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第4章・玉藻ふたたび
第27話 勘当
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その日の夜、八郎は堀川源氏館の一室にいた。
横には時葉、正面には為義が座っている。
傍らには重季が控えていた。
非番のはずが、騒動を知った為義に呼び付けられたのだ。
館の内外では、武装した家人たちが忙しなく行き来していた。
万が一の襲撃に備えているのである。
為義の顔は苦りきっている。
「全く、なんという事をしでかしてくれたのか」
反対に、八郎の表情は平然としたものである。
まるで何が悪いのかと言わんばかり。
代わって重季が再び弁明にかかる。
「ですから、叡山で知り合った子供たちが信西殿の手の者に斬られ、この娘が攫われたゆえ、救いに参られたと仰っておられるではありませぬか。まず非難されるべきは先方ですぞ」
「分っておるわ。だが、相手は今や本院様の第一の寵臣たる信西入道ぞ。その屋敷に討ち入り、大勢を斬り伏せ、打倒すなど、正気の沙汰ではないわ!」
最後は思わず口調が荒くなる。
「しかも、義朝の郎党まで傷つけたというではないか」
これにまた重季が応じた。
「しかし、新院様のお力で今回の件は全て不問に付すことになったはず」
あの後、鳥羽の田中殿に駆け付けた法然から話を聞いた崇徳院が、信西宅と、このとき検非違使別当職を務めていた徳大寺公能のもとに急使を送ったのだ。
そして、先の帝の権威をもって信西側の非を明らかにし、なんとか事態を収拾することを得たのである。
しかし、それはつまり、崇徳院が信西、そして玉藻と明白に敵対したということでもあった。
崇徳院の使者は、源氏館にも不問の旨を伝えていた。
「それに、なぜ清盛殿や義朝様の軍勢までが信西入道の館に控えておったのか、あまりにも不審が過ぎましょう」
「うむ」
重季が口にした疑問に、さすがに為義も頷いた。
そして思う。
いったいに、今回の一件には奇妙なことが多すぎる。
そもそも、何故ゆえ信西入道は孤児たちを襲い、この娘を攫ったのか。
確かに美しい少女ではあるが、あの好色な入道を満足させるには今だ年若であろう。
京ではなく、わざわざ叡山の山麓に目を付けたというのも不可解だ。
信西の権勢をもってすれば、側女など洛中からいくらでも召し上げることができように。
新院様の動きについてもしかり。
使者が信西入道と徳大寺殿の館に到着したのは、ほとんど騒動が起こった直後だったという。
鳥羽の離宮におられながら、なぜそのように早く事を知り、対処できたのか。
使者を送り出した先も、まるで事件のあらましを予想していたかのようではないか。
あまりにも手際が良すぎる。
為義は玉藻のことも、法然が鳥羽の崇徳のところへ駆けつけたことも知らない。
不思議に思うのは当然である。
眉間に皺を寄せて更に思案する。
だが、経緯はどうあれ、目下の問題は、予断を許さぬ今の状況だ。
打ち込みの一件は公には不問となったものの、信西入道という曲者が、このままで済ますとは思えぬ。
本院様に讒言するなり、何か別の罪を言い立てるなり、これから先、陰に陽に源家と八郎を陥れようとしてくるに違いない。
暫くの沈思の末、為義は静かに告げた。
「八郎。貴様は勘当だ。この家を去り、いずこへなりと行ってしまえ。このまま京にいることは許さん」
重季は顔色を変え、即座に異を唱えた。
「なんと! それはおかしゅうござる」
「なぜじゃ」
「非は相手にあると新院様も検非違使庁も認め、八郎様には何の処罰もないものを、源家だけが率先して勘当などという罰を下すとは」
しかし為義は譲らない。
「勘当で済んだだけ有難いと思え。新院様の御尽力が無ければ、刑に処されるか、そうでなくとも儂がこの手で、もっと重い罰を与えなければならぬところぞ」
その顔は色を失い、話すにつれて深刻さを増していくようであった。
「検非違使庁が不問にしたとて、先のことは分らぬ。考えてみよ。もしも何の処罰も下さず、こ奴を都に留めておけばどうなるか。相手はあの執念深い入道じゃ。このまま黙っておるはずはない。あの手この手で我が家は次第に追い詰められ、八郎もどうせ命を狙われるわ」
この時代、公家たちは日々政争に明け暮れてはいたが、どれほど憎い敵であろうと、その命までを絶とうとすることはなかった。
死穢と祟りを恐れたからである。
相手を殺し首を斬る私闘が当然の武士とは、そこが違う。
だが為義は、信西ならば、それさえもやりかねないと言っているのだ。
こう論じられると、重季にも反駁の言葉がない。
確かに、それは十分にあり得ることだ。
日中に表立っての襲撃ならば、八郎様にはよもや心配もないが、いつどのような手段で襲ってくるか分らぬとなれば、たとえ八郎様であっても対処できるかどうか。
自分とて、とても守り切れる自信はない。
「それゆえ、八郎は勘当ということにして別の土地へやるのよ。そうすれば信西の面目も立ち、少しは溜飲も下がるであろう。早急に手を打ってくることもあるまいて。そしてこの方は、その間に対策を講じるのだ」
重季の納得した様子に、為義は話を終えようとした。
「これで八郎と源家の縁は切れた。夜が明けたら館を出てゆくように」
だが、これはむしろ、八郎にとっては望むところである。
遅かれ早かれ源家とは縁を切る運命にあったのだ。
その心づもりは既に十分にできている。
「わかりました。明朝早々に出立しましょう」
勘当を言い出した当の為義が拍子抜けするほど、あっさりと承諾の返答をした。
ところが、これまでずっと無言を通してきた時葉が、ここで初めて口を挟んだのだ。
「ならば私は八郎についてゆくぞ」
重季は驚き怒る。
「何を言うか。お前のためにこの大事に至ったというに。この上まだ若君に迷惑をかけるつもりか!」
時葉は澄ましたものである。
「八郎は私のことを仲間と言うた。だから救いに来たとな。仲間なら私が八郎の行く所にどこまでも付いてゆくのは当たり前であろう」
「馬鹿な! 勝手を言うではない」
このやりとりを前に八郎は考える。
うむ、救い出すのに夢中で、その先は考えていなかったが、確かに時葉をこのまま比叡に帰す訳にもいくまい。
母や信西が俺をおびき出すための餌として、また手を出してくることも考えられるし、義朝兄者のことも気に掛かる。
以前見た時の覇気を全く失っていたばかりか、熱にでもうかされたような顔だったではないか。
しかも時葉に対しては普通ではない執着を見せていた。
あの様子では、命じられずとも単独でこの娘を探し求め、無理矢理にでも我がものにせんと奔走しそうだ。
ここはやはり、時葉の言う通りにするしかあるまい。
そして言った。
「分かった。時葉も一緒に連れて行こう」
時葉は跳び上がらんばかりに喜び、重季は猛然と反対する。
「若君、それはなりませんぞ!」
「言うな。ここまで踏み込んだならば、最後まで責任を持つのが筋というものだ。それに、鬼若も連れて行く」
「なんですと!」
「あの怪我人をこのまま置き捨てていく訳にはいくまい。明朝に館から運び出し、どこぞで養生させる」
八郎の毅然とした沙汰に重季は返す言葉を失う。
ここで為義が不意に立ち上がった。
部屋の片隅に立て掛けてあった例の長剣を手に取り、八郎に差し出す。
「もはやお前が誰と何処に行こうと知ったことではないが、これを持って行け。亡き母の形見じゃ」
八郎はそれを無言で受け取り、去ろうとする。
そしてまさに部屋を出ようとした時、さもふと思い出したかのように振り返り、言った。
「そういえば、信西館に母者がおりましたぞ」
「なんじゃと、玉藻がか!」
「おお、顔こそ見ませんでしたが、聞き覚えのある謡の声が聞こえてきた。舞え舞え蝸牛とな。あれは母者に間違いない。今は本院様の寵姫・玉藻前であったかな」
これに時葉も応じた。
「もしかして、あの長身の艶やかな女御か! 丈の高さといい面貌といい、そういえば八郎と似ておったぞ」
そして八郎と時葉は部屋を去った。
重季も急いで後を追う。
残された為義はひとり、甚だ困惑する。
信西宅に玉藻がいただと!
名目上とはいえ、義父の邸であるからには、あれが出入りをしても何の不思議もないが、よりによって今日この日とは。
そは一体、如何なることぞ。
この騒動に、どう関わっておるのだ。
為義の思考は乱れに乱れ、いつまでも定まることがなかった。
横には時葉、正面には為義が座っている。
傍らには重季が控えていた。
非番のはずが、騒動を知った為義に呼び付けられたのだ。
館の内外では、武装した家人たちが忙しなく行き来していた。
万が一の襲撃に備えているのである。
為義の顔は苦りきっている。
「全く、なんという事をしでかしてくれたのか」
反対に、八郎の表情は平然としたものである。
まるで何が悪いのかと言わんばかり。
代わって重季が再び弁明にかかる。
「ですから、叡山で知り合った子供たちが信西殿の手の者に斬られ、この娘が攫われたゆえ、救いに参られたと仰っておられるではありませぬか。まず非難されるべきは先方ですぞ」
「分っておるわ。だが、相手は今や本院様の第一の寵臣たる信西入道ぞ。その屋敷に討ち入り、大勢を斬り伏せ、打倒すなど、正気の沙汰ではないわ!」
最後は思わず口調が荒くなる。
「しかも、義朝の郎党まで傷つけたというではないか」
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「しかし、新院様のお力で今回の件は全て不問に付すことになったはず」
あの後、鳥羽の田中殿に駆け付けた法然から話を聞いた崇徳院が、信西宅と、このとき検非違使別当職を務めていた徳大寺公能のもとに急使を送ったのだ。
そして、先の帝の権威をもって信西側の非を明らかにし、なんとか事態を収拾することを得たのである。
しかし、それはつまり、崇徳院が信西、そして玉藻と明白に敵対したということでもあった。
崇徳院の使者は、源氏館にも不問の旨を伝えていた。
「それに、なぜ清盛殿や義朝様の軍勢までが信西入道の館に控えておったのか、あまりにも不審が過ぎましょう」
「うむ」
重季が口にした疑問に、さすがに為義も頷いた。
そして思う。
いったいに、今回の一件には奇妙なことが多すぎる。
そもそも、何故ゆえ信西入道は孤児たちを襲い、この娘を攫ったのか。
確かに美しい少女ではあるが、あの好色な入道を満足させるには今だ年若であろう。
京ではなく、わざわざ叡山の山麓に目を付けたというのも不可解だ。
信西の権勢をもってすれば、側女など洛中からいくらでも召し上げることができように。
新院様の動きについてもしかり。
使者が信西入道と徳大寺殿の館に到着したのは、ほとんど騒動が起こった直後だったという。
鳥羽の離宮におられながら、なぜそのように早く事を知り、対処できたのか。
使者を送り出した先も、まるで事件のあらましを予想していたかのようではないか。
あまりにも手際が良すぎる。
為義は玉藻のことも、法然が鳥羽の崇徳のところへ駆けつけたことも知らない。
不思議に思うのは当然である。
眉間に皺を寄せて更に思案する。
だが、経緯はどうあれ、目下の問題は、予断を許さぬ今の状況だ。
打ち込みの一件は公には不問となったものの、信西入道という曲者が、このままで済ますとは思えぬ。
本院様に讒言するなり、何か別の罪を言い立てるなり、これから先、陰に陽に源家と八郎を陥れようとしてくるに違いない。
暫くの沈思の末、為義は静かに告げた。
「八郎。貴様は勘当だ。この家を去り、いずこへなりと行ってしまえ。このまま京にいることは許さん」
重季は顔色を変え、即座に異を唱えた。
「なんと! それはおかしゅうござる」
「なぜじゃ」
「非は相手にあると新院様も検非違使庁も認め、八郎様には何の処罰もないものを、源家だけが率先して勘当などという罰を下すとは」
しかし為義は譲らない。
「勘当で済んだだけ有難いと思え。新院様の御尽力が無ければ、刑に処されるか、そうでなくとも儂がこの手で、もっと重い罰を与えなければならぬところぞ」
その顔は色を失い、話すにつれて深刻さを増していくようであった。
「検非違使庁が不問にしたとて、先のことは分らぬ。考えてみよ。もしも何の処罰も下さず、こ奴を都に留めておけばどうなるか。相手はあの執念深い入道じゃ。このまま黙っておるはずはない。あの手この手で我が家は次第に追い詰められ、八郎もどうせ命を狙われるわ」
この時代、公家たちは日々政争に明け暮れてはいたが、どれほど憎い敵であろうと、その命までを絶とうとすることはなかった。
死穢と祟りを恐れたからである。
相手を殺し首を斬る私闘が当然の武士とは、そこが違う。
だが為義は、信西ならば、それさえもやりかねないと言っているのだ。
こう論じられると、重季にも反駁の言葉がない。
確かに、それは十分にあり得ることだ。
日中に表立っての襲撃ならば、八郎様にはよもや心配もないが、いつどのような手段で襲ってくるか分らぬとなれば、たとえ八郎様であっても対処できるかどうか。
自分とて、とても守り切れる自信はない。
「それゆえ、八郎は勘当ということにして別の土地へやるのよ。そうすれば信西の面目も立ち、少しは溜飲も下がるであろう。早急に手を打ってくることもあるまいて。そしてこの方は、その間に対策を講じるのだ」
重季の納得した様子に、為義は話を終えようとした。
「これで八郎と源家の縁は切れた。夜が明けたら館を出てゆくように」
だが、これはむしろ、八郎にとっては望むところである。
遅かれ早かれ源家とは縁を切る運命にあったのだ。
その心づもりは既に十分にできている。
「わかりました。明朝早々に出立しましょう」
勘当を言い出した当の為義が拍子抜けするほど、あっさりと承諾の返答をした。
ところが、これまでずっと無言を通してきた時葉が、ここで初めて口を挟んだのだ。
「ならば私は八郎についてゆくぞ」
重季は驚き怒る。
「何を言うか。お前のためにこの大事に至ったというに。この上まだ若君に迷惑をかけるつもりか!」
時葉は澄ましたものである。
「八郎は私のことを仲間と言うた。だから救いに来たとな。仲間なら私が八郎の行く所にどこまでも付いてゆくのは当たり前であろう」
「馬鹿な! 勝手を言うではない」
このやりとりを前に八郎は考える。
うむ、救い出すのに夢中で、その先は考えていなかったが、確かに時葉をこのまま比叡に帰す訳にもいくまい。
母や信西が俺をおびき出すための餌として、また手を出してくることも考えられるし、義朝兄者のことも気に掛かる。
以前見た時の覇気を全く失っていたばかりか、熱にでもうかされたような顔だったではないか。
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あの様子では、命じられずとも単独でこの娘を探し求め、無理矢理にでも我がものにせんと奔走しそうだ。
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「なんですと!」
「あの怪我人をこのまま置き捨てていく訳にはいくまい。明朝に館から運び出し、どこぞで養生させる」
八郎の毅然とした沙汰に重季は返す言葉を失う。
ここで為義が不意に立ち上がった。
部屋の片隅に立て掛けてあった例の長剣を手に取り、八郎に差し出す。
「もはやお前が誰と何処に行こうと知ったことではないが、これを持って行け。亡き母の形見じゃ」
八郎はそれを無言で受け取り、去ろうとする。
そしてまさに部屋を出ようとした時、さもふと思い出したかのように振り返り、言った。
「そういえば、信西館に母者がおりましたぞ」
「なんじゃと、玉藻がか!」
「おお、顔こそ見ませんでしたが、聞き覚えのある謡の声が聞こえてきた。舞え舞え蝸牛とな。あれは母者に間違いない。今は本院様の寵姫・玉藻前であったかな」
これに時葉も応じた。
「もしかして、あの長身の艶やかな女御か! 丈の高さといい面貌といい、そういえば八郎と似ておったぞ」
そして八郎と時葉は部屋を去った。
重季も急いで後を追う。
残された為義はひとり、甚だ困惑する。
信西宅に玉藻がいただと!
名目上とはいえ、義父の邸であるからには、あれが出入りをしても何の不思議もないが、よりによって今日この日とは。
そは一体、如何なることぞ。
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