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第一章
第四話 41 逃げられない悪夢*
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耳鳴りがした。
キーン…と、脳のどこかを、小さく刺激する不快な音。どこかで、なんの種類だか分からない蝉の声が聞こえる。蝉がなくはずがないのに――聖月の耳の奥でジィジィと自己主張の鳴き声を晒している。聖月は、混乱しきって上手く口が動かせなかった。
だが、やっと言葉に出てきたのはある人物への罵倒だった。
「あ、蒼っなんでさっきキスしたんだよっ! 頭おかしいんじゃねえの?! 男同士だってのに!」
手を縛られて、拘束された聖月の口から出てきた言葉は、蒼への罵りだった。
蒼はもしかして、ゲイだったのだろうか。だったら、他をあたってほしい。聖月は、まったくその気がないのだから。それとも、いつものからかいでキスをしてきたのだろうか。蒼の思っていることがよく分からなかった。
縛れているのに、その縛ったキダへの罵りはなぜだか出てこなかった。縛られて、身動きできなくて、絶望的状況なので、少し思考回路が変わっているのかもしれない。逆境のときに、考えてしまうのは、いつもと違うものが思いつくように。ベットの上で、悠々と座っている蒼はニヤニヤと笑った。
「そうだなぁ、ここにいる人間はみんな頭おかしいからなぁ」
「そう思うなら、早くこれとってくれっ」
ゆさゆさとロープを揺らしながら、必死になって訴える。とってくれさえすれば、ここから出れるのに。
懇願する顔を縋るように蒼に向けると、ふいに彼の身体が動いた。まるで、モデルみたいに綺麗な歩き方で聖月のほうへ足を運んでいる。端整な顔立ちにそれに似合った、端正な身のこなし。聖月の、目はそのすらりとした長身の蒼に釘付けになった。
やっぱり、十夜とは違う。それが、分かった。雰囲気も、顔立ちもどことなく似ているが、違う。やはり、個々の魅力を持って十夜と蒼はそこに存在するのだ。まったく違う存在なのに、似ているといった自分が恥ずかしくなるほど、蒼は美しくカッコよかった。
だが、神様は意地悪だった。予想していなかった言葉が、平然と蒼の口からこぼれる。
「はぁ? 取る訳わけねぇェじゃんっ! こんな聖月似合ってるのにさぁ!」
ギャハハ、と下品な笑い方で聖月の心を揺さぶった。
え、と口がふさがらなかった。呆れたのではない、驚き、失望したのだ。何を思って、何を考えてこんなことを蒼は発言したのか。意図が分からない。もしかしたら一生分からないほうがいいのかもしれない。
「に、にあってる…」
なにが、似合うというのだろうか。このびしょ濡れの身体で、両手を宙に浮かせながら縛られている恥ずかしく屈辱的な光景が、聖月に似合っていると彼は言っているのだ。馬鹿にされたというよりも、本当にそう思っているような口調だった。何度目かも分からない衝撃が聖月に広がる。
「そうだよ、めっちゃ似合ってる。だって、ずっと俺想像してた、聖月がこうなればいいってさぁ~」
蒼のまた、下劣な笑いが鼓膜を打つ。何を蒼は言っているんだろう。そんな言い草では、ずっと前から彼が自分にそう望んでいるような言い方ではないか。こんなのを、蒼は望んでいるのか。額に汗をかいた。全身から、嫌な汗を感じる。
何度も感じた薄気味の悪い感情。それを、今聖月ははっきりと感じた。それに気づかないふりをしながら困惑している瞳を蒼に向ける。彼は、また笑った。
「こう無表情の顔がどんな顔になるのかぁ、って思ったら楽しくってさぁ」
カッ、と頭に血が上るような、感情が湧き上がった。愉しんでいる。蒼は、こうなった聖月を愉しんでいるのだ。カードゲームをするかのように、聖月の表情や行動を見て、そんな悪趣味なゲームを愉しんでいるだ。
「なんなんだよ、頭ホントおかしいんじゃねえの?!」
掠れた叫び声が、喉に貼りついたように出てきた。蒼の目には、さっき見た狂ったとしか考えられない、鞭を打たれていた青年の周りにいた大人たちと同じような妖しい色が濃くあった。信じたくなかった。
あんな獣みたいに、自分の欲望のままに行動をしているさっきの奴らとは同じ欲望を蒼が感じているなんて、到底信じたくない話だった。だけど、目の前で嗤っている蒼は、先ほどの醜い男たちと重なって見えた。
「かもなぁ、聖月からみたら」
「誰から見てもそうだと思うけど?!」
「あーもう、うっさいなぁ~。ホント、聖月って第一印象とだいぶ性格違うよなぁ。ギャーギャー騒ぐっていうか、マジうるせぇ」
一瞬、聖月を一瞥した目が、まるで落ちているゴミを見るような表情になった。ぶるり、と身体が瞬間的に震えた。
―――怖い。どうしようもなく、蒼が怖く感じた。
壊される、と悟った。自分は、ここで俺は壊されてしまうのだ――と。これは、悪い冗談ではなく本当に起こっていることだと、聖月はやっと信じた。蒼のその表情は、今から起こる未来の聖月の不吉なソレを含んでおり、今後の自分を揶揄されていた。
蒼の自分を見た表情、ソレは人間を見る目ではなかった。無機質な何かを見ている顔。
聖月は、彼にとって生きている人間ではないのだ。ただの、玩具。もしかしたら、それ以下かもしれない。
つまりは、このまま聖月が痛がろうと、懇願しようとも、彼にとって何も響かないのだ。やっと、蒼が自分とは仲良くなっても、すべては見せてくれないだろうという聖月のなんとなく印象を抱いた理由が分かる。
息が詰まるような想いがする。蒼と十夜は違う存在なのだとまざまざと感じた。
蒼が初めにあったときと同じように見れなかった。ただ、そこにあるのは恐怖のみ。自分を助けてくれない、助ける気もないと云った表情を平気でしている蒼が聖月は怖くて仕方がなかった。
「どうした? 黙っちゃって」
手を伸ばされ、身体に触れられそうになり聖月は恐怖に駆られて身をよじった。そんな反応を見せた聖月に、蒼が露骨に不快感をあらわにした表情になる。
「なんだよ。俺に触られるのがイヤってか?」
先ほどとは、数トーン落とされた低い声で耳元で囁かれる。
「…ッ」
くすぐったい感触と、怒っていると分かる低い声に心がざわつく。ガタガタと、大げさと感じられるかもしれないぐらい体が小刻みに震えていた。蒼が近くにいるだけでも、恐怖の感情しか今の聖月には湧かなかった。
ふいに蒼の視線が、天井へと向けられた。
「俺が怖い?」
怖い、と即答しそうになる。息苦しいほどの張り詰めた空気の中で、クスリと誰かが笑う。
「あーあ、嫌われちゃったねえ、蒼」
キダが、からかうように笑った。こんな空気の中、くすりと笑ったキダにまたもや驚きとどこか畏怖の想いを聖月は思ってしまった。キダも、蒼と同じ目で聖月のことを見ていることに気づき失望する。
ここにいる人たちは、俺をなんとも思ってないんだ――そう思い知らされた気がした。
探るような目線で、蒼はキダを見た。
「キダさん…どうしましょうか」
「そうだなぁ、――――小向さんどうしましょう」
また、キダが小向に視線を送った。先ほどから小向は、ただ聖月たちを見ているだけでそこから動こうともしなかった。椅子にどっしりと腰を落とし、いるさまはまるでそこに君臨する王様のよう。この場の支配者は、口を不意にあけた。
「大人しくさせればいいじゃないか」
は?―――と、思わず声に出そうとしてしまう。
今の自分は、先ほどよりは静かなはずだが――と聖月は混乱する。
「嫌う、なんて感情を持たないぐらい…服従させればいい」
静かな低音で、そう悪魔の言葉を小向は吐いた。周りの男たちの何人かが、ああそうだなといいたげに頷いた。
――狂っている。
聖月は、その単語がぐるぐると回っていた。ここは、狂っている。ここに来てしまったからには、従わなくてはならないのだろうか…――。
パクパクと動かして魚が陸に上げられたみたいに、浅い息をしていた。うまく、呼吸という生命維持が出来ない。この後の自分を思い描いても、絶対にいいほうには傾かないというのが確実になった。なってしまった。
「ああ、そうだな。そうですね、それがいい」
グットアイディア、といいながら蒼は手を叩く。
「どうしようかな~あ、そうだ。あれにしよ」
ちゃくちゃくと、聖月に対し地獄行きの用意がされている。キダがごそごそと何かを用意しているが、聖月は見てはだめな気がして顔を俯かせた。俯いたってされることには、かわりはないのに。
ここで、このまま大人しく従ったら聖月は大変な目にあうだろう。それが、怖くて怖くて衝動に任せてロープを取ろうと必死になる。取れないだろうとは心のどこかで思っていても、必死になるしかなかった。
「こらこら、逃げちゃだめだよ」
キダが、聖月を逃がさないように身体を抱きしめるようにして抱え込んだ。キダが、持っていたものに聖月は目を剥く。
黒く長さは1メートルはある、物体をキダは持っていた。先ほどの青年にも使っていた、鞭そのものだった。
それを認識したとたん、キダの手が嫌悪感と不快感に成り下がって、聖月の顔は恐怖に引きつる。あの青年が受けていた鞭の姿が、フラッシュバックした。
「ひ、ひいっ…さ、触るなっ、俺に触るなーっ」
ばたばたと手足を動かして、その手から逃れようとする。聖月は、なんとか隙をつこうと、罵声を思いっきり叫んでいた。
「気持ち悪い、触るな、変態っ! この、汚らしい手で俺にさわんじゃねえよっ」
キダの動きが、ピタリと止まる。
急に静かになって、聖月はいいようのない恐怖を感じていた。しまった、やってしまった。なんて、いまさらながらに思ってももう過去のことは取り返さない。ドキドキと、キダの言葉を待っていると「はははは」と狂ったような笑い声が彼の口から発せられていた。
「あー、もうホント威勢がいいね。君みたいな子俺好きだよ」
鞭を、バシバシと自身の手に叩いて独特のリズムを刻みながら、キダは笑う。
目が、本気だった。本気で、聖月のことをこれから打つという冷酷な瞳。先ほど打たれていた青年と自分の姿がダブり脳内に浮かんだ。
「あ、あんたに好かれたって俺はうれしくない…っ」
悪態をついていても、目の前の人物が怖くて声がどうしようもなく震える。恐くて恐くて聖月は失禁をしてしまった。今の聖月には、恥ずかしいという気持ちは湧かない。かわりに感じるのは、恐怖だけだ。
「あれえ? ちょっと、ズボンが濡れているけど、もしかして漏らしちゃった?」
蔑むような視線で聖月を責める。 容姿の爽やかなイメージからかけ離れた表情に聖月はますます怯えた。
「ご、ごめんなさい」
泣きそうになりながら聖月は謝った。謝る以外の言葉が今の聖月には思いつかなかった。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…怒らないで…」
俯いて、まるで子供みたいに―――悪さをしてお母さんに云うみたいに――聖月はただ「ごめんなさい」と云った。身体は震えて、キダに縋るようにしてその場にいることしかできない。聖月は必死だった。顔を上げるのが恐かった。
「怒らないよ。だけど、子供みたいな聖月にはお仕置きしないと…ね」
ぞくっとする、甘い声で囁かれた。こんな声で囁かれてこれが…聖月が女の子だったら、こんな状況でなければ喜ぶべきなのかもしれない。が、今の聖月には恐怖しか感じない。
「い、いやだっ、ぶたないで、ぶたないでく…ッ」
風の切る音が聞こえた。だが、その次の瞬間聖月は大きな衝撃に見舞われる。
「ングッ……ィッ…」
呻き声しか出なかった。思い切り、鞭で背中をぶたれ聖月は息を瞬間的に止めた。
打たれたところから骨に響き、脳を大きく揺らされて聖月は眩暈が起きた。大きすぎる衝撃に、身体がでくのようにつんのめり、背中をいびつに撓(しな)らせる。次に出てきたのは「痛い」としかいえない、激痛だけだ。力の限り、キダは鞭を振るったらしい。
濡れた着衣を着たままだったので、打たれた所に水がしみこみ、それがまた痛みを引き起こしている。
少しでも動こうとすると、服が擦れてまた痛い。聖月ははらはらと痛みに喘ぎ泣きながらにして懇願した。
「お、お願い…ぶたないで…」
ぜえぜえと、息をしながら、涙目でキダを見詰めた。
キダは、冷酷な瞳でこちらを見る。それは聖月の希望を打ち砕くには十分なモノだった。
「一回ぐらいで泣き言吐くなんて、聖月は弱虫だなぁ」
少し興奮しているような声音で云いながら、またキダは腕を振り折ろす。またもや骨に響く激痛に、聖月はついに呻き声も声さえ出せなくなっていった。
何度も打たれていくうちに、思考がだんだんとなくなっていく。
心の中で浮かんでくるのはもうこの世にはいない両親と、兄に、クラスメイト、先生、十夜、衛、名前も忘れた友人になれなかった男の子――。それらの自分に関わってきた人たちに助けを求めながら、聖月は背中の痛みに憔悴しきっていった。
キーン…と、脳のどこかを、小さく刺激する不快な音。どこかで、なんの種類だか分からない蝉の声が聞こえる。蝉がなくはずがないのに――聖月の耳の奥でジィジィと自己主張の鳴き声を晒している。聖月は、混乱しきって上手く口が動かせなかった。
だが、やっと言葉に出てきたのはある人物への罵倒だった。
「あ、蒼っなんでさっきキスしたんだよっ! 頭おかしいんじゃねえの?! 男同士だってのに!」
手を縛られて、拘束された聖月の口から出てきた言葉は、蒼への罵りだった。
蒼はもしかして、ゲイだったのだろうか。だったら、他をあたってほしい。聖月は、まったくその気がないのだから。それとも、いつものからかいでキスをしてきたのだろうか。蒼の思っていることがよく分からなかった。
縛れているのに、その縛ったキダへの罵りはなぜだか出てこなかった。縛られて、身動きできなくて、絶望的状況なので、少し思考回路が変わっているのかもしれない。逆境のときに、考えてしまうのは、いつもと違うものが思いつくように。ベットの上で、悠々と座っている蒼はニヤニヤと笑った。
「そうだなぁ、ここにいる人間はみんな頭おかしいからなぁ」
「そう思うなら、早くこれとってくれっ」
ゆさゆさとロープを揺らしながら、必死になって訴える。とってくれさえすれば、ここから出れるのに。
懇願する顔を縋るように蒼に向けると、ふいに彼の身体が動いた。まるで、モデルみたいに綺麗な歩き方で聖月のほうへ足を運んでいる。端整な顔立ちにそれに似合った、端正な身のこなし。聖月の、目はそのすらりとした長身の蒼に釘付けになった。
やっぱり、十夜とは違う。それが、分かった。雰囲気も、顔立ちもどことなく似ているが、違う。やはり、個々の魅力を持って十夜と蒼はそこに存在するのだ。まったく違う存在なのに、似ているといった自分が恥ずかしくなるほど、蒼は美しくカッコよかった。
だが、神様は意地悪だった。予想していなかった言葉が、平然と蒼の口からこぼれる。
「はぁ? 取る訳わけねぇェじゃんっ! こんな聖月似合ってるのにさぁ!」
ギャハハ、と下品な笑い方で聖月の心を揺さぶった。
え、と口がふさがらなかった。呆れたのではない、驚き、失望したのだ。何を思って、何を考えてこんなことを蒼は発言したのか。意図が分からない。もしかしたら一生分からないほうがいいのかもしれない。
「に、にあってる…」
なにが、似合うというのだろうか。このびしょ濡れの身体で、両手を宙に浮かせながら縛られている恥ずかしく屈辱的な光景が、聖月に似合っていると彼は言っているのだ。馬鹿にされたというよりも、本当にそう思っているような口調だった。何度目かも分からない衝撃が聖月に広がる。
「そうだよ、めっちゃ似合ってる。だって、ずっと俺想像してた、聖月がこうなればいいってさぁ~」
蒼のまた、下劣な笑いが鼓膜を打つ。何を蒼は言っているんだろう。そんな言い草では、ずっと前から彼が自分にそう望んでいるような言い方ではないか。こんなのを、蒼は望んでいるのか。額に汗をかいた。全身から、嫌な汗を感じる。
何度も感じた薄気味の悪い感情。それを、今聖月ははっきりと感じた。それに気づかないふりをしながら困惑している瞳を蒼に向ける。彼は、また笑った。
「こう無表情の顔がどんな顔になるのかぁ、って思ったら楽しくってさぁ」
カッ、と頭に血が上るような、感情が湧き上がった。愉しんでいる。蒼は、こうなった聖月を愉しんでいるのだ。カードゲームをするかのように、聖月の表情や行動を見て、そんな悪趣味なゲームを愉しんでいるだ。
「なんなんだよ、頭ホントおかしいんじゃねえの?!」
掠れた叫び声が、喉に貼りついたように出てきた。蒼の目には、さっき見た狂ったとしか考えられない、鞭を打たれていた青年の周りにいた大人たちと同じような妖しい色が濃くあった。信じたくなかった。
あんな獣みたいに、自分の欲望のままに行動をしているさっきの奴らとは同じ欲望を蒼が感じているなんて、到底信じたくない話だった。だけど、目の前で嗤っている蒼は、先ほどの醜い男たちと重なって見えた。
「かもなぁ、聖月からみたら」
「誰から見てもそうだと思うけど?!」
「あーもう、うっさいなぁ~。ホント、聖月って第一印象とだいぶ性格違うよなぁ。ギャーギャー騒ぐっていうか、マジうるせぇ」
一瞬、聖月を一瞥した目が、まるで落ちているゴミを見るような表情になった。ぶるり、と身体が瞬間的に震えた。
―――怖い。どうしようもなく、蒼が怖く感じた。
壊される、と悟った。自分は、ここで俺は壊されてしまうのだ――と。これは、悪い冗談ではなく本当に起こっていることだと、聖月はやっと信じた。蒼のその表情は、今から起こる未来の聖月の不吉なソレを含んでおり、今後の自分を揶揄されていた。
蒼の自分を見た表情、ソレは人間を見る目ではなかった。無機質な何かを見ている顔。
聖月は、彼にとって生きている人間ではないのだ。ただの、玩具。もしかしたら、それ以下かもしれない。
つまりは、このまま聖月が痛がろうと、懇願しようとも、彼にとって何も響かないのだ。やっと、蒼が自分とは仲良くなっても、すべては見せてくれないだろうという聖月のなんとなく印象を抱いた理由が分かる。
息が詰まるような想いがする。蒼と十夜は違う存在なのだとまざまざと感じた。
蒼が初めにあったときと同じように見れなかった。ただ、そこにあるのは恐怖のみ。自分を助けてくれない、助ける気もないと云った表情を平気でしている蒼が聖月は怖くて仕方がなかった。
「どうした? 黙っちゃって」
手を伸ばされ、身体に触れられそうになり聖月は恐怖に駆られて身をよじった。そんな反応を見せた聖月に、蒼が露骨に不快感をあらわにした表情になる。
「なんだよ。俺に触られるのがイヤってか?」
先ほどとは、数トーン落とされた低い声で耳元で囁かれる。
「…ッ」
くすぐったい感触と、怒っていると分かる低い声に心がざわつく。ガタガタと、大げさと感じられるかもしれないぐらい体が小刻みに震えていた。蒼が近くにいるだけでも、恐怖の感情しか今の聖月には湧かなかった。
ふいに蒼の視線が、天井へと向けられた。
「俺が怖い?」
怖い、と即答しそうになる。息苦しいほどの張り詰めた空気の中で、クスリと誰かが笑う。
「あーあ、嫌われちゃったねえ、蒼」
キダが、からかうように笑った。こんな空気の中、くすりと笑ったキダにまたもや驚きとどこか畏怖の想いを聖月は思ってしまった。キダも、蒼と同じ目で聖月のことを見ていることに気づき失望する。
ここにいる人たちは、俺をなんとも思ってないんだ――そう思い知らされた気がした。
探るような目線で、蒼はキダを見た。
「キダさん…どうしましょうか」
「そうだなぁ、――――小向さんどうしましょう」
また、キダが小向に視線を送った。先ほどから小向は、ただ聖月たちを見ているだけでそこから動こうともしなかった。椅子にどっしりと腰を落とし、いるさまはまるでそこに君臨する王様のよう。この場の支配者は、口を不意にあけた。
「大人しくさせればいいじゃないか」
は?―――と、思わず声に出そうとしてしまう。
今の自分は、先ほどよりは静かなはずだが――と聖月は混乱する。
「嫌う、なんて感情を持たないぐらい…服従させればいい」
静かな低音で、そう悪魔の言葉を小向は吐いた。周りの男たちの何人かが、ああそうだなといいたげに頷いた。
――狂っている。
聖月は、その単語がぐるぐると回っていた。ここは、狂っている。ここに来てしまったからには、従わなくてはならないのだろうか…――。
パクパクと動かして魚が陸に上げられたみたいに、浅い息をしていた。うまく、呼吸という生命維持が出来ない。この後の自分を思い描いても、絶対にいいほうには傾かないというのが確実になった。なってしまった。
「ああ、そうだな。そうですね、それがいい」
グットアイディア、といいながら蒼は手を叩く。
「どうしようかな~あ、そうだ。あれにしよ」
ちゃくちゃくと、聖月に対し地獄行きの用意がされている。キダがごそごそと何かを用意しているが、聖月は見てはだめな気がして顔を俯かせた。俯いたってされることには、かわりはないのに。
ここで、このまま大人しく従ったら聖月は大変な目にあうだろう。それが、怖くて怖くて衝動に任せてロープを取ろうと必死になる。取れないだろうとは心のどこかで思っていても、必死になるしかなかった。
「こらこら、逃げちゃだめだよ」
キダが、聖月を逃がさないように身体を抱きしめるようにして抱え込んだ。キダが、持っていたものに聖月は目を剥く。
黒く長さは1メートルはある、物体をキダは持っていた。先ほどの青年にも使っていた、鞭そのものだった。
それを認識したとたん、キダの手が嫌悪感と不快感に成り下がって、聖月の顔は恐怖に引きつる。あの青年が受けていた鞭の姿が、フラッシュバックした。
「ひ、ひいっ…さ、触るなっ、俺に触るなーっ」
ばたばたと手足を動かして、その手から逃れようとする。聖月は、なんとか隙をつこうと、罵声を思いっきり叫んでいた。
「気持ち悪い、触るな、変態っ! この、汚らしい手で俺にさわんじゃねえよっ」
キダの動きが、ピタリと止まる。
急に静かになって、聖月はいいようのない恐怖を感じていた。しまった、やってしまった。なんて、いまさらながらに思ってももう過去のことは取り返さない。ドキドキと、キダの言葉を待っていると「はははは」と狂ったような笑い声が彼の口から発せられていた。
「あー、もうホント威勢がいいね。君みたいな子俺好きだよ」
鞭を、バシバシと自身の手に叩いて独特のリズムを刻みながら、キダは笑う。
目が、本気だった。本気で、聖月のことをこれから打つという冷酷な瞳。先ほど打たれていた青年と自分の姿がダブり脳内に浮かんだ。
「あ、あんたに好かれたって俺はうれしくない…っ」
悪態をついていても、目の前の人物が怖くて声がどうしようもなく震える。恐くて恐くて聖月は失禁をしてしまった。今の聖月には、恥ずかしいという気持ちは湧かない。かわりに感じるのは、恐怖だけだ。
「あれえ? ちょっと、ズボンが濡れているけど、もしかして漏らしちゃった?」
蔑むような視線で聖月を責める。 容姿の爽やかなイメージからかけ離れた表情に聖月はますます怯えた。
「ご、ごめんなさい」
泣きそうになりながら聖月は謝った。謝る以外の言葉が今の聖月には思いつかなかった。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…怒らないで…」
俯いて、まるで子供みたいに―――悪さをしてお母さんに云うみたいに――聖月はただ「ごめんなさい」と云った。身体は震えて、キダに縋るようにしてその場にいることしかできない。聖月は必死だった。顔を上げるのが恐かった。
「怒らないよ。だけど、子供みたいな聖月にはお仕置きしないと…ね」
ぞくっとする、甘い声で囁かれた。こんな声で囁かれてこれが…聖月が女の子だったら、こんな状況でなければ喜ぶべきなのかもしれない。が、今の聖月には恐怖しか感じない。
「い、いやだっ、ぶたないで、ぶたないでく…ッ」
風の切る音が聞こえた。だが、その次の瞬間聖月は大きな衝撃に見舞われる。
「ングッ……ィッ…」
呻き声しか出なかった。思い切り、鞭で背中をぶたれ聖月は息を瞬間的に止めた。
打たれたところから骨に響き、脳を大きく揺らされて聖月は眩暈が起きた。大きすぎる衝撃に、身体がでくのようにつんのめり、背中をいびつに撓(しな)らせる。次に出てきたのは「痛い」としかいえない、激痛だけだ。力の限り、キダは鞭を振るったらしい。
濡れた着衣を着たままだったので、打たれた所に水がしみこみ、それがまた痛みを引き起こしている。
少しでも動こうとすると、服が擦れてまた痛い。聖月ははらはらと痛みに喘ぎ泣きながらにして懇願した。
「お、お願い…ぶたないで…」
ぜえぜえと、息をしながら、涙目でキダを見詰めた。
キダは、冷酷な瞳でこちらを見る。それは聖月の希望を打ち砕くには十分なモノだった。
「一回ぐらいで泣き言吐くなんて、聖月は弱虫だなぁ」
少し興奮しているような声音で云いながら、またキダは腕を振り折ろす。またもや骨に響く激痛に、聖月はついに呻き声も声さえ出せなくなっていった。
何度も打たれていくうちに、思考がだんだんとなくなっていく。
心の中で浮かんでくるのはもうこの世にはいない両親と、兄に、クラスメイト、先生、十夜、衛、名前も忘れた友人になれなかった男の子――。それらの自分に関わってきた人たちに助けを求めながら、聖月は背中の痛みに憔悴しきっていった。
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