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第6章・血戦

第33話 瀬戸内水軍来襲

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 夜明け時、玄界灘を東に向かう二百艘に近い船団があった。
 松浦党である。
 八郎たちが鎮西に着いてから二十日足らず、早くも渡辺党・河野水軍のおびただしき数の船が、海峡の瀬戸内側入り口、満珠島まんじゅしま干珠島かんじゅしまの辺りに集結しつつあるという報が入ったのだ。
 それによれば敵船団は三百艘あまり。
 味方よりはるかに多い数だが、義親の意気は高い。

「ふん。数ばかり揃えても何の役に立とうか。瀬戸内の穏やかな海で遊んできた奴らに、鎮西の荒波に鍛えられた我らの力を見せてやろうて」

 義親の乗るのはなんと大型の唐船。
 横には八郎が、背後には重季と弁慶が控えている。
 松浦党といえば海賊として広く知られているが、普段はなにも船を襲う略奪行為を専らにしていた訳ではない。
 他の水軍と同じく水運を主な生業なりわいとしたり、商船の護衛に従事する者もいた。
 特筆すべきは本拠地が肥前であることで、半島や大陸に近接するという立地から、自ら高麗と、その先の宋との貿易を行う船主もいたのである。
 義親はそんな船主の中で最大の勢力と指導力を持つ者であり、だからこそ、独立独歩を旨とする各個の集団の緩い結合体であった水軍をひとつにまとめ得たのだ。
 そしてまた、王昇との強い繋がりも、宋との商いを通じて知己となったことが始まりであった。

 その、異国との取引に用いる巨大かつ頑強な唐船を、今日は海戦に使おうというのである。
 唐船は一隻だけではない。
 義親の乗る船の横にもう一隻。
 いずれも船の舳先に急遽、鉄板を張り付けてあった。
 船体ごとぶつかって敵船を粉砕、沈めようというのである。
 これは瀬戸内の海賊衆にとって多大な脅威になると思われた。
 また、帆柱の一本には物見台がしつらえてあり、相手の陣形が見渡せるようになっていた。
 歴戦の勇者であり指揮官であった義親ならではの工夫である。

 重季が前に進み出て義親に問うた。

「やはり長門と豊前の間の海峡を戦場となさるので」
「おうよ。あそこ以外にはあるまい」
「しかし、勝手知ったるこちら側の海におびき寄せて迎え撃った方が有利では」
「貴様もくどいのう。言ったであろう。迎え撃つのではない。境界線まで出て行って彼奴きゃつらを叩かねばならぬのだ。二度と海峡からこちら側へは船を入れぬようにな。そしてまた、鎮西からの船に瀬戸内の海でも悪さをせぬよう、我らの力を存分に思い知らせるのだ」
「潮の流れが速うございましょう」
「だからこそじゃ。この季節、この日ならば、我らが到着する頃から昼過ぎまでは追い潮になる。それを狙ってこの時刻に出立したのだ。潮の流れに乗った方が操船も容易く、断然の有利ぞ」
「ということは、時がたてば逆に向かい潮に」
「それまでに勝負をつける。一気呵成に攻め立てるのは、儂の最も得意とするところよ」

 義親の豪放な笑い声が海に響き渡った。

 かねてからの申し合わせ通り、長門国の最西端・彦島にて船を集結させる。
 大小の船が揃うのを待つ間、八郎は弁慶に話しかけた。

「時葉はさぞ怒っておろうな」
「仕方があるまい。なにしろ泳げぬのでは我らの心配の種になり、足手まといじゃ」

 八郎は重季と川での水練の経験があったため、海で泳ぐことに慣れるのも早かったし、弁慶は元々が熊野の生まれとあって荒波にも負けぬ泳ぎの達者である。
 しかし時葉はそうはいかなかった。
 つい先日まで海を見たこともなかったのだ。
 懸命に海での水練を重ねてはみたものの、二十日やそこらでは身に付くはずもない。
 そこで博多の王昇宅に保護を頼んできたのだが、一緒に戦に行けぬと知った時の剣幕は甚だ激しいものであった。

「なぜ共に連れて行かぬのだ! 女だからといって見くびるな。そんじょそこらの男になど決して負けぬつもりぞ」
「いや、別に女だからどうこうではないのだが、今回は舟戦だからな。お前はまだ泳げぬではないか」

 八郎がそう言うと、さすがの時葉も返す言葉もなく口をつぐんだが、そのいかにも悔しげな顔は、

(これは後々ひと波乱あるな)

 と、八郎に思わせた。

 まあよい。
 王昇殿に任せておけば時葉も子供たちも安心というものだ。
 万が一この戦で俺や弁慶に何かあっても、奴らの身の立つように取り計らってくれるだろう。
 戦に勝って帰ってからならば、どんな恨み言でも聞いてやろうて。

 やがて味方の船が集い、いよいよ戦場に向かう時が来た。

「よし。銅鑼を鳴らせ。太鼓を叩け。出発じゃ!」

 義親の命を受けて出発を告げる銅鑼が何度も打ち鳴らされ、太鼓の音に合わせて水夫が掛け声を上げ、唐船の横から突き出した幾つもの櫓を漕ぐ。
 重季の知るところによれば、義親はこの時すでに齢八十に近いはず。
 だが、その気迫に満ちた声と指揮ぶりは、いささかも老いを感じさせぬものであった。

 追い潮に乗って船は進む。
 すぐに海峡が最も狭くなる早鞆瀬戸はやとものせとが迫った。
 その先は「壇ノ浦」と呼ばれる一帯である。
 義親の予想では、そこが決戦の地になるとのことであった。

 案の定、物見がすぐに敵の姿を捉えた。

「頭領! 敵の船団が見えたばい。数は報せの通り、約三百」
「よし。では敵の陣形は」
「陣形なんてものはなか。たあだ、ばらばらに並んどる」
「ふん、やはりな。ならばこちらは魚鱗じゃ。旗を上げい!」

 鮮やかな朱色の旗が帆柱に掲げられ、船団はそれに合わせて陣形を組む。
 旗の色によって組む陣形があらかじめ決められているのである。
 この頃の日本には、陸の戦であろうが海であろうが、戦術や陣形などはおよそ存在しない。それが一般化するのはもっと後になってからである。
 各々がばらばらに宜しき敵を見出し、一対一で戦うのがこの時代の戦だったのだ。
 その陣形という概念を義親はいち早く取り入れ、海戦に応用しようという。
 生来と経験による戦上手はもちろん、大陸伝来の兵書に親しんでいるのであろう。
 重季の教えによって兵法を学んだ八郎にとってさえ驚嘆すべき先進性である。

 魚鱗とは、全体が三角形となるその先端を敵に向け、陸ならば各隊が、海では船が魚の鱗のように見えることからそう呼ばれる厚みのある堅陣である。
 攻撃に向いた陣形だが、内部の各隊が臨機応変に左右を補うこともできるし、場合によっては後方の部隊が広く展開して敵を取り囲むこともできる。

 しかし今日のこの陣形には、ひとつだけ常と違うところがあった。
 本来ならば最後尾にあるはずの大将艦が三角形の先端を走っていたのである。
 これは義親の剛毅な気性ゆえか、それとも自らが乗る唐船の戦闘力に万全の信頼を置くゆえか。
 とにかくも味方の船団は隊列を整えつつ、ぐんぐんと敵に迫っていく。

 唐船の舳先に立ち、八郎は弓を構えた。
 敵まではまだおよそ四町。
 狙って当てるには遠すぎる距離である。

「おい、何をしているのだ。はやるでない」

 義親でさえこれを諫めた。
 八郎は委細構わず弦を思いきり引き絞り、矢を放つ。
 常の矢合わせのような放物線を描く軌道ではない。
 くだんの巨大なのみのごとき鏃を備えた矢は真っ直ぐに、あまりの速さのため水飛沫みずしぶきを上げて敵船に迫った。
 そして敵船の舳先、海面すれすれを砕き、大きく揺るがせた。
 砕けた船首から激しく浸水したのであろう。
 勇ましげに敵船団の先頭を走っていたその船は、疾走する馬が何かにつまづいたかのように船尾をもたげ、あっさりと海に沈んだ。

「はてさて、船などというものも存外にもろいものよ」

 笑いながら次の矢をつがえる。
 その矢もまた、あやまたず別の船を捉え、船は海の藻屑と消える。
 八郎の周囲から驚きと喜びの大きな喚声があがる。
 味方の士気は、いやが上にも高揚した。
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