アドレナリンと感覚麻酔

元森

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第二章 第九話

85 興味

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 目の前の狂気は、いつの間にか終わりを迎えていた。

 周りの仮面の客たちは消えており、隣のケイも早めに帰った。君塚聖月(きみづか みつき)は息を吐き出すと、だんだんと湧き上がってくる嫌悪と吐き気が、現実を帯びていることをひしひしと感じていた。

 ステージのコウと、サツという青年は最後には気を失った。

 それまでの、残虐というべき行為で耐えきれなかったのだろう。

 …何もできなかった。

 聖月は、自分の無力さに泣きそうになる。

 ただ、見ているだけしかできなかった自分。そんな自分が、一番吐き気がした。

「来てたんだ」

 隣にふいに座っていたのは、神山秋人(こうやま あきと)だ。 まるで白ゆりのような純白さと気品が感じられる顔立ちに、スーツ姿がよく似合うストイックな雰囲気。始めは眩しい笑みで倒れてしまいそうだったが、今は恐怖で倒れそうだった。

 神山はディメントのナンバーワンの称号を持つ男だ。そんな美青年の裏の顔は、聖月がよく知っている。ゾクリとするような綺麗な微笑みを浮かべ、長い足は組まれており、まるで何かを査定するような笑みだった。

「神山さん…」

 誰もいなくなったステージのある部屋に、聖月は神山は二人きりだった。

 急に、逃げたい感情が生まれた。

「どうだった?」

 ふふっと、この頃見なかった優しい笑みで問う。いつもは舌打ちばかり聞いていたから、新鮮だった。

 だが、そんな軟化した気持ちは、次の言葉で消え失せた。

「お気に入りが壊れるところ、観察にきたんでしょ」

 どくん、と心臓が跳ね上がる。

 お気に入り、と綺麗な声に乗せられ発せられたものは聖月を瞠目させるには十分だった。神山は、綺麗な笑みを浮かべたままだった。

「小向さまは慈悲深いお方だ……。あんなグズたちに、お客様に見初められるチャンスを与えているんだから。……聖月も、そう思うだろ?」

 なぁ?――――そう、こちらを神山は一瞥した。

「ッ」

 神山が冗談を言っているわけではないというのは、真剣な表情で分かってしまった。思わず息をとめ、聖月は身震いを抑える。白百合のような気品のある風貌と立ち振る舞いもあわせて、その言葉はより一層内なる狂気に満ちていた。

「特にコウは酷いな。お客様にご奉仕をするところで、あまつさえ吐くなんて。人間性を疑うね。…まあ、今日のステージを見てたら、少しはその考えは改めたほうがいいかもしれないな」

「……そんな…」

 吐き出された侮辱の言葉に、聖月は言葉を失った。

 そんなの、ひどい。

 人間性を疑うのは、貴方たちじゃないのか、という声が聖月はでかかった。

「聖月は、なんで今日来たの? 今日は珍しく、クミヤさんも来てたけど…」

 あれは、レアだったな、と神山は言った。

 この言い方として、神山もあの狂気の場所にいたということだ。そうして、先程の罵りを吐いた。小向への妄信も、何もかもが怖かった。

「…神山さんも、来てたんですね」

 聖月は質問には答えなかった。神山も別段知りたくはなかったらしい。先程の言葉で、だいたいは見当がついたのだろうから。

「あぁ。いつも来てるよ」

 いつも。

 聖月は震えた。不定期ながらも招待されて、来るようにしていることに大きく動揺してしまう。

「聖月は、初めてだっけ? いつも、来てなかったよね。……お前も、もう少し抵抗を続けたらあのステージにいたんだよ」

 神山は、冷たい声でステージを見据えた。

 ゾワリとした。神山の言い方や声音は、聖月にまるでそこに立って貰いたかったと言っているようだった。今まで優しかった笑みが消え、神山は椅子からゆっくりと立ち上がり、聖月へ一歩近づいた。聖月は驚き、そして本能的に恐怖する。そして一歩後ずさると、神山の無機質な瞳に見つめられた。

「お前は、小向様に救ってもらえたんだよ。感謝しろ」

「……っ、」

 グイッと、避ける前に髪の毛をつかまれて耳元で囁かれる。頭皮の突き刺さる痛みに、聖月は眉を寄せた。

「救って、もらえてなんか、ないです…」

 掠れた声で、聖月は抵抗する。

 だが、それは言ってはいけない言葉だったらしい。神山の顔が鬼の形相になり、掴まれた髪の毛を引っ張る力がより一層強くなる。聖月はただされるがまま、身体をうずくまらせた。

「救ってもらえたんだよ、感謝しろ」

 もう一度、神山は怒気を含ませて言った。恐怖で身体は、ガタガタと震える。

 聖月は、痛みに喘ぎながらどうにかしようと、首を縦に振る。

 感謝なんてしたことはない。だが、そう言わないと、ずっとこの髪の毛の痛みは消えそうにはなかった。

 やがて、聖月の必死な肯定に満足したのか手は緩まれた。聖月はやっとの想いでその場から、離れる。神山は、また舌打ちをしそうな雰囲気に戻ってしまった。完全に聖月の失言であったのだ。不機嫌な顔のまま、神山は聖月を見据える。

 聖月は、その表情を見れなかった。見たくなかった。

 聖月が見れなかった神山の表情は、目の前の人間をごみのように見つめる目だった。きっと、聖月が見てしまったら、心が壊れるほどの侮蔑が含まれていた。聖月は心底恐ろしくなって、大きく頭を下げると、

「すいません! これで、失礼します!」

 と、しゃがれた声で言い、その場から早々に立ち去った。

 部屋からでて、廊下は真っ暗だった。汗がどっと噴き出る。

 あの部屋は狂気にあふれている。いや、Demento(ディメント)はもともとそういう場所なのだ。

 抵抗をしてしまったのは、小向を崇めるような神山のようにはなれなかったから。小向は、聖月にとって憎むべき相手なのだ。

 ―――小さなプライドなんて、捨ててしまえばよかった。

 だから、こうなっちゃうんだ。

 聖月はまだ痛む、頭を押さえて、長いため息を吐いた。



 

 奇異なことは、何度も起こるらしい。

「……クミヤ、さん」

 聖月はつい、声を出してしまった。

 めったに会わない人物を、今日は何度も見る。始めは、今日の講習会。次はもう午前2時をまわった時刻になった真夜中の廊下だった。

 美也のミステリアスな雰囲気は、真夜中の真っ暗な月明かりが頼りの廊下では、もっと不思議なオーラが漂っているように思えた。長身の彼は、目を引くほどに綺麗で、だが、ディメントでの客への扱いはまるで興味がないように客を痛めつける酷くサディスティックなものだった。相当のテクニックを持ち圧倒的人気を持つ彼が、どうして、コウの講習会を見に来たのかがよく分からなかった。

 美也が言うには、同伴だからというとっけつけたような理由で、信ぴょう性は低い。

 拒絶のオーラを放ち、近づき辛かったが、ふいにこちらを見た。聖月の声に、少し反応したのかもしれない。

「……まだいたのか」

 その声が、美也の声だと気づいたのはしばらくたってからだった。

 彼の声はすべてが興味がないといいたげな声音で、脳に染み込むには時間がかかった。

 そしてまた、話しかけられたことに、驚く。どうやら、聖月と話すことは別段重要なことではないらしい。

 立ち止まった美也の長身と、自分の身長を見比べて、少しだけ落ち込んだが答えない聖月に舌打ちをしてきたので慌てて口を開いた。

「あの、神山さんに会ったので」

「………アイツか」

 しばらく、名前を出してから間が空いた。

 まさか、この人神山さんにも興味がないのか?

 美也の口ぶりは、神山を名前を思い出せないでいるものだったのだ。あの神山の名前を思い出せないでいるなんて、どれだけこの人は人に興味がないのだろう…――――と聖月は思った。



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