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第4章・玉藻ふたたび
第23話 弓を得る
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善弘が源氏館に八郎を訪れたのは、年が明けてから少し経った二月である。
八郎に新たに与えられた離れで二人は相対した。
挨拶を終えると善弘はまず重季の姿がないのを見てとり、尋ねた。
「元服されたので、重季殿は傅のお役御免ということでしょうか」
「いや、そういうことではなく、今は我が近習ということになっているのだが、俺の身の回りの世話や、あちこちに出掛ける際の供など、何かと苦労や心労ばかりかけて気の毒なので、時折は非番にしておるのです。本人は却って不満そうですが、あれにもたまには休みをやらないと」
「それは良いことをなさいました」
善弘はにっこりと口元を綻ばせた。
相変わらず、人を魅了する微笑である。
そして、
「では、まずはこれを、私から八郎様へ」
と、傍らに置いてあった細長い包みを目の前に押し出し、解く。
それは八尺半もあろうかという長大な弓であった。
全体を漆で塗り、一寸ほどの間隔を置いて籐で巻きしめてあり、力強く、かつ美しい。
「おお、これは!」
八郎は嬉しさに声を上げた。
「心ばかりの元服の祝いでございます。八郎様はまた丈がお伸びになり、逞しくもなられたようで、その身体ならば、きっとこの弓をお使いになることができましょう」
八郎はこの時まだ十三歳だが、その背丈は既に六尺を超えている。
膂力もまた、為義配下のどんな武者をも遥かに凌いでいた。
「真ん中に鉄の心棒を通して、その回りを厳選した黄櫨と竹で囲み、膠で固めてあります。しなりも強度も八郎様の使用に耐えるものかと」
「それはまた特別な作りだな。いったい兄弟子は、こんな弓をどこでどうやって手に入れたのだ」
「私の母は美作の国の秦氏の流れでして」
善弘は説明した。
秦氏とは有力な渡来人の氏族である。
土木や建築、工芸、開拓、養蚕などの大陸渡りの高度な技術をもって古から朝廷に仕え、長岡京、そして今の平安京の造営にあたっても、その知識や技術は遺憾なく発揮されたという。
そういう秦氏の本拠が洛西の太秦である。
まさしく、その太秦に住む特別な技を持つ人々に、秦氏の繋がりをもって善弘自らが特別に依頼し、作ってもらった弓であった。
「これが出来上がるのを待っていたら、お祝いに上がるのが遅くなってしまいました」
手に持ってみると、なるほど鉄芯が入っているというだけあって、常の弓よりかなり重い。
横に添えてある矢が、これもまた異様なものであった。
全て長さが十五束はあり、通常の矢はおよそ十二束であるから、それよりも拳三つ分ほど長い。
矢柄、つまり矢の本体の材は、矢には最高と言われる三年物の竹であろうか。見るからに上質の竹だ。
三年未満の竹は弱く、それ以上の竹が割れやすいのに対して、生えてからちょうど三年が経過した竹は最も強靭であると言われている。
手に持ってみると、これもまた重い。おそらくは、細長く打ち延ばした鉄棒を矢柄に挿入し、強度と威力を増してあるのだろう。
矢筈にも工夫があり、単に竹の最後尾に弦をつがえるための溝を入れたものではない。鹿の角とおぼしき材に溝を入れ、継ぎ足してあった。
尋常でない弓勢を考え、放つ際に矢筈が砕けたりせぬよう補強しているのである。
更に、鏃がまた凄まじいものが三種。
まずは「射抜く」ためのものであろう、細長く鋭利に尖った鏃があるが、その驚くべき長さと太さは、ちょっとした鉾や槍の穂先ほどはあろうかと思われた。
二種目は雁股。先端が二つに分かれた「射切る」ための鏃である。
しかし、その「手」、すなわち左右に突き出た部分がおよそ六寸、また「渡り」、つまり左右の間の長さも六寸はあるという、まさに「大雁股」と呼ぶべきものである。
鏃の内側は磨き上げられた刃となっており、そのうえ外側の峰の部分も、殺傷力を上げるため、先端の一寸ほどが刃となっている。
この矢はまた、鏃の根元に鏑が取り付けられ、放たれると鋭い音を発するように仕掛けられていた。
「ううむ」
八郎は思わず唸る。
さすがに工芸の技で名高い渡来人の一族・秦氏の手になる逸品だ。
弓も矢も、およそ京の名高い職人でも思いもつかぬであろう恐るべき工夫に満ちている。
そしてまた三種目は、より狂暴な形状の鏃であった。
厚さ五分、広さ一寸、長さ八寸ばかりの巨大な鑿のような刃全体を氷のように磨き上げてある。
八郎はその矢を取り上げ、問うた。
「これは」
「金属の鎧をつけた相手に対して用いるものでございます」
「というと」
「大陸では本邦とは違い、皮革ではなく鉄や青銅などの金属で鎧を仕立てるのです。そういう敵には鋭い鏃で貫くよりも、先が丸めの重い鏃で中の身体に打撃を与える方が効果があるのだとか」
「なるほどなあ。風土が変われば戦い方も武具も変わるという訳か」
金属の鎧というのも面白いが、それさえにも打撃を与え、無効化する矢とは。
八郎には初めて聞くことばかりである。
そして、あらためて感心する。
全く、この兄弟子の知識には際限がない。
「しかし、この鏃は先端が丸くはなっておらぬが」
「はい。その通りでございます。まあ、日の本ではそんな鎧を着た武者などおりませんでしょうが、金属であろうが皮革であろうが切断し、突き刺さるようにと、矢師に相談して工夫いたしました。頑丈な盾や障壁を砕こうという際にも役に立つかと」
盾や障壁どころではない。
この弓でこの矢を放てば、どんな大岩石や鉄の築地であろうと軽く引き裂き、あるいは砕きそうである。
人間など、もっと耐えられないだろう。
大鎧を簡単に引き裂き、武者の血管も組織も切断しながら刺さるのだ。
瞬時に死に至るに違いない。
ここで八郎は、ごく無造作に、弓に弦を掛ける。
弓と弦が満月のようになるまで引き絞ってみる。
うむ。確かに手強いが良い弓だ。
何よりも、俺の腕に伝わるその作り手の気概が尋常ではない。
善弘は目を丸くした。
なんと!
太秦の里で言うには、大の男が七人かかって、やっと成し得ることだ。
その七人張の弓の弦を軽々と掛け、しかも楽々と引いてみせるとは。
「だが」
弓を置いて八郎は問いかけた。
「殺生を禁じられているはずの僧職が、このような物騒なものを俺に与えていいのかな」
むろん戯れ事である。
予想していた質問らしく、善弘は澄まして答える。
「良いのでは。私は八郎様の兄弟子ですから、弟弟子を信頼するのは当たり前でしょう。どうかこれらを『正しく』お使いください」
「ありがたい。何よりの贈り物だ」
八郎が礼を言うと、善弘は満足げに頷いた。
そしてあらためて息を整え、
「実は、お目にかかるのが遅くなったのは、もうひとつ、私の方にも事情がございまして」
と、新たな話を切り出した。
この人にはめずらしく、言いにくそうな話の気配である。
そこで八郎も居ずまいを正して聞くと、なんと、前年の秋に皇円の下を辞し、黒谷の叡空師のところに移ったというのだ。
意外であった。
八郎は、この兄弟子は師・皇円の下で修行を積み、いずれは叡山の高僧として名を馳せるものとばかり考えていたからである。
「どうも、晴れやかな陽の当たる場所は私には合わぬようです」
善弘は言う。
功徳院にいる限り、叡山の重要な教えである法華経、そして円仁大師以来の密教などを極めぬ訳にはいかない。
しかし自分には、やはり阿弥陀如来のおわす浄土の教えこそが、罪深い一切の衆生が救われる唯一の道と思えてならないのだ。
そこで強いて皇円に乞い、陽の当たる比叡山東塔にある功徳院から、同じ叡山でもあえて谷深い黒谷別所に移らせてもらうことにしたという。
「そんな訳で、今は法然房源空という名を頂き、黒谷で書庫番のような生活をしております。まあ、一種の隠遁のようなものですか」
八郎には想像できた。
書庫番とか隠遁などと言ってはいるが、自分の指標となる教えを求めて、きっとまた多くの書物を熱心に読み、思索し、昼夜を問わず救済の道を探っているのであろう。
想うに、その姿は全く兄弟子にふさわしい。
だが、師・皇円はどうだ。
兄弟子の将来に大きな期待をかけている様子であっただけに、さぞ残念であったろう。
しかし、長い思案の末にこうと決めたからには、それを翻す兄弟子ではない。
落胆に肩を落とした師の姿が見えるようであった。
「そんなこんなで、やっと今日になって八郎様の元服のお祝いを申し上げに現れた次第で。それとこの後、新院様にも我が身の変化の御報告をと考えております」
おお、新院様か。
そういえば、館に帰って来て以来、俺も久しくお会いしておらぬな。
どうしておられるだろうか。
八郎が崇徳院の顔を心に思い浮かべた、ちょうどその時、どこからか言い争う声が聞こえた。
声はだんだんと大きくなった。
しかも、中には叡山で聞き覚えのある声が混じっている。
そして、特に聞き覚えのある声が門前から大きく響いた。
「八郎おおっ!」
それは間違いなく鬼若の声であり、必死の叫びであった。
八郎に新たに与えられた離れで二人は相対した。
挨拶を終えると善弘はまず重季の姿がないのを見てとり、尋ねた。
「元服されたので、重季殿は傅のお役御免ということでしょうか」
「いや、そういうことではなく、今は我が近習ということになっているのだが、俺の身の回りの世話や、あちこちに出掛ける際の供など、何かと苦労や心労ばかりかけて気の毒なので、時折は非番にしておるのです。本人は却って不満そうですが、あれにもたまには休みをやらないと」
「それは良いことをなさいました」
善弘はにっこりと口元を綻ばせた。
相変わらず、人を魅了する微笑である。
そして、
「では、まずはこれを、私から八郎様へ」
と、傍らに置いてあった細長い包みを目の前に押し出し、解く。
それは八尺半もあろうかという長大な弓であった。
全体を漆で塗り、一寸ほどの間隔を置いて籐で巻きしめてあり、力強く、かつ美しい。
「おお、これは!」
八郎は嬉しさに声を上げた。
「心ばかりの元服の祝いでございます。八郎様はまた丈がお伸びになり、逞しくもなられたようで、その身体ならば、きっとこの弓をお使いになることができましょう」
八郎はこの時まだ十三歳だが、その背丈は既に六尺を超えている。
膂力もまた、為義配下のどんな武者をも遥かに凌いでいた。
「真ん中に鉄の心棒を通して、その回りを厳選した黄櫨と竹で囲み、膠で固めてあります。しなりも強度も八郎様の使用に耐えるものかと」
「それはまた特別な作りだな。いったい兄弟子は、こんな弓をどこでどうやって手に入れたのだ」
「私の母は美作の国の秦氏の流れでして」
善弘は説明した。
秦氏とは有力な渡来人の氏族である。
土木や建築、工芸、開拓、養蚕などの大陸渡りの高度な技術をもって古から朝廷に仕え、長岡京、そして今の平安京の造営にあたっても、その知識や技術は遺憾なく発揮されたという。
そういう秦氏の本拠が洛西の太秦である。
まさしく、その太秦に住む特別な技を持つ人々に、秦氏の繋がりをもって善弘自らが特別に依頼し、作ってもらった弓であった。
「これが出来上がるのを待っていたら、お祝いに上がるのが遅くなってしまいました」
手に持ってみると、なるほど鉄芯が入っているというだけあって、常の弓よりかなり重い。
横に添えてある矢が、これもまた異様なものであった。
全て長さが十五束はあり、通常の矢はおよそ十二束であるから、それよりも拳三つ分ほど長い。
矢柄、つまり矢の本体の材は、矢には最高と言われる三年物の竹であろうか。見るからに上質の竹だ。
三年未満の竹は弱く、それ以上の竹が割れやすいのに対して、生えてからちょうど三年が経過した竹は最も強靭であると言われている。
手に持ってみると、これもまた重い。おそらくは、細長く打ち延ばした鉄棒を矢柄に挿入し、強度と威力を増してあるのだろう。
矢筈にも工夫があり、単に竹の最後尾に弦をつがえるための溝を入れたものではない。鹿の角とおぼしき材に溝を入れ、継ぎ足してあった。
尋常でない弓勢を考え、放つ際に矢筈が砕けたりせぬよう補強しているのである。
更に、鏃がまた凄まじいものが三種。
まずは「射抜く」ためのものであろう、細長く鋭利に尖った鏃があるが、その驚くべき長さと太さは、ちょっとした鉾や槍の穂先ほどはあろうかと思われた。
二種目は雁股。先端が二つに分かれた「射切る」ための鏃である。
しかし、その「手」、すなわち左右に突き出た部分がおよそ六寸、また「渡り」、つまり左右の間の長さも六寸はあるという、まさに「大雁股」と呼ぶべきものである。
鏃の内側は磨き上げられた刃となっており、そのうえ外側の峰の部分も、殺傷力を上げるため、先端の一寸ほどが刃となっている。
この矢はまた、鏃の根元に鏑が取り付けられ、放たれると鋭い音を発するように仕掛けられていた。
「ううむ」
八郎は思わず唸る。
さすがに工芸の技で名高い渡来人の一族・秦氏の手になる逸品だ。
弓も矢も、およそ京の名高い職人でも思いもつかぬであろう恐るべき工夫に満ちている。
そしてまた三種目は、より狂暴な形状の鏃であった。
厚さ五分、広さ一寸、長さ八寸ばかりの巨大な鑿のような刃全体を氷のように磨き上げてある。
八郎はその矢を取り上げ、問うた。
「これは」
「金属の鎧をつけた相手に対して用いるものでございます」
「というと」
「大陸では本邦とは違い、皮革ではなく鉄や青銅などの金属で鎧を仕立てるのです。そういう敵には鋭い鏃で貫くよりも、先が丸めの重い鏃で中の身体に打撃を与える方が効果があるのだとか」
「なるほどなあ。風土が変われば戦い方も武具も変わるという訳か」
金属の鎧というのも面白いが、それさえにも打撃を与え、無効化する矢とは。
八郎には初めて聞くことばかりである。
そして、あらためて感心する。
全く、この兄弟子の知識には際限がない。
「しかし、この鏃は先端が丸くはなっておらぬが」
「はい。その通りでございます。まあ、日の本ではそんな鎧を着た武者などおりませんでしょうが、金属であろうが皮革であろうが切断し、突き刺さるようにと、矢師に相談して工夫いたしました。頑丈な盾や障壁を砕こうという際にも役に立つかと」
盾や障壁どころではない。
この弓でこの矢を放てば、どんな大岩石や鉄の築地であろうと軽く引き裂き、あるいは砕きそうである。
人間など、もっと耐えられないだろう。
大鎧を簡単に引き裂き、武者の血管も組織も切断しながら刺さるのだ。
瞬時に死に至るに違いない。
ここで八郎は、ごく無造作に、弓に弦を掛ける。
弓と弦が満月のようになるまで引き絞ってみる。
うむ。確かに手強いが良い弓だ。
何よりも、俺の腕に伝わるその作り手の気概が尋常ではない。
善弘は目を丸くした。
なんと!
太秦の里で言うには、大の男が七人かかって、やっと成し得ることだ。
その七人張の弓の弦を軽々と掛け、しかも楽々と引いてみせるとは。
「だが」
弓を置いて八郎は問いかけた。
「殺生を禁じられているはずの僧職が、このような物騒なものを俺に与えていいのかな」
むろん戯れ事である。
予想していた質問らしく、善弘は澄まして答える。
「良いのでは。私は八郎様の兄弟子ですから、弟弟子を信頼するのは当たり前でしょう。どうかこれらを『正しく』お使いください」
「ありがたい。何よりの贈り物だ」
八郎が礼を言うと、善弘は満足げに頷いた。
そしてあらためて息を整え、
「実は、お目にかかるのが遅くなったのは、もうひとつ、私の方にも事情がございまして」
と、新たな話を切り出した。
この人にはめずらしく、言いにくそうな話の気配である。
そこで八郎も居ずまいを正して聞くと、なんと、前年の秋に皇円の下を辞し、黒谷の叡空師のところに移ったというのだ。
意外であった。
八郎は、この兄弟子は師・皇円の下で修行を積み、いずれは叡山の高僧として名を馳せるものとばかり考えていたからである。
「どうも、晴れやかな陽の当たる場所は私には合わぬようです」
善弘は言う。
功徳院にいる限り、叡山の重要な教えである法華経、そして円仁大師以来の密教などを極めぬ訳にはいかない。
しかし自分には、やはり阿弥陀如来のおわす浄土の教えこそが、罪深い一切の衆生が救われる唯一の道と思えてならないのだ。
そこで強いて皇円に乞い、陽の当たる比叡山東塔にある功徳院から、同じ叡山でもあえて谷深い黒谷別所に移らせてもらうことにしたという。
「そんな訳で、今は法然房源空という名を頂き、黒谷で書庫番のような生活をしております。まあ、一種の隠遁のようなものですか」
八郎には想像できた。
書庫番とか隠遁などと言ってはいるが、自分の指標となる教えを求めて、きっとまた多くの書物を熱心に読み、思索し、昼夜を問わず救済の道を探っているのであろう。
想うに、その姿は全く兄弟子にふさわしい。
だが、師・皇円はどうだ。
兄弟子の将来に大きな期待をかけている様子であっただけに、さぞ残念であったろう。
しかし、長い思案の末にこうと決めたからには、それを翻す兄弟子ではない。
落胆に肩を落とした師の姿が見えるようであった。
「そんなこんなで、やっと今日になって八郎様の元服のお祝いを申し上げに現れた次第で。それとこの後、新院様にも我が身の変化の御報告をと考えております」
おお、新院様か。
そういえば、館に帰って来て以来、俺も久しくお会いしておらぬな。
どうしておられるだろうか。
八郎が崇徳院の顔を心に思い浮かべた、ちょうどその時、どこからか言い争う声が聞こえた。
声はだんだんと大きくなった。
しかも、中には叡山で聞き覚えのある声が混じっている。
そして、特に聞き覚えのある声が門前から大きく響いた。
「八郎おおっ!」
それは間違いなく鬼若の声であり、必死の叫びであった。
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