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23話
しおりを挟むどうしてなのだろう、といつもキースは考える。
迷ってすらいない。決定しているのだ、〝あの人〟の中では、そのことは。
だからと言って、どうしてその情熱を向けられるのは自分なんだろう、とも思う。
ときに情というものは厄介だ。〝魔法使い〟として軍に入りその経験で得たものは 情など切り捨てることが出来る、ということだった。だが、捨てられない情もある。
自分には幼馴染への友情もあるし、父母への愛情、気が合わないとは言え、テオドールにだって愛情を持っている。それらはキースにとって、必要なものだ。失ってしまえばただの化け物になるのだから。
苛立ちを隠せなくなるのが嫌で、彼は思考を中断する。
眼前には銀の髪のヴィクトリアがいて、彼女にイリーは笑んでいる。なんのつもりか、と暴き立てたいが ここはぐっと堪えることにしよう。多分、ヴィクトリアはその髪の色がどんな効果があるのか、本当には知らない。
ここで見たのでなければ、とても素敵だね、と笑いかけることぐらい出来たのに。
「金髪も素敵でしたけど、銀の髪の方がお似合いです。ずっと染めていたんですか?」
イリーがにこやかにヴィクトリアに切り分けたケーキを渡す。キースの好きな紅茶のケーキだ。イルネギィアは少し大きめに切り分けたケーキをキースに渡す。彼女に習おうとキースもヴィクトリアに微笑みかける。
それにヴィクトリアもほっとしたのだろう。笑い顔をイリーに向けた。
「ええ、銀の髪って王都では珍しがられるでしょう? 目立つことが嫌いだったから、ずっと隠していたの」
そして、彼女はキースに向かってはにかむようにまた笑んだ。
「…あの、お嫌いですか?」
内気な彼女らしい言いようだった。
「いや、とても、好きな色だよ」
――知っているくせに、とキースは腹の中で呟いた。
「良かった」
と、心底安心したようにヴィクトリアは言う。これが彼女の本音だろう。ともかく、色々頭が痛い、とキースは思った。
やがて談笑も終わり、ヴィクトリアはイルネギィアに弟が倒れたとき、助けてくれてありがとうと礼を言って帰り、彼女を見送ったイルネギィアはそれこそ微妙な、泣きそうな顔をしていた。
――助けたんじゃないのに…。酷いことしたのに…。
「おいで」
キースは彼女に手招きする。
椅子から立ち上がるキースにイルネギィアはのろのろと近づく。そして、キースは手を伸ばし、イルネギィアをすっぽりその腕に包みこんだ。
「こういうことはこれからもあるよ…。辛い思いさせてごめんね」
キースの優しい声にイルネギィアは目頭が熱くなる。
いいえ、と頭を振って彼に甘えることにした。
しばらくそうしていたがキースの手が離れてイルネギィアは一人でそこに立つ。少し足元がおぼつかない感覚がした。
そんな感覚に自分自身で小首をかしげる。
あ、寒い、と 夏なのに…、と思った。
そうだ、体温だ、体温が離れたからだと頭では思っても 寒い、と思ったのは別の理由のような気がした。
それから。
それからはキースは毎日ヴィクトリアと庭を散策する。二人笑いあい、手を取り合って。
――銀の髪の女性がいたら、あたしに遠慮せず口説いて下さいね。
イルネギィアはいつか自分が言った言葉を後悔した。
バルコニーにテーブルを用意して、彼らが戻ってきたならすぐに美味しい珈琲を淹れることが出来るよう イルネギィアは準備する。
傍らにはバレリーがいる。ここ数日、キースとヴィクトリアが行動を伴にするようになってから 彼女は毎日イルネギィアの様子を見に来てくれる。これにイルネギィアはありがたい、と思っていた。その思いやり深さが嬉しかった。
「キースは彼女と結婚するつもりなのかしら?」
バレリーのその問いは直球すぎてイルネギィアは戸惑った。
さあ、としか言えない。
キースはヴィクトリアが髪の色を変えてから、驚くほどの速さで彼女と親密になった。それに関してイルネギィアにはなにも言わない。彼のその態度にイルネギィアはショックを受けていた。ああ、これが付属品ってことなのかな、と打ちひしがれた。
どこかイルネギィアはきっと彼との間柄に特別な気持ちを持っていたらしい。
らしい、と言うのは自分自身、こうなるまでハッキリと気がつかなかったから。今もどこか曖昧な鬱屈とした気分でいる。
夜に交わされる儀式のキスは変わらずだ。
――独占欲なんだよね…。きっと。
そう思うのだけど、それだけなのかとも己に問う。
「ねえ、イルネギィア、貴女はキースが好きなの?」
聞かれてイルネギィアは答えられない。
「…違うと思います」
「なら、いいのだけれど。キースは貴女をとても可愛がっているから」
誤解したとしても仕方ないのかも、と彼女はイルネギィアのプライドを慮ってその先は口にせずにいてくれた。
彼女との間には、今 イルネギィアは親近感を感じている。図々しいのかもしれないけれど。
「それじゃあ、私は行くわ。テオと街まで出る約束をしているの」
それにイルネギィアは楽しんできてください、と送り出す。
取り残された寂寥感はあるがそれに浸っている気はなかった。
彼女はまた忙しく動き出す。
体を動かしていれば、きっと、このもの思いなど どこかに飛んでしまうはずだから。
準備が一通り終わった頃、キースとヴィクトリアが戻ってきた。ヴィクトリアのその手は彼の腕におさまったままだ。
イルネギィアはそれを少し見つめたが、いつもの呈で笑顔で二人に給仕する。あまり強く考えるとキースに伝わることがある、と前に聞いていたので心の中を空っぽにした。
キースはいつもと変わりない。
他愛ない会話の流れる中、イルネギィアは自分がひどく疲れていることを知った。
「顔色が悪いね」
いきなり声をかけられてビクリとした。
放たれた言葉の意味を証左して、いいえ、そうですか? とにこやかに答える。
言った相手は先に魔力の実験につき合わせた(本人は知らないが)――ギルバートその人だった。
あれから、彼とは接触を避けている。と、いうかキースがヴィクトリアと急接近したので、主の外出の準備、二人のティータイムの支度と仕事が増えて、あまり自由な時間がなくなったからと言える。イルネギィアはキースの部屋で彼の身の回りの世話に明け暮れていたのだ。それまではキースがイルネギィアをゆっくり過ごせるよう時間を作ってくれたり、外に遊びに連れだしてくれていたのだが、今更ながら、それは特別な出来事だったのだ、と思う。
「大丈夫?」
はっとその言葉にイルネギィアは現実に戻った。
ギルバートは階段の踊り場にいる一階に向かうイルネギィアに 後ろから声をかけていた。きっと、この間のことは彼も姉のヴィクトリアと同じく誤解している。
――あたしは、助けたわけじゃないのに…。
これはあまり意識しないようにとキースに言われている。
きみは、顔に出すぎる、らしい。
ギルバートは軽快に階段を駆け降り、イルネギィアの横に立つ。そして、彼女が持っているリネンのシーツを奪う。
「あのっ、困ります」
「いい。この間、助けてもらったから」
ぶっきらぼうな言い方だが、感謝はしているらしい。背の高い彼を見上げる形でイルネギィアは慌てて先に行こうとするギルバートを追う。コンパスの違いが出てしまう。彼はどうもそういう気は利かないタイプの男らしい。
「あのっ、ギルバート様、もういいですから…」
「聞きたいことがあったんだ。それで声をかけた」<
彼はくるりと振り向いた。イルネギィアはギクリと心臓が跳ねる。後ろめたいことがある人間の顔をしていると、自分では思う。
だが、ギルバートの感想は違った。小鹿みたいに震えている、と。
――可愛い、と思っていた。
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