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第6話 ないないない、でも、あったら……いいな。
しおりを挟むその夜、ひとり暮らしの部屋に帰り着いた私は、封印していた写真フォルダを開いた。
「あ、写ってる」
そこには、構図を考えてパフェグラスを前後に調整している横田さんが写っていた。
上に乗っかっているマスカットを撮るふりをして、一瞬カメラの向きを変えた。我ながらいい仕事をした。だって、この写真は絶対にご利益がある。
「ふぅ、パフェを持つ横田さんとか、私得すぎる!」
このお宝でご飯何杯でもいける。
「パフェ、ごちそうさまでした。残り物食べてくれてありがとうございます」
写真の横田さんには話しかけやすい。
カフェを出るときに音量がミニマムだったお礼の言葉を、今一度口に乗せるのだった。
***
「江田島さん、今日も鈴鳴寺いい? 滝山和尚が展示物の移動を手伝って欲しいんだって?」
昨日のデジャブ?
横田さんが椅子をくるりと回して両手を合わせた。
「行きません!」
お茶出しのさなか、私と横田さんのやりとりを部内の人たちが「またか?」という目で見る。見ないでください。手が震える。
昨日はなんとかしのいだけれど、こんなに連日一緒にいたら、なにかしら大失敗して、もう二度とおそばに寄れなくなります。
「このプロジェクトは、我が社にとって今期最大なんだよ。いまのところ滝山和尚との関係は、いい感じだから、このまま契約を取りつけよう、ね?」
「私が行ったからっていって……」
トレーの上に乗った四個のマグカップ。
佐藤さん、多岐川さん、三島さん、そして部長。
呆然と立ち尽くす私に、ひとりずつ歩み寄って、トレーからマグカップを取っていく。
「行きなよ」「ご指名だろう?」「横田をよろしく」「江田島さん、外勤ね」
それぞれのひとことは、人気者の横田さんの肩を持つものばかりだ。
からっぽになったトレーを下げて、私は観念した。
「ご一緒させていただきます」
「やった! ありがとう」
笑顔がさわやかすぎる。まぶしいです、横田さん。
ロッカー室で、私服に着替えながら扉の裏についた鏡でメイクをチェックする。
昨夜、横田さんの写真を見ながら私はひとりで大反省会を催した。
いくら会社では制服だからって、ダサいセーターで出勤したのはよくなかった。営業レディさんたちを見習ってオフィスカジュアルで、いつでも出かけられるようにするべきだ。お化粧だって、色付きリップだけなんてTPOを無視している。
持っている服の中から、やわらかい素材の青いワイドパンツとストレッチの効いた水色のジャケットを組み合わせてみた。セットアップではないけれど、色味が似ていてきちんと見える……気がする。メイクも、ユーチューブの美容系動画を観て勉強した。
目立たないように、できるだけ地味に。
これまで意識して遠ざけていたお洒落の世界は、触れてみると胸がどきどきするほど楽しかった。ついでにお弁当にも色味を添えて、丸いハムに切れ込みを入れてくるりと巻き、乾燥したままのパスタ麺で刺して固定したらバラの花みたいになった。昨日の無念を晴らすべく、豚肉で野菜を巻いた断面が見えるように綺麗にカットして弁当箱に並べる。いつもの地味弁が嘘みたいに美味しそうだ、誰かに見せたいぐらい。
――これって、生活に張りが出ているっていうのかなぁ?
たぶん、横田神のご利益が効いて、平凡な日常が華やかになっているのだろう、さすが横田さん、さすが私の神様。
着替えて地下駐車場で待ち合わせをすると、管理室から車のキーを預かってきた横田さんが私のことを頭のてっぺんから靴先までじっくりと眺めた。
「その服いいね。似合うよ」
「ただの通勤服です」
褒めてもらったとたんに、耳の下あたりからかぁっと熱が吹きあがった。
顔は、ゆでダコみたいに赤くなっているにちがいない。
私は黒い合皮のバッグでさっと顔を隠した。
「早く行きましょう!」
「よーし、今日も頑張ろう」
横田さんが手を持ち上げた。
なに?
「ハイタッチだよ、気合い入れて行こう!」
――ハイタッチ?
まごまごしているうちに、横田さんがいっそう高く手をあげた。私はつられて、その大きな手のひらにペチッと情けない音を立てて手のひらを合わせる。
ああっ、横田さんの手、あったかい。
それからというもの、鈴鳴寺へ向かうときには、必ず私がアシスタントとしてついていくことになった。交渉の最初から話を聞いているだけに、鈴鳴寺さんの要望はよくわかる。この私が横田さんとペアを組んで仕事をするなんて、これは天変地異の前触れか?
神様が一般人と仕事して、本当にいいの?
それでも何度も同行しているうちに、私には神の声を冷静に聞く能力がついてきた。
横田さんは、女子社員のお茶くみにモヤモヤしていて、ささやかな抗議のつもりで朝のコーヒーを自分で買っているらしい。なんたる利他の心。お気持ちだけでもありがたいです。
さらに、こんなことを思っていいのか、はなはだずうずうしいのだけど、ときおり横田さんからの過剰な感情を感じる。特に鈴鳴寺の人けのない場所で、私にすり寄ってくる。これってどんな感情? 私のことが……好きなの?
毎日帰宅すると、ベッドの上であの日の写真を見ながら「うおーっ」と雄たけびを上げて萌え転がる。今日の横田さんも神がかっていた。
顔、声、知性、才能、そして優しさ。
神か仏か変態か、人ならざる存在が、もしかしたら私に好意を……。
ないないない、でも、あったら……いいな。
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