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初熱3
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柔らかい昼食を終えて午後。
テング熱に空気感染はないらしく、話を聞き付けたエレオノールさんとフローラちゃんがお見舞いに来てくれた。
「ねーねぇ!♪」
フローラちゃんの、私を見付けた元気そうな笑顔にホッと安心する。
(あとはクーテルさん家か)
何事も無いに越したことはないけど……それはそれで困るんだよなぁ。 花か蝶か、はたまた帰りの屋台で食べたタコ焼きサイズのパンケーキ(ジャム入り)か。 原因が分からないと予防のしようがない。
いやまぁ、生活習慣を見直して免疫力アップさせれば済む話しなんだけどね。
「これ、皆さんでどうぞ」
エレオノールさんが、果物を盛り合わせた竹籠をお母さんに手渡す。
「あぁ、ありがとうね。 買ってこようか迷ってたのよ」
担当とは言え、ナースちゃんが付きっきりで見てくれる訳ではないからね。 「一声くれれば見るなのです」って言ってくれてたけど、急患とか来たら離れることもあるらしいし。
「そうでしたか、なら良かったです。 あと、これ果物ナイフとスプーンです。 買ってきたばかりのなので」
「あ~、わざわざありがとうねぇ。 ……新品っぽいけど、高くなかった?」
横目でチラ見すると、お母さんが受け取っていたのは傷1つ無い綺麗な新品だった。
もちろん、こっちには100円ショップなど無いので、新品となると中古の倍は高つく。 家の使用済みを渡す訳にもいかないんだろうけど、軽い入院には過ぎた品だ。
エレオノールさんがお母さんの隣の椅子に腰掛ける。
「それが全部中古価格なんですよ。 凄いですよねぇ。 ガルガッドさんの所のお弟子さん達なんですけど、練習で出来た良品を『ガキの作った安定せんもんをまともな値で売れるか、そういうのは看板背負ってからの話しだ』って安く提供しているそうなんです」
「へ~♪」
あったなぁ、そういうの前世でも。 生徒の実習だから安く食べれるって店。
そのまま話を聞いていると、どうやらたまに来る商人や冒険者もそれを目にし、修繕の依頼が少しばかり増えたらしい。 綺麗になっただけでも気分が違ってきたりするからね。
「良い宣伝になってる訳だ」
キーホルダーよりは実用的だもんな。
「コバールさん達とも、上手くやれているそうです。 下請けの生産効率まで上がったって喜んでおられました」
つい先月末まで作業場の狭さに四苦八苦してるって聞いていたのに、なんとも優秀な人達だ。
貴族に雇われていただけの事はある。
「定住してもらえて正解だったわね」
「ですねぇ♪」
肩の荷が下りたような、一仕事終えた的な2人の微笑みに、私も心の中で(お疲れ様~)と労った。
半ば賭けのようなものだったからなぁ。
ハルネでの第一印象は『感情的になりやすい頑固オヤジ』と『チャラいトラブルメーカー』でしかなく、最悪の場合、村の鍛冶屋や鉄材を運ぶ商人との折り合いが付かずに、また出て行かれる可能性だって考えられた。
もちろんそんな事は両親だって憂慮していて、ガルガッドさん達の要望や人となりを事前に聞きまくった上での共同作業案となっている。 じゃないと揉め事の原因になるからね。
いくら財政が火の車だからって、誰でも受け入れられる訳ではない。
まさか元同僚を家族単位で呼び寄せるとは思わなかったけど……。 予定が涙目で不貞腐れてたぞ。
「まぁまっ! ねぇねぇとぅあ~ぶ!」
エレオノールさんの腕に止められているフローラちゃんが、本格的に愚図り始めた。
何言ってんのか全然分かんないけど、多分私と遊びたいんだろうなぁって感情だけは、こっちに伸ばされた腕の動きからも伝わってくる。
当然、いくら頑張ったって離してはもらえないが。 空気感染しないからって、遊べる体調じゃないからね。
(あっ……)
「ッケホ! ケホッケホッ!」
「あっ、はいはい、ちょっと待ってねぇ」
とお母さんがお昼にナースちゃんから貰っていた、大きな氷入りの水差しとコップを取り出した。
ラーメン屋のあれみたいなやつ。
コップの半分まで注ぎ、私の背中を支えて唇に宛がう。 自分で飲めないほど弱っているわけではないんだけど、せっかくなので甘えさせてもらうとしよう。
口を少し開け、冷たい水で喉を潤す。
『冷たい水ばっか飲んでると腹壊すぞ』と、前世で父親に何度も何度も言われ続けてきたのがフラッシュバックしたけれど、こんな時くらい大丈夫よね?
どっちにしろ水は冷たくないと飲めない派なんだけどさ。
一気に飲み干し、枕に頭を戻す。
そんな様子を見ていたエレオノールさんが、とある懸念を口にした。
「やっぱり、昨日の午前にはもう発症していたんでしょうか……」
昨日の午前と言うと……あぁ、草原に行く前にしてた咳か。
あれは喉が渇いただけなんだけど、不安そうな表情を見てると申し訳なくなる。
そうだよな、仮にあの時から潜伏してたなら、フローラちゃんにも影響が出ないか頭をよぎって当然だろう。
まぁ……
「ねぇね! まぁまっ、ねぇねぇっ!」
さっきから上半身を大きく前後に揺らして、凄んげぇうるさいくらいに元気溌剌と存在をアピールしてるんだけどね。
心配要らなそ~。
お母さんが水差しを片付けながら難しい顔をする。
「じゃないと良いんだけど……『何処で貰っちゃったのかなんて分かんないから、少しでも気になるなら診察に来なさい、ってか娘の顔くらい見せなさい』ってシア先生も言ってたから、折角なら行ってみたら?」
「え、ぁえっ?! シア先生帰ってきてたんですか!?」
エレオノールさんが目を丸くして前のめりになる。 その様子に、お母さんは深い溜め息と共に肩の力を抜いた。
「……ね~、そうなるよねぇ~。 私だけ聞かされてないのかと思ってたよ」
「相変わらずのずぼら加減ですね……。 そういう事なら、帰りに寄ってみます」
「いや今行きなよ。 もう午後だし、私も気になって話し入ってこなくなるからさ」
分かる。 コンビニより目と鼻の先なんだから、パ~っと行ってチャッチャと診察してもらえばすぐ終わりそうだもん。 結果だって異世界シリアル食ってる時に来てたらしいし。
気を使ってくれるのは嬉しいけれど、朝起きたら娘が高熱出してるなんてのは、私1人だけで充分だ。
・
「こんにちはぁ……」
「あっ、こんにちは。 そっちは大丈夫?」
エレオノールさん達が病室を出て数分、今度はクーテルさんとミテル・キーテル姉妹が来てくれた。
「「こんにちは~♪」」
姉妹が繋いでいない方の手を挙げて、声は控えめに挨拶する。 病院だから静かにって言われてるのかな? なんて良い子達だ。
「こんにちは♪ 大丈夫そうね」
「はい、運良く。 エレオノールさん達とはさっき診察室前ですれ違いました」
竹椅子を3人分、病室の隅から持ってきたクーテルさんが、双子を私の足元側に座らせる。 3人が私を挟んだ対面側に座ったのは、来るであろうエレオノールさんに配慮してかな。
「入院するって聞いて驚きましたよ。 ……大丈夫なんですよね?」
私を見るクーテルさんの顔が、心配から不安そうな表情へと変わっていく。 昨日まで元気だった幼児が高熱出してハァハァ言いながら寝込んでるんだもん、そりゃあ気が気じゃないわ。
そんなクーテルさんに、お母さんが普段と変わらない微笑みで返した。
「お昼に薬は飲んだし、念のための入院だから多分ね。 こんな調子だけど、ただの軽いテング熱だから明日か明後日には治るだろうって」
「テング熱、ですか」
「強いて言うなら、汗疹にならないよう頻繁に拭いたり着替えなきゃだし、喉渇きやすいからあんまり目が離せないくらいかな? そうだ、一応マスクしてなくても大丈夫とは言われてるけど、気になるなら売店で見掛けたよ」
(マスクあんのかい)
あるんなら着けとこうよ。 こちとら結果出るまで両親に移らないか心配だったんだからね。
まぁ、ただでさえ熱いのに息が籠って尚更暑苦しくなるから、死に物狂いで抗うけど。
クーテルさんが「ん~……」と、何やら私からは見えない角度で遊んでいるらしき姉妹に顔を向ける。
「ですよね、病院内だし……。 姉妹揃って極端に嫌がるので、違うのを買わされるかもですが」
なんて冗談めかしつつ、座ったばかりだというのにまたその腰を上げる。 エレオノールさんの時もだけど、話の流れとは言えちょっぴり申し訳ない気分になってきた。
「何か要る物ってあります?」
ついでとばかりに気まで利かせてくれたクーテルさんに、お母さんが悩ましげな顔を棚へと向ける。
「んん~~……必要な物は病院のも貸してもらってるから足りてるとして、何か暇潰しにでもなりそうな玩具とかがあるかだけ、見てきてほしいかなぁ。 小銀貨以内だと買えるんだけど」
「小銀貨、ですか……?」
クーテルさんが言い淀む。
小銀貨1枚=1000円なので、前世ほど安くないこっちで1000円以下となると、かなり絞られる。 小さい子用と言っても、熱で怠い1歳児にボールやぬいぐるみなんてあげられないしね。
(あれ? これって案外、難しい注文じゃね?)
「いや、無いなら無いで全然良いんだよ。 “あったら”の話しなんだから」
お母さんが足の止まったクーテルさんに『悩む程のお願いじゃない』って部分を強調する。 そんなフォローにクーテルさんは「あっ、はい」と素早く返したが、その後すぐ「いえその……」と言いづらそうに言葉を繋げた。
「失礼かもですけど、思ってたよりギルドってお給料低いのかな?って……」
(失礼だわっ)
オブラートに包んでそうで全く包めていない直球どストレートに、危うく吹き出しそうになる。
そういうのは思ってても口にしないべきでしょうに。
これには、お母さんもガクッっときていた。
「そっちね。 育児休暇中だからってのもあるけど、単純に、村全体が儲かってないのよ。 贅沢できないの」
クーテルさんが首を傾げる。
「あれ? 役場やギルドって固定給じゃないんですか?」
「どっちも固定よ。 ギルドはギルド本部から、役場は領主から受け取ってるもん。 だから村が困窮したって減ることはないんだけど、あんまり目立つ買い物ばかりしてると印象悪いでしょ?」
「そうですか? 『私もああなりたい!』とか『さすが私達の顔』ってなっちゃいそうですけど。 むしろギルドや役場の人まで余裕が無いと、『不景気なのかな……』って不安になっちゃいそうです」
「あぁ~、まぁそれも分かるんだけどねぇ。 こっちは都市ほど人が多くないから、村の皆が苦労してるのに一部の人達だけで贅沢してるっぽくなるのは、格差みたいになっちゃうから止めておこうって話しに纏まったのよ」
(へぇ~)
都市と田舎じゃ、こうまで考え方や受ける印象までガラリと変わるもんなのか。 日本もそうだったのかな?
((貴族が身近にいないってのも、1つの要因だろうね))
と、お姉ちゃんが補足する。
((王都なんかだと、ギルド職員がどんなに良い生活してたって、もっと別次元でもっと目立つ人達がゴロゴロしてるんだもん。 そんな都市でのギルド職員の立ち位置なんて、大企業の正社員程度な感覚でしかないよ))
(充分羨ましいわっ)
程度って……大学諦めて高卒で食品売り場に就職した私からしたら、普通にワンランク上のエリート組なんですが。
あっ、でも東京でそれなら目立たないのか。
貴族って必要なんだな、デコイとして。
・ ・
「お邪魔します」
「ただいまです」
「あっ、おかえりぃ」
売店で合流したのか、エレオノールさん達が揃って病室に帰ってきた。
何やら表情明るめで。
「こんなの買ってきちゃいました♪」
クーテルさんが、好きな玩具を見つけた子供の笑みで、筒状の砂時計をお母さんに差し出す。
いや、あれは砂じゃない。 良く見たら水のやつじゃん!
私は全身の熱と怠さも忘れ、興奮任せに上体をグッと起こした。 突然の興味津々に、お母さんが「おっ!?」と私を支える。
「そんなに気になった? っ滅茶苦茶見てる!」
だって異世界にオイルタイマーなんて物があるとは思わなかったんだもん。
『オイルタイマー』とは、水と油の比重を利用した砂時計のような置物で、ひっくり返すと小さな穴から丸い水玉がポツポツ落ち、色んなギミックを回った後、下で合流するという、好きな人ならずっと眺めていられるインテリア雑貨である。
100円ショップにあったから、一度は見たことのある人も多いと思う。 色付きタイプで、赤や青の水玉がプニプニ降りてく様子は、小っちゃい物・可愛い物好きの私には堪らなかった。
スライムの行進みたいで。
それを買ってきてくれたってんだから、体が動かないなんて私じゃない。
お母さんの手に握られているため中間がどんな構造になっているかまでは分からないけど、下に青色の水が溜まっているのは確認出来た。
青か♪ これから暑くなってくるんだし、清涼感あってピッタリなんじゃない?
ナイスチョイスd。
「喜んでくれてるみたいで良かったです」
「うん、ありがとうねぇ。 ……で、いくらした?」
「3100フーリュでした。 この手の玩具にしては安い方ですよねぇ♪」
フーリュってのは、日本でいう円である。 1フーリュ=1円。
お母さんが私にオイルタイマーを渡し、背中からも手を離す。
おっ、結構ズッシリ重いぞこれ、ガラス製だからか? 100ショップのより倍は大きいし、ちょっとヒンヤリしてて手が気持ち良い。
ギミックは、側面の螺旋階段とスロープ……って言うんだっけ?滑り台みたいなのでコースが2つに別れている。 しかも反転すると、今度は中央の穴から一直線に降下していき、ガラス製の水車を回転させる仕組みっぽい。
これは時間を計る道具じゃないな。 ただの玩具だ。
今すぐにでもひっくり返してやりたい所だけど、せっかくなんだから、なるべく安定した所+皆で見れる場所にしたいよね……。
「「「…………」」」
「……」
(めっさ見られてるしっ……!)
幼児達の視線が熱い。 売店でお預けを食らったのかな? なんか私だけ申し訳無い。
昼食時にはあった、ベッドに取り付ける板って何処やったっけ。
「んっとぉ……」
気が付くと、お母さんがいつの間にか財布を取り出し、中身を確認していた。
質問の意図を察し、クーテルさんが慌てて身を乗り出す。
「あぁっ! お見舞いの品なのでお代は結構ですからね! これなら皆で楽しめるかな~って思っただけなので」
「んっ……そう? なら、お言葉に甘えさせてもらうね。 ありがとう」
申し訳なさそうにお礼し、お母さんは財布を手提げへと戻した。
暗におねだりしたみたいだったからね、気が引けたのだろう。 けど、お見舞いの品だと言われてしまっては、ありがたく受け取る他ない。
こういうのはいつか、何か違う形で返せば良いのだ。
「「「…………」」」
「……」
私からもお礼として、皆で仲良く共有するとしよう。
・
暫しの間、ベッドに取り付けたテーブルでオイルタイマーの動きを眺めていると、ナースちゃんが回診車を押して病室に入ってきた。
「魔力量の定期検査に来たなのです、ご協力お願いなのです」
「あっ、はーい」
お母さんがテーブルを足元側へとずらし、検査しやすいよう椅子ごと場所を移動する。
空いたスペースに、ナースちゃんが回診車を押して入ってきた。
可愛い目と視線が合う。
「元気そうで一安心なのです。 では、まずは体温からなの」
そう微笑むと、ナースちゃんは「ちょっとごめんなの~」とパジャマを脱がし、上半身を露出させた。
あぁ、涼しい。 湿った肌が空気に触れただけなのに、こうも体感温度が違うとは。
いっそ、今日はこのままで過ごすべきなのでは? 1歳児の性別なんて無いに等しいだろうに。
幼稚園児時代だって、一緒に風呂入ってたエピソードがあるくらいなんだし(私には無いけど)。
汗を拭き、次にナースちゃんが取り出したのは、この世界では一般的な細長いガラス製の水銀体温計だった。
左腕を上げ、つるつるな脇の窪みに先端を押し当てる。
冷たっ。 しかしヒヤッと体が強ばったのは一瞬のみで、すぐにそれ以上の問題が発生した。
(痛い痛い痛い!!)
「んぃ~~~っ!!」
「ッヤァァ~!? ごめんなの!」
涙目で訴える私に、ナースちゃんが体温計の力を弱める。
深くまで挿れ過ぎなんだよ……、下手なのかナースちゃん。
中心体温に近い脇の下の動脈そばで計る場合、挟むだけでは足りず、押し上げるようにして挿れ、その位置をキープするのが正しい計り方だ。 なんだけど……刺さるかと思ったぞ。
乙女の柔肌に穴が空いたらどうしてくれる。
「ティ……ティプルキーッシュッ」
(ん? なんだって?)
ネイティブ過ぎて分からなかった。 と言うより、聞き覚えの無い発音だった。
改めて、体温計で脇の窪みを押し上げる。
(っんん~……)
痛いけど、今度のは我慢出来ない程じゃないかな。
腕を下ろし、グッと挟んだ状態で数分待つ。
「このまま、大人しくしててね。 その間に……」
とナースちゃんが次に取り出したのは、リトマス試験紙みたいな白い布・『感魔布』だった。
病室に来てすぐの、眠る前にも一度計っているので、既に使い方は知っている。
私の好きなタイプのアイテムだ。
「はい、あーん」
ナースちゃんにあーんされるご褒美を噛み締めつつ、カーテの端を唇でくわえる。 長方形の布なので、残りはてろんと垂れ下がった。
私がカーテをくわえたのを確認し、ナースちゃんが回診車の砂時計をひっくり返す。
その隣には既に1回り大きめの砂時計が、今まさに体温計の残り時間をカウントしていた。
見なきゃ良かった……。 だって、どっちも数分掛かる検査だから同時進行にしたのは理解できるけど、左脇からガラス棒が生え、口からは白い布が垂れ下がっている半裸というこの状態は、些か滑稽ではなかろうか?
幸い、誰のツボにも入っていないようだから、セーフとしよう。
「こんなに大人しい子、今まで見たこと無いなのです。 凄い子なの♪」
(だろうな)
水銀怖くて動けないし。
「……もうこうなったら、どこまで大人しくして居られるか色々試してみたいなの」
(やめて!)
病人で遊んじゃ駄目、絶対。
・
ほげ~~……っとオイルタイマーを眺めていること数分、3周目でカーテの検査結果が出た。
「は~いエメルナちゃん、お口開けてぇなのぉ」
カーテが摘ままれたのを唇で感じ、口を開けて回収してもらう。
その声に、子育てトークで盛り上がっていたお母さん達も一斉に振り返った。
ナースちゃんが唇に触れていた所だけうっすら青味掛かったカーテ片手にメモを取る。
「ん~……」
「どうかしたんですか?」
難しい顔を浮かべるナースちゃんを見て、エレオノールさんがお母さんに尋ねる。
「あぁ、1歳児の平均より多いんだって。 でも結局は個人差だし、何回か計ってからじゃないと平均なんて出ないから、まだどうとも言えないんだけどね」
「え、まだ計ってなかったんですか?」
2人の会話にクーテルさんも混ざる。
「うん。 そっちじゃもう計るようになってるの?」
「あぁいえ、私がどうしても気になっちゃったってだけで。 結局、あんまり意味無かったんですけど」
「成長期だとねぇ」
毎月何枚使うんだって話しだもんな。
「ん~……」
ナースちゃんがメモを見ながら考え込む。
検査結果を見て唸られていると、どうにもこっちとしては落ち着かないなぁ。
「セラちゃん、どうかした?」
「……んワヤッ!? あぁえっと、いや、その……」
お母さんも心境は同じだったらしく、ナースちゃんが慌てて考えを纏める。
「見た目元気そうなので、これがエメルナちゃんの正常値内なんだとは思うなのですが……これ」
そう言ってナースちゃんが見せたのは、さっき使ったばかりの変色したカーテだった。
「普通、魔力量の少ない幼児のカーテ検査では、カーテは変色せずに白いままなのです。 だけどエメルナちゃんのは、うっすらとは言え青色が出たのです。 つまり今のエメルナちゃんは、幼児の平均を軽く上回る量の魔力を保有しているって事なのです♪」
『エメルナちゃん、凄い子なのです♪』と聞こえてきそうな目で私を見詰めるナースちゃん。
(マジか!)
同世代の平均を軽く上回る魔力量とか、なにそのロマン展開。
異世界転生系の主人公みたいじゃん。
これってやっぱ、地道な努力の成果ってやつだよね? 魔法関係は基本的に夢の中でしか特訓出来ないから、こんなに成長していたとは予想外だ。
夢の中でも、ちゃんと意味はあったのな。 知識と技術と精神面だけかと思ってたよ。
「それって、熱とは関係無いの? 悪影響は?」
私の密かな喜びとは裏腹に、お母さんが心配そうな顔で質問を続ける。
そっか、その可能性もあるのか。 浮かれるにはまだ早かったな。
ナースちゃんが難しい顔でカーテを仕舞う。
「ん~……さっきから悩んでいたのはそこなのでして。 でも色的には危険な濃さではないので、これがエメルナちゃんの正常値なら何の問題も無いなのです。 もし何処かに異常があれば、生後1週間以内には問題が発生していた筈なのですよ」
そうなのか、なら安心だな。
これでも私は約1年3ヶ月もの間、一度たりとも風邪を引いた事のない健康優良児だったのだから。 今更である。
もちろん、記録は現在進行形でフローラちゃんが更新している。
「……ですが念のため、これが終わったら師匠に聞いてみるなのです」
「そう、お願いね」
お母さんの不安を察したのか、ナースちゃんはそう提案して唸るのを止めた。
その後もう1つの砂時計も役目を終え、27.6度を記入すると、ナースちゃんは病室から出て行った。
これを今日はあともう1回やらなければならないのか……。
そう思うと、お母さんがせっかく着せてくれたこのパジャマ、ガチで脱ぎたくなってきたんですけど。
実質個室空間なんだから……駄目ぇ?
テング熱に空気感染はないらしく、話を聞き付けたエレオノールさんとフローラちゃんがお見舞いに来てくれた。
「ねーねぇ!♪」
フローラちゃんの、私を見付けた元気そうな笑顔にホッと安心する。
(あとはクーテルさん家か)
何事も無いに越したことはないけど……それはそれで困るんだよなぁ。 花か蝶か、はたまた帰りの屋台で食べたタコ焼きサイズのパンケーキ(ジャム入り)か。 原因が分からないと予防のしようがない。
いやまぁ、生活習慣を見直して免疫力アップさせれば済む話しなんだけどね。
「これ、皆さんでどうぞ」
エレオノールさんが、果物を盛り合わせた竹籠をお母さんに手渡す。
「あぁ、ありがとうね。 買ってこようか迷ってたのよ」
担当とは言え、ナースちゃんが付きっきりで見てくれる訳ではないからね。 「一声くれれば見るなのです」って言ってくれてたけど、急患とか来たら離れることもあるらしいし。
「そうでしたか、なら良かったです。 あと、これ果物ナイフとスプーンです。 買ってきたばかりのなので」
「あ~、わざわざありがとうねぇ。 ……新品っぽいけど、高くなかった?」
横目でチラ見すると、お母さんが受け取っていたのは傷1つ無い綺麗な新品だった。
もちろん、こっちには100円ショップなど無いので、新品となると中古の倍は高つく。 家の使用済みを渡す訳にもいかないんだろうけど、軽い入院には過ぎた品だ。
エレオノールさんがお母さんの隣の椅子に腰掛ける。
「それが全部中古価格なんですよ。 凄いですよねぇ。 ガルガッドさんの所のお弟子さん達なんですけど、練習で出来た良品を『ガキの作った安定せんもんをまともな値で売れるか、そういうのは看板背負ってからの話しだ』って安く提供しているそうなんです」
「へ~♪」
あったなぁ、そういうの前世でも。 生徒の実習だから安く食べれるって店。
そのまま話を聞いていると、どうやらたまに来る商人や冒険者もそれを目にし、修繕の依頼が少しばかり増えたらしい。 綺麗になっただけでも気分が違ってきたりするからね。
「良い宣伝になってる訳だ」
キーホルダーよりは実用的だもんな。
「コバールさん達とも、上手くやれているそうです。 下請けの生産効率まで上がったって喜んでおられました」
つい先月末まで作業場の狭さに四苦八苦してるって聞いていたのに、なんとも優秀な人達だ。
貴族に雇われていただけの事はある。
「定住してもらえて正解だったわね」
「ですねぇ♪」
肩の荷が下りたような、一仕事終えた的な2人の微笑みに、私も心の中で(お疲れ様~)と労った。
半ば賭けのようなものだったからなぁ。
ハルネでの第一印象は『感情的になりやすい頑固オヤジ』と『チャラいトラブルメーカー』でしかなく、最悪の場合、村の鍛冶屋や鉄材を運ぶ商人との折り合いが付かずに、また出て行かれる可能性だって考えられた。
もちろんそんな事は両親だって憂慮していて、ガルガッドさん達の要望や人となりを事前に聞きまくった上での共同作業案となっている。 じゃないと揉め事の原因になるからね。
いくら財政が火の車だからって、誰でも受け入れられる訳ではない。
まさか元同僚を家族単位で呼び寄せるとは思わなかったけど……。 予定が涙目で不貞腐れてたぞ。
「まぁまっ! ねぇねぇとぅあ~ぶ!」
エレオノールさんの腕に止められているフローラちゃんが、本格的に愚図り始めた。
何言ってんのか全然分かんないけど、多分私と遊びたいんだろうなぁって感情だけは、こっちに伸ばされた腕の動きからも伝わってくる。
当然、いくら頑張ったって離してはもらえないが。 空気感染しないからって、遊べる体調じゃないからね。
(あっ……)
「ッケホ! ケホッケホッ!」
「あっ、はいはい、ちょっと待ってねぇ」
とお母さんがお昼にナースちゃんから貰っていた、大きな氷入りの水差しとコップを取り出した。
ラーメン屋のあれみたいなやつ。
コップの半分まで注ぎ、私の背中を支えて唇に宛がう。 自分で飲めないほど弱っているわけではないんだけど、せっかくなので甘えさせてもらうとしよう。
口を少し開け、冷たい水で喉を潤す。
『冷たい水ばっか飲んでると腹壊すぞ』と、前世で父親に何度も何度も言われ続けてきたのがフラッシュバックしたけれど、こんな時くらい大丈夫よね?
どっちにしろ水は冷たくないと飲めない派なんだけどさ。
一気に飲み干し、枕に頭を戻す。
そんな様子を見ていたエレオノールさんが、とある懸念を口にした。
「やっぱり、昨日の午前にはもう発症していたんでしょうか……」
昨日の午前と言うと……あぁ、草原に行く前にしてた咳か。
あれは喉が渇いただけなんだけど、不安そうな表情を見てると申し訳なくなる。
そうだよな、仮にあの時から潜伏してたなら、フローラちゃんにも影響が出ないか頭をよぎって当然だろう。
まぁ……
「ねぇね! まぁまっ、ねぇねぇっ!」
さっきから上半身を大きく前後に揺らして、凄んげぇうるさいくらいに元気溌剌と存在をアピールしてるんだけどね。
心配要らなそ~。
お母さんが水差しを片付けながら難しい顔をする。
「じゃないと良いんだけど……『何処で貰っちゃったのかなんて分かんないから、少しでも気になるなら診察に来なさい、ってか娘の顔くらい見せなさい』ってシア先生も言ってたから、折角なら行ってみたら?」
「え、ぁえっ?! シア先生帰ってきてたんですか!?」
エレオノールさんが目を丸くして前のめりになる。 その様子に、お母さんは深い溜め息と共に肩の力を抜いた。
「……ね~、そうなるよねぇ~。 私だけ聞かされてないのかと思ってたよ」
「相変わらずのずぼら加減ですね……。 そういう事なら、帰りに寄ってみます」
「いや今行きなよ。 もう午後だし、私も気になって話し入ってこなくなるからさ」
分かる。 コンビニより目と鼻の先なんだから、パ~っと行ってチャッチャと診察してもらえばすぐ終わりそうだもん。 結果だって異世界シリアル食ってる時に来てたらしいし。
気を使ってくれるのは嬉しいけれど、朝起きたら娘が高熱出してるなんてのは、私1人だけで充分だ。
・
「こんにちはぁ……」
「あっ、こんにちは。 そっちは大丈夫?」
エレオノールさん達が病室を出て数分、今度はクーテルさんとミテル・キーテル姉妹が来てくれた。
「「こんにちは~♪」」
姉妹が繋いでいない方の手を挙げて、声は控えめに挨拶する。 病院だから静かにって言われてるのかな? なんて良い子達だ。
「こんにちは♪ 大丈夫そうね」
「はい、運良く。 エレオノールさん達とはさっき診察室前ですれ違いました」
竹椅子を3人分、病室の隅から持ってきたクーテルさんが、双子を私の足元側に座らせる。 3人が私を挟んだ対面側に座ったのは、来るであろうエレオノールさんに配慮してかな。
「入院するって聞いて驚きましたよ。 ……大丈夫なんですよね?」
私を見るクーテルさんの顔が、心配から不安そうな表情へと変わっていく。 昨日まで元気だった幼児が高熱出してハァハァ言いながら寝込んでるんだもん、そりゃあ気が気じゃないわ。
そんなクーテルさんに、お母さんが普段と変わらない微笑みで返した。
「お昼に薬は飲んだし、念のための入院だから多分ね。 こんな調子だけど、ただの軽いテング熱だから明日か明後日には治るだろうって」
「テング熱、ですか」
「強いて言うなら、汗疹にならないよう頻繁に拭いたり着替えなきゃだし、喉渇きやすいからあんまり目が離せないくらいかな? そうだ、一応マスクしてなくても大丈夫とは言われてるけど、気になるなら売店で見掛けたよ」
(マスクあんのかい)
あるんなら着けとこうよ。 こちとら結果出るまで両親に移らないか心配だったんだからね。
まぁ、ただでさえ熱いのに息が籠って尚更暑苦しくなるから、死に物狂いで抗うけど。
クーテルさんが「ん~……」と、何やら私からは見えない角度で遊んでいるらしき姉妹に顔を向ける。
「ですよね、病院内だし……。 姉妹揃って極端に嫌がるので、違うのを買わされるかもですが」
なんて冗談めかしつつ、座ったばかりだというのにまたその腰を上げる。 エレオノールさんの時もだけど、話の流れとは言えちょっぴり申し訳ない気分になってきた。
「何か要る物ってあります?」
ついでとばかりに気まで利かせてくれたクーテルさんに、お母さんが悩ましげな顔を棚へと向ける。
「んん~~……必要な物は病院のも貸してもらってるから足りてるとして、何か暇潰しにでもなりそうな玩具とかがあるかだけ、見てきてほしいかなぁ。 小銀貨以内だと買えるんだけど」
「小銀貨、ですか……?」
クーテルさんが言い淀む。
小銀貨1枚=1000円なので、前世ほど安くないこっちで1000円以下となると、かなり絞られる。 小さい子用と言っても、熱で怠い1歳児にボールやぬいぐるみなんてあげられないしね。
(あれ? これって案外、難しい注文じゃね?)
「いや、無いなら無いで全然良いんだよ。 “あったら”の話しなんだから」
お母さんが足の止まったクーテルさんに『悩む程のお願いじゃない』って部分を強調する。 そんなフォローにクーテルさんは「あっ、はい」と素早く返したが、その後すぐ「いえその……」と言いづらそうに言葉を繋げた。
「失礼かもですけど、思ってたよりギルドってお給料低いのかな?って……」
(失礼だわっ)
オブラートに包んでそうで全く包めていない直球どストレートに、危うく吹き出しそうになる。
そういうのは思ってても口にしないべきでしょうに。
これには、お母さんもガクッっときていた。
「そっちね。 育児休暇中だからってのもあるけど、単純に、村全体が儲かってないのよ。 贅沢できないの」
クーテルさんが首を傾げる。
「あれ? 役場やギルドって固定給じゃないんですか?」
「どっちも固定よ。 ギルドはギルド本部から、役場は領主から受け取ってるもん。 だから村が困窮したって減ることはないんだけど、あんまり目立つ買い物ばかりしてると印象悪いでしょ?」
「そうですか? 『私もああなりたい!』とか『さすが私達の顔』ってなっちゃいそうですけど。 むしろギルドや役場の人まで余裕が無いと、『不景気なのかな……』って不安になっちゃいそうです」
「あぁ~、まぁそれも分かるんだけどねぇ。 こっちは都市ほど人が多くないから、村の皆が苦労してるのに一部の人達だけで贅沢してるっぽくなるのは、格差みたいになっちゃうから止めておこうって話しに纏まったのよ」
(へぇ~)
都市と田舎じゃ、こうまで考え方や受ける印象までガラリと変わるもんなのか。 日本もそうだったのかな?
((貴族が身近にいないってのも、1つの要因だろうね))
と、お姉ちゃんが補足する。
((王都なんかだと、ギルド職員がどんなに良い生活してたって、もっと別次元でもっと目立つ人達がゴロゴロしてるんだもん。 そんな都市でのギルド職員の立ち位置なんて、大企業の正社員程度な感覚でしかないよ))
(充分羨ましいわっ)
程度って……大学諦めて高卒で食品売り場に就職した私からしたら、普通にワンランク上のエリート組なんですが。
あっ、でも東京でそれなら目立たないのか。
貴族って必要なんだな、デコイとして。
・ ・
「お邪魔します」
「ただいまです」
「あっ、おかえりぃ」
売店で合流したのか、エレオノールさん達が揃って病室に帰ってきた。
何やら表情明るめで。
「こんなの買ってきちゃいました♪」
クーテルさんが、好きな玩具を見つけた子供の笑みで、筒状の砂時計をお母さんに差し出す。
いや、あれは砂じゃない。 良く見たら水のやつじゃん!
私は全身の熱と怠さも忘れ、興奮任せに上体をグッと起こした。 突然の興味津々に、お母さんが「おっ!?」と私を支える。
「そんなに気になった? っ滅茶苦茶見てる!」
だって異世界にオイルタイマーなんて物があるとは思わなかったんだもん。
『オイルタイマー』とは、水と油の比重を利用した砂時計のような置物で、ひっくり返すと小さな穴から丸い水玉がポツポツ落ち、色んなギミックを回った後、下で合流するという、好きな人ならずっと眺めていられるインテリア雑貨である。
100円ショップにあったから、一度は見たことのある人も多いと思う。 色付きタイプで、赤や青の水玉がプニプニ降りてく様子は、小っちゃい物・可愛い物好きの私には堪らなかった。
スライムの行進みたいで。
それを買ってきてくれたってんだから、体が動かないなんて私じゃない。
お母さんの手に握られているため中間がどんな構造になっているかまでは分からないけど、下に青色の水が溜まっているのは確認出来た。
青か♪ これから暑くなってくるんだし、清涼感あってピッタリなんじゃない?
ナイスチョイスd。
「喜んでくれてるみたいで良かったです」
「うん、ありがとうねぇ。 ……で、いくらした?」
「3100フーリュでした。 この手の玩具にしては安い方ですよねぇ♪」
フーリュってのは、日本でいう円である。 1フーリュ=1円。
お母さんが私にオイルタイマーを渡し、背中からも手を離す。
おっ、結構ズッシリ重いぞこれ、ガラス製だからか? 100ショップのより倍は大きいし、ちょっとヒンヤリしてて手が気持ち良い。
ギミックは、側面の螺旋階段とスロープ……って言うんだっけ?滑り台みたいなのでコースが2つに別れている。 しかも反転すると、今度は中央の穴から一直線に降下していき、ガラス製の水車を回転させる仕組みっぽい。
これは時間を計る道具じゃないな。 ただの玩具だ。
今すぐにでもひっくり返してやりたい所だけど、せっかくなんだから、なるべく安定した所+皆で見れる場所にしたいよね……。
「「「…………」」」
「……」
(めっさ見られてるしっ……!)
幼児達の視線が熱い。 売店でお預けを食らったのかな? なんか私だけ申し訳無い。
昼食時にはあった、ベッドに取り付ける板って何処やったっけ。
「んっとぉ……」
気が付くと、お母さんがいつの間にか財布を取り出し、中身を確認していた。
質問の意図を察し、クーテルさんが慌てて身を乗り出す。
「あぁっ! お見舞いの品なのでお代は結構ですからね! これなら皆で楽しめるかな~って思っただけなので」
「んっ……そう? なら、お言葉に甘えさせてもらうね。 ありがとう」
申し訳なさそうにお礼し、お母さんは財布を手提げへと戻した。
暗におねだりしたみたいだったからね、気が引けたのだろう。 けど、お見舞いの品だと言われてしまっては、ありがたく受け取る他ない。
こういうのはいつか、何か違う形で返せば良いのだ。
「「「…………」」」
「……」
私からもお礼として、皆で仲良く共有するとしよう。
・
暫しの間、ベッドに取り付けたテーブルでオイルタイマーの動きを眺めていると、ナースちゃんが回診車を押して病室に入ってきた。
「魔力量の定期検査に来たなのです、ご協力お願いなのです」
「あっ、はーい」
お母さんがテーブルを足元側へとずらし、検査しやすいよう椅子ごと場所を移動する。
空いたスペースに、ナースちゃんが回診車を押して入ってきた。
可愛い目と視線が合う。
「元気そうで一安心なのです。 では、まずは体温からなの」
そう微笑むと、ナースちゃんは「ちょっとごめんなの~」とパジャマを脱がし、上半身を露出させた。
あぁ、涼しい。 湿った肌が空気に触れただけなのに、こうも体感温度が違うとは。
いっそ、今日はこのままで過ごすべきなのでは? 1歳児の性別なんて無いに等しいだろうに。
幼稚園児時代だって、一緒に風呂入ってたエピソードがあるくらいなんだし(私には無いけど)。
汗を拭き、次にナースちゃんが取り出したのは、この世界では一般的な細長いガラス製の水銀体温計だった。
左腕を上げ、つるつるな脇の窪みに先端を押し当てる。
冷たっ。 しかしヒヤッと体が強ばったのは一瞬のみで、すぐにそれ以上の問題が発生した。
(痛い痛い痛い!!)
「んぃ~~~っ!!」
「ッヤァァ~!? ごめんなの!」
涙目で訴える私に、ナースちゃんが体温計の力を弱める。
深くまで挿れ過ぎなんだよ……、下手なのかナースちゃん。
中心体温に近い脇の下の動脈そばで計る場合、挟むだけでは足りず、押し上げるようにして挿れ、その位置をキープするのが正しい計り方だ。 なんだけど……刺さるかと思ったぞ。
乙女の柔肌に穴が空いたらどうしてくれる。
「ティ……ティプルキーッシュッ」
(ん? なんだって?)
ネイティブ過ぎて分からなかった。 と言うより、聞き覚えの無い発音だった。
改めて、体温計で脇の窪みを押し上げる。
(っんん~……)
痛いけど、今度のは我慢出来ない程じゃないかな。
腕を下ろし、グッと挟んだ状態で数分待つ。
「このまま、大人しくしててね。 その間に……」
とナースちゃんが次に取り出したのは、リトマス試験紙みたいな白い布・『感魔布』だった。
病室に来てすぐの、眠る前にも一度計っているので、既に使い方は知っている。
私の好きなタイプのアイテムだ。
「はい、あーん」
ナースちゃんにあーんされるご褒美を噛み締めつつ、カーテの端を唇でくわえる。 長方形の布なので、残りはてろんと垂れ下がった。
私がカーテをくわえたのを確認し、ナースちゃんが回診車の砂時計をひっくり返す。
その隣には既に1回り大きめの砂時計が、今まさに体温計の残り時間をカウントしていた。
見なきゃ良かった……。 だって、どっちも数分掛かる検査だから同時進行にしたのは理解できるけど、左脇からガラス棒が生え、口からは白い布が垂れ下がっている半裸というこの状態は、些か滑稽ではなかろうか?
幸い、誰のツボにも入っていないようだから、セーフとしよう。
「こんなに大人しい子、今まで見たこと無いなのです。 凄い子なの♪」
(だろうな)
水銀怖くて動けないし。
「……もうこうなったら、どこまで大人しくして居られるか色々試してみたいなの」
(やめて!)
病人で遊んじゃ駄目、絶対。
・
ほげ~~……っとオイルタイマーを眺めていること数分、3周目でカーテの検査結果が出た。
「は~いエメルナちゃん、お口開けてぇなのぉ」
カーテが摘ままれたのを唇で感じ、口を開けて回収してもらう。
その声に、子育てトークで盛り上がっていたお母さん達も一斉に振り返った。
ナースちゃんが唇に触れていた所だけうっすら青味掛かったカーテ片手にメモを取る。
「ん~……」
「どうかしたんですか?」
難しい顔を浮かべるナースちゃんを見て、エレオノールさんがお母さんに尋ねる。
「あぁ、1歳児の平均より多いんだって。 でも結局は個人差だし、何回か計ってからじゃないと平均なんて出ないから、まだどうとも言えないんだけどね」
「え、まだ計ってなかったんですか?」
2人の会話にクーテルさんも混ざる。
「うん。 そっちじゃもう計るようになってるの?」
「あぁいえ、私がどうしても気になっちゃったってだけで。 結局、あんまり意味無かったんですけど」
「成長期だとねぇ」
毎月何枚使うんだって話しだもんな。
「ん~……」
ナースちゃんがメモを見ながら考え込む。
検査結果を見て唸られていると、どうにもこっちとしては落ち着かないなぁ。
「セラちゃん、どうかした?」
「……んワヤッ!? あぁえっと、いや、その……」
お母さんも心境は同じだったらしく、ナースちゃんが慌てて考えを纏める。
「見た目元気そうなので、これがエメルナちゃんの正常値内なんだとは思うなのですが……これ」
そう言ってナースちゃんが見せたのは、さっき使ったばかりの変色したカーテだった。
「普通、魔力量の少ない幼児のカーテ検査では、カーテは変色せずに白いままなのです。 だけどエメルナちゃんのは、うっすらとは言え青色が出たのです。 つまり今のエメルナちゃんは、幼児の平均を軽く上回る量の魔力を保有しているって事なのです♪」
『エメルナちゃん、凄い子なのです♪』と聞こえてきそうな目で私を見詰めるナースちゃん。
(マジか!)
同世代の平均を軽く上回る魔力量とか、なにそのロマン展開。
異世界転生系の主人公みたいじゃん。
これってやっぱ、地道な努力の成果ってやつだよね? 魔法関係は基本的に夢の中でしか特訓出来ないから、こんなに成長していたとは予想外だ。
夢の中でも、ちゃんと意味はあったのな。 知識と技術と精神面だけかと思ってたよ。
「それって、熱とは関係無いの? 悪影響は?」
私の密かな喜びとは裏腹に、お母さんが心配そうな顔で質問を続ける。
そっか、その可能性もあるのか。 浮かれるにはまだ早かったな。
ナースちゃんが難しい顔でカーテを仕舞う。
「ん~……さっきから悩んでいたのはそこなのでして。 でも色的には危険な濃さではないので、これがエメルナちゃんの正常値なら何の問題も無いなのです。 もし何処かに異常があれば、生後1週間以内には問題が発生していた筈なのですよ」
そうなのか、なら安心だな。
これでも私は約1年3ヶ月もの間、一度たりとも風邪を引いた事のない健康優良児だったのだから。 今更である。
もちろん、記録は現在進行形でフローラちゃんが更新している。
「……ですが念のため、これが終わったら師匠に聞いてみるなのです」
「そう、お願いね」
お母さんの不安を察したのか、ナースちゃんはそう提案して唸るのを止めた。
その後もう1つの砂時計も役目を終え、27.6度を記入すると、ナースちゃんは病室から出て行った。
これを今日はあともう1回やらなければならないのか……。
そう思うと、お母さんがせっかく着せてくれたこのパジャマ、ガチで脱ぎたくなってきたんですけど。
実質個室空間なんだから……駄目ぇ?
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