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50 明日(あす)へ
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―――さようなら、好きな人のいる国。嫌われてしまった僕の大切な人がいる国。
明日はオーストラリアに持っていく荷物を車のトランク詰め、マネージャーが運転する車の助手席に乗り込んだ。
外は蒸し返したような気温と夏の日差しが眩しい日本らしい夏日の陽気になっている。今日でこの島国独特の蒸し暑さともお別れだと思うとせいせいするのと同時に、寂しくなってしまう自分がいた。こんな暑い日だと、嫌にも思い出してしまう。
幼い自分が日本から旅立って、彼は泣かずに見送ってくれたあの日を。
今日はついに明日がオーストラリアに旅立つ日だった。あれから…半年前のあの夢のような二日間から、明日は慌ただしく日々を過ごしていた。普段の仕事に加え、オーストラリアに戻る様々な準備、関係者への挨拶などのこともあってここ数ヶ月はまともに休みが取れていなかった。
明日の我儘でこんな大規模な活動拠点の移動をさせることになって、リアスのメンバーにはとても申し訳ない気持ちでいっぱいになる。だがなんとか無事にこの日を迎えられることになって明日は嬉しく思う。
そしてこれが明日の運命なのだろうか。
今日はあの時と同じように暑い日ということは。だがあの時と違うのは樹がいないことだ。
まるでこれじゃあの日の繰り返しみたいじゃないか。
物思いにふけっているとふいに後ろから話しかけられた。
『アス、心あらずって感じだね。大丈夫?』
『…何が?』
後ろの席から話しかけられ、思わず「どうしてわかったんだ?」と言う素が出てしまいそうなところをすんでのところで抑えられた。リーダーのトーマスは、こういうところがある。妙に人の表情の変化に鋭くて、それも悪意のない純粋なモノだから余計に明日は恐ろしく感じてしまうのだ。
心配してくれるやさしいリアスのリーダーに、明日は笑顔をみせた。これまで生きてきたなかで何度も何度もやった完璧な笑顔だ。
そんな顔を見せた明日に、トーマスの隣居たリヤンとジャックは声をあげる。
『最近ちょっと忙しかったもんね。でも今日帰ったら、ゆっくりできそうじゃん?』
と、リアン。
『だなー。てかさ、向こうに帰ったらパーティーしようぜパーティー! アスも来てくれるよなぁ?』
と、ジャック。
『それってジャックがお酒飲みたいだけじゃないの?』
と、トーマスが言う。そんなトーマスの言葉にリヤンは『言えてる』と笑った。それをそんなことないと言って否定するジャック。トーマスは楽しそうに笑い、メンバーに笑顔が映える。リアスのみんなが盛り上がっていると宮田さんは運転しながらつけていたラジオ音量を下げる。明日は微笑み、その光景を見つめていた。
本当にいつもの光景だった。だからなのだろうか。今から日本から飛び立つことという事実に現実感がなかった。
明日からオーストラリアに拠点を戻そうと言ったとき、メンバーはそれぞれ違う反応をした。
リヤンとジャックは日本にあまりなじむ気もなかったし、むしろ向こうに拠点を戻すことに対しては歓迎していた。ジャックなんて嬉しそうに涙ぐんでいたぐらいだ。だが2人とは対照的に、リーダーのトーマスは中立的な態度をとった。まっすぐ明日の瞳を見つめ、意見を言う彼はやはり明日のことをすべて見透かしているように見えた。
『アスがそれでいいならいいけど…。僕は日本のファンも好きだからちょっと残念かな。…まあ、でも急だしファンも寂しがるかもね。…ねえ、本当に大丈夫? アスは家族とか友達とかに…会いたい人に、会いたくて戻ってきたんだよね…?』
『…うん。平気だよ』
―――目的だった≪幼馴染≫にはもう彼女が居て、それでそのまま振られちゃって、無理やり僕の彼女になってもらって、でもまた振られて。僕はもうその≪幼馴染≫の傍にいる勇気も資格もないからこの国から逃げちゃう臆病者なんだ。
そう本当のことをトーマスに言ってしまいたい衝動にかられた。だが明日はまた嘘をついた。平気だよと言った明日に、トーマスは頷いた。
『そっか。何か不安なことがあったら言ってね。…まあ僕には話したくないこともあるんだろうけどさ』
やさしい、深くは聞かないリーダー。明日はどれだけこのリーダーに救われたのか分からない。
明日は思考をやめ、バックミラーを一瞥した。普段通りのメンバーに…――心配してくれたトーマスが特に自分の変化に突っ込まなくてほっとしていた。
『皆さん、そろそろ着きますから準備お願いします』
マネージャーの宮田の言葉を聞いて、メンバーは「はい」と返事をした。窓の外を見れば、空港が近いので近い距離で飛行機が飛んでいる。普通の人であったなら滅多に見ない光景だが、よく海外を飛び回る明日たちには珍しくない光景だ。
その離陸したすぐの飛行機をみて、明日はあの飛行機に乗るのかとぼんやりと考えていた。
明日の頭にはオーストラリアに帰ると言ったとき、当時中学生の樹が小さな子供のように驚いた顔をしていた姿が浮かんでいた。
明日たちは有名人なので、帰国する日付けは公表したが、乗る飛行機や時間などはファンやマスコミには伝えていない。もし伝えたらマスコミやファンが押し寄せることは想像できるので、それだけは機密事項だった。
だがやはり想像は出来たが、時間を知らせていないのに空港にはRe:asu-リアス-ファンが朝早くから集まり、それをネタにしいようとマスコミも集まり人がごった返していた。結局リアスは大勢のファンとマスコミでにぎわう空港内を警備員たちに厳重に守られながら進むことになったしまった。
『やっぱり有名人は辛いぜェ』
そんな口ぶりだがまんざらでもない様子のジャックは、ファンに手を振りながらご丁寧に求められればサインまでしている。リヤンもトーマスも同様で、ファンサービスをしっかりしていた。黄色い声と少しでも記事を作ろうとするインタビュアーの声がそこら中に聞こえる。
いつもは出来るはずのファンサービスも今の明日にはどうしてかやる気力が全く起きなかった。
明日がファンや大量のカメラに対し力なく手を振っていると、どこからか懐かしい声が聞こえた。
「あー…ちゃ」
「え?」
明日は思わず立ち止まった。そしてきょろきょろと顔を大きく動かしながらその声の主を探した。
「あーちゃんっ」
黄色い声に交じって、確かに聞こえた。自分を呼ぶ愛おしい声が。そして明日は見つけた。大勢の人に埋もれ列のはじにいた、愛おしい人を。
「イズッ!」
そこからはもう、何をしたのか自分でもよく覚えていない。目の前が真っ白になって、衝動と言う電撃が身体中に走ったことだけを明日ははっきりと覚えている。
突然叫んだ明日にメンバーも、ファンもマスコミも、もちろん樹だって驚いていた。明日はすぐに樹の傍に駆け寄り、制止する大勢の人や樹の小さな抵抗を振り切り、樹の腕を引っ張ってとにかく走った。樹の腕は男だけど細くて、壊れてしまわないか不安だった。
空港の中を出て、とにかく無我夢中で人の居ないところまで走った。
「あーちゃんっ、横っ腹と腕がいたいっ…!」
「ぁ、…ごめん…」
樹の悲痛な言葉で明日はやっと我に返った。立ち止まった二人は息を荒くし、呼吸を整える。いつの間にか知らない空港の近くの道に2人は立っていた。二人は息を切らせ、対面する形で向かい合っていた。樹を見るのは久しぶりで、久しぶりに会うからだろうかどこか大人びて見えた。
妙な間が空いてから樹は早口で言う。
「俺はただ少しだけ言いたかっただけなんだけど、急に走るからびっくりした…」
「…うん」
しゅんとした明日に、樹は大きく自身の髪をかき混ぜた。そしてき顔を真剣な表情にし、明日と目をしっかりとあわせる。その樹の瞳がキラキラと輝いているように見えて、妙に緊張して心臓が張り詰める。
「あの…話っていうのは…俺、謝りたくて。俺、あーちゃんに嘘ついてたから」
「…嘘?」
ドクンドクンと心臓が嫌に響いた。明日は樹の言葉を反芻し、思わず胸に手を置いた。樹がとても真剣な表情で申し訳なさそうに言葉を紡ぎ、声も震えていたから余計に明日は悪い方向に考えてしまう。やってきたライブなんて比ではないぐらい今にも倒れてしまいそうな気分だった。
だが樹から言われた言葉は、明日の想像以上のことで違う意味で卒倒しそうになった。
「俺…あーちゃんのこと好きなんだ」
樹の言葉は脳に直接電撃を食らわせられた。
樹の嘘ついているとは思えないはっきりとした声に、明日は今度こそ都合のいい夢を見ているんじゃないかと思い始めていた。
これは全部夢で、あの空港にいたときから今の自分は、この日差しの強いなかで白昼夢でも見ているのではないか。今の状況に信じられない明日は真剣にそんなことを考えていた。
明日は今にも倒れそうになりながら、言葉を紡いだ。
「…夢でもみているのかな? だって、イズ…彼女、いたじゃん、僕のこと、それでことわったじゃん…」
だからあんなことをしてしまったのに。明日は混乱状態のまま目の前の想い人に問いかけていた。
「ごめんなさい。…彼女がいるっていうのは嘘なんだ。あの子はただの友達で」
樹は苦虫を潰してしまったみたいな、凄い苦しそうな顔をしていた。本当に申し訳なさそうで、明日の目にはまったく嘘をついているように見えない。
「いっしょに手をつないでいたのに…?」
だがやはり信じられない明日は、疑問を口にしていた。今でも思い出すのだ。あの制服を着ていた樹と仲よさそうにあるく同級生に見える女の子の姿―――絶望の瞬間のことを。樹はさらに口を歪め、あの時の真実を語る。
「その子がストーカーの被害に遭ってるって言ってたから、彼氏のフリを頼まれてたんだ…もう彼氏のフリはしてないよ。ずっと騙しててごめんなさい…」
瞬間、強風が吹き、2人の服や髪を嵐のようにグチャグチャにした。
「……そうだったんだ…僕ずっと勝手に勘違いしてたんだ…」
樹の口から語れる真実に、明日は魂が抜けたみたいな気分だった。その告白が人生で一番の衝撃を受けた明日は、ふらついた身体を支えるために今いる橋の手すりに寄りかかった。風がごうごうと強く吹き荒れて、ギュッと吹き飛ばされないように明日は手すりを握る。
本当はその場で明日は座り込んでしまいたかった。でもそれはしなかった。好きな人の前だから。
そう、だったのか―――。全部、俺の勘違いで…―――。じゃあ、今まで僕がしてきたことはなんだったのか…そこまで考えて、ふと明日は思う。
「でも…なんで、あの時そう言わなかったの…」
明日の気が抜けた声の問いに、樹は真っ直ぐに明日を見た。それはぞっとするほど綺麗で明日はついつい見てしまう。こんな綺麗な樹を見れたのならもし全部これが夢でも嘘でもいい…明日は真剣にそんなことを想っていた。
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