アドレナリンと感覚麻酔

元森

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第二章 第五話

56 続けられる嘘

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 スズメが、電柱の電線に乗っているのを見て、いつも聖月は心配になる。
 感電しないだろうか、という心配だ。感電して死んで落ちているスズメを見たことがないから、別に平気だろうけれど。ぼうっと電柱を見たり上を向いたりして、大学を目指していたら声をかけられた。
「よお、聖月」
「十夜」
 後ろで歩いてきていたのは、十夜だった。
 十夜は、聖月と同じ大学だが、学部が違う。十夜は、法学部にはいっており、弁護士を目指している。弁護士になるために、日々勉強しているようだった。弁護士になりたいと夢を言われたとき、聖月はとてつもなく十夜から溢れんばかりの希望が見えた。
 弁護士になるためには、相当勉強しなくてはいけないらしい。だけれども、十夜はそれを苦に思っていないらしく、愉しそうに聖月に法律について語っていた。十夜は夢に向かって頑張っている。それに比べて俺は――。
 もんもんと考えていると、十夜が気づいたようにいった。
「あれ、衛は?」
 だいたい隣にいる衛がいないことを不審に思ったらしい。十夜は不思議そうにいった。
「寝坊だって」
「おいおいまたかよ」
「今日2限からだから別にいいと思うけど」
 ふう、とため息をついて聖月は足を進める。隣で、十夜が同じように息を吐き出す。
 衛はどうも朝が弱い。いつもだいたい寝坊している。たまに一緒に行けることはあるけれど、それは稀なことで、ほとんど聖月は一人で登校している。もうそれには慣れてきた。
「じゃあ、聖月は早く来てるってことだろ? なんで早くきてんだ?」
 鋭い十夜のツッコミがきて、聖月は頭が痛くなる。
「いや~…別にりょ…施設ですることもないから早めに来てんだよね」
「へえ、そうなんだ」
「う、うん」
 十夜がその答えを聞いて釈然としないような反応を見せた。だけれど、その色はすぐに消えた。そのことに、ほっとする。
 今日早めに来たのは、あの部屋に居るのが嫌だからだ。蒼が昨日襲ってきたのもあったため、余計に寮にいると気まずいような気がした。蒼からメールが来ていたが、怖かったのでみずにゴミ箱の中に入れて削除した。
 なんとか蒼に会わないようにして、あそこから出てきてそのまま大学を目指して、そしてここにいるのである。今は正直言って、何も食べていないのでお腹が空いている。近くのコンビニで何か買おうかと思っていると、十夜が口を開く。
「あのさ、聖月。なんか腹減ってない? どっかでご飯食べようぜ、俺3限からだし」
「えっ、うんっ、今おなか減ってる」
「ホント? じゃあどっかで食おうぜ」
 十夜が一瞬エスパーに見えた。俺、お腹ペコペコでさぁ…と話している十夜に感謝しながら、彼の後ろについていった。

 
 

 入ったのは、近くのファーストフード店だった。朝だということもあってか、人がまばらだった。店に入り、注文して、お金を払い上の階にあがってはじっこのほうに席をとった。向かい合った席で、座った途端に二人は欲望のままハンバーガーに手を伸ばす。
 しばらくは黙々と食べていたが、世間話もした。だいたい食べ終わった頃に、十夜が心配そうに言う。
「なんか…聖月疲れてない?」
「え」
 驚いて、食べていたポテトを落としてしまう。塩の味をしている手の指を舐めながら、聖月は静かに混乱していた。
 疲れている。
 そうだ、今自分は疲れている。毎日のように客の理不尽な対応に追われ、身体を酷使し、精神的にもキツイものがあった。それを、なんとか友人たちにばれないよう、兄にばれないように勤めてきた。
 それがどうだ。今、聖月は十夜に心配されるほど、顔色を悪くしているではないか。身体の底から震えがきた。
「…疲れているように見える?」
 何とかそれが言えた。
 聖月が最も恐れていたのは、この顔色のせいで、十夜に疑われることだった。結果的にディメントのことがばれるのが一番怖かったのである。ばれないようにするためには、とにかく元気そうに振舞うのが一番いいだろう。
「うん。このごろってか…去年とか一昨年ぐらいからずっと体調悪そうだけど、平気?」
「ッ!」
 その言葉を聴いて、聖月は瞠目した。十夜はずっと、気にかけてくれたのだ。恥かしさでいっぱいになって、次に生まれた感情は申し訳ない気持ちだった。
 きっと十夜は聖月が変わったことに気づいたのかもしれない。それを今まで聞いてこなかったのは、彼なりの配慮だろう。きっと聖月から、何かを言ってくれるだろうと考えてくれているのかもしれない。
 いっそのこと全てを白状して、楽になりたかった。だが、それをしてしまったら、十夜とは普通の友人ではなくなる。今のように話が出来なくなってしまう。それだけは嫌だった。
 聖月がもっともこの世で恐ろしいのは、ディメントで働き続けることよりも、大切な人にこの事がばれてしまうことだった。一番の卑怯者は、小向ではなく―――自分自身だ。
「うん…平気。疲れてるだけだから」
 心が痛くなる。
 ―――――嘘なんて吐きたくない!
 頭が、心が、身体がそう叫んでいた。大切な人を欺くのが、どれだけ罪深いのだろう。どれだけ、自分は――…。
 十夜が、その答えを聞いて優しく笑う。
「そっか。なんかあったら相談しろよ?」
「うん…分かった」
 心が、真っ黒に染まった感覚がする。
 どうして、自分はこんな優しい人に嘘をつかなければいけないのだろう。そして、嘘をつき続ける自分にも不快感が宿る。こんな、自分の利己だけで、嘘を言い続ける自分が聖月は嫌だった。結局は、こうやってうじうじ悩んでいるだけの自分が嫌いだった。相談しろよ、といってくれる人に相談できないのはどうしてこんなに悲しいのだろう。
「じゃあそろそろ出るか」
「あぁ」
 十夜に促され、席を立った。何も云わず、十夜はトレイを持ってくれる。十夜は本当に優しい。こんな自分にもったいないぐらい、優しい。
 卑怯者でごめんなさい――…。
 聖月は、十夜の背中に心の中で謝るしかなかった。
「あのさ」
 十夜が、店を出てもう少しで大学に着くというところで急に立ち止まった。もんもんと考え事をしていた聖月は、それに反応するのにワンテンポ遅れた。
「なに?」
 首を傾げると、十夜は笑った。
「お前って何日暇?」
「…分からない」
「バイト、忙しいもんな」
 十夜の言葉に、心臓の心拍数が上がる。突然、胸を鷲掴みされたような衝撃だった。十夜は、ただバイトが忙しいといっただけなのに。
 聖月がバイトをやっていることは、十夜や衛も知っていることだった。衛が「このごろミツが遊んでくれない」といってその理由を聞いてきたので、つい聖月はぽろっと「バイトしている」と答えてしまったのである。
 何のバイトで、いつシフトなのかと聞いてくるので、そのときは肝が冷えた。どうにかシフトなどは誤魔化したが、なんのバイトと問われて適当に「デイサービス」なんてこたえてしまった。
 確かにどちらも身体を仕事なので何とか言い訳が出来たが、今思うと何故「デイサービス」なんて答えたのだろう。今考えると、あの時の自分はどうかしていた。
「う、うん。どうかしたの?」
「どうかしたのって。俺んち来いよ、久しぶりに」
「え、いいの?」
 突然の嬉しい招待に、一気に晴れやかな気分になった。たしかに、このごろ聖月は、十夜の家にいっていなかった。それどころじゃなかったからだ。
 ディメントのシフトを後で確認しなくては――と、頭の中で予定を組み立てていく。
「だってさぁ、前に泊まろうってなってたのに…お前ドタキャンしやがって。俺、チョーショックでさぁ」
「ごっ、ごめん」
 十夜が、色香を放ちながら大げさにショックだと言ってみせる。この前のドタキャンというのは、聖月も楽しみにしていたのだが、急に小向に呼び出しがかかって泣く泣くなしになった事だ。そのときの理由が、橘が呼んでいるという理由だったので、思わず橘に罵声を浴びせるところだった。そんなドタキャンの理由を言えるわけがなかったので、謝るしかない。
「今度こそ、泊まってもらうぜ?」
「うん! 泊まりたいっ」
 自然と笑顔になった。十夜は一瞬笑った聖月を見て、固まったがすぐに表情を明るくさせた。
「じゃあ、決めとけよ。予定ちゃんと空けとけよ?」
「わかった。衛も来るんだろ?」
 そういうと、十夜の表情は一瞬無くなった。そんな一瞬の出来事に、聖月は気づかずに彼の言葉を待つ。十夜は、けらけら笑った。
「なーに云ってんだ。今回はお前と俺だけだよ」
「なんで?」
「なんでって。たまには二人でもいいだろ? 衛は、今忙しいって言われたから無理だって。俺と二人きりは嫌か?」
「そんなわけないじゃん」
 おかしなことを言うと、聖月は笑い飛ばす。そういえば、二人で遊ぶのは久しぶりな気がする。ウキウキな気分でいたら、十夜が耳元で囁く。
「覚悟しとけよ?」
 聖月は、十夜の甘い声に耳が侵される感覚がした。こういうときの十夜の声は、とてもいやらしく聞こえる。十夜の香りは、昔と変わらずに、甘い毒のような香りでこっちまで変な気分になってきそうだった。そんな思いを払拭するように、聖月は笑った。
「うっわ。十夜がいうと、なんかいやらしい~」
「ハハッ! あったりまえだろ~?」
「認めんのかよ!」
 十夜の笑顔が眩しい。そんな笑顔につられて、こちらまで笑ってしまう。
 やっぱり、自分は十夜や大切な存在と生きていく価値はないのかもしれない。
 でもばれなければいけるかもしれない。ずっと、このままこの幸せな彼らとの日常が続くかもしれない。そんな人間的な、醜い感情を持ってしまう。だって、そうじゃないと、聖月の心は壊れてしまうから。
 いや、もう壊れているのかもしれない――。
 聖月はその「かもしれない」という淡い希望を持って、目を閉じた。十夜が、どうしたのか、と心配そうに聞く。はっきりと耳に聞こえてくるのは、まぎれもなく十夜の声だった。
 十夜の声を聞いていると、自分は人間なんだと思う。彼の目の前にいるのは「壊れ物じゃない自分」がいるのだと、はっきりと実感できた。普通に存在して、感覚もきちんとある平凡の「君塚聖月」だと。もう聖月が十夜に抱く感情は「友情」ではなく「依存」そのものだった。それに、気づかないふりをして首を振る。
 十夜が、だったらいいんだけど、といって笑う気配がした。
 今、聖月は大学2年生だ。そして、四年制大学なので、きちんと卒業できれば、「仕事」はあと2年で終わる。
 あと、2年――…。
 聖月は、決意を固めるため拳を力強く握った。その拳は、小刻みに震えていた。

◆ 第五話 END ◆
第六話に続く…
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