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2巻
2-3
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「どうやらタラゼド卿はロイス坊ちゃまからお話を聞かれたご様子。しかし、そこまでタラゼド卿に伝えていなかったようですね」
「……あいつめ」
「ですが、どうかご容赦を。ロイス坊ちゃまはタラゼド卿を慕っておいでですし、褒められたいと考えられたのでしょう。才能があるとはいえ、まだまだ子どもですから」
「……しかし、このままではあの才能の欠片もない弟がやったことのように思われるだろう」
「確かにジン坊ちゃまを讃える声もありますが、しかし多くの民はゴブリンロードを倒したのは大猿だと認識しております。ジン坊ちゃまは領民から慕われている一方、魔力がないことを誰もが知っていますから、噂が広く知れ渡ることはないでしょう」
「…………」
「一方、ロイス坊ちゃまはゴブリンの件でミスしたものの、致命的なものではございません。先日の汚名は、次の魔法大会で活躍することで返上されるでしょう。身の丈に合わない手柄を急いで授けるよりも、来たる時を待ち、ふさわしい場で名声を上げた方が効果的かと思われます」
「……それがお前が言いたかった意見か?」
「はい。左様でございます」
「そうか。なるほど……ふはは、はははははッ――フンッ!」
――ドゴォオオオオオオオン!
「か、壁が……」
叔父の背中から伸びた鉄の腕が、スワローのすぐ横を通り過ぎ、部屋の壁を破壊した。くっ、誰が直すと思っているのか!
だが、スワローは表情をまったく変えなかった。それを見て、叔父が言う。
「眉一つ動かさんか――」
「伯爵ともあろう方が、短気を起こすとも思えませんので」
「小生意気な女だが……こんな小さな領地の執事にしておくには惜しいな。私の下へ来い。可愛がってやるぞ」
「丁重にお断り申し上げます」
「……フン。気に食わんが、まぁいい。この壁に免じて、今回のところは大目に見てやろう」
「それでは困ります。壁は直していただかないと」
その場は丸く収まるかと思ったが、スワローは豪胆なことに、きっぱりと修理を求めた。
「……この私にそこまで言えるとはな。あぁわかった。修繕費程度、いくらでも請求するがいい」
その時、私の頭に一つの考えがよぎった。
「叔父上、壁のついでに一つ頼みがあります」
「何? ……申してみよ」
「ジンを武術大会に出したいと考えています。許可をいただけますか」
タラードの町では魔法大会と同時に、武術大会も開催される。武術大会で優秀な成績を残せば、騎士学園に入学することができるのだ。
「武術大会だと?」
叔父が私を振り向いた。厳しい目をして睨んできている。
「貴様、本当に愚か者になったのではあるまいな。私が出来損ないのために何かすると思うか?」
「……確かにジンには魔力がない。魔法の才能は絶望的と見ていいでしょう」
「貴様の息子だからではないのか?」
叔父が蔑みの目を向け言ってきた。
私はエイガ家においては出来がいいとは言えなかった。叔父は暗に私のせいでジンは落ちこぼれたのだと言っているのだろう。実際、その通りではないかと考えたこともある。
だからこそ、私はロイスと同じくらいジンの将来のことを考えている。
私は怯まず言葉を続ける。
「ですが、剣の腕はスワローが認めるほど。大会で活躍する姿を見れば、少しは叔父上の考えも変わると思うのです……どうか」
「――まぁいい。貴様のこれまでの功績を考えれば、一度くらいワガママを聞いてやってもいいだろう。だが、特別扱いはしないぞ。予選からなら認めてやる。そして、そこまで言っておいてあやつが大会で成果をあげられなければ、どうなるかわかっているな?」
「…………」
「ふん、沈黙か。それは了承と受け取るぞ。それと、出場を認める代わりにロイスは予定通り本戦から出場させてもらう。エイガ家の期待の星が、予選に出るなど恥だからな」
そして、叔父は部屋から出ていった。相変わらず、いや前よりもさらに傲慢になっている――
「ふぅ、スワロー、壁の修理を行う職人の手配を頼む」
「はい。急ぐようにします」
「あぁ、それと報酬に糸目はつけなくていい。それくらいさせてもらわないとな」
「ふふっ、わかりました。町一番の職人を雇いましょう」
私は壁に空いた大穴を見て、ため息を吐いた。
今回はスワローのおかげで助かった。優秀な執事を持てたことに感謝しなければな――
◇◆◇
「なんだ貴様は。何しに来た?」
「……別に、ただもの凄い音が聞こえたので」
屋敷の中から強力な圧を感じたと思ったら大きな音がしたので、何があったのかと気配を追うと、父上の部屋から出てくる大叔父と出くわしてしまった。その顔には相変わらず、俺に対する嫌悪感が見て取れる。
「何かあったのですか?」
「……何もない。壁が壊れただけだ」
「壁が?」
「貴様には関係ない。ふん、しかし忌々しいガキだ」
そう言い捨て、大叔父が俺の横を通り過ぎた。
俺にはわかっていた。先ほどの圧を発したのは間違いなくあの男だ。
大叔父は間違いなく嫌な奴だが、そんな奴に限って――
「それなりの実力者なんだよな。まったく、世の中ままならないものだ」
父上の魔法を見たことはあるが、正直そこまでには思えなかった。
だが、あいつの力は父上より確実に上だろう。口だけの男ではないということか。
兄貴を見ていてもぴんとは来なかったんだけど、魔法もなかなかのものかもしれない。
「あ、坊ちゃま……」
「スワロー」
続いて、父上の部屋からスワローが出てきた。彼女も中にいたのか。
気になって近づいた時……
「あ……」
「ちょ! 大丈夫?」
スワローがふらつきバランスを崩したので、咄嗟に支えてあげた。
身長差の関係で、俺の顔にスワローの胸が当たって――いや、これは不可抗力だ!
スワローが姿勢を戻し、笑みを浮かべて言う。
「ジン坊ちゃま、申し訳ありません」
「い、いや、僕のことはいいよ。それより大丈夫?」
「はい。もう、大丈夫です。少し疲れが出たようで……」
疲れか……もしかしたら、俺がさっき感じた圧と関係しているのかもしれない。
すると、俺についてきていたマガミが心配そうに吠える。
「ガウガウ!」
「うん、マガミもありがとう」
スワローが頭を撫でたら、舌を出して気持ちよさそうにしていた。
「ところで坊ちゃま。武術大会の件、旦那様が出場の許可をタラゼド卿からいただきましたよ」
「へぇ……」
あいつが俺の出場を認めたのは意外だ。
大会に出ることにはあまり気乗りしないんだがな。正直、騎士の道に興味はないし。
「武術大会に優勝しないと、騎士学園に入学できないんだったっけ?」
「――優勝だけとも限りません。ある程度は大会での戦い方も考慮されますし、決勝まで残れれば優勝できなくても道は開けます」
「そう……」
スワローは俺の質問の真意には触れてこなかった。もしかしたら俺が何を気にしていたか察しているのかもしれない。
そう、俺は騎士を目指している友人のデックのことが気になっていた。
平民のデックはまず事前試合で勝ち残らないといけないが、これはおそらく問題ない。
そうなるとあとは本番の大会だが――俺が出たら、デックが敗退するリスクが増えるんだよな。あいつの性格的に、俺が手加減することなんて望まないだろうし……
ただ、スワローの言う通り優勝者以外にも入学の可能性があるということなら――ふぅ、仕方ない。とりあえず出るだけ出るとするか。
「わかった。考えておくよ」
「……左様ですか」
「ん? どうしたのかな?」
若干スワローの返事に違和感を覚えた。
「いえ、勿論ジン坊ちゃまならいい結果を残せると信じております。ただ、武術大会でよかったのかなと」
「……? 僕は魔法が使えないし、大会に出るなら武術大会しか選択肢がないと思うんだけど」
「え、えぇ。確かにそうですね。私も何を言っているのか。お忘れください」
「別にいいけど、本当に大丈夫?」
「はい。ご心配いただきありがとうございます。それでは仕事に戻りますね」
そしてスワローは執事の仕事に戻っていった。
しかし、大会か……兄貴は魔法大会の方に出るんだろうな。まぁ俺にはどうでもいい話だけど。
◇◆◇
「だから無理だって」
「ウホッ! ウホッ!」
月日が流れ、いよいよ大会参加のために領地を出る日が近づいてきた。だからしばらく山に来られないとエンコウに伝えたんだけど、どうしても一緒に行きたいとワガママを言ってきた。
エンコウ曰く、子分としてご主人様のお側にいるべきだ、とのこと。でもそれは建前で、山の外に出てみたいという気持ちも強いのかもしれない。
「だけどなぁ。エンコウの体格だと、一緒にというのは厳しいんだよ。だからわかってくれ」
「ウホッ!」
俺が諭すと、エンコウがドヤ顔を見せ胸をドンッと叩いた。何か手があるみたいな素振りだ。
「ウホウホウホウホッ!」
そしてエンコウは自分の胸を両手で交互に叩き始めた。
直後、エンコウの体が縮んでいく……って、え? ちょ、ちょっと待て!
驚いたことに、エンコウはどんどん小さくなっていった。そして――
「……ウキッ?」
「えぇええええぇえええええぇえ!?」
思わず声を上げてしまった。いやだって、エンコウの奴、まさかこんなことができるなんて……
「お前、まるで子猿じゃないか……」
「ウキキィ!」
すっかり小さく変身したエンコウが元気よく鳴き、地面を蹴って俺の肩に飛び移ってきた。
流石にこれだけ小さいと軽いな。肩に乗られてもまったく負担にならない。
「ウキィウキィ♪」
エンコウが、今度は俺の頬にすり寄ってきた。これは、か、可愛い。
「それにしても凄いな。いつの間にこんな技を身につけたんだ?
「ウキキィ!」
エンコウが得意がり、指をピンッと立てた。
すると近くに落ちていた石が浮き上がり、正面の木に飛んでいって命中する。
「おお! 凄いなエンコウ!」
「ウキキィ」
えっへんとエンコウが胸を張った。
マガミは風を操れるが、エンコウも同じようなことができるんだな。しかしこれは一体なんの力なんだろう?
「ガウガウ!」
「ウキキィ」
凄い凄いと褒め称えるように吠えるマガミ。その背中にエンコウが飛び移った。
そして二匹のじゃれ合いが始まった。まったく可愛い奴らだな。
「ウキッ」
「う~ん、そうだな。小さくなれるなら、一緒に連れていけるか聞いてみるか」
ま、これくらいなら上手く説明すればなんとかなるだろう。
◇◆◇
「それじゃあ先に出るよ」
「あぁ、俺たちもあとから行くよ」
「まさか私も参加できるとは思わなかったけど、頑張りますね!」
数日後。エガの町に下りた俺は、デックとその妹のデトラと会って大会に出場することを伝えた。
デックとデトラが張り切っているが、これは事前試合で二人が勝ち残って大会に出場することになったからだ。デックは残ると確信していたが、まさかデトラも残るとは思わなかった。なんでも頑張る兄の姿を見て、自分も可能性にかけてみたくなったんだとか。試合では植物を操る魔法を行使していて、実にデトラらしいと思ったな。
ちなみにデックは武術大会に、デトラは魔法大会に参加することになる。勝ち残れば、デックは騎士学園への、デトラは魔法学園への道が開けるわけだ。ただ、二人はさらに大会予選を勝ち抜かないといけない。ま、これは俺も同じだけどね。
「それにしてもエンコウちゃん……か、可愛い」
「ウキキィ♪」
エンコウがデトラの肩に飛び乗って頬ずりした。二人には、俺の連れている子猿がエンコウの変身した姿だと伝えてある。
それにしても……どうもエンコウ、女の子への興味が強い。
家族には事情を説明して、ひとまず納得してもらえた。その上で母上やスワローやメイドたちに可愛がられているが、男に関しては俺以外には素っ気ないのだ。
「それにしても、不思議だよな。エンコウってもしかして魔獣なのか?」
首を傾げながら言うデックに、俺は「さあ」と応える。
「父上はその可能性もあるって言ってたな。父上は興味を持っていたけど、俺としては別にどっちでもいいかな。エンコウはエンコウだし」
「そういうところがジンらしいよな」
デックがニヒヒと笑った。
こうして改めて見ると、デックは随分と背が伸びて体格もガッチリしてきたな。実年齢より二、三歳は上に見える。なんとなく、デトラも雰囲気が大人びて来た気がする。
「大会ではお互い頑張ろうな、ジン」
「あぁ、勿論だ。デトラも頑張って」
「は、はい! どこまでできるかわからないけど、頑張ります!」
そして俺はデックやデトラと別れ、屋敷に戻った。
二人が大会の行われるタラードの町へ行くのはもう少しあとだが、俺……というか、エイガ家の人間は二人より先に出発する。大叔父への挨拶など、大会の前に色々とやることがあるからだ。
それからその日のうちに出発の準備を済ませ――
「じゃあ、行ってくるね」
「はい。お坊ちゃまのご健闘をお祈りしております」
明朝、スワローに見送られた俺はエンコウとマガミを連れ、父上や兄貴と一緒に領地を出立したのだった――
第二章 転生忍者、大会に向けて旅立つ
「まったく、なんだってこんな愚弟と一緒に、大叔父様の町に行かないといけないんだ」
馬車の中、俺の斜め前に座る兄貴がそう愚痴った。俺だってお前と一緒に行くなんて願い下げだ、とも思ったが口には出さない。馬車が一台しかないのだから仕方ないしね。
馬車には父上も乗っている。エンコウは俺の頭の上で、マガミは俺の足元で大人しくしていた。
「ふん、大体なんで狼や猿まで一緒なんだ。馬車が狭くて仕方ない」
文句を言いながら、兄貴が馬車に用意されていたリンゴを手に取った。
「キキィ!」
しかし、エンコウが兄貴からリンゴを奪い、俺の方に戻ってきてシャリシャリと食べ始める。
「な! おま、何してるんだ! 返せよ!」
興奮して文句を言う兄貴を、父上が窘める。
「ロイス、大人しくしなさい」
「で、ですが、猿がリンゴを!」
「リンゴならまだあるだろう。しかし、人のものを取るのはよくないことだぞ」
「キキィ」
父上に言われ、エンコウが反省のポーズを取った。
わかればいい、と父上が微笑むが、兄貴は納得行ってない様子である。
エンコウはそんな兄貴に向かって、お尻をペンペンして挑発していた。父上が見ていない瞬間を狙うところが、なかなかずる賢い。
「こ、こいつ! 父様! 見ましたか! 今この猿、私を馬鹿にしましたよ!」
「うん? ……大人しくリンゴを食べているだけではないか?」
「いや、そうじゃなくて! こ、この!」
兄貴が杖を振り上げ、魔法の詠唱を始めた。しかし、すぐに父上に怒られて中断する。こんなところで魔法を使おうとすれば、そりゃ怒られもするだろう。
エガの町からタラードの町までは、途中で宿場を経由しながら馬車で三日ほど必要だ。それなりにかかると言えるだろうな。
馬車の周囲は、数人の騎士が馬に乗って護衛している。もっとも、街道を走っているから、獣や盗賊に襲われることもそうはないようだ。
途中何箇所かある山越えだけが懸念材料だったけど、特に問題なく越えることができた。
そして何事もなく三日後――
「間もなくタラゼド領に入ります。ただ、領内で最近盗賊が出没しているそうですので、まだ完全に安心はできません」
「そうか。気をつけて進んでくれ」
「ハッ!」
敬礼する騎士を横目に、俺たちは馬車に乗り込んだ。昨日から泊まっていた宿場を出発し、今日中にタラードの町へ到着する予定だ。
兄貴は馬車の中で、父上にこう言っていた。
「父様。盗賊など、もし出てきてもこの私が返り討ちにしてみせます」
「しなくていい。そういうことは、護衛の騎士に任せておけばいいのだ。彼らはそのためについてきているのだからな」
「う、は、はい……」
「――お前は大会のことだけ考えておけ。こんなところで余計な魔力を使う必要はない」
「は、はい! 勿論です! 必ず優勝してみせますよ!」
兄貴の奴、随分と張り切っているな。大叔父が来た時も、優勝を狙うと豪語していたようだし。
「そういえば父様。タラードには奴隷商館があると聞きます。よろしければあとで連れていってはもらえませんか?」
「ふむ、奴隷か……」
「はい。私も先日、誕生日を迎えて十一歳となりました。そろそろ奴隷の一つも持ってみてもいいと思うのです」
そういえばそうだったな。兄貴も一年過ぎれば年は取る。中身が伴っているかは知らないが。
「……連れていくのはいいが、買うかどうかは別だぞ?」
「連れていっていただけるだけでも嬉しい限りです!」
兄貴が嬉しそうに答えた。まったくわかりやすい奴だ。店にさえ行けば、買ってもらえるとでも思っているんだろう。
しかし、奴隷か。前世の世界では、海の向こうで実際にあった制度である。
ただ、日ノ本でもまったくなかったということではない。形は違えど農民は上の身分の者には逆らえなかったし、闇での人さらいや人身売買なんてのもそれなりにあったからな。
こっちではそれが公に商売として認められているという話だ。俺は興味ないけど。
やがて、馬車はタラードの町にたどり着いた。
タラードは商業が盛んな町だと聞いている。確かに、人の数が多くて活気に溢れている。
父上の治めるエガの町とは規模も人の数も大違いだな。石造りの建物が主で、屋根は赤で統一されている。
町中の道も全て石畳だ。幅も広い。金がかかってるな。それだけ資金が潤沢にあるってことか。
しかし、なんだろう。上手く言えないけど、妙に嘘っぽさのある町並みに思える。
「こちらが宿です」
「あぁ、ありがとう」
御者が扉を開けたので、馬車を降りる。
ようやく長旅から解放された。父上の馬車は一般的なものより乗り心地はいいらしいが、それでもやはり慣れない。日ノ本では馬車がそもそもなかったからな。馬術は習っていたけど、忍者の場合走った方が速いし。ここ数日で大分体がなまってしまった。
宿についてから、兄貴が随分とそわそわしていた。よっぽど奴隷商の店に行くのが楽しみらしい。荷物を置いてすぐにでも行きたいと言いだした。
「お前も特別に一緒に行くのを許可してやろう」
機嫌がいいせいだろうか、珍しく兄貴から声がかかった。俺に向けられるドヤ顔がイラッとくる。
別に行かなくてもよかったのだが、こっちの世界についての知識は深めておきたい。兄貴もこう言っていることだし、同行するか。
宿を出発する前、兄貴は父上に話す。
「父様、やはり奴隷とはいえ、ある程度優秀な存在がいいと私は思います。屋敷に役立つ者がいいでしょう。器量に加えて頭もよければ最高です」
「胸を膨らませるのはいいが、必ず買うと決まったわけではないのだからな。それと、あまりはしゃいでみっともない真似をするんじゃないぞ」
「そうだぞジン! 貴様はあくまで私のおこぼれで付き合わせてやるだけなのだから、我が家の恥になるようなことはするなよ!」
兄貴がこちらに指を突きつけながら言ってきた。あのな、父上はお前に注意したのだと思うぞ。さっきから浮かれすぎだからな。
そして再び馬車に乗り込み、俺は二人に付き添う形で奴隷商の店とやらに行くことになった。
「ここが、奴隷商館というものなのですね!」
店の前に着くと、兄貴が鼻息を荒くさせた。
ふむ、建物は結構立派だな、と思いながら父上と兄貴に続いて店の中に入る。
「ようこそおいでくださいました、エイガ卿。ささ、どうぞこちらへ」
入店すると、支配人を名乗る男が部屋まで案内してくれた。ちょび髭を生やした腰の低い男だ。シャツの上に赤いベストを着て、折り目の入ったズボンを穿いている。流石に身なりは上等だな。
支配人は一目見て父上がエイガ家の人間だとわかったが、これはエイガ家の名が広く知れ渡っている証拠だろう。魔法の名門と名高い家系だけある。
ちなみに、なんとなくエンコウとマガミも連れてきていたが、特に文句は言われなかった。
支配人は頭を下げ、父上に聞く。
「この度は当商会にお越しくださり、ありがとうございます。どのような奴隷をご要望ですか?」
「いや、先日誕生日を迎えた息子のロイスが、奴隷に興味があるようでな。だから要望はロイスに聞いてほしい」
父上が答える間、兄貴はキョロキョロとしていて落ち着きがなかった。
「なるほど、誕生日の贈り物というわけでしたか。ロイス様、誠におめでとうございます」
「うむ、苦しゅうない」
胸を張って偉そうに答える兄貴を、ジロリと父上が睨む。
「ロイス、調子に乗るな」
「し、失礼しました」
いきなり注意されてるぞ、こいつ。まったく、先が思いやられる。
「……あいつめ」
「ですが、どうかご容赦を。ロイス坊ちゃまはタラゼド卿を慕っておいでですし、褒められたいと考えられたのでしょう。才能があるとはいえ、まだまだ子どもですから」
「……しかし、このままではあの才能の欠片もない弟がやったことのように思われるだろう」
「確かにジン坊ちゃまを讃える声もありますが、しかし多くの民はゴブリンロードを倒したのは大猿だと認識しております。ジン坊ちゃまは領民から慕われている一方、魔力がないことを誰もが知っていますから、噂が広く知れ渡ることはないでしょう」
「…………」
「一方、ロイス坊ちゃまはゴブリンの件でミスしたものの、致命的なものではございません。先日の汚名は、次の魔法大会で活躍することで返上されるでしょう。身の丈に合わない手柄を急いで授けるよりも、来たる時を待ち、ふさわしい場で名声を上げた方が効果的かと思われます」
「……それがお前が言いたかった意見か?」
「はい。左様でございます」
「そうか。なるほど……ふはは、はははははッ――フンッ!」
――ドゴォオオオオオオオン!
「か、壁が……」
叔父の背中から伸びた鉄の腕が、スワローのすぐ横を通り過ぎ、部屋の壁を破壊した。くっ、誰が直すと思っているのか!
だが、スワローは表情をまったく変えなかった。それを見て、叔父が言う。
「眉一つ動かさんか――」
「伯爵ともあろう方が、短気を起こすとも思えませんので」
「小生意気な女だが……こんな小さな領地の執事にしておくには惜しいな。私の下へ来い。可愛がってやるぞ」
「丁重にお断り申し上げます」
「……フン。気に食わんが、まぁいい。この壁に免じて、今回のところは大目に見てやろう」
「それでは困ります。壁は直していただかないと」
その場は丸く収まるかと思ったが、スワローは豪胆なことに、きっぱりと修理を求めた。
「……この私にそこまで言えるとはな。あぁわかった。修繕費程度、いくらでも請求するがいい」
その時、私の頭に一つの考えがよぎった。
「叔父上、壁のついでに一つ頼みがあります」
「何? ……申してみよ」
「ジンを武術大会に出したいと考えています。許可をいただけますか」
タラードの町では魔法大会と同時に、武術大会も開催される。武術大会で優秀な成績を残せば、騎士学園に入学することができるのだ。
「武術大会だと?」
叔父が私を振り向いた。厳しい目をして睨んできている。
「貴様、本当に愚か者になったのではあるまいな。私が出来損ないのために何かすると思うか?」
「……確かにジンには魔力がない。魔法の才能は絶望的と見ていいでしょう」
「貴様の息子だからではないのか?」
叔父が蔑みの目を向け言ってきた。
私はエイガ家においては出来がいいとは言えなかった。叔父は暗に私のせいでジンは落ちこぼれたのだと言っているのだろう。実際、その通りではないかと考えたこともある。
だからこそ、私はロイスと同じくらいジンの将来のことを考えている。
私は怯まず言葉を続ける。
「ですが、剣の腕はスワローが認めるほど。大会で活躍する姿を見れば、少しは叔父上の考えも変わると思うのです……どうか」
「――まぁいい。貴様のこれまでの功績を考えれば、一度くらいワガママを聞いてやってもいいだろう。だが、特別扱いはしないぞ。予選からなら認めてやる。そして、そこまで言っておいてあやつが大会で成果をあげられなければ、どうなるかわかっているな?」
「…………」
「ふん、沈黙か。それは了承と受け取るぞ。それと、出場を認める代わりにロイスは予定通り本戦から出場させてもらう。エイガ家の期待の星が、予選に出るなど恥だからな」
そして、叔父は部屋から出ていった。相変わらず、いや前よりもさらに傲慢になっている――
「ふぅ、スワロー、壁の修理を行う職人の手配を頼む」
「はい。急ぐようにします」
「あぁ、それと報酬に糸目はつけなくていい。それくらいさせてもらわないとな」
「ふふっ、わかりました。町一番の職人を雇いましょう」
私は壁に空いた大穴を見て、ため息を吐いた。
今回はスワローのおかげで助かった。優秀な執事を持てたことに感謝しなければな――
◇◆◇
「なんだ貴様は。何しに来た?」
「……別に、ただもの凄い音が聞こえたので」
屋敷の中から強力な圧を感じたと思ったら大きな音がしたので、何があったのかと気配を追うと、父上の部屋から出てくる大叔父と出くわしてしまった。その顔には相変わらず、俺に対する嫌悪感が見て取れる。
「何かあったのですか?」
「……何もない。壁が壊れただけだ」
「壁が?」
「貴様には関係ない。ふん、しかし忌々しいガキだ」
そう言い捨て、大叔父が俺の横を通り過ぎた。
俺にはわかっていた。先ほどの圧を発したのは間違いなくあの男だ。
大叔父は間違いなく嫌な奴だが、そんな奴に限って――
「それなりの実力者なんだよな。まったく、世の中ままならないものだ」
父上の魔法を見たことはあるが、正直そこまでには思えなかった。
だが、あいつの力は父上より確実に上だろう。口だけの男ではないということか。
兄貴を見ていてもぴんとは来なかったんだけど、魔法もなかなかのものかもしれない。
「あ、坊ちゃま……」
「スワロー」
続いて、父上の部屋からスワローが出てきた。彼女も中にいたのか。
気になって近づいた時……
「あ……」
「ちょ! 大丈夫?」
スワローがふらつきバランスを崩したので、咄嗟に支えてあげた。
身長差の関係で、俺の顔にスワローの胸が当たって――いや、これは不可抗力だ!
スワローが姿勢を戻し、笑みを浮かべて言う。
「ジン坊ちゃま、申し訳ありません」
「い、いや、僕のことはいいよ。それより大丈夫?」
「はい。もう、大丈夫です。少し疲れが出たようで……」
疲れか……もしかしたら、俺がさっき感じた圧と関係しているのかもしれない。
すると、俺についてきていたマガミが心配そうに吠える。
「ガウガウ!」
「うん、マガミもありがとう」
スワローが頭を撫でたら、舌を出して気持ちよさそうにしていた。
「ところで坊ちゃま。武術大会の件、旦那様が出場の許可をタラゼド卿からいただきましたよ」
「へぇ……」
あいつが俺の出場を認めたのは意外だ。
大会に出ることにはあまり気乗りしないんだがな。正直、騎士の道に興味はないし。
「武術大会に優勝しないと、騎士学園に入学できないんだったっけ?」
「――優勝だけとも限りません。ある程度は大会での戦い方も考慮されますし、決勝まで残れれば優勝できなくても道は開けます」
「そう……」
スワローは俺の質問の真意には触れてこなかった。もしかしたら俺が何を気にしていたか察しているのかもしれない。
そう、俺は騎士を目指している友人のデックのことが気になっていた。
平民のデックはまず事前試合で勝ち残らないといけないが、これはおそらく問題ない。
そうなるとあとは本番の大会だが――俺が出たら、デックが敗退するリスクが増えるんだよな。あいつの性格的に、俺が手加減することなんて望まないだろうし……
ただ、スワローの言う通り優勝者以外にも入学の可能性があるということなら――ふぅ、仕方ない。とりあえず出るだけ出るとするか。
「わかった。考えておくよ」
「……左様ですか」
「ん? どうしたのかな?」
若干スワローの返事に違和感を覚えた。
「いえ、勿論ジン坊ちゃまならいい結果を残せると信じております。ただ、武術大会でよかったのかなと」
「……? 僕は魔法が使えないし、大会に出るなら武術大会しか選択肢がないと思うんだけど」
「え、えぇ。確かにそうですね。私も何を言っているのか。お忘れください」
「別にいいけど、本当に大丈夫?」
「はい。ご心配いただきありがとうございます。それでは仕事に戻りますね」
そしてスワローは執事の仕事に戻っていった。
しかし、大会か……兄貴は魔法大会の方に出るんだろうな。まぁ俺にはどうでもいい話だけど。
◇◆◇
「だから無理だって」
「ウホッ! ウホッ!」
月日が流れ、いよいよ大会参加のために領地を出る日が近づいてきた。だからしばらく山に来られないとエンコウに伝えたんだけど、どうしても一緒に行きたいとワガママを言ってきた。
エンコウ曰く、子分としてご主人様のお側にいるべきだ、とのこと。でもそれは建前で、山の外に出てみたいという気持ちも強いのかもしれない。
「だけどなぁ。エンコウの体格だと、一緒にというのは厳しいんだよ。だからわかってくれ」
「ウホッ!」
俺が諭すと、エンコウがドヤ顔を見せ胸をドンッと叩いた。何か手があるみたいな素振りだ。
「ウホウホウホウホッ!」
そしてエンコウは自分の胸を両手で交互に叩き始めた。
直後、エンコウの体が縮んでいく……って、え? ちょ、ちょっと待て!
驚いたことに、エンコウはどんどん小さくなっていった。そして――
「……ウキッ?」
「えぇええええぇえええええぇえ!?」
思わず声を上げてしまった。いやだって、エンコウの奴、まさかこんなことができるなんて……
「お前、まるで子猿じゃないか……」
「ウキキィ!」
すっかり小さく変身したエンコウが元気よく鳴き、地面を蹴って俺の肩に飛び移ってきた。
流石にこれだけ小さいと軽いな。肩に乗られてもまったく負担にならない。
「ウキィウキィ♪」
エンコウが、今度は俺の頬にすり寄ってきた。これは、か、可愛い。
「それにしても凄いな。いつの間にこんな技を身につけたんだ?
「ウキキィ!」
エンコウが得意がり、指をピンッと立てた。
すると近くに落ちていた石が浮き上がり、正面の木に飛んでいって命中する。
「おお! 凄いなエンコウ!」
「ウキキィ」
えっへんとエンコウが胸を張った。
マガミは風を操れるが、エンコウも同じようなことができるんだな。しかしこれは一体なんの力なんだろう?
「ガウガウ!」
「ウキキィ」
凄い凄いと褒め称えるように吠えるマガミ。その背中にエンコウが飛び移った。
そして二匹のじゃれ合いが始まった。まったく可愛い奴らだな。
「ウキッ」
「う~ん、そうだな。小さくなれるなら、一緒に連れていけるか聞いてみるか」
ま、これくらいなら上手く説明すればなんとかなるだろう。
◇◆◇
「それじゃあ先に出るよ」
「あぁ、俺たちもあとから行くよ」
「まさか私も参加できるとは思わなかったけど、頑張りますね!」
数日後。エガの町に下りた俺は、デックとその妹のデトラと会って大会に出場することを伝えた。
デックとデトラが張り切っているが、これは事前試合で二人が勝ち残って大会に出場することになったからだ。デックは残ると確信していたが、まさかデトラも残るとは思わなかった。なんでも頑張る兄の姿を見て、自分も可能性にかけてみたくなったんだとか。試合では植物を操る魔法を行使していて、実にデトラらしいと思ったな。
ちなみにデックは武術大会に、デトラは魔法大会に参加することになる。勝ち残れば、デックは騎士学園への、デトラは魔法学園への道が開けるわけだ。ただ、二人はさらに大会予選を勝ち抜かないといけない。ま、これは俺も同じだけどね。
「それにしてもエンコウちゃん……か、可愛い」
「ウキキィ♪」
エンコウがデトラの肩に飛び乗って頬ずりした。二人には、俺の連れている子猿がエンコウの変身した姿だと伝えてある。
それにしても……どうもエンコウ、女の子への興味が強い。
家族には事情を説明して、ひとまず納得してもらえた。その上で母上やスワローやメイドたちに可愛がられているが、男に関しては俺以外には素っ気ないのだ。
「それにしても、不思議だよな。エンコウってもしかして魔獣なのか?」
首を傾げながら言うデックに、俺は「さあ」と応える。
「父上はその可能性もあるって言ってたな。父上は興味を持っていたけど、俺としては別にどっちでもいいかな。エンコウはエンコウだし」
「そういうところがジンらしいよな」
デックがニヒヒと笑った。
こうして改めて見ると、デックは随分と背が伸びて体格もガッチリしてきたな。実年齢より二、三歳は上に見える。なんとなく、デトラも雰囲気が大人びて来た気がする。
「大会ではお互い頑張ろうな、ジン」
「あぁ、勿論だ。デトラも頑張って」
「は、はい! どこまでできるかわからないけど、頑張ります!」
そして俺はデックやデトラと別れ、屋敷に戻った。
二人が大会の行われるタラードの町へ行くのはもう少しあとだが、俺……というか、エイガ家の人間は二人より先に出発する。大叔父への挨拶など、大会の前に色々とやることがあるからだ。
それからその日のうちに出発の準備を済ませ――
「じゃあ、行ってくるね」
「はい。お坊ちゃまのご健闘をお祈りしております」
明朝、スワローに見送られた俺はエンコウとマガミを連れ、父上や兄貴と一緒に領地を出立したのだった――
第二章 転生忍者、大会に向けて旅立つ
「まったく、なんだってこんな愚弟と一緒に、大叔父様の町に行かないといけないんだ」
馬車の中、俺の斜め前に座る兄貴がそう愚痴った。俺だってお前と一緒に行くなんて願い下げだ、とも思ったが口には出さない。馬車が一台しかないのだから仕方ないしね。
馬車には父上も乗っている。エンコウは俺の頭の上で、マガミは俺の足元で大人しくしていた。
「ふん、大体なんで狼や猿まで一緒なんだ。馬車が狭くて仕方ない」
文句を言いながら、兄貴が馬車に用意されていたリンゴを手に取った。
「キキィ!」
しかし、エンコウが兄貴からリンゴを奪い、俺の方に戻ってきてシャリシャリと食べ始める。
「な! おま、何してるんだ! 返せよ!」
興奮して文句を言う兄貴を、父上が窘める。
「ロイス、大人しくしなさい」
「で、ですが、猿がリンゴを!」
「リンゴならまだあるだろう。しかし、人のものを取るのはよくないことだぞ」
「キキィ」
父上に言われ、エンコウが反省のポーズを取った。
わかればいい、と父上が微笑むが、兄貴は納得行ってない様子である。
エンコウはそんな兄貴に向かって、お尻をペンペンして挑発していた。父上が見ていない瞬間を狙うところが、なかなかずる賢い。
「こ、こいつ! 父様! 見ましたか! 今この猿、私を馬鹿にしましたよ!」
「うん? ……大人しくリンゴを食べているだけではないか?」
「いや、そうじゃなくて! こ、この!」
兄貴が杖を振り上げ、魔法の詠唱を始めた。しかし、すぐに父上に怒られて中断する。こんなところで魔法を使おうとすれば、そりゃ怒られもするだろう。
エガの町からタラードの町までは、途中で宿場を経由しながら馬車で三日ほど必要だ。それなりにかかると言えるだろうな。
馬車の周囲は、数人の騎士が馬に乗って護衛している。もっとも、街道を走っているから、獣や盗賊に襲われることもそうはないようだ。
途中何箇所かある山越えだけが懸念材料だったけど、特に問題なく越えることができた。
そして何事もなく三日後――
「間もなくタラゼド領に入ります。ただ、領内で最近盗賊が出没しているそうですので、まだ完全に安心はできません」
「そうか。気をつけて進んでくれ」
「ハッ!」
敬礼する騎士を横目に、俺たちは馬車に乗り込んだ。昨日から泊まっていた宿場を出発し、今日中にタラードの町へ到着する予定だ。
兄貴は馬車の中で、父上にこう言っていた。
「父様。盗賊など、もし出てきてもこの私が返り討ちにしてみせます」
「しなくていい。そういうことは、護衛の騎士に任せておけばいいのだ。彼らはそのためについてきているのだからな」
「う、は、はい……」
「――お前は大会のことだけ考えておけ。こんなところで余計な魔力を使う必要はない」
「は、はい! 勿論です! 必ず優勝してみせますよ!」
兄貴の奴、随分と張り切っているな。大叔父が来た時も、優勝を狙うと豪語していたようだし。
「そういえば父様。タラードには奴隷商館があると聞きます。よろしければあとで連れていってはもらえませんか?」
「ふむ、奴隷か……」
「はい。私も先日、誕生日を迎えて十一歳となりました。そろそろ奴隷の一つも持ってみてもいいと思うのです」
そういえばそうだったな。兄貴も一年過ぎれば年は取る。中身が伴っているかは知らないが。
「……連れていくのはいいが、買うかどうかは別だぞ?」
「連れていっていただけるだけでも嬉しい限りです!」
兄貴が嬉しそうに答えた。まったくわかりやすい奴だ。店にさえ行けば、買ってもらえるとでも思っているんだろう。
しかし、奴隷か。前世の世界では、海の向こうで実際にあった制度である。
ただ、日ノ本でもまったくなかったということではない。形は違えど農民は上の身分の者には逆らえなかったし、闇での人さらいや人身売買なんてのもそれなりにあったからな。
こっちではそれが公に商売として認められているという話だ。俺は興味ないけど。
やがて、馬車はタラードの町にたどり着いた。
タラードは商業が盛んな町だと聞いている。確かに、人の数が多くて活気に溢れている。
父上の治めるエガの町とは規模も人の数も大違いだな。石造りの建物が主で、屋根は赤で統一されている。
町中の道も全て石畳だ。幅も広い。金がかかってるな。それだけ資金が潤沢にあるってことか。
しかし、なんだろう。上手く言えないけど、妙に嘘っぽさのある町並みに思える。
「こちらが宿です」
「あぁ、ありがとう」
御者が扉を開けたので、馬車を降りる。
ようやく長旅から解放された。父上の馬車は一般的なものより乗り心地はいいらしいが、それでもやはり慣れない。日ノ本では馬車がそもそもなかったからな。馬術は習っていたけど、忍者の場合走った方が速いし。ここ数日で大分体がなまってしまった。
宿についてから、兄貴が随分とそわそわしていた。よっぽど奴隷商の店に行くのが楽しみらしい。荷物を置いてすぐにでも行きたいと言いだした。
「お前も特別に一緒に行くのを許可してやろう」
機嫌がいいせいだろうか、珍しく兄貴から声がかかった。俺に向けられるドヤ顔がイラッとくる。
別に行かなくてもよかったのだが、こっちの世界についての知識は深めておきたい。兄貴もこう言っていることだし、同行するか。
宿を出発する前、兄貴は父上に話す。
「父様、やはり奴隷とはいえ、ある程度優秀な存在がいいと私は思います。屋敷に役立つ者がいいでしょう。器量に加えて頭もよければ最高です」
「胸を膨らませるのはいいが、必ず買うと決まったわけではないのだからな。それと、あまりはしゃいでみっともない真似をするんじゃないぞ」
「そうだぞジン! 貴様はあくまで私のおこぼれで付き合わせてやるだけなのだから、我が家の恥になるようなことはするなよ!」
兄貴がこちらに指を突きつけながら言ってきた。あのな、父上はお前に注意したのだと思うぞ。さっきから浮かれすぎだからな。
そして再び馬車に乗り込み、俺は二人に付き添う形で奴隷商の店とやらに行くことになった。
「ここが、奴隷商館というものなのですね!」
店の前に着くと、兄貴が鼻息を荒くさせた。
ふむ、建物は結構立派だな、と思いながら父上と兄貴に続いて店の中に入る。
「ようこそおいでくださいました、エイガ卿。ささ、どうぞこちらへ」
入店すると、支配人を名乗る男が部屋まで案内してくれた。ちょび髭を生やした腰の低い男だ。シャツの上に赤いベストを着て、折り目の入ったズボンを穿いている。流石に身なりは上等だな。
支配人は一目見て父上がエイガ家の人間だとわかったが、これはエイガ家の名が広く知れ渡っている証拠だろう。魔法の名門と名高い家系だけある。
ちなみに、なんとなくエンコウとマガミも連れてきていたが、特に文句は言われなかった。
支配人は頭を下げ、父上に聞く。
「この度は当商会にお越しくださり、ありがとうございます。どのような奴隷をご要望ですか?」
「いや、先日誕生日を迎えた息子のロイスが、奴隷に興味があるようでな。だから要望はロイスに聞いてほしい」
父上が答える間、兄貴はキョロキョロとしていて落ち着きがなかった。
「なるほど、誕生日の贈り物というわけでしたか。ロイス様、誠におめでとうございます」
「うむ、苦しゅうない」
胸を張って偉そうに答える兄貴を、ジロリと父上が睨む。
「ロイス、調子に乗るな」
「し、失礼しました」
いきなり注意されてるぞ、こいつ。まったく、先が思いやられる。
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