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第1話 マーゴットの長い夢

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「――いいかい、シンデレラ。私の話をよくお聞き。あなたの着ている美しいドレスやカボチャの馬車、ネズミの御者は夜の12時の鐘とともに魔法が解けてしまう。それまでに必ず舞踏会を抜け出して、家に戻ってくるんだよ。さあ、お行き。時間はそれほど多くはないのだから――」

 街の大きな中央図書館に入ると、絵本の読み聞かせをしていました。
 子どもたちは、少女にかけられた魔法に目を輝かせているのです。
 それは、誰もが知っているおとぎ話で、話の内容も結末も、みんななんとなく知っていることでしょう。
 私は子どもたちの後ろに立って、一緒に絵本の読み聞かせを聞いていました。

 ――私の名前は松本まりな。
 好きなものは童話、おとぎ話、メルヘンの世界。
『白雪姫』や『赤ずきん』、『不思議の国のアリス』など、摩訶不思議でユーモラスな世界は、子供の頃から私をワクワクさせました。
 そして、お姫様や不思議な冒険を繰り広げるヒロインといった存在に憧れるようになったのです。
 しかし、別にお姫様を迎えに来る白馬の王子様に憧れているわけではありません。
 私はあくまでも、物語の中で頑張っている女の子を見るのが好きなのです。

 そんな私が見た、長い長い夢の話をしましょう。

 ある日の朝、カーテンから差し込む光で目を覚ましました。
 うーん、と伸びをすると、木の香りがすることに気がつきました。
 周りを見回すと、そこはいつもの私の部屋ではありません。
 天井、床、柱、ベッドまで木製でした。見慣れない木造の部屋に、私はいたのです。

「うーん……? ここ、どこ?」

 私は不思議に思いながら、部屋を見渡しました。
 木製の家具や、曇りかかった鏡台は、なんだか昔のヨーロッパのような時代感を感じます。
 いかにも童話の世界にありそうな部屋だ、と私は寝起きのふわふわした頭で思っていました。
 そこへ、ドアをノックする音が聞こえました。

「マーゴットお義姉様、朝食の用意ができました」

 私を「マーゴット」と呼ぶ少女は、おどおどと怯えたような目で私を見ていたのです。
 私は思わず声をかけました。

「あなた、大丈夫……? そんな痩せ細って、しかも頭が真っ白よ……?」

 頭が真っ白というのは、白髪、というわけではなく、なにか灰のようなものが頭にかかっているからでした。頭だけではありません。肩にも灰が降り積もっていて、身体中灰まみれです。いったいどんな環境で生活していたらこうなるのか。
 しかも、見るからに栄養不足でガリガリの少女は、ろくに食べ物も与えられていないのだろうと思えました。
 少女は、声をかけた私を、驚いたような目で見たのです。

「お義姉様が、私の心配をするなんて……」

 私には、妹はいない。こんな少女は知らない……。
 ……いや、頭の中に情報が入ってくるのを感じました。なんだ、この感覚は。

「ちょっと、いつまで待たせるのよ! いい加減、お腹がぺこぺこなんだけど!」

「ヴァネッサ、もう少しお我慢なさい。マーゴットだって女性として、朝の準備というものがあるのだから」

 ズカズカと木造の階段を昇ってくる音がして、また別の女性が部屋にやってきました。

「あーもう! 全然お姉ちゃんの朝の準備手伝ってもいないじゃん! 何ちんたらしてるのよ、役立たず!」

 ヴァネッサと呼ばれた少女が、灰まみれの少女の背中を蹴飛ばしました。

「も、申し訳ございません……! すぐに準備いたしますので……!」

「言われてから行動に移しても遅いっつーの! このグズ!」

「この子に言っても今更でしょう。3分あげるから、すぐにマーゴットの朝の支度を手伝いなさい。いいわね、『シンデレラ』?」

「はい……お義母様……」

 頭の中に情報が流れ込んでくるのを感じました。
 私の名前はマーゴット。
 私の実の妹、ヴァネッサ。
 実の母、イライザ。
 そして、この灰をかぶった少女は、義理の妹――シンデレラ。

 私は、童話『シンデレラ』の世界に入り込み、よりにもよって、シンデレラの義理の姉になってしまっているのです。
 私は、サァーっと顔から血の気が引いていくのを感じました。
 何故なら、私はこの物語の結末を知っているから。
 もしも、この世界が原作のとおりに話が進むなら、義理の姉ふたりは、シンデレラの結婚式で鳩に目をつつかれて潰され、失明して破滅の道を歩むことになるのです。
 
 このまま話が進んだら、非常にまずい。

 私は夢であってほしいとほっぺたを思い切りつねりましたが、痛みにうめくことになります。
 目が覚めない。痛覚がある。これは夢じゃない。

「マーゴットお義姉様……? 何をなさっているのですか?」

 シンデレラが不思議そうな顔で私を見ていました。

「だ、大丈夫……なんでもない。3分しか時間を与えられてないのよね。手早く準備しましょう」

「え? は、はい……」

 シンデレラは私の反応にびっくりしたような顔をしているのです。

「私、なにかおかしなこと言った?」

「い、いえ……いつものお義姉様なら、その……3分では間に合わないようになさるから……」

 ズキンと胸が痛みました。
 そうだ、この子はシンデレラなんだ。義理の母親と姉たちにいじめられ続ける、かわいそうな灰かぶりの少女。私も――マーゴットも、シンデレラをいじめていたのです。
 この場合、私はどう行動するのが正解なのだろう。
 原作通りに話を進めれば破滅エンドしか待っていません。なんとかそれを回避して、あわよくば、元の世界に帰る方法を見つけなければ。

「いつもごめんなさいね、シンデレラ。今日は機嫌が良いから、3分で終わるようにしてあげるわ。私もなるべく自分で準備するようにするから、それを手伝ってくれるだけでいい」

「あ、ありがとうございます……!」

 シンデレラは、感激しているのか、頬を紅潮させていました。
 私は顔を洗う代わりに手渡された、水に濡らしたタオルで顔を拭きながら、シンデレラに髪をブラッシングしてもらったのです。
 着替えた私が階段を降り、食卓につくと、イライザが時計をチェックしていました。

「朝の準備に5分もかかったね?」

「お、お許しください、お義母様……」

 シンデレラはブルブルと震えています。
 きっと、普段からキツい「しつけ」を受けているに違いありません。

「まあまあ、いいじゃない、お母様。シンデレラは丁寧に私の寝癖を直して、こんなに綺麗にブラシを入れてくれたのよ。こんなブロンドのサラサラヘアー、憧れてたのよね」

 私がそう言うと、イライザもヴァネッサも目を見開いて驚いていました。

「お姉ちゃん、頭でも打った? なんでこんな灰かぶりに優しくしてんの?」

「今日の私は機嫌がいいのよ。こんなに天気のいい気持ち良い日にまで、この子をいじめる気は起きないわ」

 私は適当な理由をつけましたが、イライザは納得しません。

「ちょっと、シンデレラ。マーゴットの髪に灰がついているわ。私の娘を汚すなんて、本当に汚らわしい」

「お母様、しょうがないでしょう。こんなに灰をかぶっている状態で私に触れたら、灰が移るのは当たり前だわ。汚らわしいなんて言うなら、この子をお風呂に入れてあげないと」

 私がシンデレラをかばうと、母と妹はますます怪訝そうな顔をするのです。

「マーゴット、あなた、今日はなんだか変よ。いつもなら率先してシンデレラを張り倒すのに……」

「そ、そんなに変かしら……? そんなことより、早く朝ごはんを食べましょう。私、もうお腹が空いちゃって、何も考えられないわ」

「そうね、私もうお腹ペコペコ。食べましょう、お母様」

 ヴァネッサも私に賛成してくれて、やっと私たちは朝食にありつくことができました。
 シンデレラは私たちが食べている間、じっと立って、私たちを見つめています。
 私たちのコップのミルクが少なくなった頃合いを見て、ミルクを足してくれるのでした。まるでウェイトレスのような扱いです。

「ごちそうさま~」

 ヴァネッサは一番早く食べ終えましたが、皿にはレタスが残っていました。

「野菜もちゃんと食べなさいよ、ヴァネッサ」

「え~? 野菜まで食べちゃったら、シンデレラが餓死するのはさすがにかわいそうじゃない?」

 ヴァネッサはケラケラ笑ってそう言ったのです。
 私は絶句してしまいました。
 この家の人間は、シンデレラに残飯を食べさせて、かろうじて生かしている状態なのです。
 シンデレラがガリガリに痩せ細っている理由も、推して知るべし、といったところでした。
 私の脳には、どんどん過去の記憶を思い出したかのように情報が流れ込んできます。
 私が、私たちが、今までシンデレラにどんな残酷な仕打ちをしてきたか。
 頭痛と吐き気が襲ってきました。

「マーゴット? 大丈夫?」

 イライザが心配そうに私の顔を覗き込んでいます。

「ちょっと、灰かぶり! アンタ、お姉ちゃんの皿に腐った料理でも入れたんじゃないでしょうね!」

「いえ! 決してそんな!」

「だ、大丈夫よ、お母様にヴァネッサ。まだ寝起きで本調子が出てないだけだから……」

 私は青ざめた顔に無理やり笑みを浮かべました。
 この世界に天国と地獄があるとしたら、私たち三人は間違いなく地獄に落ちることでしょう。
 それだけのことを私たち――私が転生したのか憑依したのかわかりませんが、マーゴットと呼ばれる女がやったのです。
 私は背中が冷や汗でびしょびしょになるのを感じていました。
 この状況をなんとか打開して、破滅エンドを回避しなければ、私に未来はないでしょう。

 果たして、私は『シンデレラ』の世界の物語を書き換えて、元の世界に帰ることができるのか。
 松本まりな改め、マーゴットだけが未来を知っている、孤独な闘いが、ここに幕を開けたのでした……。

〈続く〉
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