2 / 3
第2話 姉に復讐したい妹の願い
しおりを挟む
「私、言ったよね? 今日ちゃんとゴミ出ししとけって。今日、燃えるゴミの日なのよ? 来週まで生ゴミをそのままにしとくつもり?」
「ごめんなさい、ごめんなさい……殴らないで、殴らないで……」
嗚咽とともに泣きながら震える声と、バシッ、バシッと平手打ちする音が部屋の中に響く。
結城ゆいは、姉のゆかりに暴力を振るわれていた。
姉とのふたりきりの生活が始まったのは、一ヶ月ほど前からのことである。
親の仕事の都合で、両親が海外赴任することになったのだ。
ゆいは二十五歳、姉のゆかりは一つ違いの二十六歳である。
彼女たちは小さい頃から序列が決められていた。姉がゆいに暴力をふるい、彼女を恐怖で支配していたのである。
髪の毛をつかまれて床を引きずり回されたときのトラウマを、ゆいは未だに抱えている。
二十五歳になった今でも、姉に話しかけられただけで内心萎縮してしまう。
そんな姉と、親という緩衝材のない状態でひとつ屋根の下で共同生活を送れと言われたときのゆいの気持ちを想像してみてほしい。
「ただいま……」
ゆいはボソリと独り言のように暗い声で帰ってきた。
姉はゆいの存在に気付いていないようで、動画サイトを見てはゲラゲラ笑っている。
ゆいは仕事を終えて家に帰ったら、まず夕食を作らなければならない。姉は料理が下手なのだ。
姉は仕事をしていない。いわゆるニートだ。一時期お小遣い欲しさにバイトをしていたようだったが、サボりがちだったので、すぐクビになったようだ。
(こっちはバイトから帰ってクタクタなのに、長女っていうのはそんなに偉い立場なのかしら……)
内心腹が立ったが、ゆいは姉に恐怖を感じているため、面と向かって文句が言えない。姉ににらまれただけで何も言えなくなってしまう。以前、「家事分担くらいしてよ」と口答えしたら返事の代わりに拳が飛んできた。それ以来、黙って自分で家事をしている。
姉との生活に限界を感じていたので、海外の親に助けを求めたこともある。しかし、親の返事は「ゆかりの面倒を見てやって」それだけだ。親にとっては妹より姉のほうがお気に入りの娘だったのだ。姉は顔だけは可愛く、学生時代は読者モデルをしていたこともあったのである。
ならばこの家から逃げ出そうと一人暮らしできる物件を密かに探しているが、バイトの収入だけでは家賃を払えそうな物件がない。家賃を払うだけでバイトの収入が吹っ飛ぶのだから、その上に電気代やガス代など支払えないし、買い物すらもできない。結局、彼女はこの家に縛られ続けるしかない。ゆいは生きながらにして死人のような生活を送っていた。
ある日、とうとう彼女の精神は限界を迎えた。
「洗濯しておいたから」と姉に自室まで来られて洗濯物を床にポイと投げ捨てられたのを見て、彼女の中でなにかが爆発した。
一日だけでいい、物理的に離れたい。
ゆいは着替えと財布とスマホ、充電器などをカバンに詰めて、家を出た。
温泉街の一番安いホテルに部屋を取り、温泉に入って日頃の疲れを取った。命の洗濯というのはこのことだろう。自分の中のもやもやした汚れが落ちていくような感覚だった。
久しぶりにひとりの時間を満喫し、リフレッシュした気分だった。
でも、それは一時的なものだった。スマホを何気なく見ると、メールの通知が来ていて、中を開けば、姉からのメールが十件以上並んでいる。
『今どこにいるの、早く家に帰ってきて、私の夕食を作ってよ』
げんなりした。ゆいの腹の中に、またどす黒いもやもやが溜まっていく。
結局、姉を根本的にどうにかしないと、自分が救われることはないのだ。
「誰か、助けて……」
ゆいが目に涙を浮かべながら、そうひとりごちたときである。
「いいよ」
自分一人しかいないはずの部屋に、誰かの声が聞こえ、びくりと肩を震わせる。
「だ、誰!?」
振り向くと、中性的な顔立ちの天使が立っていた。
「ボクはカナエル。天使カナエル。キミの願いを叶えに来たよ!」
そう言って、彼は背中の翼をはためかせる。本物の翼だ。
「願いを……叶える? なんでも?」
「そう、なんでも」
ゆいの今の頭の中には、復讐しかなかった。
「私には姉がいるの。彼女が最初から存在しなかったことにして。アイツは天国にも地獄にも行けない、最初からいなかったことにするのがふさわしい!」
「いいよ。キミの願いはもう叶った」
それだけ言って、ゆいがまばたきをした瞬間には、もうカナエルはいなかった。
ホテルをチェックアウトして、早速家に真っ直ぐ帰ると、姉は家にいなかった。
海外の親に、「私って何人姉妹だったっけ?」とメッセージを送れば、「いきなり何? うちはあなたひとりっ子でしょ?」と不思議そうな返事が返ってきた。
やっと姉の呪縛から解放された。心の安寧を手に入れた。
ゆいはしばらく喜んでいたが、数日経って異変に気づいた。
姉がいなくなってから、家の掃除が行き届いていないことに気付いたのだ。
姉はゆいに家事をすべて押し付けているように見えたが、実際にはゆいが掃除をしても見落としがあったところは、姉が仕上げに綺麗にしていたのである。
皿洗いも、洗濯もそうだ。ゆいが気付いていないところで、姉は密かに彼女をフォローしてくれていたのだ。
(お姉ちゃんは、ニートだったけど、自分のできる範囲のことはちゃんとやってくれてたんだ……)
ゆいの心には、少し寂しいものが残った。
自分の復讐は、正しかったのだろうか。もしかしたら、お互い本音をさらけ出して、腹を割って話せば、分かり合える部分もあったんじゃないのか。
しかし、もう姉は戻ってこない。最初から存在しないことになってしまったから。彼女はもう、天国にも地獄にもいないから、天使カナエルが連れ戻すことも出来ない。
もう取り返しのつかないことをした自分は地獄に落ちるのだろうなと思いながら、ゆいは一人分だけの夕食を作っていた。
天使カナエルは、そんなゆいを見守りながら、「願いが叶ってよかったね!」と言い残して、次の願いを叶えるために、翼をはためかせて飛び去っていくのであった。
〈了〉
「ごめんなさい、ごめんなさい……殴らないで、殴らないで……」
嗚咽とともに泣きながら震える声と、バシッ、バシッと平手打ちする音が部屋の中に響く。
結城ゆいは、姉のゆかりに暴力を振るわれていた。
姉とのふたりきりの生活が始まったのは、一ヶ月ほど前からのことである。
親の仕事の都合で、両親が海外赴任することになったのだ。
ゆいは二十五歳、姉のゆかりは一つ違いの二十六歳である。
彼女たちは小さい頃から序列が決められていた。姉がゆいに暴力をふるい、彼女を恐怖で支配していたのである。
髪の毛をつかまれて床を引きずり回されたときのトラウマを、ゆいは未だに抱えている。
二十五歳になった今でも、姉に話しかけられただけで内心萎縮してしまう。
そんな姉と、親という緩衝材のない状態でひとつ屋根の下で共同生活を送れと言われたときのゆいの気持ちを想像してみてほしい。
「ただいま……」
ゆいはボソリと独り言のように暗い声で帰ってきた。
姉はゆいの存在に気付いていないようで、動画サイトを見てはゲラゲラ笑っている。
ゆいは仕事を終えて家に帰ったら、まず夕食を作らなければならない。姉は料理が下手なのだ。
姉は仕事をしていない。いわゆるニートだ。一時期お小遣い欲しさにバイトをしていたようだったが、サボりがちだったので、すぐクビになったようだ。
(こっちはバイトから帰ってクタクタなのに、長女っていうのはそんなに偉い立場なのかしら……)
内心腹が立ったが、ゆいは姉に恐怖を感じているため、面と向かって文句が言えない。姉ににらまれただけで何も言えなくなってしまう。以前、「家事分担くらいしてよ」と口答えしたら返事の代わりに拳が飛んできた。それ以来、黙って自分で家事をしている。
姉との生活に限界を感じていたので、海外の親に助けを求めたこともある。しかし、親の返事は「ゆかりの面倒を見てやって」それだけだ。親にとっては妹より姉のほうがお気に入りの娘だったのだ。姉は顔だけは可愛く、学生時代は読者モデルをしていたこともあったのである。
ならばこの家から逃げ出そうと一人暮らしできる物件を密かに探しているが、バイトの収入だけでは家賃を払えそうな物件がない。家賃を払うだけでバイトの収入が吹っ飛ぶのだから、その上に電気代やガス代など支払えないし、買い物すらもできない。結局、彼女はこの家に縛られ続けるしかない。ゆいは生きながらにして死人のような生活を送っていた。
ある日、とうとう彼女の精神は限界を迎えた。
「洗濯しておいたから」と姉に自室まで来られて洗濯物を床にポイと投げ捨てられたのを見て、彼女の中でなにかが爆発した。
一日だけでいい、物理的に離れたい。
ゆいは着替えと財布とスマホ、充電器などをカバンに詰めて、家を出た。
温泉街の一番安いホテルに部屋を取り、温泉に入って日頃の疲れを取った。命の洗濯というのはこのことだろう。自分の中のもやもやした汚れが落ちていくような感覚だった。
久しぶりにひとりの時間を満喫し、リフレッシュした気分だった。
でも、それは一時的なものだった。スマホを何気なく見ると、メールの通知が来ていて、中を開けば、姉からのメールが十件以上並んでいる。
『今どこにいるの、早く家に帰ってきて、私の夕食を作ってよ』
げんなりした。ゆいの腹の中に、またどす黒いもやもやが溜まっていく。
結局、姉を根本的にどうにかしないと、自分が救われることはないのだ。
「誰か、助けて……」
ゆいが目に涙を浮かべながら、そうひとりごちたときである。
「いいよ」
自分一人しかいないはずの部屋に、誰かの声が聞こえ、びくりと肩を震わせる。
「だ、誰!?」
振り向くと、中性的な顔立ちの天使が立っていた。
「ボクはカナエル。天使カナエル。キミの願いを叶えに来たよ!」
そう言って、彼は背中の翼をはためかせる。本物の翼だ。
「願いを……叶える? なんでも?」
「そう、なんでも」
ゆいの今の頭の中には、復讐しかなかった。
「私には姉がいるの。彼女が最初から存在しなかったことにして。アイツは天国にも地獄にも行けない、最初からいなかったことにするのがふさわしい!」
「いいよ。キミの願いはもう叶った」
それだけ言って、ゆいがまばたきをした瞬間には、もうカナエルはいなかった。
ホテルをチェックアウトして、早速家に真っ直ぐ帰ると、姉は家にいなかった。
海外の親に、「私って何人姉妹だったっけ?」とメッセージを送れば、「いきなり何? うちはあなたひとりっ子でしょ?」と不思議そうな返事が返ってきた。
やっと姉の呪縛から解放された。心の安寧を手に入れた。
ゆいはしばらく喜んでいたが、数日経って異変に気づいた。
姉がいなくなってから、家の掃除が行き届いていないことに気付いたのだ。
姉はゆいに家事をすべて押し付けているように見えたが、実際にはゆいが掃除をしても見落としがあったところは、姉が仕上げに綺麗にしていたのである。
皿洗いも、洗濯もそうだ。ゆいが気付いていないところで、姉は密かに彼女をフォローしてくれていたのだ。
(お姉ちゃんは、ニートだったけど、自分のできる範囲のことはちゃんとやってくれてたんだ……)
ゆいの心には、少し寂しいものが残った。
自分の復讐は、正しかったのだろうか。もしかしたら、お互い本音をさらけ出して、腹を割って話せば、分かり合える部分もあったんじゃないのか。
しかし、もう姉は戻ってこない。最初から存在しないことになってしまったから。彼女はもう、天国にも地獄にもいないから、天使カナエルが連れ戻すことも出来ない。
もう取り返しのつかないことをした自分は地獄に落ちるのだろうなと思いながら、ゆいは一人分だけの夕食を作っていた。
天使カナエルは、そんなゆいを見守りながら、「願いが叶ってよかったね!」と言い残して、次の願いを叶えるために、翼をはためかせて飛び去っていくのであった。
〈了〉
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説

【完結】愛も信頼も壊れて消えた
miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」
王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。
無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。
だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。
婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。
私は彼の事が好きだった。
優しい人だと思っていた。
だけど───。
彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。
※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。

お飾り王妃の死後~王の後悔~
ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。
王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。
ウィルベルト王国では周知の事実だった。
しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。
最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。
小説家になろう様にも投稿しています。

愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。

完結 愛のない結婚ですが、何も問題ありません旦那様!
音爽(ネソウ)
恋愛
「私と契約しないか」そう言われた幼い貧乏令嬢14歳は頷く他なかった。
愛人を秘匿してきた公爵は世間を欺くための結婚だと言う、白い結婚を望むのならばそれも由と言われた。
「優遇された契約婚になにを躊躇うことがあるでしょう」令嬢は快く承諾したのである。
ところがいざ結婚してみると令嬢は勤勉で朗らかに笑い、たちまち屋敷の者たちを魅了してしまう。
「奥様はとても素晴らしい、誰彼隔てなく優しくして下さる」
従者たちの噂を耳にした公爵は奥方に興味を持ち始め……
私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜
月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。
だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。
「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。
私は心を捨てたのに。
あなたはいきなり許しを乞うてきた。
そして優しくしてくるようになった。
ーー私が想いを捨てた後で。
どうして今更なのですかーー。
*この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。


【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?
みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。
ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる
色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる