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第3章・比叡へ
第20話 崇徳院
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仲間ができ、武芸の修行も更に楽しく激しいものとなる。
重季の来ない日も八郎は二人を同時に相手し、稽古に没頭した。
鬼若の怪力と強さは思った通りだが、時葉は身が軽く、素早い。
身体に合わせて短く軽めの木剣を持たせてみると、これが手強い。
(小太刀の名手にもなり得るのではないか)
八郎にとっては鬼若も時葉も、またとない格好の稽古相手となった。
そしてまた、善弘に教わる勉学も深さを増してきた一日、ひとりの人物が功徳院を訪れた。
それは八郎が、天台の教えのうち法華経を学び始めた日であった。
法華経とは不可思議な経典である。
釈迦如来が初めて法華という素晴らしい教えを説くと聞いて多くの聖者が集う。
ところがその教えとは何であるか、くどくどとした前振りが続き、やっと最後になって明かされるその中身はたったひとつ、人間は皆、仏になり得るのだという。
これは何だ、当たり前ではないか。
だから、仏になる、その方法を教えよ!
善弘に問い質すと、彼は逆に問い返した。
「では、八郎様は人は皆、仏になることができると思われるのですか」
そう言われて八郎は言葉に詰まる。
ううむ、確かにこの世には救い様のない悪人や愚者も多々いるではないか。
当たり前とは言えまい。
八郎の顔にその内心を察し、善弘は穏やかに言を繋いだ。
「その通りです。事実、南都・奈良の教えによれば、人には生まれながらに仏性のある者と、そうでない者の区別があるとか。つまり、悟りを得て救われる者と、救われない者があるというのです」
「しかし、人間は皆、生まれた時は何の罪も犯していない赤子であろう! それでなにゆえ区別、差別がある」
「だからこそ法華の教えは尊い。仏教の開祖・釈迦如来が、善悪の区別なく人は皆、仏になり得るのだと、『成仏』を宣言してくださったのですから。私が数ある寺の中で比叡山にて学びたいと志したのは、まさにそれが理由なのです」
そうか、兄弟子が言うことはもっともだ。
しかし、もうひとつ。
どうすれば、悟り、魂の救いを得ることができるか。
八郎の疑問と尊敬する兄弟子の疑問は符合した。
善弘は続けて告白する。
「天台宗は正しくは天台法華宗といい、法華経は叡山では最重要な経典なのですが、私としても悟り、解脱、往生、そのあたりが不得要領で」
「兄弟子にして、捉えきれていないのか」
「はい。ですから、顕教の粋たる法華の教えは真に有難いものですが、『方法』については他の経典に求めるしかないのではと。されば、万民の為し得る行は、叡山が奉戴する四教のうち、顕密、ましてや自力の悟りを説く禅でもなく、やはり、慈悲深き阿弥陀如来の約束したもうた浄土の教えに辿りついてしまうのです。それも観想念仏などではない、何か別の行……」
そんな風に善弘との朝の勉学の時間が終わり、いつも通り武芸の修練と若干の狩に出掛け、帰ってきたところに偶然その人物の来訪に出くわしたのである。
夏も終わり、朝晩に吹く風も冷たくなってきた季節であったが、日中はまだ暖かい。
寺の前に輿がつけられ、その人物が降りてきた。
お忍びの来訪であろうか、護衛の数はそう多くはない。
だが、その身なり、侍従らしき者たちの物腰、さらには迎えに出た師・皇円の態度からも相当の位の人物と思われる。
八郎はいわゆる貴人に対しても特に感じるところがない。
今日、ある尊い方がいらっしゃるとは善弘から聞いて知っていたが、それに何の関心もなかった。
木々の間から、離れた場所で垣間見たその姿は、しかしどこか哀しげに思われた。
背は高く痩身で、立ち居振る舞いは優美だが、肩を落とし俯きがちである。
遠目に見るその横顔にも憂いが見てとれる。
何か悩み事でもあるのか。
いや、だからこそ寺に来られたのだろう。
師と話されて少しでも心が軽くなればいいが。
そう考えるばかりである。
ところが、井戸の水で汗を拭いて、さっぱりしたところに善弘から声がかかった。
「師の坊がお呼びです。すぐに本堂へ来るようにと」
何であろう。
まだ来客中の筈だが、まさか自分を会わせようというのか。
急ぎ衣服を直して本堂に向かうと、その人物が座って師の皇円と相対していた。
善弘もまた下座に座っている。
「おお、来たな。そこに座りなさい」
師に言われて善弘の隣に座った。
皇円が八郎を人物に紹介した。
「これが源為義殿の子息・八郎でございます」
八郎も自分の名を名乗り、深々と頭を下げる。
先程の師の態度に倣って最大限に相手を敬う挨拶である。
そして皇円は今度は八郎に言った。
「こちらは先年、今上の帝に位をお譲りになり、鳥羽の離宮に移られた新院様である。会ってみたいと仰せになるのでお前を呼んだのじゃ」
(え!)
これにはさすがの八郎も少なからず驚いた。
いかなる貴人であろうと自分には関わりないと思って来てみれば、なんと先の帝か。
それがこの俺に会ってみたいだと。
俺はむしろ帝も公卿も蹴散らして、己は高貴と思い込む愚物たちにこそ鉄槌を下さんと志す者ぞ。
八郎は知らない。
この人物、すなわち後に崇徳院と諡される方の複雑な生い立ちと境遇を。
権威と権力を一手に握った故・白河法皇の曾孫にあたる。
法皇が最愛の子息・堀川天皇を若くして亡くした後、その皇太子であった宗仁親王を帝位につけた、それが鳥羽天皇であり、すなわち今、本院と呼ばれる人である。
白河法皇は、この若き日の鳥羽天皇に藤原璋子を入内させて、二人の間に長子が生まれる。諱は顕仁。
ところが藤原璋子には、その素行についてとかくの、特に白河との噂があった。
そのため、以前にも摂関家の嫡男・忠通との縁談が持ち上がったが、忠通の父・忠実が固辞し、法皇の不興を買ってしまった程である。
そんな璋子を法皇は自らの孫の中宮としたのだ。
孫である帝は当然に不満であった。
翌年に生まれた顕仁を、自分ではなく、祖父・白河院の胤ではないかと疑い、周りには「叔父子」とさえ呼んだ。
叔父子とはつまり、叔父であり子でもある者の意である。
表向きは自分の息子ではあるが、実は祖父の子であって、自分には叔父にあたる、そう信じての呼称である。
本当の父親がどちらであったかは分からない。
だが、おそらくは白河であろうと当時の人々の多くも考えていたという。
白河院の強い推しによって五歳にして皇太子に立てられ、翌月にはもう帝となった。
しかし白河が没して後、鳥羽が治天の君となり、政治の実権はそちらに移る。
まさしく名ばかりの天皇であった。
そして弱冠二十三歳にして譲位を迫られ、異母弟の躰仁親王に帝の位を譲って上皇となることを余儀なくされたのだ。
今上の帝はこのようにして即位したのである。
譲位の際、崇徳と父・鳥羽の間には約束があった。
それは躰仁親王を、あくまで崇徳の皇太子として即位させることである。
ならば、父である本院の亡き後、崇徳がそれに代わって治天の君となることができる。
しかし実際には譲位の宣命には「皇太弟」とあった。
騙されたのだ。
帝の父ではなく兄であっては治天の君となることは叶わない。
これで将来の道を閉ざされてしまった。
仮にも父と仰ぐ人にこのような仕打ちを受け、その無念はいかほどであっただろうか。
その崇徳、つまり師・皇円が言うところの新院が、八郎に向かって口を開いた。
落ち着いた、静かな声である。
「功徳院へは以前から来ておったのだが、祇園でのことがあったので、ここ暫くは控えていたのだ。その騒動もどうやら落ち着いたようであるし、久しぶりに皇円殿の教えを伺いたくなってな。そして汝の顔も見てみたかった。許す。面を上げよ」
八郎は困惑する。
ということは、以前から俺のことを聞いていたということか。
どうせ碌な話ではあるまいが。
そして言われた通りに顔を上げる。
崇徳はその顔をまじまじと見つめた。
(これが我が身を罠に嵌めたという玉藻前の息子か。確かに面影がある)
重季の来ない日も八郎は二人を同時に相手し、稽古に没頭した。
鬼若の怪力と強さは思った通りだが、時葉は身が軽く、素早い。
身体に合わせて短く軽めの木剣を持たせてみると、これが手強い。
(小太刀の名手にもなり得るのではないか)
八郎にとっては鬼若も時葉も、またとない格好の稽古相手となった。
そしてまた、善弘に教わる勉学も深さを増してきた一日、ひとりの人物が功徳院を訪れた。
それは八郎が、天台の教えのうち法華経を学び始めた日であった。
法華経とは不可思議な経典である。
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ところがその教えとは何であるか、くどくどとした前振りが続き、やっと最後になって明かされるその中身はたったひとつ、人間は皆、仏になり得るのだという。
これは何だ、当たり前ではないか。
だから、仏になる、その方法を教えよ!
善弘に問い質すと、彼は逆に問い返した。
「では、八郎様は人は皆、仏になることができると思われるのですか」
そう言われて八郎は言葉に詰まる。
ううむ、確かにこの世には救い様のない悪人や愚者も多々いるではないか。
当たり前とは言えまい。
八郎の顔にその内心を察し、善弘は穏やかに言を繋いだ。
「その通りです。事実、南都・奈良の教えによれば、人には生まれながらに仏性のある者と、そうでない者の区別があるとか。つまり、悟りを得て救われる者と、救われない者があるというのです」
「しかし、人間は皆、生まれた時は何の罪も犯していない赤子であろう! それでなにゆえ区別、差別がある」
「だからこそ法華の教えは尊い。仏教の開祖・釈迦如来が、善悪の区別なく人は皆、仏になり得るのだと、『成仏』を宣言してくださったのですから。私が数ある寺の中で比叡山にて学びたいと志したのは、まさにそれが理由なのです」
そうか、兄弟子が言うことはもっともだ。
しかし、もうひとつ。
どうすれば、悟り、魂の救いを得ることができるか。
八郎の疑問と尊敬する兄弟子の疑問は符合した。
善弘は続けて告白する。
「天台宗は正しくは天台法華宗といい、法華経は叡山では最重要な経典なのですが、私としても悟り、解脱、往生、そのあたりが不得要領で」
「兄弟子にして、捉えきれていないのか」
「はい。ですから、顕教の粋たる法華の教えは真に有難いものですが、『方法』については他の経典に求めるしかないのではと。されば、万民の為し得る行は、叡山が奉戴する四教のうち、顕密、ましてや自力の悟りを説く禅でもなく、やはり、慈悲深き阿弥陀如来の約束したもうた浄土の教えに辿りついてしまうのです。それも観想念仏などではない、何か別の行……」
そんな風に善弘との朝の勉学の時間が終わり、いつも通り武芸の修練と若干の狩に出掛け、帰ってきたところに偶然その人物の来訪に出くわしたのである。
夏も終わり、朝晩に吹く風も冷たくなってきた季節であったが、日中はまだ暖かい。
寺の前に輿がつけられ、その人物が降りてきた。
お忍びの来訪であろうか、護衛の数はそう多くはない。
だが、その身なり、侍従らしき者たちの物腰、さらには迎えに出た師・皇円の態度からも相当の位の人物と思われる。
八郎はいわゆる貴人に対しても特に感じるところがない。
今日、ある尊い方がいらっしゃるとは善弘から聞いて知っていたが、それに何の関心もなかった。
木々の間から、離れた場所で垣間見たその姿は、しかしどこか哀しげに思われた。
背は高く痩身で、立ち居振る舞いは優美だが、肩を落とし俯きがちである。
遠目に見るその横顔にも憂いが見てとれる。
何か悩み事でもあるのか。
いや、だからこそ寺に来られたのだろう。
師と話されて少しでも心が軽くなればいいが。
そう考えるばかりである。
ところが、井戸の水で汗を拭いて、さっぱりしたところに善弘から声がかかった。
「師の坊がお呼びです。すぐに本堂へ来るようにと」
何であろう。
まだ来客中の筈だが、まさか自分を会わせようというのか。
急ぎ衣服を直して本堂に向かうと、その人物が座って師の皇円と相対していた。
善弘もまた下座に座っている。
「おお、来たな。そこに座りなさい」
師に言われて善弘の隣に座った。
皇円が八郎を人物に紹介した。
「これが源為義殿の子息・八郎でございます」
八郎も自分の名を名乗り、深々と頭を下げる。
先程の師の態度に倣って最大限に相手を敬う挨拶である。
そして皇円は今度は八郎に言った。
「こちらは先年、今上の帝に位をお譲りになり、鳥羽の離宮に移られた新院様である。会ってみたいと仰せになるのでお前を呼んだのじゃ」
(え!)
これにはさすがの八郎も少なからず驚いた。
いかなる貴人であろうと自分には関わりないと思って来てみれば、なんと先の帝か。
それがこの俺に会ってみたいだと。
俺はむしろ帝も公卿も蹴散らして、己は高貴と思い込む愚物たちにこそ鉄槌を下さんと志す者ぞ。
八郎は知らない。
この人物、すなわち後に崇徳院と諡される方の複雑な生い立ちと境遇を。
権威と権力を一手に握った故・白河法皇の曾孫にあたる。
法皇が最愛の子息・堀川天皇を若くして亡くした後、その皇太子であった宗仁親王を帝位につけた、それが鳥羽天皇であり、すなわち今、本院と呼ばれる人である。
白河法皇は、この若き日の鳥羽天皇に藤原璋子を入内させて、二人の間に長子が生まれる。諱は顕仁。
ところが藤原璋子には、その素行についてとかくの、特に白河との噂があった。
そのため、以前にも摂関家の嫡男・忠通との縁談が持ち上がったが、忠通の父・忠実が固辞し、法皇の不興を買ってしまった程である。
そんな璋子を法皇は自らの孫の中宮としたのだ。
孫である帝は当然に不満であった。
翌年に生まれた顕仁を、自分ではなく、祖父・白河院の胤ではないかと疑い、周りには「叔父子」とさえ呼んだ。
叔父子とはつまり、叔父であり子でもある者の意である。
表向きは自分の息子ではあるが、実は祖父の子であって、自分には叔父にあたる、そう信じての呼称である。
本当の父親がどちらであったかは分からない。
だが、おそらくは白河であろうと当時の人々の多くも考えていたという。
白河院の強い推しによって五歳にして皇太子に立てられ、翌月にはもう帝となった。
しかし白河が没して後、鳥羽が治天の君となり、政治の実権はそちらに移る。
まさしく名ばかりの天皇であった。
そして弱冠二十三歳にして譲位を迫られ、異母弟の躰仁親王に帝の位を譲って上皇となることを余儀なくされたのだ。
今上の帝はこのようにして即位したのである。
譲位の際、崇徳と父・鳥羽の間には約束があった。
それは躰仁親王を、あくまで崇徳の皇太子として即位させることである。
ならば、父である本院の亡き後、崇徳がそれに代わって治天の君となることができる。
しかし実際には譲位の宣命には「皇太弟」とあった。
騙されたのだ。
帝の父ではなく兄であっては治天の君となることは叶わない。
これで将来の道を閉ざされてしまった。
仮にも父と仰ぐ人にこのような仕打ちを受け、その無念はいかほどであっただろうか。
その崇徳、つまり師・皇円が言うところの新院が、八郎に向かって口を開いた。
落ち着いた、静かな声である。
「功徳院へは以前から来ておったのだが、祇園でのことがあったので、ここ暫くは控えていたのだ。その騒動もどうやら落ち着いたようであるし、久しぶりに皇円殿の教えを伺いたくなってな。そして汝の顔も見てみたかった。許す。面を上げよ」
八郎は困惑する。
ということは、以前から俺のことを聞いていたということか。
どうせ碌な話ではあるまいが。
そして言われた通りに顔を上げる。
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