RIP IT UP

元森

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 その後も、3人からの嫌がらせは続いた。
 義孝はどうして、こんなことになってしまったのか全然分からなかった。小さな嫌がらせ、と言っても義孝にはとんでもなく大きなものに思えた。思春期というアンバランスな時期に、受験も重なっていて、義孝の心は殺伐としていた。
 毎晩震えながら学校に行くのが嫌だった。あの3人を見るだけで、気持ち悪くなってしまう。弱虫だと自分でも思っていたけれど義孝にはどうしようもできなかった。家には義孝を忌み嫌う母がいたし、義孝の居場所はどこにもなかった。
 ―――唯一の居場所は、部活だった。
 柔道をやっていると、何にも考えなくていい。ただ無心になって部活に打ち込めば、どうにかなるのではないかと思っていた。まだ中学生だった義孝は現状の解決策を思いつかなかったのだ。
 時間が経てばあの3人が義孝をいじめるのをやめてくれるのではないか――…そんな小さな希望を持って義孝は柔道で気を紛らわせていた。悪く言えば、柔道のほうにばかり打ち込んで逃げていた。あの3人との解決策を見出せるのを諦めてきっていたのだ。
 義孝は臆病者だった。
 いっそのこと、投げ技をして月村たちを懲らしめようと思った。だが、義孝にはそんなことをする勇気もないし、柔道を一般人に使うのは気が引けた。
 しかも、試合でもないのに、暴力事件を起こしたら部活全体に迷惑をかける。それだけは避けたかった。
 人に相談しようかと思ったけれど、それも出来ない。理由はあの月村たちの目もあったし、彼らの親だ。特に月山は金持ちとして有名で、中学校でも幅を利かせていた。モンスターペアレント、というより街の支配者という言葉が似合う。
 そんな両親に目をつけられるなんて、義孝には無理だった。隠蔽、だとか、金にモノを言わせる――そんな別世界みたいなことを普通にやってみせる親として月村の両親は有名人だった。
 実際月村たちを本気で怒っていない先生たちを見れば、それは明らかだった。普通であったならば謹慎・停学処分―――そんな処分を月村たち3人は受けているはずだ。
 そんな危ない3人に目をつけられて、義孝は震え上がるぐらい怖い。ビクビクとしながら毎日を過ごしていたある日。
 それは、6月の終わり頃。梅雨の時期。その日は霧雨が降っていて、じめじめとした日だった。
 義孝は、梅雨がそのころから嫌いだった。義孝の黒髪は癖毛なので、雨の湿気で髪がボサボサになってしまうのだ。それが嫌で仕方がない。少し雨男である義孝だったので、梅雨の日が永遠に続くのではないかと思うほど毎日が雨だった。
 空気も生ぬるいし、肌に張り付くシャツも鬱陶しくて梅雨は嫌いだった。
 はぁ、とため息を吐いて、朝に最悪の席に座る。後ろには月村がいる。
 後ろから殺気を感じたが、感じていないふりをして佐藤が座っている席に向かった。最近は、これが日課だった。カバンを置いて授業の用意したらショートホームルームが始まるまで佐藤の席に行って時間を潰す。
 佐藤も理由を察してくれているので文句も言わない。それがありがたくてしょうがなかった。
「おはよう、鈴岡。今日もこえぇな」
 ぼそっと、佐藤が義孝のほうへ耳打ちをする。
「な。まだかな、席替え。怖いし」
 クラスにはまばらに人が集まっていた。みんな月村、矢花、田鍋がいると小さくクラスメイトと話すのが常だった。クラスメイトは、みんな月村たちを怒らせないように必死だ。まるで恐怖政治みたいだ。
「だよなぁ。もう3週間ぐらいたってるし、もうやってもいいと思うけど」
 ため息をつきつつ、佐藤が言うと、義孝も同調した。
「あの先生、何考えてんだ。意味わかんねえ」
 ぼそぼそと喋っていると、どこからか不穏なものが流れてくる。クラス全体が重々しい感じがしていた。
「しかも雨続いてるし、俺の学ランめっちゃ湿ってる」
「ホントだ。めっちゃ湿ってんじゃん」
 佐藤は、そういって着ている学ランを見せてくる。手を突き出されたので、学ランに触った。義孝の指には、雨と思われる湿った水がついた。外の窓を見れば、霧雨が降り続きどんよりと雲が暗いものになっている。
「お前、なんか持ってるんじゃね?」
 そんなことを言うので、義孝は笑ってしまった。
「まあな。長年ちょっとした雨男やってるし」
「おいおい、マジかよ。お前と遊ぶと、結構な確立で雨だしな。おめえのせいか」
 佐藤が責めるように、けらけら笑っているので義孝も笑った。
 その瞬間、大きな音が響き渡った。ビクリとして、その音の場所を見ると月村たちがいた。月村のその手には、傘を持っている。その瞬間を見ていなかったから義孝にはよく分からないけれど、きっとあの傘が原因だ。
 クラス全体が静まり返り、少し経ってから月村たちが感じ悪くゲラゲラと笑っている。皆は関わりたくないので、さっと自分たちのやっていたことに戻る。それは、佐藤と義孝も同様で視線を元に戻した。
 怖い…――。
 義孝は、率直に思う。どうして、あんなことが出来るのか義孝には分からない。やっぱり、あの人たちは関わらないほうがいい。
「……雨、やまねぇな」
 小声で佐藤が言った。あまりにも、無理やりな話題だった。
 佐藤の声は、小さく震えていた。義孝も、上の空のように呟いた。
「そうだな」
 
 
 悪いことは何度だって起こるものだ。今日はその代表な気がした。
 2時間目が終わり、一息をついていると後ろから声をかけられた。その声の主は、矢花だった。月村、田鍋はどこかに行ってしまっている。彼の金髪は、急に不穏なものを感じさせるものがある。本能的に危ないと言っているように。
「あのさ」
 義孝は、ビクリとして横を見た。そこには、一重で眉がない矢花がいた。彼は妙な存在感がある。顔を見ているだけで、不安な気分になってくるのだ。心臓はドキドキと嫌な鳴り方をしていた。
 義孝のことを見ている矢花の顔は冷たかった。義孝を人として見ているのではない――そんな表情だった。そう思うと、義孝はぞっとした。
「今日の昼休み、体育倉庫の前に来てくんねぇ?」
「…っ」
 今日の昼休み、体育倉庫の前に来てくんねぇ―――。
 義孝は、一瞬何を言われているのかわからなかった。困惑して固まる義孝に、矢花はいやらしく笑っていた。それはとても感じのよくない笑みだった。馬鹿にしてるということが分かるそんな笑い方だった。
 恐怖で何も言えない義孝に、矢花は無視して言葉を続けた。
「アンタに拒否権はないよ。だって、成吾がそういってるんだし」
 圧倒的な、威圧感。義孝は、思わず口を開けた。
「…ぁ」
 返事をする前に、矢花は教室から出て行った。義孝の頭の中は、真っ白だった。どうしていいかわからない。
 ぼうっとしてこれからどうしていいのか、見当もつかない。義孝の心の中では、嫌だ行きたくないと、本能的に叫んでいる。義孝は、心からそう思っている。なのに、行かなきゃいけないということは、分かっていた。ここで、逆らったって何にもイイコトはないってことは、はっきり分かるのだから。
 行っても良くないことが起こると分かっているが、無視して行かないのはもっと駄目な結果になるに決まっている。
 逆らえば、もっと嫌がらせがエスカレートするのは明白だ。究極の選択、というにはあまりに理不尽だ。行ったって、行かなかったって、最悪の結末になるわけなのだから。
 行って何をされるかと思うと、義孝は嫌でしょうがない。勝手に未来を考えてしまって地獄に落ちたような気分になる。
 身体が勝手に震えて、心は切り裂いたみたいに鋭く痛む。
 結局義孝に用意されたものは、唯一つの答え。義孝は覚悟を決め、唾を飲みこんだ。
 その日の昼休み。
 ちょうど――なんてことを言いたくはないけれど、佐藤は先生に呼び出されていない。これ、佐藤に昼休み自分が教室にいないということがバレない。義孝はお弁当の蓋を開けたが食べる気がしなくて閉めた。
 背中に、死神が乗ってる。それぐらいふらふらと義孝は覚束ない足取りをしていた。顔も悲惨なことになっていたのだろう。廊下で義孝の横を通った下級生と思われる女子が、ぎょっとした顔で義孝のことを見ていた。
 ―――この顔のせいで。この顔のせいじゃなかったら、こんなことにはならなかったはずだ。
 義孝は、泣きそうになりつつ、体育館倉庫に向かう。霧雨の中、外にある体育館倉庫に向かう生徒なんて義孝ぐらいだった。
 笑いたくなるのを堪えて、体育館倉庫へ足を向けた。もう、どうにもなれ。そんな投げやりな思考になっていったのは否めない。
 外に出ると、霧雨が降っている。それを浴びながら、義孝は独特のリズムでゆっくりと歩いた。やがて、目的の場所につくと、月村・矢花・田鍋の3人が体育館倉庫の前にいた。3人のオーラは異質で、出来ることならば近づきたくなかった。
「あぁ、やっときたぁ」
 独特のイントネーションで、月村がこっちに手招きした。ゾッとして、どうしようもなく震えた。月村のほうが、義孝よりも身長がないのに、どうしてこんなに怖いのだろう。
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