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第5章・鎮西へ

第28話 旅立ち

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 翌朝、都から南に下る街道を、奇妙な一行が歩いていた。
 八郎が愛馬の背に跨り、その前には横座りに時葉。
 昨日の豪華な衣装は既に脱ぎ、こざっぱりとした小袖としびらに着替えている。
 もう一頭の馬には重季。
 急遽、自領を弟に委ねて為義にいとまを請い、八郎の供を申し出たのである。

 加えて、徒歩の四人の孤児たちがいた。
 彼らが牽く荷車には、全身をさらしの包帯で巻かれた鬼若が乗せられている。
 孤児たちはそれを牽くため、そしてまた、時葉と鬼若が八郎と共に行くならば、自分たちも一緒にと願い出たのだ。
 多くの仲間が惨殺された叡山の住処に戻る気がしなかったのも無理はない。
 八郎はこれを了承した。
 重季はさすがに異を唱えたが、今や八郎は子供ではなく、一行の領袖である。
 またも渋々ながら許諾するしかなかったのだ。

 彼らが向かうのは江口の長者のもと。
 折に触れて連絡を取り続けていたし、これから如何にすべきかについて知恵を借りるには、あの翁しかあるまいという重季の判断であった。

 八郎には全くと言ってよいほど計画がない。
 ただ、なるようになると思っているだけである。
 これで重季がいなければ、一行の行末は暗澹たるものとなったろう。
 だが、子細なことにこだわって小知恵を回す主君であれば、重季も全てを投げうってまで供をしようとは思わなかったであろう。
 主従の顔は、これまでの全てのしがらみから解放された晴れやかなものであった。

 傷ついた巨漢を気遣いながらの道行きゆえ時間が掛かる。
 やっと江口に達した時にはもう夕刻であった。

 八郎を見た翁は歓喜した。

「おお! ようご無事で」

 聞けば、昨日の騒動を今朝にはもう知っていたという。
 驚くべき早さである。

「京の出来事を知るのは、ここでの商いには必須でございますからな。常に人をやり、何が起こったか伝えるように命じておりますのじゃ」

 久方ぶりに会う翁は少し痩せ、皺が深くなったようだが、その話しぶりや立ち居振る舞いは今だ矍鑠かくしゃくとしたものである。

「あれほどの騒動が、耳の早い京雀の噂に上らぬはずはありませぬて。とにかく八郎君がご無事であったことが何よりでございます」

 そして、うっすらと涙さえ浮かべる。
 重季は安堵した。

(やはり、ここを頼ってきたのは間違いではなかった)

「ともあれ、まずはこちらへ」

 と、屋敷の中へ招かれる。
 八郎、重季、時葉の三人が通されたのは、以前にも来たことのある居間であった。
 怪我人である鬼若と子供たちを妻女が奥の一室へと案内するのを見届けるや、翁は八郎たちに向き直って話を切り出した。

「あのおごり高ぶった奸物・信西入道の館に、たった一人で打ち込まれるとは、おやりになりましたなあ。京の人々も拍手喝采しておるそうですぞ」

 満面の笑顔である。
 八郎は苦笑する。

「まあそれは、いろいろと事情があってな」

 そして、叡山での法然や孤児たちとの出会い、崇徳院の懇意を得たことなどについて語った。

「そういう訳で、子供たちが斬られ、時葉というこの娘が信西宅に攫われたのを知って、それを救うために打ち入ったのだが、おそらく兄弟子がそれと察し、急ぎ新院様に知らせてくれたのだろう。そのお力で不問となったのだ」

 これを聞いて重季は目を丸くした。法然の一件は初耳だ。
 八郎は玉藻のことはあえて口にしなかった。
 翁に余計な心労をかけたくなかったからである。
 いっぽう翁は何度も頷いた。

「成程。そういう経緯いきさつでございましたか。八郎君が叡山に送られたことは聞いておりましたが、そこでそんな良き出会いがあったとは。それで検非違使庁は動かず、為義殿も何の罰も下されなかったのですな。実は、どうなるものか大層心配しておりましたのじゃ」
「勘当を言い渡されたがな」
「ははは。そんなことは全くの小事では。八郎君は遅かれ早かれ源家を去るおつもりだったでしょうに」
「まあ、そういうことだ」
「で、鎮西に参られるのですな」

 それだけが今の八郎の考えている全てである。
 言い当てられ、八郎は翁の洞察の鋭さに驚く。

「ほう。なぜそう思うのだ」

 翁は事もなげに答えた。

「当然でございましょう。あずまは長兄・義朝殿が勢力を伸ばした地ゆえに憚られる。ならば土地柄から考えて、八郎君がお力を発揮できるのは他には、坂東武者に匹敵する荒くれ者たちが跋扈ばっこする鎮西しかありませんからな」
「そうか。爺もそう思うか。俺の行くべき場所は、やはり鎮西だな」

 これを聞いて、それまで黙っていた重季が反応した。

「おお、そういう事ならば」

 そして懐から一通の書状を取り出した。

「為義様から託されたものでございます」

 豊後の国に住むという知己・尾張権守季遠すえとおに宛てた一筆である。
 もしも鎮西に向かうことがあればと、内々に重季に委ねてあったのだ。
 しかし八郎はこれが気に入らない。

「俺はそんな奴の世話になる気はないぞ」
「何故でございます。折角の大殿の心遣いを」
「季遠とやらに世話になれば、俺はまた親父殿の紐付きになってしまうではないか。ようやく源家から解放されて自由な身となったのに、なんで今更そんな面倒を抱え込まねばならないのだ。俺を使って西国に己の勢力を伸ばそうとの魂胆であろう。見え透いておるわ」
「しかし、なれど八郎様は、右も左もわからぬ鎮西にて、とりあえずどうなさるおつもりで」
「知るか。成り行き任せじゃ」
「またそんな、あまりにもいい加減な」

 翁もさすがに八郎の行末を懸念したか、一案を提示した。 

「ならば手前が」

 博多に居を構える宋人の大商人に文を書こうというのである。
 大宰府の表玄関・博多は古くから大陸との貿易で栄えた港町。
 畿内と文物を商いする者も多く、件の宋人は江口に来たこともあって、翁はその者と親しく、常々さまざまな品物を買い入れているという。

「有難うござる。まさに、渡りに船とはこのことで」
「ははは。その通り、鎮西に渡る船も手配いたしましょうて。だが、条件が二つございます」

 翁の目が悪戯っぽく輝いた。

「それは如何なることでありましょうか」
「なあに、簡単じゃ。一つは暫く我が家に滞在して頂くこと。どうせあの怪我人を乗せて長い船旅はできませんでしょうに。十日や二十日はここで養生させなさいませ。そうすれば手前も八郎君とゆっくり過ごせるというものじゃ。老い先短いこの身に、それ位の情実は示して貰いたいものですな」

 この気遣いに、八郎も重季も胸を熱くする。
 しかも、鎮西に渡ってしまえば、実際、次はいつ会えるか分らない相手なのだ。

「では、もう一つは」
「そこな娘御むすめごのことですが」

 時葉が目を剝いた。
 ここ江口といえば、京の近辺でも一二を争う色街ではないか。
 しかも、その長者だという。
 さてはこの爺め、温厚そうに装っておいて、まさか私を遊女にしようとする魂胆ではあるまいな。
 それまでのしおらし気な態度はどこへやら、翁を睨みつける。

 翁はからからと笑った。

「ははは。気の強そうなことで、結構、結構じゃ。それで八郎君に伺いたい。この娘をどうなさるおつもりかな」

 これに八郎ではなく時葉が即座に応じた。

「私は八郎の嫁になる!」
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