りの生活がおくれるという。

 そんな夢みたいな話がホントウにあるのか――…?

 リチャードは半信半疑だったが、チャールズは自信満々にあると断言する。

 その根拠は、どこから来るんだと問えば、チャールズは「俺が試したんだから、間違いない」といった。チャールズの言っている意味が分からず、だがしばらくして理解すると、とんでもないことを聞いてしまったような気がした。

 本当に、記憶がなくなったのか、と聞けば「あぁ、なくなった。信頼できる奴に俺を預かってもらったんだが、本当に何をされたか覚えていないんだ。そいつは、裸で踊ってもらったとかいってたんだが、そんな記憶一切ないんだよ」と、答えた。

 チャールズが、裸で踊ったならそれは本人も覚えているはずだ。なのに、覚えていない。それは、本当に記憶がないということだ。

 どうしてそんなことをしたのか、そう問えば「本当かなって確認したかったんだ」と笑った。

 リチャードは、迷った。

 本当に、できるのならどれだけお金を払ってもやりたい自分と、それはまた自分のエゴだと罵る自分がリチャードのなかにはあった。

 だが、結局は欲に負けた。

 どうせ結婚するんだし、どうせなら思い出だけ欲しい。

 そんな、エゴでしかない気持ちが上回った。ないよりは、あったほうがいいに決まっている。

 チャールズに、やりたいというと、兄さんだったらいうと思ったと苦笑いをする。

 どうしてそんな店を見つけたのか、と問いかければ、秘密だよと微笑む。その後、かかるお金を聞いてほっとした。馬鹿高いのかと思ったが、貴族のリチャードになら払えるお金だった。一般の人たちから見れば、高かったけれども。

 そして、チャールズにこの眠り薬で店まで来て欲しい。馬車を用意するから、それに乗ればいい。お金は持参しろ。

 そういって、すぐにことは決まった。

 罪悪感と、欲望のなかでリチャードはリカドを天秤にかけた。そして、リカドにはとても申し訳ないことを結論づけてしまった。

 だけれど、これで終わりだ。

 これで、この恋も終わりにする。

 リカドの舐めた床を自分でも舐めて、自慰をするなんて、気持ち悪い穢れた愛情もこれで断ち切る。思えば、自分はよほど汚れた愛情を持っているのだとリチャードは自嘲気味に笑った。

「つきました。彼を、連れて外に出てください」

 老人のしゃがれた声で、回廊は打ち切られた。リチャードは意識をはっと戻す。リカドは、よほど気持ちがいいのかよだれをたらして寝ている。

 よだれを拭き、老人の言うとおりに、リカドを肩に乗せて外に出た。

「よお。待ってたぜ、兄さん」

 待ち構えていたのは、チャールズだった。スーツを着て普段つけない眼鏡をして、リカドを持つのを手伝ってくれる。チャールズはお礼をいった。リカドは大きいので持つのが大変なのだ。

「…あぁ。ありがとう」

 すっかり日の落ちた外に出ると、かすれた文字の看板が目印の汚い店がそこにはあった。場所は何時間も移動したのか、郊外のようだった。黒々しい雰囲気をかもしだしていて、リチャードにいわせると「いかにも」なところだ。

「ここか」

 一緒に持ってきた金の入ったバックも持って、そう質問する。

「あぁ。そうだ、ここだよ。リーラ、ここまでありがとう。ここで待機しててくれ」

「かしこまりました。気をつけていってらっしゃいませ」

 老人――リーラは頭を下げて3人を見送った。リチャードたちは、ドアをくぐった。店の中は、バーのような佇まいで、マスターがガラスのコップを拭いていた。男の40代のマスターは、ちらりと3人を見ると、お辞儀をした。

「予約してきたお客さんですね。お久しぶりです」

「ええ――お金はここに」

 悪戯っぽい笑みをして、マスターはそういった。バーだと見せかけて、一部の客にはこういうことをしているのだとリチャードはすばやく悟った。

 チャールズはいいながら、リチャードの持っていたバックの中身を見せた。

 マスターはにっこりと笑いながら、こちらですとカウンターを開けて、近くの階段に促した。

 リカドを持ちながらの階段は辛いものだったが、なんとか上までついた。そして、マスターは鍵を取り出し、ドアを開けた。

「彼を、ここのベットに」

 部屋はいたってシンプルなものだった。ベットと、木製で出来た部屋。ここで、記憶をなくさせるという術が行われるのかと思うとなんだか非現実を彷彿とさせる。

 二人は、リカドをベットの上に寝かせた。

 マスターは、記憶を失うという術について話し始めた。トクベツな機器を使い、あるところを頭の部分を押すと記憶が1日だけなくなるという。なんとも不思議な説明だったが、チャールズはうんうんと聞いていたので本当なのだろう。

 副作用はなし。成功するのは80パーセントだという。成功しなかったら、お金は返すという。

 マスターは、ほんの10分で終わりますよ、といって二人を部屋から出て行かせた。

「本当に、大丈夫だろうか」

 チャールズに、リチャードは心配そうに聞いた。今更だったが、何かあったら怖いのだ。

「大丈夫、大丈夫。あの人、胡散臭いけど腕は確かだよ」

「…」

 どこか、チャールズが遠い人のように思えた。

 長く感じる10分間をすごしたところで、白衣姿のマスターがドアを開けた。

「終わりました。成功したと思います。確認してください」

 リチャードは、部屋に急いで入ってベットにいるリカドを見に行った。後ろで慌ててチャールズも後を追う。リカドは、小さく先ほどの服のまま、ベットの座っていた。

「リカド、私だ。分かるか?」

 リチャードは、心臓を早くして問いかける。とりあえず、無事でよかったと胸を撫で下ろす。

 リカドはぼんやりとした顔で、口を小さく動かす。

「……だれ? ここは、どこ…?」

 思わず、その回答にリチャードはリカドに抱きついた。

 
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