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結婚式編

結婚式編:酒田家

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「えっと、し、新年のご挨拶には遅いかもしれませんが、あけましておめでとうございます。」
「はい、あけましておめでとうございます。」

 慶介は酒田家を訪ねていた。
 他所もとうの昔に辞めた古めかしいならわし・・・・の「夜這よばい」に来たのだ。

 ベータ的な考えでは、結婚とは清い体のまま式を迎え書面で婚姻が結ばれた後に体も交わすものだが、バース的には逆だ。体を交わし項を噛んで番になったから婚姻が結ばれる。


 その昔、とあるお武家のアルファがとあるオメガを見初めて求婚したがオメガの父親に断られた。
 そこで、そのアルファはオメガの家へ酒と肴を差し入れて屋敷の者を酔い潰ぶした隙にオメガの元へ忍び込み夜這いをしアルファはオメガを家へと連れ去った。そして発情期を迎えたオメガの項を噛んで勝手に婚礼までして嫁にしてしまった。

 という、逸話に則って、歴史ある本多家ではヒート前に夜這いと言う名のお迎えをして、結婚の祝言を挙げる本多本家の屋敷で「巣篭もり」と呼ばれる番になる儀式的なヒートを過ごし、明けたらすぐに祝言を挙げることになっている。

 その夜這いのならわしも現代ではただの両家顔合わせの食事会の様相になり、場所だけは酒田の家だが時間も少し遅めの夕飯頃だし手土産は酒と肴ではなく夕飯の食材だ。


「寒かっただろ?雪、降ってなかったか?」
「降ってはないけど、寒いのは寒い。」

 天気予報では最低気温がマイナス1度、今日から明日にかけて雪がちらつくと言っていたのもあってとても寒いのだが、慶介が寒いのは着物のせいだ。
 膝下あたりに花車という柄が入った女物の黒留袖に男物の帯を締めて本多家の家紋が入った羽織を着ている。インナーは暖かいタートルネックではなくちゃんとした着物下着の長襦袢ながじゅばんを着せられ、アウターもケープのみにされてしまった。なので首周りも足周りも全部寒い。

 実家に帰っていた3日ぶりの酒田に手を握られ、温い手の温度がじんわりと伝わり、緊張していた心と顔も緩む。
 今日の顔合わせに慶介は一人緊張していた。酒田と出会って6年ほど経つが、慶介が酒田の父親と会ったのはたったの2回。酒田の母親に至ってはまだ1回しか会ったことがないし、当然、言葉を交わしたこともない。
 警護のアルファたちに過保護に守られている慶介はろくに他者と話すことも関わることもない引きこもりライフなので突然、よく知らない相手と接する機会に引っ張り出されて、どうすれば良いのか解らない!と、困惑から緊張しているのだ。


 酒田の家も門構えは立派だったから身構えていたが、正直言うと、中は掃除だけはしてあるが使われていないボロっちい古民家という感じだ。

 物が1つもない部屋、開けっ放しの襖たち、生活感を感じない空間をキョロキョロと見回しながら、酒田はこんな家で暮らしてたのか?と不思議に思っていたが、案内された渡り廊下の扉を開けた先は、現代の戸建住宅の内装。白い壁紙にフローリング、天井には丸くて薄いシーリングライト。

 言われなくてもわかる。こっちが本来の住まいであっちは見せかけの玄関だ。


 日本家屋よりは馴染みのある普通の家に親近感が湧いたが、それでもリビングダイニングは広い。会議室か?と思わせるくらいに大きい机は10人がけテーブルで、キッチンカウンターのテーブルには椅子が3脚と子供用の椅子が4脚あった。

「子供いるんだ。何人くらい住んでるんだろ?」
「だいたい25人くらいかな。今は子供が小さいから住み込みもいるし、そんくらいだと思う。」
「そう考えると、ウチん家って人数多くね?初期組で6人、永井達入れて10人、吉川と悪友3人組で14人。」
「悪友3人組は本来1人だからな。」


 悪友3人組とは酒田の兄とその友人達のことだ。
 4歳年上の酒田の下の兄、松吾しょうごはスノボが好きすぎて授業サボって雪山に行ってしまうような人なのだが、大学卒業後はこの家で補佐をしながら一般企業に勤めていた。
 ところが、酒田の家令が本多の家へ行ってしまってからこの兄は補佐の役割をサボって夏はサーフィン、冬はスノボへと友人達と出掛けてしまう。稼ぎは趣味に使って家に入れもしないことから「役立たずは出て行け」と家から追い出されてしまった。

 ここで慶介なら普通に一人暮らしをするところだが、バース社会で育った彼らは群れから追い出されることを嫌うらしく、酒田の父親がこの兄たち悪友3人組を本多の家で雇ってもらえないかとわざわざ頭を下げに来た。
 元々、酒田の家令の補佐をしていた兄を爺やに躾直してもらいたいのだとか。

 *

「土日と祝日と連休は休みで平日のみの警護が希望か・・・ふむ、いらんな。」
「ああぁ!本多さん、そこをなんとか~!」
「慶介の補佐は永井と勇也、吉川で十分回る、交代も増員も俺と水瀬がいるからこれ以上は必要ない。」
「車の運転とか、雑用、なんっでもしますので!」
「すでに重岡がおる。」
「そんなぁ~!」
「でしたら、本多さん、彼らをウチの伯父夫夫の補佐と警護につけるのは可能でしょうか?今は重岡に頼んでいますが、そこが時々、手が足りないと思う時があるようです。」
「おお、そこか。お前ら、3人で常駐補佐を回せるか?」
「はい!やります!お任せください!」

 *

 と、いった経緯でウチに酒田の兄の松吾しょうごたちが2年前からいる。
 今日は酒田側の補佐として慶介が手土産で持って来たフグ鍋の準備を手伝っている。


 10人がけテーブルについたのは慶介と父の信隆、景明。そして酒田とその両親。補佐には水瀬と松吾、酒田の母について来たという補佐の左腕・・がいる。

「慶介くんはお酒は大丈夫かい?」
「あ、はい。飲める方だと言われてます。」

 酒田の父に日本酒を注がれて、慶介もお返しにお酌しようとしたら断られた。出鼻をくじかれた感じでちょっとショボンとしたら景明が「あいつは下戸なんや」と言った。
 申し訳無さそうに眉を下げた表情は酒田が困った時にやる顔そっくりで血の繋がりを感じさせた。


 会話は途切れることなく和やかに進んだ。
 酒田の父は昔、景明の補佐でゆくゆくは秘書になる予定だったの間柄なのだとか。
 番を持ってしまったので補佐から外れたが今も親しい関係だそうで、酒田の兄弟3人ともを景明の元で鍛えさせたこともあって、小さい頃の話は酒田の父より景明の方がたくさん知っているのではないか?と思うくらいに景明がよく話していたのがおかしな感じだった。家の中ではどうだったのか?と聞けば、酒田の両親ではなく、酒田の母の補佐である左腕が話してくれる。

「勇也は小さい頃から根っからの補佐でしたね。オメガのお世話がしたいと言っては従兄弟のオメガに付き纏ってうっとおしがられてたんですよ。幼稚園の頃には私の真似をして補佐ごっこばかりしていました。景明さんの指導で警護色が強くなった頃は『警護になったら補佐が出来ない、補佐もしたいけど警護も捨てがたい。』とよく言って悩んでいましたね。」
「上の松吾は面倒ばかり起こす子だった分、勇也は本当に手のかからない楽な子だったわ。将来は間違いなく、景明さんの下で警護になると思ってたけど、人生わからないものね。」
「まったくです。」

 うふふ、と少女漫画のような可愛らしい微笑みを見せる酒田の母に補佐の左腕が同意した言い方は、実に気苦労を察せさせられる重みのある返事だった。
 警察官で地方勤務をしていた酒田の父に一目惚れならぬ匂い惚れをして、見合いをすっぽかして押しかけ女房をしたという酒田の母に振り回された左腕はさぞ色々な苦労があったことだろう。


 食事会のフグ鍋を雑炊にしてシメまで味わったところで、酒田の母に「勇也、慶介さん、ちょっといらっしゃいな」と呼ばれて古民家側へ案内された。
 昔ながらの日本家屋の部屋は息が白くなるほどに寒いが、お酒と鍋で火照った顔には気持ちが良い。

「全部、親まかせとはいえ、婚礼衣装くらい見ておきたいでしょう?」

 案内された仏間には、松竹梅に鶴の柄が入った色打掛いろうちかけがバーン!と、衣紋掛けに飾られていた。
 チラチラと周りに置かれた小物類をみれば、その色打掛が女物の花嫁衣装であることはすぐに分かった。

「なんで紋付袴もんつきはかまじゃねぇんだよ・・・。」
「そう言うと思って、慶介用の白い袴も用意してある。」
「用意してあるって、何?選んで良いってこと?」

 そんなもん、袴一択だろうが。と思ったら、

「でも、出来れば着てあげて欲しいわ。」

 と、酒田の母が言った。
 畳に膝をつき、白い細長い布を手に取ると中から黒漆塗りに金の蒔絵まきえが入った懐剣かいけんが出てきた。柄は慶介も見覚えのあるクレマチス。

「この懐剣、本多家の宝物庫ほうもつこに入れるのに作ったんですって。中の刃も本物よ。」

 渡された懐剣は触るもの憚られそうなくらいに美しく光り、ずっしりと重い。ビビりながらもグッと力を込めて引き抜けば刃は確かに本物のようで、包丁を持った時とは比べ物にならない緊張感が走った。

「信隆さん、この色打掛、レンタルって言ってたけど、たぶんゼロから仕立てたんだと思うわ。女物にしては柄に華やかさが足りないし、この紺色もちょっと暗すぎね。」
「そ、そうなんですか・・・。」

 何か知っているのではないか?と酒田に視線を送ってみるが、知らないと首を横に振られた。
 少なくない金額をかけて着物を作っておきながら、何も言わずに白の紋付袴を選べるように選択肢を用意して、あの人信隆は一体何がしたいのか?まさか作っただけで満足なのか?と、慶介は髪のセットが崩れるのも気にかけず、文字通り頭を抱えて悩む。


「昨日ね、信隆さんがこの着物をここに持って来たの。『食事の後で、好きな方を選ばせてやって欲しい。』っておっしゃってね。ーーウチはお兄さんの景明さんとは家族ぐるみの付き合いだけど、信隆さんの事はほとんど知らないのよ。苛烈な方と噂を聞いたことがあるだけで、本当のところ、どんなお人か知らないけれど。・・・・・・ちょうど、ここに座って、じーっと、しばらくこの打掛けを眺めていらっしゃったわ。・・・
・・・うふふ、とても、ガソリン男だなんて思えないくらいに穏やかなお顔をされてたのよ?」


 ぐぬぬぬぅ、と慶介は目をぎゅっとつむり、手は服を固く握る。「そんなエピソードを聞かされてしまったら、色打掛を選ばざるをえないではないか・・・!」と、唇を噛み締めた。
 酒田も諦め感じさせる深い溜め息をついた。

「酒田、ほんとに何も知らねぇの?」
「ああ。俺も、女物と男物を用意したからどちらか選ばせてやってくれ。と言われただけだ。」
「酒田のお母さんは仕込みだと思う?」
「計算してる可能性はあるけど、さっきの母さんの言い方だとたぶん母さん自身の意見だと思う。」

 全部が全部、信隆の思惑通りというのも面白くないなぁ。と不満というか悪戯心が湧いてきた。

「なんか、このまま素直に色打掛を着るのも癪だし・・・父さんには白の紋付きを選んだよ~。って言っておきながら本番では色打掛を着たらちょっとはサプライズになると思う?」
「フッ、そうだなぁ。母さんと・・・水瀬さんの手伝いがあれば出来るかな。」

 酒田がスマホで水瀬とやり取りをしている間に慶介は鏡に向かって表情を作る練習をした。
 女物なんて用意しやがって!と憤慨するような、でも、申し訳ないような顔。ただ、これだけでは考えが浅いような気がして、慶介は自分自身の反応を予測してみた。色打掛を回避出来たら喜ぶか?いや、安堵する。でも、安堵しつつも本多本家の不興を買うかもしれないと不安になるような気がする。「良し、これだ!」と表情が決まったと同時に酒田も水瀬の協力を取り付けたようだ。

「どんな顔すっかな?鳩が豆鉄砲食らったような顔とかすんのかな?」
「表情を取り繕うのが上手い人だから、顔が変わるのはほんの一瞬だ。見逃すなよ。」
「おう!」

 20歳を越えても悪戯を仕掛ける顔はまだまだ子ども。と酒田の母は呆れつつも微笑ましく思った。

「まったく、もう、あなた達は・・・。もうすぐ結婚式だというのに、仲良しの方向がちょっと違うんじゃないの?」









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