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初熱5

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 早朝5時頃。
 明け方特有の、濾過ろかでもしたかのようにんだ空気をのど奥で味わいながら、りんと立ち並ぶ中庭のチューリップ達を眺めていると――

「濃くなってる……」

――カーテ片手に、ナースちゃんが重い表情でそう呟いた。
 外は明るく清々すがすがしいってのに。 木壁を1枚挟んだだけのこちら側は、まるで分厚い曇り空の様相である。
 朝っぱらから心配掛けちゃって、申し訳ない。

「薬、効かなかったの?」

 夫婦を代表してお母さんがたずねる。

「それは……詳しい結果は師匠待ちなので推測でしかないなのですが、昨夜の顔色を見た限りでは、ちゃんと効いていたと思うなのですよ」

 そうだよね。
 今だってそんなにだるくないし、熱はなんとなく上がってる気がするけれど、それでも昨日よりは楽だし食欲も健在だ。
 支えが無くとも自力で起きられるくらいには。
 体感的には、もう退院したって良い具合なのだが……。


「37度……9……?」
(ほぼ38度じゃねぇか!)

 体温計の結果に心がざわめく。
 昨夜は37.3だったのに。 たった一晩でぶり返し過ぎだろ!
 ゲームのせいか? 調合アイテム収集に熱中し過ぎたのか? 最小金レイアチャレンジはやり過ぎだったか?
 こんな時だけ体調に影響が及ぶなんて、夢だからって甘く見ていた……。


 メモし終えたナースちゃんが体温計を仕舞っている間、お母さんに上半身の汗をまんべんなく拭き取られていると、「せっかくなら」とシャワーを借りる事になった。
 親子3人で仲良くサッパリし、6時半になったらしいので朝食を取る。
 そして、

「結果出たよ」

 私の口内粘膜を綿棒で採取していたシア先生が、約2時間ぶりに帰ってきた。
 ナースちゃんを連れて。
 私から見て左側、両親と対面する位置にシア先生が腰を下ろす。 ……なんかドキドキしてきたなぁ。
 両親もどことなく表情が固い。 症状が悪化していない事を祈るしか出来ないもんね。
 シア先生が、持ってきたA4サイズの紙をテーブルに広げる。

「まず、テング熱の原因とおぼしき菌は見当たらなくなっていたから、治ったと判断して良いと思うよ」
「そっかぁ」

 安堵の溜め息を一つ、両親でシンクロする。
 テング熱が爆発的に増殖した訳ではなかったんだね。 良かったぁ。

 しかし、それもつかの気休めでしかない。 本題はここからだ。

 シア先生がもう1枚の紙も広げる。

「ただ……ここ見て、保有魔力量が1歳児平均の約10倍になってるの」
「「10倍っ!?」」

((10倍っ!?))
(じっ……はぁ!?)

 想定の一桁ひとけた上に、言葉が追い付かない。

 昨日、ナースちゃんに「平均を軽く超える数値」とは評価されたけど、まさかそこまでとは……。
 これはヤバい。 最悪、国や教会に知られれば偉い人に連れていかれ、魔法の英才教育をビシバシ叩き込まれた挙げ句『何百年に一人の天才』とか『神の御使い』とか担ぎ上げられて一生こき使われるパターンだ。
 考えただけでゾッとする。 そんなことになれば村興しどころか、出自しゅつじまで隠され、帰る事も許されないだろう。
 『才女』? 『聖女』?

(違います! 私どっちかと言うとただの『痴女ちじょ』です!)
((どうしたの急に!? 何その斬新な告白!))

 思考を覗かれ、今度は((発想が古い!))とツッコまれた。
 お姉ちゃんが言うには、今どきの人権はそこまで軽くないらしい。

「落ち着いて。 気持ちは分かるけど、多分2人が思ってる程の異常値じゃないから」

 シア先生が、冷静に両親をなだめる。

「そうなの?」
「そう、今すぐ暴走とかの心配はないよ。 ……と言うか、何故にルースくんまで驚いているのかな? 昔教えた筈なんだが」
「えっ! ……あれ?」

 視線が集まるが、お父さんの頭からは完全に抜け落ちている様子だった。
 シア先生が「あれは確か……」と記憶を振り返る。

「ルースくんの初アテーナー前日での宿。 『妊娠したら責任とってくれるなら良いぞ?』の流れで、ちょっと触れただろ?」
「あの時か! 無視して寝たから知らねぇよ!」

 当時のいきどおりまでフラッシュバックしたらしく、お父さんがテーブルをバンッと突いて立ち上がった。
 苦労してるなぁ。 お父さんって、意外とラノベ主人公?

「そういや、聞いてると思って話し掛けたら眠ってたなぁ。 仕返しに、その日は全裸で添い寝してやったんだっけ?」
「そうだよ。 あれに血の気が失せて、以降シア先生を女性として見れなくなったんだ」

 ドン引きじゃねぇーか。
 まぁ考えてもみれば、アニメや漫画ならいざ知らず、リアルでそれやられたらただっただ恐怖だわな。
 私としては現在進行形で無言を貫いているお母さんのノーリアクションが一番恐ろしいんだけど……。

「青春の思い出を懐かしむのはここまでにして、話を戻すよ」

 と、真面目そうな表情に戻るシア先生。
 誰のせいだと……。
 お父さんも「っくぬ……」と言葉を飲み込み、椅子に腰を落ち着かせた。 これ以上脱線してらんないもんね。
 シア先生が続ける。

「体は常に、体内の魔力濃度をほどよく調節しているってのは、授業で習ったよな? まだ未成熟な幼児期、特に6歳児くらいまでの子は、その濃度がとにかく希薄なの。 個人差はあるけどね」
(へぇー、そうなんだ)

 ほどよく調節、か。 『一晩寝ればHP・MPゲージ完全回復フルチャージ』なイメージだったけど、どうやら違うらしい。

「『10倍』と言うと物凄い風に聞こえるけど、保有限界を100と仮定した場合の100分の5、から、100分の50になった、と思えば分かりやすいかな?」

 両手も使った分かりやすい説明により、両親も「「あ~」」と納得した。
 あー、だから全然怠くないんだ。 むしろ元気そのもの。
 普段が低すぎるくらいなんだね?

「そもそも魔力が無くなったからって死ぬ訳じゃないし、限界にたっしたって体外に排出されるだけだから、本来なら鎮静ちんせい効果のあるアロマと適度な睡眠で、自然と回復させられる程度の症状なの。 コップだって上から水があふれるだけで、コップそのものが割れる訳じゃないだろ?」

 確かに。

(あれ? ならもう帰れるんじゃね?)

 話の通りなら、何の問題も無い気がするんだけど。

 しかし、そんな私の浅はかな期待は、次の会話で跡形も無く吹き飛んだ。

「……本来なら?」

 お母さんの指摘に、シア先生が難しい表情を浮かべる。

「そっ、本来ならで自宅療養に移れたんだけど……ちょっと気になる点があってね。 通常、たった一晩でこんなにも魔力が濃くなるなんて、考えられないんだよ。 しかも睡眠中にだよ? 夜更かしして遊びほうけてたってならまだしも」
 ギクッ!
「このまま急速に濃くなり続けるようなら、魔素中毒を引き起こす危険だってある。 悠長に退院なんてさせらんないよ」

 マジかぁ。 両親が「何で回路不全なんかに……」と、深刻な面持ちで昨夜の様子を確認しだした。
 体感的にはそんな切迫した容体ようだいとは思えないんだが……。 皆を見るに、回路不全(?)と呼ばれるこれは、テング熱よりも厄介っぽい。
 完全に私のせいだ、ごめんなさい。

 換気かんきのためにと開け放たれていた窓から、朝陽を香る、さわやかな風が流れ込む。
 薄手のカーテンをふわりとらし、室内に充満するよどんだ空気が動き出す。

「とりあえず、渡してある分の薬は、そのまま継続して飲ませるようにな。 菌が潜んでたりしちゃぁ面倒だから。 解熱剤も入ってるし」
「はい」

 どうやら、念のためにと食後に飲んでおいて正解だったっぽい。

 お姉ちゃんが言うには、こっちの世界の薬はその殆どが漢方のようなものらしく、基本的には普段から常用したって問題無いくらいには安全な物なんだとか。 生姜しょうが紫蘇シソ胡桃クルミだって生薬しょうやくらしいからね。
 私が飲んでいる粉薬も、1歳の女の子が嗚咽おえつで涙ぐむレベルのキツい味してるけど、鶏肉か白身魚にまぶして焼いてみたら案外イケそうな気がするもん。

「それと、薬草オイルを練り込んだアロマキャンドルも渡しておくから使ってみて。 合わないようだったら止めて良いから。 もちろん、換気を忘れないように。 シエっちまで寝そうになったら半開きに固定しときな」
「はい」

 『薬草オイルのアロマキャンドル』という初めて聞くブツに心が踊る。
 思えば、異世界に転生して1年以上経つってのに、私は未だ『薬草』を知らないんだよなぁ。
 使った事はもちろん、見たことも嗅いだ事もない。 薬に含まれていたかもだけど、基準となる薬草そのものを知らないのだから分かりようがなかった。
 ゲームで散々お世話になりまくったあの『薬草』を、ついに香りだけでも味わえるのか♪
 こんな状況で申し訳ないけど、ついつい期待に胸が高鳴ってしまう。

「で、肝心の魔素についてなんだけど……」

 そう言いながらシア先生が白衣の胸ポケットから取り出したのは、うずら卵サイズの薄茶色い小石だった。
 何だろうアレ、初見だな。

呑気のんきにアルバン貼ってるよか、パフシーカントで吸っちゃった方が確実だからね」
(ん? 今何て?)

 聞き慣れない2つの単語に、お姉ちゃんが((あっ))と思い出したように補足してくれた。

((『アルバン』ってのは商品名で、そっちで言うところの『熱冷ねつさまシート』の魔素版ね。 それで『パフシーカント』って言うのは、魔素切れしてカラになった魔石シーカント。 日本語っぽく言うなら『空石カラいし』って意味。 ちなみに、アルバンにも砕いた空石パフシーカントが使われてるんだよ))
(へぇ~、これ魔石なんだ)

 実物なんて初めて見た。
 でも初魔石がよりにもよって絞りカスとは……。

(これは空石パフシーカント。 魔石じゃない、空石パフシーカント

 ……よし、セーフ。

 空石の使い方は両親も知っていたらしく、詳しいレクチャーは聞けないまま服をめくられ、鳩尾みぞおちくぼみに薄い包帯で固定された。
 窓ガラスを触った時くらいの冷たいとも言えない温度差に、見た目以下の軽さ。 まるでつるつるした軽石みたい。

「万が一満タンになったら交換するから、セラっちか受け付けにでも言って。 それとソレ、細かい傷くらいなら良いけど割れたりしたら買い取りになっちゃうから、遠慮なく壊してくれちゃって構わないよ♪」
「在庫有り余ってるんですね?」

 魔石なんて、各家庭で普通に使われてる電池みたいな物だからな。 処分に困ってる様が目に浮かぶ。

「いんや? 在庫はあと3つしか無いよ? それ私が使ってたやつだから」
「おい医者」

 私物貸すな。
 何ちゃっかり患者で小銭稼ごうとしてんだこの人。

「そんなに少なくて大丈夫なのか?」

 お父さんの疑問に、シア先生がヤレヤレとでも言いたげな表情で返す。

「あっても使わないもん。 大ぁ体、魔力操作すら教わってない児童で空石が必要になる程の魔力回路不全なんて、先天性な異常か、外部からの魔力干渉による副作用くらいなんだよ? どっちもそうそう起こらないけど、義務化されてるから仕方なく確保してある程度しかないの。 必要になればご近所さんからでも買えるしね」

 そんなもんなのか。
 消火器みたいな感覚してんのな。


 その後、テング熱の時と同じような細かい注意点を改めて受け、シア先生はカルテを1つにまとめると、テーブルのすみに寄せた。
 続いてそれっぽいノートを広げ、ナースちゃんから羽根ペンを借りる。
 昨日見たシア先生の羽根ペンより一回り小さめで、タカの羽根みたいながらをしている。
 羽軸うじくの中が黒い。 インクの瓶を出した音がしないので、ボールペンのような構造なのかも。

「じゃぁ聞いていくけど――」

 と姿勢を正し、先生はとてもじゃないが似合わない医者っぽい真剣な面持ちで、私の普段の生活習慣や食事内容・私物(玩具やミサンガ等)・性格、更には交友関係や家具の数・配置・1日の平均使用回数にいたるまで、根掘り葉掘りノートに記入し始めた。
 それ要る?と何度思ったか。
 にしても、一切として疑問にすら感じていない様子で、聞かれるがまま答えていく両親には少しばかり驚かされた。
 さっきまであんなにツッコミまくってたってのに。
 多分、シア先生を全面的に信頼しているからこそ、なのだろう。
 セラっちが弟子になりたがるくらいだし、元保健室の先生だもんね。 私の知らないまだ見ぬシア先生が居るのかも知れない。

「ん~……」

 長い長い質問攻めも一息吐き、ノートに目を通しながら、シア先生が深くうなる。
 雰囲気が医者モードなままなので、両親ですら安易に口を挟めそうにない。
 しばらくして。 「……よしっ」と席を立つシア先生が、顔を上げた瞬間「ぁ……」と目を丸くした。

「ぁあっとごめんごめん! もう良いから。 今思い付く限りは聞けたし、ルースくん仕事があるんだろ?」
「ん。 そういう事なら」

 その言葉待ちだったらしく、お父さんが腰を上げる。
 慌てる先生に対し、こっちは随分と冷静だ。
 その姿に、シア先生も落ち着きを取り戻した。

「悪いな。 もし遅刻したら、私のせいにして良いからな?」
「遅れるかもって伝えてあるから大丈夫ですよ。 言われなくてもそうしますし」

 想定内だったか。

 窓側ベッドの、書類が入った鞄を手に取り、「じゃ、いってくる」と妻子さいしに手を振る。

「いってらっしゃい」
(いってらっしゃぁ~い)

 私も、心の中で見送――

「そうだそうだ! ちょっと実際に見ておきたいんだけど、家の鍵ってどっちが持ってるの? 貸して」
(ちょっ! この人……。 何の意味が!?)

 あんた家の中見たいだけだろ!
 魔力回路不全(仮)とどういう関係が?!

「お互い持ってるんですよ。 はい」

 お母さんが財布から鍵を取り出し、何の疑念も無くあっさり差し出す。
 先生はそれを「おぅ、あんがと♪」と、消しゴムでも借りるかのような軽さで受け取った。

(どんだけ信頼しきってんだよ!)

 消しゴムでももうちょっと逡巡しゅんじゅんするわ。

 私だって意味があるのだと信じたいさ。 けど何かを盗まれる事は無いにしても、何かしらイタズラされそうで恐ろしいんだよ。
 この人は嬉々としてそういうしょうもない事を実行する系だ。

 お父さんと一緒に病室を出る瞬間、れ違い様にナースちゃんの肩をポンポンと叩く。

「じゃ、ちょい外出するから、代理お願いね」
「ワヤッ!? ちょちょちょっ、代理なのですか!? 何時間出てる気なのですか! 僕はまだ「」免許持ってんだから問題無いでしょ?♪ これも修行しゅぎょ~♪」

 お父さんの背中をグイグイ押しながら、足早に去っていくシア先生に、ナースちゃんが廊下まで追い掛けて叫ぶ。

「また寄り道したら夕飯減らしてやるなのですぅ!! 匂いで分かるなのですからね~~!!」

 うっすら涙ぐみつつ、全身を使って怒りを表現するぷんすこナースちゃん。
 あ、今まで角度的に見れなかった、ちっちゃいチワワ尻尾まで感情的に反り返ってる。 何この可愛い生物。
 威嚇いかくすらあざとい小型アニマルか。

 諦めモードで、肩を重くしたナースちゃんが戻ってきた。

「フギ~……。 診察室に居なきゃなので、何かあったら遠慮なく来てなのです……」

 声が腹の底から響いてる。

「あ、うん。 何かごめんね」
「いえ、場合によっては他の先生の補助に回りますなので、大丈夫なのです。 こちらこそ、騒々しくしてごめんなさいなのでした。 でわ……ぁ」

 カルテやテーブルを片付けていたナースちゃんの手が止まった。

「ペン……持ってかれた……」

 あんのスットコドッコ
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