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第2章・堀川源氏館
第11話 義朝と対峙す
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その後、天養二年までの時は、八郎にとっては格別のこともなく平穏に過ぎた。
江口の長者の言に従い、重季が全てを上手く取り計らってくれたからである。
為義が八郎を見る目の冷やかさも、八郎の他の兄弟に対する不遜な態度も、およそ以前のままではあったが、屋敷内ではもっぱら書読みに時を過ごし、重季の吹聴も功を奏して、皆が次第に八郎のことを武芸よりも学問の方に関心のある者、文弱の若君と見なすようになったのだ。
武門の家に生まれた子としては普通に考えればこれは恥辱であったが、八郎は一向に意に介さない。他人の見る目など知ったことかという日々である。
それでいて実は、物見遊山と称して向かうあちこちの野や山で剣と弓の腕前を磨き続けている。今では僅か七歳にして重季と殆ど互角に打ち合い、新たに作らせた強弓をいとも容易く引いてみせるまでになっていた。
夜空に妖しき大彗星が輝き、それを不吉として七月には天養から久安へと改元された。
そして翌二年正月、源家に大きな慶事があった。為義が十年ぶりに還任し、検非違使へと復帰、そして左衛門大尉となったのだ。
やはり玉藻の一件で、本院の勘気がついに解けたと考えるべきだろう。
前年には八郎の次兄・義賢が能登国にある藤原頼長領荘園の領所となっており、源家と摂関家の古き誼も蘇りつつある。
これに先立って、玉藻の養父となった高階通憲は、康治二年にはもう正五位下の位を賜り、翌天養元年には藤原姓に戻すことを許されて少納言になっていた。また、同年の七月には形ばかりの出家をして信西を名乗る。
後に権勢を誇るようになる藤原信西の誕生である。
しかし八郎と重季は、これらの源家の慶事や世間の動きに全く興味がない。ただ毎日、書を読み、武芸の鍛錬に明け暮れるばかりであった。
ところが、ある早春の一日、八郎が庭先で重季に見守られながら木剣の型の稽古をしていると、何やら為義の怒声が聞こえる。
為義が何かにつけて癇癪を起すのはいつものこと。八郎も重季も今さら驚きもしないが、今日の声の大きさと口調の激しさは違う。何事かと思わせた。
誰か来客があり、その相手の言に対して激しく怒っているらしい。相手は冷静のようだが、為義の声はますます感情を帯びて大きくなり、ついに激昂に至る。
「帰れ!」
「そうですな。こうまで言ってもお聞き入れにならないなら、これ以上は詮無き事。父上の仰せの通り、帰りましょうぞ」
相手は、八郎には十六歳年長の長兄、義朝であった。
父に疎まれ関東に下っていたのが、そこで地盤を固め、先ごろ京に帰還してきたのである。以来、妻の実家の熱田大宮司家を通じて院に接近していたことで、為義とは不穏な仲にあった。
義朝は怜悧な男である。少年期から関東に下されながら、自身の力で勢力を伸ばし、数々の豪族を傘下に収めた事実にもそれは十分に現れている。
源家の凋落を自分の力でなんとか押しとどめ、往時の繁栄を取り戻したいと思っているのだ。それも、院に信頼され隆盛を極めつつある平家に負けぬ程に。
義朝からすれば、この期に及んで摂関家にすり寄る為義のやり方は、ただの旧弊に思えてならぬ。
摂関家は今でも関白や大臣などの要職を務める者を輩出しているとはいえ、故・白河の法皇様が院として政治の実権を握られて以来、遠く道長公や頼道公の頃の勢威はすっかり影をひそめてしまっているではないか。
現に、法皇様が崩御されて後も今の本院様に実権が移り給い、先の帝の譲位さえ朝議を通さず御自分でお決めになるほどだ。摂政や関白、大臣なども、官を誇るだけで実権の伴わぬ名ばかりのものになり果てている。もはや摂関家の時代ではないのだ。
ましてや昨今においては、摂政忠通卿とその父であられる忠実卿との仲、また、父君に溺愛されているという噂の頼長卿との仲が極めて険悪なものになっていると聞く。
いつ御家騒動が起こっても不思議ではない、そんな時に忠実卿と頼長卿に頼りきっていれば、一朝事ある際はどうするのだ。もしも本院様が忠通卿の方に付かれたら、源家の将来は危うい。下手をすれば滅亡あるのみだ。
しかし為義には為義なりの理屈がある。
儂は忠実卿と頼長卿の力で検非違使へと返り咲いたのだ。しかも異例の左衛門大尉ぞ。
本院の御勘気も解け、しかも今ではその御側に寵姫として玉藻がいる。やっと事が思うように運び始めたところに無位無官の義朝が帰ってきて、嫁の実家の縁で院に近づき、儂と競合、対立しようなどとはどういうことか。
思い上がりと不孝の極みじゃ!
議論はいつまでたっても全くの平行線を辿り、あげく為義が怒号を発したので、やむなく義朝は席を立ったのだ。
(やはり無駄だったか)
無力感に苛まれながらの帰り際、渡り廊下を歩きながら、義朝は庭に童の姿を見かけた。
垂髪を元結で纏めた水干姿。その顔立ちはまだ幼いが、義朝をじっと見つめる佇まいは不敵そのもの。その脇に重季が控えているのを見て、これが話に聞く八郎とすぐに理解した。
義朝は都に帰る前に諸般の事情を調べている。朝廷の情勢はもちろんのこと、八郎のことも、為義が年甲斐もなく入れ込み、それから例の事情で院の御側に上った玉藻のことも承知しているのである。
庭先に裸足のまま降りてきて声をかけた。
「八郎だな」
だが、八郎自身には相手が誰か分らず、親しく話しかけられたことに却って戸惑う。重季に長兄の義朝だと教えられ、やっと小さく頷いた。
「初めて会うな。中々の面魂じゃ。しかしそれ故か、お前も父上に疎んじられていると聞く。わしと同様、難儀な事じゃな」
義朝は寂しげに笑い、重季の持つ木剣を我が手に取った。
「よし、この長兄が可愛い弟に稽古をつけてやろう」
悠然として片手に木剣を下げ、八郎に相対する。
剛勇で知られた義朝である。その姿勢が放つ無言の威圧に八郎は、
(これは、父よりも相当に強いのではないか)
と察する。
身体も為義より一回りは大きいが、おそらくは実戦の経験が違う。
とり立てて木剣を構えもせず片手に持ったままだが、その全身はまさしく自然体で、こちらが打ち込むや否や、いかようにも反撃が返ってきそうだ。
これは、今までにどれ程の数の武者を屠ってきたことか。
同時にまた、胸が高鳴るのを覚えた。
面白い。兄であろうと何であろうと、これ程の相手と打ち合えるのは得難い経験になろう。
そして、今まさに挑まんとする構えを取った。
義朝もまた、八郎の昂ぶりと気迫を感じる。
話に聞く通り破格の弟のようだな。他の弟たちのように父に媚びることをせず、己一人の力で生き抜くことを貫く性か。
小気味良し。ならば存分にその覚悟を見せて貰おうて。
しかしこの時、自室から出てきた為義がそれを見咎めた。
為義は甲高い声を張り上げて叫ぶ。
「何をしておる! 帰れと言ったら、疾く帰らぬか!」
感情のおもむくままの怒号、いや、もはや奇態な絶叫である。
義朝は苦笑した。
つまらぬ。またこれか。親父殿は狭量にも程がある。自分の小さな器に収まらぬものは何がなんでも許せぬのだ。
再度の落胆に肩を落とし、重季に木剣を返しながら言った。
「だそうだ。折角に兄が弟の器量を見極めようというのに、全く困った御仁よなあ」
そして振り返り、
「八郎、また会おうぞ。壮健でおれよ!」
との言葉を残して大股で足早に去っていった。まだ憤懣冷めやらぬ為義も、荒い足音を立てて自室に戻っていく。
これだけが初めての、はなはだ短い義朝と八郎との対面であった。
両者とも、二度目がいつ、どのような場と形になるかは今は知るすべもない。
それが分かるのは、まだ先のことである。
江口の長者の言に従い、重季が全てを上手く取り計らってくれたからである。
為義が八郎を見る目の冷やかさも、八郎の他の兄弟に対する不遜な態度も、およそ以前のままではあったが、屋敷内ではもっぱら書読みに時を過ごし、重季の吹聴も功を奏して、皆が次第に八郎のことを武芸よりも学問の方に関心のある者、文弱の若君と見なすようになったのだ。
武門の家に生まれた子としては普通に考えればこれは恥辱であったが、八郎は一向に意に介さない。他人の見る目など知ったことかという日々である。
それでいて実は、物見遊山と称して向かうあちこちの野や山で剣と弓の腕前を磨き続けている。今では僅か七歳にして重季と殆ど互角に打ち合い、新たに作らせた強弓をいとも容易く引いてみせるまでになっていた。
夜空に妖しき大彗星が輝き、それを不吉として七月には天養から久安へと改元された。
そして翌二年正月、源家に大きな慶事があった。為義が十年ぶりに還任し、検非違使へと復帰、そして左衛門大尉となったのだ。
やはり玉藻の一件で、本院の勘気がついに解けたと考えるべきだろう。
前年には八郎の次兄・義賢が能登国にある藤原頼長領荘園の領所となっており、源家と摂関家の古き誼も蘇りつつある。
これに先立って、玉藻の養父となった高階通憲は、康治二年にはもう正五位下の位を賜り、翌天養元年には藤原姓に戻すことを許されて少納言になっていた。また、同年の七月には形ばかりの出家をして信西を名乗る。
後に権勢を誇るようになる藤原信西の誕生である。
しかし八郎と重季は、これらの源家の慶事や世間の動きに全く興味がない。ただ毎日、書を読み、武芸の鍛錬に明け暮れるばかりであった。
ところが、ある早春の一日、八郎が庭先で重季に見守られながら木剣の型の稽古をしていると、何やら為義の怒声が聞こえる。
為義が何かにつけて癇癪を起すのはいつものこと。八郎も重季も今さら驚きもしないが、今日の声の大きさと口調の激しさは違う。何事かと思わせた。
誰か来客があり、その相手の言に対して激しく怒っているらしい。相手は冷静のようだが、為義の声はますます感情を帯びて大きくなり、ついに激昂に至る。
「帰れ!」
「そうですな。こうまで言ってもお聞き入れにならないなら、これ以上は詮無き事。父上の仰せの通り、帰りましょうぞ」
相手は、八郎には十六歳年長の長兄、義朝であった。
父に疎まれ関東に下っていたのが、そこで地盤を固め、先ごろ京に帰還してきたのである。以来、妻の実家の熱田大宮司家を通じて院に接近していたことで、為義とは不穏な仲にあった。
義朝は怜悧な男である。少年期から関東に下されながら、自身の力で勢力を伸ばし、数々の豪族を傘下に収めた事実にもそれは十分に現れている。
源家の凋落を自分の力でなんとか押しとどめ、往時の繁栄を取り戻したいと思っているのだ。それも、院に信頼され隆盛を極めつつある平家に負けぬ程に。
義朝からすれば、この期に及んで摂関家にすり寄る為義のやり方は、ただの旧弊に思えてならぬ。
摂関家は今でも関白や大臣などの要職を務める者を輩出しているとはいえ、故・白河の法皇様が院として政治の実権を握られて以来、遠く道長公や頼道公の頃の勢威はすっかり影をひそめてしまっているではないか。
現に、法皇様が崩御されて後も今の本院様に実権が移り給い、先の帝の譲位さえ朝議を通さず御自分でお決めになるほどだ。摂政や関白、大臣なども、官を誇るだけで実権の伴わぬ名ばかりのものになり果てている。もはや摂関家の時代ではないのだ。
ましてや昨今においては、摂政忠通卿とその父であられる忠実卿との仲、また、父君に溺愛されているという噂の頼長卿との仲が極めて険悪なものになっていると聞く。
いつ御家騒動が起こっても不思議ではない、そんな時に忠実卿と頼長卿に頼りきっていれば、一朝事ある際はどうするのだ。もしも本院様が忠通卿の方に付かれたら、源家の将来は危うい。下手をすれば滅亡あるのみだ。
しかし為義には為義なりの理屈がある。
儂は忠実卿と頼長卿の力で検非違使へと返り咲いたのだ。しかも異例の左衛門大尉ぞ。
本院の御勘気も解け、しかも今ではその御側に寵姫として玉藻がいる。やっと事が思うように運び始めたところに無位無官の義朝が帰ってきて、嫁の実家の縁で院に近づき、儂と競合、対立しようなどとはどういうことか。
思い上がりと不孝の極みじゃ!
議論はいつまでたっても全くの平行線を辿り、あげく為義が怒号を発したので、やむなく義朝は席を立ったのだ。
(やはり無駄だったか)
無力感に苛まれながらの帰り際、渡り廊下を歩きながら、義朝は庭に童の姿を見かけた。
垂髪を元結で纏めた水干姿。その顔立ちはまだ幼いが、義朝をじっと見つめる佇まいは不敵そのもの。その脇に重季が控えているのを見て、これが話に聞く八郎とすぐに理解した。
義朝は都に帰る前に諸般の事情を調べている。朝廷の情勢はもちろんのこと、八郎のことも、為義が年甲斐もなく入れ込み、それから例の事情で院の御側に上った玉藻のことも承知しているのである。
庭先に裸足のまま降りてきて声をかけた。
「八郎だな」
だが、八郎自身には相手が誰か分らず、親しく話しかけられたことに却って戸惑う。重季に長兄の義朝だと教えられ、やっと小さく頷いた。
「初めて会うな。中々の面魂じゃ。しかしそれ故か、お前も父上に疎んじられていると聞く。わしと同様、難儀な事じゃな」
義朝は寂しげに笑い、重季の持つ木剣を我が手に取った。
「よし、この長兄が可愛い弟に稽古をつけてやろう」
悠然として片手に木剣を下げ、八郎に相対する。
剛勇で知られた義朝である。その姿勢が放つ無言の威圧に八郎は、
(これは、父よりも相当に強いのではないか)
と察する。
身体も為義より一回りは大きいが、おそらくは実戦の経験が違う。
とり立てて木剣を構えもせず片手に持ったままだが、その全身はまさしく自然体で、こちらが打ち込むや否や、いかようにも反撃が返ってきそうだ。
これは、今までにどれ程の数の武者を屠ってきたことか。
同時にまた、胸が高鳴るのを覚えた。
面白い。兄であろうと何であろうと、これ程の相手と打ち合えるのは得難い経験になろう。
そして、今まさに挑まんとする構えを取った。
義朝もまた、八郎の昂ぶりと気迫を感じる。
話に聞く通り破格の弟のようだな。他の弟たちのように父に媚びることをせず、己一人の力で生き抜くことを貫く性か。
小気味良し。ならば存分にその覚悟を見せて貰おうて。
しかしこの時、自室から出てきた為義がそれを見咎めた。
為義は甲高い声を張り上げて叫ぶ。
「何をしておる! 帰れと言ったら、疾く帰らぬか!」
感情のおもむくままの怒号、いや、もはや奇態な絶叫である。
義朝は苦笑した。
つまらぬ。またこれか。親父殿は狭量にも程がある。自分の小さな器に収まらぬものは何がなんでも許せぬのだ。
再度の落胆に肩を落とし、重季に木剣を返しながら言った。
「だそうだ。折角に兄が弟の器量を見極めようというのに、全く困った御仁よなあ」
そして振り返り、
「八郎、また会おうぞ。壮健でおれよ!」
との言葉を残して大股で足早に去っていった。まだ憤懣冷めやらぬ為義も、荒い足音を立てて自室に戻っていく。
これだけが初めての、はなはだ短い義朝と八郎との対面であった。
両者とも、二度目がいつ、どのような場と形になるかは今は知るすべもない。
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