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第2話 横田さんは変態? それとも大悪人?
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歯の奥がカチカチと音を立てる。怖い、怖い。
「お菓子を用意したら、私は帰社しますから」
つーん、と音がしそうな拒絶をして背中を向けた。感じ悪いだろうけれど、もう限界。すると、横田さんが「やった!」と、両手でガッツポーズをした。こういう緩急がまた可愛いって評価を上げるのだ。それもあざとく狙ったのではなく、ごく自然に! 巧みすぎる、変態だ、この人。
九時十分。土地開発部の人々は、それぞれの今日の仕事にもどって、興味本位の注目はたちどころに消えた。
「……着替えてきます」
万策が尽き、私は震える声で横田さんの前から逃げようとする。もう勘弁してください。
「ごめん。もう一個、頼まれてくれない?」
「はい?」
とにかくロッカー室に行って身なりを整えたかったのに、横田さんが私のブラウスの袖をつまんでクイクイと自分のデスクに連れて行こうとする。
いや、ちょっと待って!
手を握られるのも、もちろん困るけど、袖の端っこを引っ張るなんてキュートな行為、やめてください。萌えが大渋滞する。計算ずくなのだとしたら大悪人だ、この人。
横田さんが、これ……とデスクの引き出しを開けると、綺麗に整理されたファイルの横に、スタバの小さな紙袋が厳重にガムテープで巻かれて挟まっていた。
「スターバックスの?」
ゴミ? と続けようとして、首をひねる。横田さんともあろうお方が、ゴミ捨てをさせるために女子社員の袖を引っ張ったりするものか?
「昨日、江田島さんが拾ってくれた根付けが入っているんだけど、俺、ああいうの苦手で……申し訳ないけど、もっとましな袋に入れて持っていてくれないかな? これから行く鈴鳴寺の所蔵品なんだ」
昨日の根付けというのは、床に落ちていた猫の顔の絵が描かれた古い民芸品みたいな陶器のことだろうか?
たまたま私が拾って横田さんの机の上に戻したものだ。
「わかりました」
ああいうのって何だろう? 骨董品が? それとも猫?
横田さんが両手を合わせて「お願い」と目をつぶった。その姿は感動的なほどに親しみやすく、清らかな横田さんの内面がにじみ出ているようで、私はじわじわと感動していた。ありがたい、尊い、涙が出そう。
やろう、横田さんからの頼まれごとだ。
恐る恐る横田さんの引き出しに手を入れて、ぐるぐる巻きの茶袋を取り出す。
「プチプチに包んで社用封筒に入れておきます」
横田さんは、薄目で、私と私の手元の袋をチラ見した。両手は、まだ合わせたままだ。
「よろしくお願いします。ほんと、ゴメン」
「いえ」
くるりと背中を向けて、備品室に梱包用品を取りに行く。
息が荒い。こうなったら、やれることをやるのみだ。がんばれ、私。
社外への郵送物を作る作業台で、中に鈴の入った根付けとやらを梱包し、社名のついた封筒に入れる。
そのままロッカー室に向かった。
ロッカーの中には、通勤で着てきたセーターとスカートのほかに、式典のときに着るスーツが入っている。スーツと言っても、就活のときに着ていたリクルート用のものだけど。
制服もセーターも営業先の訪問にはふさわしくない。これを着るしかないだろう。
通勤用の黒いバッグに、お昼のお弁当と預かった根付けを入れ、リクルートスーツに着替える。入れっぱなしになっているお化粧ポーチから、パウダリーファンデーションを出して手早く顔全体に塗り、頬紅を少し刷いて、薄ピンクの口紅を塗る。
これでも他の女子社員に比べたら、すっぴん同様だけれど、よく見たらメイクしている程度にはしておきたい。
お客様に会うから……それはもちろんだけれど、横田さんと一緒だから。
ナイロンブラシで髪をとかすと、天使の輪が光る。
よし、これで私の精いっぱいだ。
「お待たせしました。根付けは持ちました、子猫庵さんの場所をご案内します」
パソコンを閉じた横田さんが、世にもさわやかな笑顔を私に向ける。ま、眩しい!
「ぜんぜん待ってないよ。したく早いね。じゃあ、地下駐からそのまま出よう」
地下駐車場をチカチューと略するのを初めて知った。
「はい」という言葉が出ずに、私は無言で横田さんの後ろについて歩いた。
「江田島さんって、清潔感があって几帳面だし、気が利くでしょ? だから営業に向いていると思うんだ。周りの目を気にせず、いろんな仕事やってみようよ」
社用車の助手席に乗ったとたんに、すごく優しい声がかかった。内容はまったく頭に入ってこないけど、私に向かって何か言ってる。怖い、怖い。
「子猫庵さんの最中、十時には品切れですよ」
すっと前を向いて、早く出してとばかりに顎を上げた。
「おっと、ごめん」
ブルンとかかったエンジンに「かかった!」と、うれしげに発進する横田さんは、そのあとも、目的地まで楽しそうに車を運転していた。運転、好きなんですね。ハンドルを握る手がすごくきれいです。
「お菓子を用意したら、私は帰社しますから」
つーん、と音がしそうな拒絶をして背中を向けた。感じ悪いだろうけれど、もう限界。すると、横田さんが「やった!」と、両手でガッツポーズをした。こういう緩急がまた可愛いって評価を上げるのだ。それもあざとく狙ったのではなく、ごく自然に! 巧みすぎる、変態だ、この人。
九時十分。土地開発部の人々は、それぞれの今日の仕事にもどって、興味本位の注目はたちどころに消えた。
「……着替えてきます」
万策が尽き、私は震える声で横田さんの前から逃げようとする。もう勘弁してください。
「ごめん。もう一個、頼まれてくれない?」
「はい?」
とにかくロッカー室に行って身なりを整えたかったのに、横田さんが私のブラウスの袖をつまんでクイクイと自分のデスクに連れて行こうとする。
いや、ちょっと待って!
手を握られるのも、もちろん困るけど、袖の端っこを引っ張るなんてキュートな行為、やめてください。萌えが大渋滞する。計算ずくなのだとしたら大悪人だ、この人。
横田さんが、これ……とデスクの引き出しを開けると、綺麗に整理されたファイルの横に、スタバの小さな紙袋が厳重にガムテープで巻かれて挟まっていた。
「スターバックスの?」
ゴミ? と続けようとして、首をひねる。横田さんともあろうお方が、ゴミ捨てをさせるために女子社員の袖を引っ張ったりするものか?
「昨日、江田島さんが拾ってくれた根付けが入っているんだけど、俺、ああいうの苦手で……申し訳ないけど、もっとましな袋に入れて持っていてくれないかな? これから行く鈴鳴寺の所蔵品なんだ」
昨日の根付けというのは、床に落ちていた猫の顔の絵が描かれた古い民芸品みたいな陶器のことだろうか?
たまたま私が拾って横田さんの机の上に戻したものだ。
「わかりました」
ああいうのって何だろう? 骨董品が? それとも猫?
横田さんが両手を合わせて「お願い」と目をつぶった。その姿は感動的なほどに親しみやすく、清らかな横田さんの内面がにじみ出ているようで、私はじわじわと感動していた。ありがたい、尊い、涙が出そう。
やろう、横田さんからの頼まれごとだ。
恐る恐る横田さんの引き出しに手を入れて、ぐるぐる巻きの茶袋を取り出す。
「プチプチに包んで社用封筒に入れておきます」
横田さんは、薄目で、私と私の手元の袋をチラ見した。両手は、まだ合わせたままだ。
「よろしくお願いします。ほんと、ゴメン」
「いえ」
くるりと背中を向けて、備品室に梱包用品を取りに行く。
息が荒い。こうなったら、やれることをやるのみだ。がんばれ、私。
社外への郵送物を作る作業台で、中に鈴の入った根付けとやらを梱包し、社名のついた封筒に入れる。
そのままロッカー室に向かった。
ロッカーの中には、通勤で着てきたセーターとスカートのほかに、式典のときに着るスーツが入っている。スーツと言っても、就活のときに着ていたリクルート用のものだけど。
制服もセーターも営業先の訪問にはふさわしくない。これを着るしかないだろう。
通勤用の黒いバッグに、お昼のお弁当と預かった根付けを入れ、リクルートスーツに着替える。入れっぱなしになっているお化粧ポーチから、パウダリーファンデーションを出して手早く顔全体に塗り、頬紅を少し刷いて、薄ピンクの口紅を塗る。
これでも他の女子社員に比べたら、すっぴん同様だけれど、よく見たらメイクしている程度にはしておきたい。
お客様に会うから……それはもちろんだけれど、横田さんと一緒だから。
ナイロンブラシで髪をとかすと、天使の輪が光る。
よし、これで私の精いっぱいだ。
「お待たせしました。根付けは持ちました、子猫庵さんの場所をご案内します」
パソコンを閉じた横田さんが、世にもさわやかな笑顔を私に向ける。ま、眩しい!
「ぜんぜん待ってないよ。したく早いね。じゃあ、地下駐からそのまま出よう」
地下駐車場をチカチューと略するのを初めて知った。
「はい」という言葉が出ずに、私は無言で横田さんの後ろについて歩いた。
「江田島さんって、清潔感があって几帳面だし、気が利くでしょ? だから営業に向いていると思うんだ。周りの目を気にせず、いろんな仕事やってみようよ」
社用車の助手席に乗ったとたんに、すごく優しい声がかかった。内容はまったく頭に入ってこないけど、私に向かって何か言ってる。怖い、怖い。
「子猫庵さんの最中、十時には品切れですよ」
すっと前を向いて、早く出してとばかりに顎を上げた。
「おっと、ごめん」
ブルンとかかったエンジンに「かかった!」と、うれしげに発進する横田さんは、そのあとも、目的地まで楽しそうに車を運転していた。運転、好きなんですね。ハンドルを握る手がすごくきれいです。
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