卑屈令嬢と甘い蜜月

永久保セツナ

文字の大きさ
上 下
2 / 24

第2話 神様に売られた令嬢

しおりを挟む
「いかがなさいましたか、お父様。私はまた何か間違えてしまったでしょうか。ごめんなさい」

「お前の『ごめんなさい』は軽すぎる。謝るそぶりだけで、本当に反省していない」

「ごめんなさい……」

 コノハを書斎に呼び出した父は「同じことしか言えないのか」とあきれたように顔をしかめていたが、「まあいい」とため息をついた。

「お前ももう十八だ、いい加減結婚して家を出てもらわないと困る。しかし、お前みたいな不細工なんて嫁にもらってくれる相手もいないだろう」

 父親の言葉に、部屋にいた使用人たちがクスクスと嘲るように笑っているが、コノハは思考が麻痺しており、恥ずかしさに顔を伏せる気力もなく、目はうつろでぼんやりしている。
 もはやこの家には、彼女の居場所など、どこにもなかった。

「そこでだ、俺が縁談を用意してやった。俺の指定する相手と婚姻しろ」

「はあ……」

 言われている意味がうまく頭の中で処理できていないのか、ぼうっとしている彼女の腕を掴んで、父親は引きずるように応接室へ向かう。
 その部屋には、すでに結婚相手が待ち構えていた。

「この地域で有力な縁切り神社の主、葦原神社の葦原命主あしはらのみことぬし様であらせられる」

「長いのでミコトと呼んでください。どうぞよろしく」

 コノハに対し、友好的な態度を見せる男は白髪で、顔の上半分は狐面をしているため、どんな容貌なのかハッキリとは見えない。和服を着ていて、洋室には不似合いな、一種異様なたたずまいであった。

「ミコト……様」

「そうだ。お前の旦那様になるお方だ。きちんと挨拶をしろ」

 少女はハッとして、フローリングの床に正座し、三つ指をついて深々と頭を下げる。
 木でできた床は二月の気候を反映して冷たく、彼女の膝や手指、額を拒絶するように容赦なく体温を奪っていった。

「高天原コノハと申します。自己紹介が遅れまして、たいへん申し訳ございません」

「ああ、お気遣いなく。あなたもこちらにおかけください」

「いいえ、私のような卑しいものは地べたで充分でございます」

 しかし、ミコトが困ったような雰囲気を察したのか、父親は「いいから、早く立って椅子に座れ」と渋い顔で手招いた。
 いつもなら「お前なんか床でも贅沢だ」と言われるのに、どうしてだろうと不思議に思いながら、彼女は親の隣に腰掛ける。
 そのあとは、父と男が談笑しているのを、ぼうっと眺めていた。話の内容はよく覚えていない。
「お茶のおかわりをいれてまいります」と台所に立つと、サクヤが近づいてきた。なにか面白いことでもあったのだろうか、ニヤニヤ笑っている。それが己のことだというのに、コノハは思考が鈍っていて気付けなかった。

「お姉様、ご覧になりましたか? あんなに真っ白な髪、あなたにはお似合いの方のようですね」

「え? ああ……そうね……」

 ぼんやりしながらお茶をいれていた姉のふくらはぎを、瞬間的に苛立った妹は思い切り蹴飛ばす。熱い液体がコノハの手にかかって、声にならない悲鳴になった。

「本当におっとりしていらっしゃるから、はっきりした言葉でないと伝わらないのですね。あなたにはじじいしか貰い手がいないと申し上げていることもわかりませんの?」

「愚図でごめんなさい……」

「フン、まあいいでしょう。葦原神社に嫁入りしたら、もう会うこともないでしょうし。これでお姉様の顔を見なくて済むと思うとせいせいする」

 わざわざ嫌がらせをするためにこちらに寄って来ているのはサクヤのほうなのだが、コノハは何も言わない。これ以上まずい対応をすれば、今度は何をされるか分かったものではないからだ。
 サクヤと別れてお茶を持ち、ふらふらとおぼつかない足で戻ると、すでに父もミコトも席を立って、彼女を待っていたようだった。

「遅い」

「はい、ごめんなさい」

 お茶を置きながら父ににらまれて萎縮する。このお茶は飲まれることはないのだろう。

「式は挙げなくていい。さっさとコイツを連れて帰っていただきたい。嫁を渡す代わりに、縁切りの件、よろしく」

「ええ。では、行きましょうか、コノハさん」

 狐面の人物に手を差し出され、反射で握ってしまった。
 荷物も何もまとめていない。いや、そもそも少女にはまとめるほどの持ち物もないのだが。
 着の身着のままで、屋敷を出て、タクシーに乗せられた。窓の外はちらちらと雪が降り始めていて、今夜は積もるかもしれない。
 上着すら着ていないが、タクシーの暖房のおかげで、幸い身体は凍えずに済んでいる。だが、使用人と同じ衣服を着せられ、おまけにところどころツギハギになっている生地の薄い服ではこの先、風邪では済まないだろう。嫁ぎ先でなにか衣服が手に入ればいいのだが。
 後部座席に隣り合って座った男を見上げる。この人と今日から夫婦になるのか、とぼんやり思った。まだ実感は湧いていない。

「あなたは私に売られました」

 ポツリと呟く彼の言葉に、心臓がじくりと痛んだ。
 売られた。家族に、まるで家畜を出荷するように、売られた。

「お父上の会社の厄介な取引先と、縁を切ってほしいそうです。人間はそんなくだらないことのために、娘を生贄に差し出すものなのですか?」

「……私には分かりません。ごめんなさい」

「そうですか」

 そこから五分ほど沈黙が降りて、それをまた狐面が破る。

「私になにか聞きたいことなどありませんか?」

「えっと……」

 頭がうまく回っていなかった。朝ごはんも昼ごはんも使用人に取り上げられて食べていない。この日は腐った残飯すら与えてもらえなかった。この人の神社に着いたら、自分でご飯を炊こう。

「あなた様は、人間ではないのですか?」

 やっと口から出てきた質問は、そんな荒唐無稽なものだった。
 しかし、ミコトは鷹揚にうなずく。

「あなた方の言うところの、神様、ですかね。五百歳を過ぎたあたりから数えていないので、妹さんが『爺』とおっしゃったのも、あながち間違いではありません」

 聞こえていたのか。
 なんと謝ったらいいのか分からない顔をしている彼女の手を、彼が優しく握る。

「火傷、大丈夫ですか?」

「え、あ、はい」

「帰ったらすぐに手当をしましょう。人間はこの程度でも大怪我をすると聞きました」

 そういった会話をしていたら目的地に到着したらしい。
 車が止まった場所は葦原神社。三十段ほどの苔が生えた石段をのぼった先では大きな朱い鳥居が、コノハを迎え入れるように立っていた。不思議と、この神社の雰囲気というのか空気というのか、そういったものが、彼女を温かく受け入れてくれているような気がする。今日からここに住むのか。

「私なんかと結婚する羽目になって、ごめんなさい」

 少女の言葉に、男の口は弧を描いていた。

「コノハさんは、私にとってかけがえのない人です。あなたと婚姻できて本当に嬉しい」

「――」

「さあ、お茶をかぶったところを冷やしましょう。ちょうど手水舎がありますから」

 狐面の人物は、そっと卑屈な令嬢をタクシーから降ろし、その手を引いて歩き出す。
 彼女には、どうして自分が大切にされているのか理解できない。
 まるで、これまでにもたびたび会ったことがあるかのようなセリフだなと、うまく回らない頭で考えていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

こども病院の日常

moa
キャラ文芸
ここの病院は、こども病院です。 18歳以下の子供が通う病院、 診療科はたくさんあります。 内科、外科、耳鼻科、歯科、皮膚科etc… ただただ医者目線で色々な病気を治療していくだけの小説です。 恋愛要素などは一切ありません。 密着病院24時!的な感じです。 人物像などは表記していない為、読者様のご想像にお任せします。 ※泣く表現、痛い表現など嫌いな方は読むのをお控えください。 歯科以外の医療知識はそこまで詳しくないのですみませんがご了承ください。

大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。 でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。 けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。 同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。 そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?

隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される

永久保セツナ
恋愛
【最終話まで毎日20時更新】 「少女趣味」ならぬ「少年趣味」(プラモデルやカードゲームなど男性的な趣味)を隠して暮らしていた女子社員・能登原こずえは、ある日勤めている会社のイケメン若社長・藤井スバルに趣味がバレてしまう。 しかしそこから二人は意気投合し、やがて恋愛関係に発展する――? 肝心のターゲット層である女性に理解できるか分からない異色の女性向け恋愛小説!

こんこん公主の後宮調査 ~彼女が幸せになる方法

朱音ゆうひ
キャラ文芸
紺紺(コンコン)は、亡国の公主で、半・妖狐。 不憫な身の上を保護してくれた文通相手「白家の公子・霞幽(カユウ)」のおかげで難関試験に合格し、宮廷術師になった。それも、護国の英雄と認められた皇帝直属の「九術師」で、序列は一位。 そんな彼女に任務が下る。 「後宮の妃の中に、人間になりすまして悪事を企む妖狐がいる。序列三位の『先見の公子』と一緒に後宮を調査せよ」 失敗したらみんな死んじゃう!? 紺紺は正体を隠し、後宮に潜入することにした! ワケアリでミステリアスな無感情公子と、不憫だけど前向きに頑張る侍女娘(実は強い)のお話です。 ※別サイトにも投稿しています(https://kakuyomu.jp/works/16818093073133522278)

双葉病院小児病棟

moa
キャラ文芸
ここは双葉病院小児病棟。 病気と闘う子供たち、その病気を治すお医者さんたちの物語。 この双葉病院小児病棟には重い病気から身近な病気、たくさんの幅広い病気の子供たちが入院してきます。 すぐに治って退院していく子もいればそうでない子もいる。 メンタル面のケアも大事になってくる。 当病院は親の付き添いありでの入院は禁止とされています。 親がいると子供たちは甘えてしまうため、あえて離して治療するという方針。 【集中して治療をして早く治す】 それがこの病院のモットーです。 ※この物語はフィクションです。 実際の病院、治療とは異なることもあると思いますが暖かい目で見ていただけると幸いです。

欲望の神さま拾いました【本編完結】

一花カナウ
キャラ文芸
長年付き合っていた男と別れてやけ酒をした翌朝、隣にいたのは天然系の神サマでした。 《やってることが夢魔な自称神様》を拾った《社畜な生真面目女子》が神様から溺愛されながら、うっかり世界が滅びないように奮闘するラブコメディです。 ※オマケ短編追加中 カクヨム、ノベルアップ+、pixiv、ムーンライトノベルズでも公開中(サイトによりレーティングに合わせた調整アリ)

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...