異聞・鎮西八郎為朝伝 ― 日本史上最強の武将・源為朝は、なんと九尾の狐・玉藻前の息子であった!

Evelyn

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第3章・比叡へ

第17話 祇園闘乱

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 八郎が入山してから二月ふたつきほど経った頃、比叡山を巻き込むある事件が起こった。
 いわゆる祇園闘乱である。

 久安三年六月十五日、祇園神社の臨時祭に平清盛が田楽を奉納しようとした。
 ところが、清盛と田楽師たちの護衛として同行した平家の郎党が、社の神人に武具の携行を咎められたことから小競り合いとなり、あげく放たれた矢が宝殿に突き刺ささったため、騒ぎは更に大きくなって多数の負傷者が出たのである。

 神仏習合が進んでいたこの時代、祇園社は延暦寺の末寺とされていた。
 主祭神は素戔嗚尊すさのをのみことであり、牛頭ごず天王と同一視されている。

 この事件について善弘から聞かされた時、八郎の脳裏には、以前に大和田泊で見た清盛の荒ぶる姿が蘇った。
 あの清盛ならさもあらん。
 そうか、海賊相手では飽き足らず、ついに素戔嗚尊に喧嘩を売ったか。
 そして、争いのさなか宝殿を狙い弓を構える清盛の様が鮮やかに思い浮かんだ。

 だが、当然にして事件はこれでは終わらない。
 延暦寺の所司が法皇の下に参じて闘乱のことを訴えた。
 法皇の側近である懇意の公家から訴えを伝え聞いた清盛の父・忠盛は先手を打ち、騒動の原因となったと判断される七人の郎党の身柄を院庁に差し出した。
 検非違使庁ではなく、まずは院庁に差し出したところが意味深長であり、法皇はこれに満足されたという。

 法皇とはつまり後の世の諡号でいう鳥羽上皇である。
 この時は既に出家して法皇と呼ばれていたのだ。

 延暦寺の僧徒がこれで納得する筈はない。
 忠盛・清盛親子の配流を求め、同月の二十八日、神輿を押し立て強訴に及んだ。
 法皇はその入京を阻止するため、軍兵を遣わして都の守りをお固めになった。
 この軍の中には為義ら河内源氏一党の姿もあった。
 重季もこれに出動している。
 入京を阻まれた荒法師たちのわめき叫ぶ声は洛中に響き渡った。

 そして翌々三十日、白河北殿に主だった公卿が集い、議定が開かれる。
 忠盛は事件に関知していないので責任はないという意見が大勢を占める中、藤原頼長が強く反対を唱えた。
 唐の故事を引き合いに出し、本人が関知していなくとも、その郎党が事件を起こしたのだから責任を免れることはできないと、頼長らしい持論を展開したのである。
 が、結局のところ意見は一致を見ず、とりあえずは議の内容を法皇に奏上し、現場を検分する使者を祇園社に出すという方針にとどまった。

 使者が延暦寺の所司と共に矢の突き刺さった場所、流血の痕跡、損失物などの調査を行ったが、僧たちの主張と食い違う部分もあったという。
 そんなさなか、七月五日、下手人の一人が検非違使庁での拷問の末、自分が矢を射たと自白する。
 田楽の集団の背後で護衛にあたっていたところ、騒動が起こったので思わず矢を放ち、それが偶然にも宝殿に命中したのだと、ついに述べたのである。
 これは本心からの自白であろうか、それとも拷問の苦しみに耐えかねてであろうか、あるいはまた、矢を射たのは実は八郎の思い描いた通り清盛であり、つまり大切な若殿を庇ってのことであったろうか、それは分らない。
 とにかく、これで事件の証拠は出揃ったことになる。
 そこで八日には法家に対し、忠盛と清盛の罪名を勘申するように宣旨が下った。

 一方、延暦寺の荒法師たちは採決の遅れに憤怒し、再び強訴の態勢に入る。
 これを知った法皇は、天台座主である行玄に対して、法師たちを制止するよう院宣を下された。
 それと共に、十五日には股肱と頼む北面の武士たちを西坂下に、そのほか諸国の武士を叡山から下る他の道に配備して、強訴の勢の入京を断固として阻止する姿勢を御示しになった。
 朝廷に常備軍はない。はるか桓武帝の昔に廃止されている。
 都の平安を守るためには、武士に頼るしかなかったのである。
 軍は三日交代で厳重な警戒にあたり、洛中では大規模な閲兵と行軍が数次に渡って展開される。

 この間にも議定が開かれるが、欠席者が多く延期となったり、諸説繁多で結論が出ない。
 ついに二十四日の夜になって法皇自ら決を下され、清盛を「贖銅三十斤」の罰金刑に処すことが決まった。
 騒動の大きさに比べれば、誰もが驚く程の罰の軽さである。

 この事件の持つ意味は大きい。
 ひとつには平家に対する院の信頼の大きさが示されたこと。
 更には武士がその力を見せつけたことで、彼ら全体の中央への進出が加速したこと。
 そしてまた、叡山の強訴を退けたことで、鳥羽法皇がそのまつりごとに自信を深められたことである。

 京雀はまた噂する。

「あの白河の君でさえ『ままならぬもの』と嘆かれた叡山の強訴を退けなさるとは、本院様の力は大したものじゃ」
「これもまた、常に御側にはべる玉藻前様と、近頃では第一の寵臣となった信西入道の強い推しがあったというぞ」
「全く、誰が皇后で、関白や大臣やら」

 いっぽう、延暦寺の法師たちにとっては大いに不満の残る事件の結末であり、その怒りの矛先は、終始協力的でなかった叡山の上僧たちに向けられた。
 八月の十一日から十三日にかけて、なんと行玄座主の大乗房が襲撃されるという騒動が勃発し、以後も数か月に渡って内紛が続くことになる。

 この叡山における一連の騒動に八郎も無関係ではいられなかった。
 功徳院は叡山の東塔にあり、根本中堂にも近い。
 中堂の前や大講堂に荒法師たちが集まって上僧たちの弱腰を罵り、怒り、気勢を上げる声が毎日のように聞こえてくる。
 また、師・皇円阿闍梨のところへ顔を紅潮させた僧徒が何人も訪れ、身勝手に助力を乞い、それを皇円が戒めると怒号を発し、器物を壊し、好き放題の罵詈雑言を残して去る。
 時には激したあげく皇円までも害せんとし、善弘や八郎、他の弟子たちに取り押さえられるといったことまでが起こった。

 不可解であった。
 これでも僧か、と八郎は感じずにいられない。
 自身の悟りと民の安寧を願うべき立場の筈の僧職が、強訴などという甚だ迷惑な荒々しい手段に訴える。
 それが思うように行かなかったからといって、つまらぬ意地や面子に囚われ、徒党を組んではまた声を荒げ、果ては同じ僧を罵り、害しようとまでするとは。
 最澄大師の創建以来、京の人々の尊崇を集めてきた叡山がこのざまか。

 そしてついに八郎は外出を禁じられた。
 武家の子を見るだけで周りの法師たちが何をするか分らぬ、危険であるという、師の計らいであった。
 牢でこそないが、事実上の軟禁生活である。
 功徳院の一室で八郎は思う。
 あの僧徒たちのような輩にこそ、忿怒ふんぬ相の仏・明王による仏罰が下されるべきではないのか。

 いや、僧徒だけではない。
 兄弟子の言う通り、今の世は歪んでおる。
 それは俺自身も重季と出掛けたあちこちで実際に見聞きした通りだ。
 民は重税に喘ぎ、貧困と病に苦しんでいる。
 なのに、公家は官位を誇り歌など詠むばかりで、ろくな政治もせぬではないか。
 民人など虫けらのように思っているに違いない、あ奴らにも天罰が落ちるべきだ。
 そしてまた、武士たちも、権力者におもねって官位を欲しがる一方で、領民のことなど顧みず無益な争いを繰り返すばかり。

 まさしく天罰と救いの下されるべき時であろう。
 しかし実際はどうだ。
 一向にして奴らに罰の下る気配もないではないか。
 いったい神仏はどこにいる。
 この末世において、なぜ苦しむ者たちを救い、邪悪な者たちに鉄槌を下さないのか。
 そもそも仏や神など、本当に存在するものなのか。
 人の願望が作り出した虚ろに過ぎないのではないか。

 不自由な生活が続き、長い思索の末、ついにある結論に至る。
 そうか! 神仏が実在するかどうかなど関係ない。
 俺自身が明王とならん。
 自分には兄弟子のように弥陀の救いを信じきるような仏縁は無い。
 しかし、両牙をき出した憤怒の顔で剣と索を持ち、魔を退散させ悪を断ち切るという不動尊の像には、最初から感じるものがあったのだ。
 火炎を背負い、髪は逆立った怖ろしい姿でありながら、大日如来の化身であって、内には大慈悲を秘めるというではないか。
 これぞ正しき武士の手本とすべき仏である。
 俺こそが不動明王に代わり、この世の泡沫うたかたで栄誉や利を貪ろうとする醜い貴様らに、おのが罪を思い知らせてくれる。
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