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説得力
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*永井視点です。
ーーーーーー
話し合いに呼び出された永井は、時間を朝の8時に指定した。一般的には早すぎる時間だが、どうせ、話し合いと言うより、本多家の意見を聞かされるだけだろうと思ったからだ。
(昨日の父さんの様子から見ても、良い期待はできねぇしな。)
永井の家もこんな状況になるまで、ただ手をこまねいていたわけではない。
永井の家では、柔道を諦めざるを得なくなった失意の息子から「学校で運命の番に出会った!」と喜びの報告を受けた直後に本多家に婚約を打診した。
ところが「我が家は無関係です」と素気なく断られてしまったことに首をかしげていたら、理由が思わぬ形で判明した。
まさか息子の運命の番が、あのガソリン男で有名な本多信隆の息子だったとは。息子の首を締めながら番わせない宣言までされて、彼の『運命嫌い』を噂として聞いていた永井の親たちは望みの薄さに空を仰いだ。
もちろん、本多信隆に婚約の打診をしてみたが「20歳までは自由恋愛」と素っ気なく返されて以降はナシのつぶて。
夏休みは一度も合うことが許されず、日々、慶介の服でラット化を防ぐ息子に無力感を感じていた。さらに息子の口から、命を縮める薬が飲みたいという言葉を聞かされ、永井の母などは気絶した。
そこから先は不幸の坂を転がり落ちる一方だ。
禁じ手を使用した連れ込み事件、失恋、薬の副作用による胃痛・・・、永井の将来を案じる親たちは本多の本家に掛け合って、なんとか番になる約束を取り付けられないかと奔走したが、慶介と酒田のヒートが上手くいったという情報が入ると期待は更に薄まり、永井の母親は毎夜大手のタオルを涙で濡らした。
永井は泣き濡れる母に心痛めながらも、それでも密かに心に決めた、夏の栄光を得たあとには、命も含めた身を引く覚悟を崩すことはなかった。
永井が揺らいだのは、ただ1つ。アイツの大会出場停止処分だけだ。
そして、慶介に最後の訴えをした。結果は言うまでもない。その後、永井は初めて自分の親たちに、自殺の意志があったこと、慶介が永井の薬や死に罪悪感があって腹痛を起こしていること、酒田をプラトニックな愛人とする案を持ちかけられていたことを話した。
そして、慶介には最後まで拒否されて、永井自身はプラトニック案を受け入れる諦めが付いたと伝えた。
それを受けて、永井の父は、本多本家を介して続けていた交渉を信隆本人に直接持ちかけたのが実は昨日のこと。
「お前に聞かせられる良い話は何もない。」
夜遅くに帰ってきた父は一言、それは疲れた声で言ったのだった。
初めて踏み入った慶介のプライベートゾーンは、慶介のリラックスした素の匂いが充満していて、永井は脳が大放出した幸せ物質に脳が痺れて動けなくなった。
フェロモンが揺るがす衝動の波をやり過ごすと、ふつふつと様々な想いが湧き上がってきた。
単純に慶介の素の匂いはこんな匂いなのだなぁ、と思うと同時に、学校では常に警戒心があったのだな、と知った。それも最近は、憐れみや同情、懺悔のような苦しい匂いばかりさせていたな、と思い出し、逆に、それが唯一永井に向けられていた慶介の純粋な感情だったのだと理解した。
それなのに永井は、同情にすがって番を得ようなどという乱暴な行動にでたがために細い糸は切れてしまった。
暗闇の上空で切れた細く光る途切れた糸が、永井の諦めたはずの心に仄かな後悔を何度も思い出させるのだろう。
まるで面接のような並びで座り、お誕生日席には慶介がいてその後ろにいつも通り酒田が控えている。
「昨日、君の親と話をさせてもらった。」
「それは知ってますが、内容は聞いてません。」
「そうか。要は、慶介の項は20歳まで噛ませない。君の薬に我々は一切関与しない。慶介の自由恋愛を尊重する。この3つだ。婚約の打診をされても受けるつもりはない、ウチは慶介の腹痛への対処法をすでに見つけているのでいくら運命の番の話を持ち出されても意見は変わらない。といった話だ。」
「そうですか。父の顔が暗かった理由がよくわかりましたよ。それで、意見は変わらないというなら、今日は何の話なんですか?」
「昨日、慶介が新しい案を考えたので、早急に君に伝えるべきだと思って来てもらった。」
「新しい案、ですか?」
そう言って慶介の父親が話し出したのは、アルファにとってはやや受け入れがたい『番わない』という提案だった。
オメガの項を誰にも噛ませず、フリーにしたままにしておくなんて、考えたこともなかった。
「2つに1つだ。運命の番を諦めて柔道をとるか、どちらも諦めるか、だ。」
なんて酷い選択肢を提示するのだ。と永井は顔をひきつらせて苦笑した。
この選択肢なら選ぶのは当然、柔道が続けられる『番わない案』の方だ。
だが、この新しい案は永井が慶介への衝動を抑えられれば、という条件付きの提案だ。正直に言うと、可能性が残されたままの状態で、永遠に慶介を諦め続け、番を欲する本能を抑え続ける事が出来るかどうか自信がない。
ピンと伸ばした背筋の姿勢を保っていたのに、永井は、俯向く自分の体を制御できなかった。
長い沈黙を皆が言葉を発さず、待ち続けた。
膝の上で固く握られた拳、静かに深く繰り返される呼吸、眉間にしわを寄せて閉じられた瞼が時折、震えて永井の心が迷っている事が見てとれた。
ゆっくりと開いた永井の目から迷いは消えていなかった。一度開いた口が閉じられ、永井は苦渋の表情で絞り出したような声で出した答えは、
「わからない。」
かつての柔道の師は腕を組み、こちらの本音を見抜かんとするような懐かしい圧をかけてきて、慶介は落胆の表情と匂いをさせた。
永井だって、分かっている。
元より慶介を諦める選択肢しか無いことも、柔道が出来る道を選ぶしか無い事はよくよく理解しているつもりだ。
提案を聞いて、率直に思ったのは「柔道が続けられるのか」という希望が叶う喜びだった。
衝動さえ抑えられれば薬を飲む必要はない、薬を飲まなければ胃痛は回復する。匂いがあればラット化もしないし、アイツとの対決もできそうな気がした。全てを解決出来る素晴らしい案だと思った。
暗い絶望の世界に夜明けの日が昇るような、次第に明るくなる空と色鮮やかに色づく雲、差し込む光は7色のプリズムに輝き、明るい黄金色の栄光へ続く道が目に浮かんだ。
しかし、振り返ると、自分の影の中で慶介への執念が醜い塊となってモゾモゾと蠢いていた。
ソレが囁くのだ。「項を噛みさえすればどうとでもなる」と、悪魔の誘惑で誘ってくる。プラトニック案を受け入れたと諦めた決心にこんな魂胆があったのか、と自分で自分に驚いた。こんな醜い生き物を飼い馴らせる気がしない。
「永井、酒田を潰せ。徹底的にだ。」
落胆の空気を断ち切ったのは信隆の苛烈な発言。
皆が疑問と驚きの表情で真意を問うた。
「アルファが番のオメガを諦めるなど普通は無理だ。それができるのならそいつはアルファではない。補佐だ。」
机の上で組まれていた両手が解けて、姿勢が崩れて横柄な態度に変わる。指が机を叩き硬質な音を立てた。
「補佐や警護はさも当然かのようにオメガを諦めろ等と言うが、オメガを求める衝動を抑えられるわけがない。抑えられないならば衝動を別の方向に逃すしかない。だから僕は、女の番のアルファを徹底的に潰し、性衝動はベータの女で解消した。結果、僕は接近禁止命令を受けて北海道に入れなくなったが、逆に考えればあの女とアルファを北海道に閉じ込めていると思って今も耐えている。」
慶介が軽蔑の目で「まだ恨んどんのかい」と呟いたのには、ちょっとだけ同意する。
「永井、お前は慶介から離れられないという点に置いて僕よりも過酷だ。ーーだから僕が許す。『酒田を潰せ』『ベータの女を抱け』『慶介に言い寄り続けろ』」
AIスピーカーから「9時です。リマインダー、薬の飲み忘れを確認。」とのアナウンスが流れて、酒田と景明が慶介に確認の視線を送った。慶介が「今日はもう飲んだ」と言い、永井の知らなかった慶介の日常を少し見た。
信隆に視線を戻すと、さっきまでの居丈高な雰囲気が薄れて、少し優しげな目と声で言われた。
「だが、もし、衝動を柔道に向けられたなら、僕のように邪悪なクズと呼ばれずに済むだろう。・・・慶介が酒田と番うとしたら、それはお前が死んでからだ。お前が生きている限り、酒田は項を噛めないままだ。『ザマァみろ』と思いながら一日でも長生きしてから死ね。」
人生の先輩の言葉は説得力の重みが違うと、永井は思い『番わない案』を受け入れた。
永井が帰ろうと玄関へ向かおうとしたら酒田が話しかけてきた。
「永井、今日と明日、時間空いてないか?」
「は?6月の国内大会まで1ヶ月半だぞ?柔道の練習とトレーニングするに決まってるだろ。」
「慶介がベータの友人と出かけたがってるんだが、警護につける人間が空いてなくて探してるんだ。永井、警護してくれないか?」
お前、俺の話聞いてた?と聞きたくなる。
しかも、慶介のお出かけの付き添いをしろだと?今さっきまでしていた話し合いの内容覚えてるか?と、早速、慶介の父親から貰った許可を振りかざして首を締めてやろうかと思った。
しかし、チラリと視界に入った慶介の期待に満ちた顔でちょっと気が緩んで譲歩するような言葉が溢れてしまった。
「・・・どこ行くんだよ。」
「今日は大阪の街ブラか、近場のテーマパーク。明日は、アレ、あのー、ド忘れした。ジェットコースターがやばいところに行きたいな。って話しててーー」
永井は「警護をする」なんて一言も言っていないのに、酒田は今日と明日のスケジュールを説明してきて、しまいには景明から「バイト代出すぞ」とか言われて呆れた。
結局、慶介からおねだりされて、請け負ってしまった。
あの憎きゴツいネックガードを付けて、ベータの友人とはしゃぐ慶介は、無邪気に酒田にも永井にも近すぎる距離感で接して、それら全てが初めて見る笑顔で、フェロモンでも楽しい!と全身で喜びを示す可愛さは、もはや罪深い。
慶介と酒田のイチャイチャを見せられると思っていたテーマパークの警護だったが、思った以上に酒田が警護に徹していたので、これなら許容範囲だな。と未来を楽観した。
ところが、ベータの友人を家に送り届けた別れ際「結婚式には呼べよ~」というからかいに慶介が顔を赤らめ、酒田が「ああ、必ず」と言ったのには、気を緩ませていた事もあって心臓に大ダメージを受けうずくまった。
***
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話し合いに呼び出された永井は、時間を朝の8時に指定した。一般的には早すぎる時間だが、どうせ、話し合いと言うより、本多家の意見を聞かされるだけだろうと思ったからだ。
(昨日の父さんの様子から見ても、良い期待はできねぇしな。)
永井の家もこんな状況になるまで、ただ手をこまねいていたわけではない。
永井の家では、柔道を諦めざるを得なくなった失意の息子から「学校で運命の番に出会った!」と喜びの報告を受けた直後に本多家に婚約を打診した。
ところが「我が家は無関係です」と素気なく断られてしまったことに首をかしげていたら、理由が思わぬ形で判明した。
まさか息子の運命の番が、あのガソリン男で有名な本多信隆の息子だったとは。息子の首を締めながら番わせない宣言までされて、彼の『運命嫌い』を噂として聞いていた永井の親たちは望みの薄さに空を仰いだ。
もちろん、本多信隆に婚約の打診をしてみたが「20歳までは自由恋愛」と素っ気なく返されて以降はナシのつぶて。
夏休みは一度も合うことが許されず、日々、慶介の服でラット化を防ぐ息子に無力感を感じていた。さらに息子の口から、命を縮める薬が飲みたいという言葉を聞かされ、永井の母などは気絶した。
そこから先は不幸の坂を転がり落ちる一方だ。
禁じ手を使用した連れ込み事件、失恋、薬の副作用による胃痛・・・、永井の将来を案じる親たちは本多の本家に掛け合って、なんとか番になる約束を取り付けられないかと奔走したが、慶介と酒田のヒートが上手くいったという情報が入ると期待は更に薄まり、永井の母親は毎夜大手のタオルを涙で濡らした。
永井は泣き濡れる母に心痛めながらも、それでも密かに心に決めた、夏の栄光を得たあとには、命も含めた身を引く覚悟を崩すことはなかった。
永井が揺らいだのは、ただ1つ。アイツの大会出場停止処分だけだ。
そして、慶介に最後の訴えをした。結果は言うまでもない。その後、永井は初めて自分の親たちに、自殺の意志があったこと、慶介が永井の薬や死に罪悪感があって腹痛を起こしていること、酒田をプラトニックな愛人とする案を持ちかけられていたことを話した。
そして、慶介には最後まで拒否されて、永井自身はプラトニック案を受け入れる諦めが付いたと伝えた。
それを受けて、永井の父は、本多本家を介して続けていた交渉を信隆本人に直接持ちかけたのが実は昨日のこと。
「お前に聞かせられる良い話は何もない。」
夜遅くに帰ってきた父は一言、それは疲れた声で言ったのだった。
初めて踏み入った慶介のプライベートゾーンは、慶介のリラックスした素の匂いが充満していて、永井は脳が大放出した幸せ物質に脳が痺れて動けなくなった。
フェロモンが揺るがす衝動の波をやり過ごすと、ふつふつと様々な想いが湧き上がってきた。
単純に慶介の素の匂いはこんな匂いなのだなぁ、と思うと同時に、学校では常に警戒心があったのだな、と知った。それも最近は、憐れみや同情、懺悔のような苦しい匂いばかりさせていたな、と思い出し、逆に、それが唯一永井に向けられていた慶介の純粋な感情だったのだと理解した。
それなのに永井は、同情にすがって番を得ようなどという乱暴な行動にでたがために細い糸は切れてしまった。
暗闇の上空で切れた細く光る途切れた糸が、永井の諦めたはずの心に仄かな後悔を何度も思い出させるのだろう。
まるで面接のような並びで座り、お誕生日席には慶介がいてその後ろにいつも通り酒田が控えている。
「昨日、君の親と話をさせてもらった。」
「それは知ってますが、内容は聞いてません。」
「そうか。要は、慶介の項は20歳まで噛ませない。君の薬に我々は一切関与しない。慶介の自由恋愛を尊重する。この3つだ。婚約の打診をされても受けるつもりはない、ウチは慶介の腹痛への対処法をすでに見つけているのでいくら運命の番の話を持ち出されても意見は変わらない。といった話だ。」
「そうですか。父の顔が暗かった理由がよくわかりましたよ。それで、意見は変わらないというなら、今日は何の話なんですか?」
「昨日、慶介が新しい案を考えたので、早急に君に伝えるべきだと思って来てもらった。」
「新しい案、ですか?」
そう言って慶介の父親が話し出したのは、アルファにとってはやや受け入れがたい『番わない』という提案だった。
オメガの項を誰にも噛ませず、フリーにしたままにしておくなんて、考えたこともなかった。
「2つに1つだ。運命の番を諦めて柔道をとるか、どちらも諦めるか、だ。」
なんて酷い選択肢を提示するのだ。と永井は顔をひきつらせて苦笑した。
この選択肢なら選ぶのは当然、柔道が続けられる『番わない案』の方だ。
だが、この新しい案は永井が慶介への衝動を抑えられれば、という条件付きの提案だ。正直に言うと、可能性が残されたままの状態で、永遠に慶介を諦め続け、番を欲する本能を抑え続ける事が出来るかどうか自信がない。
ピンと伸ばした背筋の姿勢を保っていたのに、永井は、俯向く自分の体を制御できなかった。
長い沈黙を皆が言葉を発さず、待ち続けた。
膝の上で固く握られた拳、静かに深く繰り返される呼吸、眉間にしわを寄せて閉じられた瞼が時折、震えて永井の心が迷っている事が見てとれた。
ゆっくりと開いた永井の目から迷いは消えていなかった。一度開いた口が閉じられ、永井は苦渋の表情で絞り出したような声で出した答えは、
「わからない。」
かつての柔道の師は腕を組み、こちらの本音を見抜かんとするような懐かしい圧をかけてきて、慶介は落胆の表情と匂いをさせた。
永井だって、分かっている。
元より慶介を諦める選択肢しか無いことも、柔道が出来る道を選ぶしか無い事はよくよく理解しているつもりだ。
提案を聞いて、率直に思ったのは「柔道が続けられるのか」という希望が叶う喜びだった。
衝動さえ抑えられれば薬を飲む必要はない、薬を飲まなければ胃痛は回復する。匂いがあればラット化もしないし、アイツとの対決もできそうな気がした。全てを解決出来る素晴らしい案だと思った。
暗い絶望の世界に夜明けの日が昇るような、次第に明るくなる空と色鮮やかに色づく雲、差し込む光は7色のプリズムに輝き、明るい黄金色の栄光へ続く道が目に浮かんだ。
しかし、振り返ると、自分の影の中で慶介への執念が醜い塊となってモゾモゾと蠢いていた。
ソレが囁くのだ。「項を噛みさえすればどうとでもなる」と、悪魔の誘惑で誘ってくる。プラトニック案を受け入れたと諦めた決心にこんな魂胆があったのか、と自分で自分に驚いた。こんな醜い生き物を飼い馴らせる気がしない。
「永井、酒田を潰せ。徹底的にだ。」
落胆の空気を断ち切ったのは信隆の苛烈な発言。
皆が疑問と驚きの表情で真意を問うた。
「アルファが番のオメガを諦めるなど普通は無理だ。それができるのならそいつはアルファではない。補佐だ。」
机の上で組まれていた両手が解けて、姿勢が崩れて横柄な態度に変わる。指が机を叩き硬質な音を立てた。
「補佐や警護はさも当然かのようにオメガを諦めろ等と言うが、オメガを求める衝動を抑えられるわけがない。抑えられないならば衝動を別の方向に逃すしかない。だから僕は、女の番のアルファを徹底的に潰し、性衝動はベータの女で解消した。結果、僕は接近禁止命令を受けて北海道に入れなくなったが、逆に考えればあの女とアルファを北海道に閉じ込めていると思って今も耐えている。」
慶介が軽蔑の目で「まだ恨んどんのかい」と呟いたのには、ちょっとだけ同意する。
「永井、お前は慶介から離れられないという点に置いて僕よりも過酷だ。ーーだから僕が許す。『酒田を潰せ』『ベータの女を抱け』『慶介に言い寄り続けろ』」
AIスピーカーから「9時です。リマインダー、薬の飲み忘れを確認。」とのアナウンスが流れて、酒田と景明が慶介に確認の視線を送った。慶介が「今日はもう飲んだ」と言い、永井の知らなかった慶介の日常を少し見た。
信隆に視線を戻すと、さっきまでの居丈高な雰囲気が薄れて、少し優しげな目と声で言われた。
「だが、もし、衝動を柔道に向けられたなら、僕のように邪悪なクズと呼ばれずに済むだろう。・・・慶介が酒田と番うとしたら、それはお前が死んでからだ。お前が生きている限り、酒田は項を噛めないままだ。『ザマァみろ』と思いながら一日でも長生きしてから死ね。」
人生の先輩の言葉は説得力の重みが違うと、永井は思い『番わない案』を受け入れた。
永井が帰ろうと玄関へ向かおうとしたら酒田が話しかけてきた。
「永井、今日と明日、時間空いてないか?」
「は?6月の国内大会まで1ヶ月半だぞ?柔道の練習とトレーニングするに決まってるだろ。」
「慶介がベータの友人と出かけたがってるんだが、警護につける人間が空いてなくて探してるんだ。永井、警護してくれないか?」
お前、俺の話聞いてた?と聞きたくなる。
しかも、慶介のお出かけの付き添いをしろだと?今さっきまでしていた話し合いの内容覚えてるか?と、早速、慶介の父親から貰った許可を振りかざして首を締めてやろうかと思った。
しかし、チラリと視界に入った慶介の期待に満ちた顔でちょっと気が緩んで譲歩するような言葉が溢れてしまった。
「・・・どこ行くんだよ。」
「今日は大阪の街ブラか、近場のテーマパーク。明日は、アレ、あのー、ド忘れした。ジェットコースターがやばいところに行きたいな。って話しててーー」
永井は「警護をする」なんて一言も言っていないのに、酒田は今日と明日のスケジュールを説明してきて、しまいには景明から「バイト代出すぞ」とか言われて呆れた。
結局、慶介からおねだりされて、請け負ってしまった。
あの憎きゴツいネックガードを付けて、ベータの友人とはしゃぐ慶介は、無邪気に酒田にも永井にも近すぎる距離感で接して、それら全てが初めて見る笑顔で、フェロモンでも楽しい!と全身で喜びを示す可愛さは、もはや罪深い。
慶介と酒田のイチャイチャを見せられると思っていたテーマパークの警護だったが、思った以上に酒田が警護に徹していたので、これなら許容範囲だな。と未来を楽観した。
ところが、ベータの友人を家に送り届けた別れ際「結婚式には呼べよ~」というからかいに慶介が顔を赤らめ、酒田が「ああ、必ず」と言ったのには、気を緩ませていた事もあって心臓に大ダメージを受けうずくまった。
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