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ウェディングパーティ編
SS:フェロモンの匂い(後)
しおりを挟む風呂から上がって、スキンケアも済ませてきた慶介は、ベッドで難しい顔しながらスマホを睨む酒田に声をかけた。
「何見てんの?」
「んー? うーん・・・ネット通販じゃ無理だ。」
酒田はスマホをぽいっと横に投げて腕を広げたので、その腕に収まるため慶介はクイーンサイズベッドを膝立ちで移動して酒田の太ももに跨った。
投げられたスマホの画面は「メンズ香水20代の売れ筋ランキング」の検索画面だった。山口に選ぶ香水を見ていたようだ。
慶介をギューっと抱きしめて匂いを深呼吸で堪能する酒田。今まではオメガの匂いを喜ぶ可愛い姿と思っていたが、そのフェロモンが『茶碗蒸し』の匂いなのだと知った今は、なんだかちょっと複雑な気分。
「今は茶碗蒸し? プリン?」
「ぅ・・・茶碗蒸しだ。」
「風呂上がりだと、茶碗蒸しと石鹸の匂いが混ざって変な匂いになったりしないのか?」
「ならない。それはそれ、これはこれだ。」
「ふーん、わかんねぇなぁ。」
「それを言ったら慶介だって、俺とキスする時に雑草の匂いがして『うぇっ』て思った事あるか?」
「んー・・・、ない。」
「だろ? そういう事だ。」
改めて考えると不思議な話だ。慶介は酒田の匂いで性的に興奮するが、草の匂いを嗅いでも興奮はしない。
やはり、フェロモンを感じる事と、嗅覚で匂いを嗅ぐ事は似ているようで違うのだろう。同じ匂いを嗅ぐという行為でも、脳が反応する場所がまったく違うらしいし、フェロモンの匂いはあくまで印象やイメージによるものであって、鼻の嗅覚が感じる匂いとは関係性はないのだろう。
「あ。そういやさ、最近、酒田の匂いが変わってきたような気がするんだよ。」
「どんな風に?」
「なんか葉っぱなんだけど、食べたくなる感じの・・・よもぎ餅、みたいな?」
「俺もやっと食べ物か・・・」
いじけたような言い方に慶介は額にお詫びのキスをしてやる。
補佐アルファ仲間の間でも、結婚した番から『雑草』の匂いと呼ばれている酒田は笑いのネタにされているのだ。
「なぁ、匂いが変わることってあんの?」
「普通にある。」
酒田曰く、フェロモンの匂いでキャッキャと盛り上がれるのは小学生低学年まで。
お互いの匂いを嗅ぎあっても妙な雰囲気にならない小さい頃は匂いに名前をつけあって面白がったりするが、フェロモンの匂いがあくまで主観的なものだという事を理解し始めると、安易に相手の匂いをどう感じているのかを言わないようになり、匂いの評価を伝えることの繊細さを学ぶ。
最もフェロモンに敏感になるのは中学生時代だそうだ。思春期真っ只中の多情多感な時期に、体の成長に伴い第二次性徴期を迎えたオメガはヒートが始まり、アルファは婚活が始まる。
「これは、補佐アルファで語り継がれてる話だが──」
ある補佐アルファにとって、そのオメガの子は木工用ボンドみたいな微妙な匂いで苦手な相手だった。しかし、ヒート前後で甘い匂いをさせているのに気づいたアルファはそのオメガを意識し始めてしまう。すると普段の匂いまで甘い匂いに変って、勇気を出して話しかけたところ、そのオメガから塩対応されて匂いが木工用ボンドに戻った。
という『青春の苦い思い出』みたいな話が、補佐アルファの間では安易にオメガに手を出してはならない教訓話として広められているそうだ。
「へぇー。じゃあ、俺も、勇也もお互いの匂いはどんどん変わるってことか。」
「ああ。関係が長くなるほど、相手を知るほど、匂いも複雑化して最終的には『良い』『不快』で判断するようになっていくものらしい。」
慶介は酒田の膝から降りて、膝の間にうつ伏せに寝転び、いつものピチっとインナーをまくりあげ、少しの脂肪をまとったむっちりとした腹筋を揉むように撫でた。
こそばゆいのか、ギュッと力をいれるとバキッと割れた見事な腹直筋が姿をみせ、慶介はよもぎ餅の匂いがする盛り上がった筋肉に歯を立てた。
「痛っ・・・慶介、噛むな。」
「へへっ、俺、ここの匂いが一番好き。服着たらデブに見えるデカすぎる腹斜筋とか、このちょっと生えてる腹毛も好き。」
「・・・そこは腹毛じゃなくて陰毛では?」
「えー、パンツに入ってないなら腹毛だろ?」
「ローライズでも? ビキニは?」
「ビキニ履くなら全剃りしろよ。」
「それは、そうか。」
人によって、陰毛と腹毛の境目がどこかは意見が分かれるところだが、どっちつかずなところが慶介にはセクシーに思える。
そんな隆々たる脇腹を撫でまわし、臍に鼻先を突っ込んで顔を押し当てセクシーな下腹部をスリスリと頬ずりするのが慶介のお気に入り。
これのために、酒田がベビーオイルと綿棒を使って毎日、臍の掃除をしている。というのは、慶介が地味に知らない酒田の日課だったりする。
「はぁ、たまんねぇ。俺さ、ベータだったとしても勇也の匂い好きになったと思うわ。」
「うん。」
「あっ、わかってねぇな? ベータにとって、体の匂いってのは汗と皮脂のことであってキレイなもんじゃねぇんだよ。」
「はぁ・・・?」
「つまりー、そのキレイなもんじゃないはずの体臭まで良く思えちゃうっていう、アバタもエクボって意味だよ。」
「なるほど? でも、ベータの男は女の匂いをいい匂いって言ってるじゃないか。」
「あー・・・、あれは汗臭くないと柔軟剤とか他のいい匂いが感じられるから『いい匂い』って言ってるだけだ。さらに言えば、わざわざ相手の匂いを嗅ごうとしたり覚えてるってことは相手を性的に見てるってことの意味合いも含んでる。」
「ああ、なるほど。理解した。」
厳密に言えば、ベータの体臭にも男性ホルモンなどが影響して魅惑的な匂いを作り出しているらしいが、ベータの嗅覚でそれらを嗅ぎ取って相手を選んでいる確立は低いので、ベータにとっては清潔な匂いかどうかの方がよっぽど大切であろう。
「でも、俺は慶介がオメガで良かったと思う。」
「そーかぃ。」
「あぁ、分かってないな? 俺も慶介自身を好きではあるけど、オメガでなければ俺たちは出会うことはなかった。もしベータのままで出会えていたとしても、性的指向が女に向いていた慶介では、俺は恋愛対象として見られることはなかっただろう。」
「それはまぁな。」
「だから男の慶介が男の俺に『ベータだったとしても匂いを好きになった』って言う言葉の意味がベータ流の愛の言葉だと理解したって言ってるんだ。」
「あ・・・、ぃ、いや、性的に見てるって、そういう意図で言ったんじゃないからなっ」
「わかってるよ。でも、慶介がベータのままだったら俺たちは結婚出来なかっただろ。」
国の法律では結婚できる相手は異性のみと決められており、第2性が異性であったとしても、アルファ男性とベータ男性、オメガ女性とベータ女性のような子どもが作れない組み合わせでの結婚は認められていない。
男同士だけど、結婚できるのは慶介がオメガで酒田がアルファだから。
アルファとオメガだから、フェロモンの匂いがする。
そして、好ましい相手の匂いは変化する。
「なぁ、勇也。」
「ん?」
「初めて会った時、俺の匂いってどんなだった?」
「砂糖を焦がしたような、甘くて苦い匂いがした。あの時の慶介は、俺にとって『触れてはならないオメガ』だったからな。」
「じゃぁ、いつから茶碗蒸しになったんだ?」
「結構最近だ。結婚式する半年くらい前から、時々いい出汁の匂いがするなぁって思ったら慶介がいたってそんな感じで変化して、ある日、ふと、茶碗蒸しの匂いに似てる思ったら匂いのイメージが固まった。」
「へぇー! 面白っ! じゃあ、俺は『酒田のフェロモンは草の匂い』って思い込み過ぎてるってことある?」
「さぁ、わからない。そうかもしれないし、慶介にとって草の匂いが本当にいい匂いな可能性もあるから。」
「そっかぁ。」
慶介は再び酒田の腹に顔を押し当て匂いを嗅いだ。
(うーん、やっぱり、よもぎ餅だ。)
特によもぎ餅が好物ってわけでもないのだが、と自分の認識に首を傾げる。
傾げた頭を酒田がこめかみから髪をすくように撫でてくる。その手首にも鼻を擦り付けて匂いを嗅いでみたけど、こっちはそんなによもぎっぽくない。
「慶介、考えるな。自然体に、素直に感じるままでいい。どんな匂いに感じてくれるのかってのも、これからの俺の楽しみだから。」
「ん、わかった。」
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