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第2章・大宰府を討つ
第43話 宗頼、戦慄す
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時刻は少し遡る。
太宰少弐・藤原宗頼は有頂天であった。
遣唐使の歴史が幕を閉じ、鴻臚館が廃れて以来、繁栄を極める博多の私貿易は大宰府にとって長年の宿痾であると同時に羨望の的、いつかは取って喰らうべき獲物であったが、ついにその元凶とも言うべき忌々しい宋人綱首や商人たちを討ったからである。
官の力をあらためて思い知らせただけでも快事。ましてや奪った財物ときては、その質も量も当初の予想をはるかに上回る膨大なものであった。
(これは!)
政庁や蔵司、税司へと財物の搬入を指揮しながら、宗頼は息を呑んだ。
(かくも膨大な財を蓄えるとは、異国との商いとは、やはり相当に旨味のあるもののようだな)
後は権帥を言いくるめ、脅し、如何に多くを我が物とするかである。
大宰府の最高官は師だが、一種の名誉職であって、親王が任命される習わしとなっており、当然ながら任地に赴くことはない。
これに次ぐのが権帥であり、その任にあるのは藤原清実であった。
清実は藤原北家、良門流。
鳥羽天皇の乳母父となったことから破格の昇進を遂げた人物である。
鳥羽が治天の君となり、その院政下において受領として勢力を拡大したが、既に齢六十の坂を越え、正三位に叙せられているとあっては、功成り名を遂げた人物の例にもれず、今や往年の覇気はない。
権帥らしくもなく遥任せず、高位の公卿でありながら敢えて鎮西に下ってきたのは、各地の受領を務めた経験によって、大宰府の現地の長という役職に旨味を感じ取り、老体に鞭打ってのことであったろうか。
だとすれば、今のこの大宰府の衰退ぶりは老人を大いに落胆させ、その気力を更に奪ったことであろう。
いっぽう宗頼は藤原氏とはいえ、大百足退治や平将門討伐で名を馳せた藤原秀郷の流れをくむ生粋の武士である。
己の才覚と武勇に絶大な信を置き、機あらば勢を広げ富貴を極めんという壮年の野望に満ち溢れている。
(ふん。松浦党の報復を恐れて早くも基肄城に逃げ出した老いぼれ公卿など、手玉に取るのは簡単なことよ)
そう。宗頼こそが今回の大追捕を計画し、主導した人物なのだ。
後の揉め事を恐れて無難に任期を全うせんとする清実を強引に説き伏せ、自ら軍を率いて博多を襲撃したのである。
かねてから松浦党と瀬戸内海賊衆との間に諍いの兆しのあったところに、ついには満珠島、干珠島近辺に河野水軍と渡辺党の軍船が集結しつつあると聞き、宗頼は歓喜した。
大会戦に至るに違いない。この機を逃すべからず!
そう考えるや、急ぎ筑前筑後一帯に使者を飛ばし、五百騎の軍勢を集めた。
後年のことになるが、源平争乱の時代、屋島の合戦において平家の軍を奇襲した義経の手勢が三百騎であったことを思えば、この五百という数字がいかなるものか分かるだろう。
急遽かき集めたにしては極めて大規模の軍勢である。
これをもって博多を威圧し、我が物にしようというのだ。
宗頼は胸を躍らせて舟戦の結果を待った。
松浦党が敗北すればこの上なし。商人たちは武力の後ろ盾を失うことになる。
敵の数は松浦党を凌駕するという。勝ち目は薄いだろう。せいぜい、上手くいって痛み分けというところか。
いずれにせよ博多を手中にする好機である。
ところが、案に相違して松浦党は勝利したという。
宗頼は即座に決断を下した。
よし、ならばいっそ威圧にとどまらず、今日この隙にこそ博多を襲うべし。
勝ったとはいえ多大な損害を被ったに違いない。
暫くは武力の行使を制限されるはず。
奴らが軍を立て直して攻勢に出る前に、こちらは迎撃の準備を整えてしまうという寸法だ。
義親が読み、八郎に語った通りの筋書きであった。
このようにして宗頼は博多に攻め寄せ、存外の成果を得たのである。
しかも、その後の推移も宗頼にすれば期待通りと思われた。
昨日、早くも博多に松浦党の三百騎が入ったとの知らせにはいささか驚いたが、なあに、結局は何のこともなかったではないか。
念のため潜ませておいた諜者によれば、家々の修繕や死者の弔いだけを終えて、すごすごと唐津に引き返したという。
おそらくは我らの勢威に恐れをなしたのだろう。
その後の報せにおいても、何ら不穏な動きは見せず、軍勢はひたすら西へ向かうばかり。
それをあの小心者の権帥め。
松浦党の騎馬隊来ると聞くなり震え上がって基肄城に逃げ出しおって。
正三位が聞いて呆れるわ。
まあ良い。軟弱な公卿が上役の方が、儂の好きに事を運びやすいからな。
全く、笑いが止まらぬとはこのことよ。
政庁本殿に積み上げられた財物の一部を目の前に、股肱の郎党を相手に杯を重ねる。
本殿は元来は異国からの使者を迎えたり、政務や様々な儀礼を執り行う場所であるが、絶えて異国との交渉はなく、殊に今宵は、政務や儀礼の中心となるべき権帥も基肄城に逃げ隠れている。
政庁はひたすら宗頼たちの好き放題、宴の場と化していた。
奪った財物を眺めては、それこそを最上の肴として気勢を上げ、したたかに飲んでいつしかそのまま横になり、目覚めてはまた痛飲する。
脇殿もまた宗頼一党の占拠するがまま、いつまでも終わらぬ酒盛りが繰り広げられていた。
寅の刻もとうに過ぎ、それは宗頼にとっては今宵何度目の目覚めであったろうか。
ただひとつ違ったのは、これまでは誰に起こされる訳でもなく、少々酔いが醒めてからの「うとうと」とした自然な覚醒であったのが、今度ばかりは、従者の切迫した足音と大声によって眠りを邪魔されたことである。
「だ、大事出来でございます!」
宗頼は仰向けの姿勢のまま薄目を開け、泥酔で朦朧とする頭に手を当てた。
まだ口をきこうともせぬ、その様子に従者の焦りは増した。
「大事出来でございますぞ!」
「だから、大事とは何ぞ!」
頭に響く従者の大声に苛ついて宗頼は怒鳴り声を上げ、眠っていた郎党たちも目を覚ますものの、それらの瞳もまた虚ろである。いったいどれ程の量の酒を飲み続けたのか。
しかし、従者の次の言葉に一同は我が耳を疑った。
「松浦党の夜襲でございます!」
「何じゃと! 馬鹿な」
戦慄し、また、信じられなかった。
死力を尽くした大海戦を終えたばかりなのに、どうしてすぐさま大宰府を攻めることなどできようか。
まさか、それほどの余力を残して勝利したというのか。あり得ぬ!
しかも、諜者によれば、騎馬隊は唐津に向けて帰路を取ったというではないか。
実際にそれを数里も見届けた上での報告が入っているのだ。
なぜゆえ夜襲などということがある。
本当に松浦党なのか? もしかして、大宰府か儂自身に恨みを持つ別の勢力の仕業ではないのか。
「警固所は何をしておる! 兵馬所もだ!」
「既に敵の手に墜ち、火を放たれた模様。それだけではなく、府内のあちこちでも火の手が上がっております。残すはここ政庁と蔵司、税司のみ。しかも既に囲まれております」
南にひときわ大きな喚声が響いた。門が破られたのだ。
敵はすぐにここになだれ込んでくるであろう。
宗頼と郎党一同は太刀を引っ掴んで跳ね起きたが、それだけである。鎧をつけ武装を整えている暇はない。
縁へと走り出てみれば、庭にはもう敵が満ちている。
その数は増えていくばかり。
本殿にも脇殿にも続々と敵が押し寄せているのだ。
ひとりの武者が数人がかりで打ち掛かられ、無残にも斬り刻まれる。同様の光景が至る所で展開されていた。
蔵司も税司にもやがて、いや、おそらくは既に敵が入り込み、修羅場と化しているだろう。
騎馬武者たちの背には三ツ星の紋と梶の葉を描いた旗指物。
松浦党の襲撃であることを明らかにするために、八郎が準備させておいた旗である。
(我が事、破れたか……)
もはや疑う余地はない。
宗頼は己の軽率さを悔いた。
何故ゆえに舟戦の様子を微に入り細に入り見届けさせ報告させなかったか。
騎馬隊が唐津に向かったからと安心せず、何故もっと警固を徹底させなかったか。
いや、まだ諦めるには早い!
我が武勇をもってすれば今からでも形勢を覆すこともできるはず。
敵の大将を討ち取るのだ。
一対一の勝負ならば、相手が誰であろうとも後れを取る儂ではない。
宗頼は絶叫した。
「松浦党の大将はどこじゃ! 出会え! 尋常に儂と勝負せよ!」
その呼びかけに応じて、際立って大きな馬に乗った丈の高い若武者が現れた。
八郎である。
太宰少弐・藤原宗頼は有頂天であった。
遣唐使の歴史が幕を閉じ、鴻臚館が廃れて以来、繁栄を極める博多の私貿易は大宰府にとって長年の宿痾であると同時に羨望の的、いつかは取って喰らうべき獲物であったが、ついにその元凶とも言うべき忌々しい宋人綱首や商人たちを討ったからである。
官の力をあらためて思い知らせただけでも快事。ましてや奪った財物ときては、その質も量も当初の予想をはるかに上回る膨大なものであった。
(これは!)
政庁や蔵司、税司へと財物の搬入を指揮しながら、宗頼は息を呑んだ。
(かくも膨大な財を蓄えるとは、異国との商いとは、やはり相当に旨味のあるもののようだな)
後は権帥を言いくるめ、脅し、如何に多くを我が物とするかである。
大宰府の最高官は師だが、一種の名誉職であって、親王が任命される習わしとなっており、当然ながら任地に赴くことはない。
これに次ぐのが権帥であり、その任にあるのは藤原清実であった。
清実は藤原北家、良門流。
鳥羽天皇の乳母父となったことから破格の昇進を遂げた人物である。
鳥羽が治天の君となり、その院政下において受領として勢力を拡大したが、既に齢六十の坂を越え、正三位に叙せられているとあっては、功成り名を遂げた人物の例にもれず、今や往年の覇気はない。
権帥らしくもなく遥任せず、高位の公卿でありながら敢えて鎮西に下ってきたのは、各地の受領を務めた経験によって、大宰府の現地の長という役職に旨味を感じ取り、老体に鞭打ってのことであったろうか。
だとすれば、今のこの大宰府の衰退ぶりは老人を大いに落胆させ、その気力を更に奪ったことであろう。
いっぽう宗頼は藤原氏とはいえ、大百足退治や平将門討伐で名を馳せた藤原秀郷の流れをくむ生粋の武士である。
己の才覚と武勇に絶大な信を置き、機あらば勢を広げ富貴を極めんという壮年の野望に満ち溢れている。
(ふん。松浦党の報復を恐れて早くも基肄城に逃げ出した老いぼれ公卿など、手玉に取るのは簡単なことよ)
そう。宗頼こそが今回の大追捕を計画し、主導した人物なのだ。
後の揉め事を恐れて無難に任期を全うせんとする清実を強引に説き伏せ、自ら軍を率いて博多を襲撃したのである。
かねてから松浦党と瀬戸内海賊衆との間に諍いの兆しのあったところに、ついには満珠島、干珠島近辺に河野水軍と渡辺党の軍船が集結しつつあると聞き、宗頼は歓喜した。
大会戦に至るに違いない。この機を逃すべからず!
そう考えるや、急ぎ筑前筑後一帯に使者を飛ばし、五百騎の軍勢を集めた。
後年のことになるが、源平争乱の時代、屋島の合戦において平家の軍を奇襲した義経の手勢が三百騎であったことを思えば、この五百という数字がいかなるものか分かるだろう。
急遽かき集めたにしては極めて大規模の軍勢である。
これをもって博多を威圧し、我が物にしようというのだ。
宗頼は胸を躍らせて舟戦の結果を待った。
松浦党が敗北すればこの上なし。商人たちは武力の後ろ盾を失うことになる。
敵の数は松浦党を凌駕するという。勝ち目は薄いだろう。せいぜい、上手くいって痛み分けというところか。
いずれにせよ博多を手中にする好機である。
ところが、案に相違して松浦党は勝利したという。
宗頼は即座に決断を下した。
よし、ならばいっそ威圧にとどまらず、今日この隙にこそ博多を襲うべし。
勝ったとはいえ多大な損害を被ったに違いない。
暫くは武力の行使を制限されるはず。
奴らが軍を立て直して攻勢に出る前に、こちらは迎撃の準備を整えてしまうという寸法だ。
義親が読み、八郎に語った通りの筋書きであった。
このようにして宗頼は博多に攻め寄せ、存外の成果を得たのである。
しかも、その後の推移も宗頼にすれば期待通りと思われた。
昨日、早くも博多に松浦党の三百騎が入ったとの知らせにはいささか驚いたが、なあに、結局は何のこともなかったではないか。
念のため潜ませておいた諜者によれば、家々の修繕や死者の弔いだけを終えて、すごすごと唐津に引き返したという。
おそらくは我らの勢威に恐れをなしたのだろう。
その後の報せにおいても、何ら不穏な動きは見せず、軍勢はひたすら西へ向かうばかり。
それをあの小心者の権帥め。
松浦党の騎馬隊来ると聞くなり震え上がって基肄城に逃げ出しおって。
正三位が聞いて呆れるわ。
まあ良い。軟弱な公卿が上役の方が、儂の好きに事を運びやすいからな。
全く、笑いが止まらぬとはこのことよ。
政庁本殿に積み上げられた財物の一部を目の前に、股肱の郎党を相手に杯を重ねる。
本殿は元来は異国からの使者を迎えたり、政務や様々な儀礼を執り行う場所であるが、絶えて異国との交渉はなく、殊に今宵は、政務や儀礼の中心となるべき権帥も基肄城に逃げ隠れている。
政庁はひたすら宗頼たちの好き放題、宴の場と化していた。
奪った財物を眺めては、それこそを最上の肴として気勢を上げ、したたかに飲んでいつしかそのまま横になり、目覚めてはまた痛飲する。
脇殿もまた宗頼一党の占拠するがまま、いつまでも終わらぬ酒盛りが繰り広げられていた。
寅の刻もとうに過ぎ、それは宗頼にとっては今宵何度目の目覚めであったろうか。
ただひとつ違ったのは、これまでは誰に起こされる訳でもなく、少々酔いが醒めてからの「うとうと」とした自然な覚醒であったのが、今度ばかりは、従者の切迫した足音と大声によって眠りを邪魔されたことである。
「だ、大事出来でございます!」
宗頼は仰向けの姿勢のまま薄目を開け、泥酔で朦朧とする頭に手を当てた。
まだ口をきこうともせぬ、その様子に従者の焦りは増した。
「大事出来でございますぞ!」
「だから、大事とは何ぞ!」
頭に響く従者の大声に苛ついて宗頼は怒鳴り声を上げ、眠っていた郎党たちも目を覚ますものの、それらの瞳もまた虚ろである。いったいどれ程の量の酒を飲み続けたのか。
しかし、従者の次の言葉に一同は我が耳を疑った。
「松浦党の夜襲でございます!」
「何じゃと! 馬鹿な」
戦慄し、また、信じられなかった。
死力を尽くした大海戦を終えたばかりなのに、どうしてすぐさま大宰府を攻めることなどできようか。
まさか、それほどの余力を残して勝利したというのか。あり得ぬ!
しかも、諜者によれば、騎馬隊は唐津に向けて帰路を取ったというではないか。
実際にそれを数里も見届けた上での報告が入っているのだ。
なぜゆえ夜襲などということがある。
本当に松浦党なのか? もしかして、大宰府か儂自身に恨みを持つ別の勢力の仕業ではないのか。
「警固所は何をしておる! 兵馬所もだ!」
「既に敵の手に墜ち、火を放たれた模様。それだけではなく、府内のあちこちでも火の手が上がっております。残すはここ政庁と蔵司、税司のみ。しかも既に囲まれております」
南にひときわ大きな喚声が響いた。門が破られたのだ。
敵はすぐにここになだれ込んでくるであろう。
宗頼と郎党一同は太刀を引っ掴んで跳ね起きたが、それだけである。鎧をつけ武装を整えている暇はない。
縁へと走り出てみれば、庭にはもう敵が満ちている。
その数は増えていくばかり。
本殿にも脇殿にも続々と敵が押し寄せているのだ。
ひとりの武者が数人がかりで打ち掛かられ、無残にも斬り刻まれる。同様の光景が至る所で展開されていた。
蔵司も税司にもやがて、いや、おそらくは既に敵が入り込み、修羅場と化しているだろう。
騎馬武者たちの背には三ツ星の紋と梶の葉を描いた旗指物。
松浦党の襲撃であることを明らかにするために、八郎が準備させておいた旗である。
(我が事、破れたか……)
もはや疑う余地はない。
宗頼は己の軽率さを悔いた。
何故ゆえに舟戦の様子を微に入り細に入り見届けさせ報告させなかったか。
騎馬隊が唐津に向かったからと安心せず、何故もっと警固を徹底させなかったか。
いや、まだ諦めるには早い!
我が武勇をもってすれば今からでも形勢を覆すこともできるはず。
敵の大将を討ち取るのだ。
一対一の勝負ならば、相手が誰であろうとも後れを取る儂ではない。
宗頼は絶叫した。
「松浦党の大将はどこじゃ! 出会え! 尋常に儂と勝負せよ!」
その呼びかけに応じて、際立って大きな馬に乗った丈の高い若武者が現れた。
八郎である。
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