【本編完結】ベータ育ちの無知オメガと警護アルファ

リトルグラス

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谷口来訪

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 永井の懇願を聞き、慶介は4月のヒートを入院で過ごすことに決めた。

 あんな魂の叫びを聞いて、酒田とイチャコラできるような図太い神経がなかった。その代わり、入院中はずっと永井のことを考えていた。

 分かっていたことだったが、永井が欲しいのは慶介ではなく柔道だった。
 出会った当初、永井が柔道を完全に諦めていたので慶介一本のように見えて勘違いしていた。そうなると永井に慶介の項を捧げるのは、慶介が永井の柔道人生の踏み台になっているような気がしたので、やはり、酒田を選んで良かったと思う。でも、慶介と酒田の幸せのために永井を踏みつけにするのはダメだと思う。そんな非道の行いをしておきながら笑い合える歪んだ神経もしていない。
 入院中、永井への申し訳無さを思う度に、腹の痛みが連動したので、初めて心と体の意見が合致したな、と慶介は苦笑した。



「山口がGWは釣りに行くから遊園地行かないって言いやがって。毎日雨降ればいいのに!」
「今日は全国的に快晴だったなー。」

 今日はGW初日。

「だったら田村と行くか~って思ったのに、そしたら、お前は『気分じゃない』って、なんなんだよ。遊べるのは今だけなんだぞ!夏からは大学受験でそんな暇ねぇのにっ!」
「悪かったな。ホント、そういう気分じゃねぇんだよ。んで、何しに来たんだよ?」

 谷口は昨日の夜、急に『明日お前んち遊びに行くから』とメッセしてきた。冗談かと思って『はいはい、どうぞ』と返して放置したら、今日の昼前に本当に大阪駅に来て『お前んちの最寄り駅どこ?』とメッセしてきた。
 今日は水瀬も景明もいない。信隆もスーツを着て外出してしまったし、重岡は家にいるが厳密には休暇扱いなのだ。慶介は酒田と自宅待機を命ぜられていた。重岡にお願いして谷口を迎えに行ってもらい、仕方なく自宅に入れた。

「山口は淡路島に行っちまったから、お前んとこ来た。お前なら気分を変えれば、遊園地に行くチャンスがまだある!」

 はぁ、なるほど、たしかに?と、重岡がお昼にと買ってきてくれたちょっとお高いハンバーガーのあとひとくちを、肉汁とソースにしっかり絡め、口に頬張って、包み紙をクシャリと丸めて潰した。

「で?何が気分じゃねぇんだ?さぁさぁ、谷兄ちゃんが聞いてやろうじゃないか。」


 谷口らには酒田と付き合い始めたことは伝えてあったが、命を縮める薬のこと、運命の番のこと、永井と酒田の命が関わる三角関係のことを話すのは初めてだ。
 なるだけ、平静に誰かに肩入れしないような形で説明することを心がけた。それでも、この先取ろうとしている選択の話をするときには声が震えた。冷静に話すほどに永井への仕打ちが非道に思えた。


「んー、思った以上にヘビーだぜ。」
「だろ?わりぃな・・・」
「いや、まあ、良いんだけどさ。俺は永井ってヤツを知らねぇから、酒田を選べよ。って言いたいけど、番?にならないと死ぬかもって言われたら『もう仕方ない』としか言えないよな。」

 谷口は、元ジンジャーエールだった氷が溶けた水をズゴゴっと言わせながら飲んだ。
 慶介も薄まったコーラを飲み、紙容器の隙間に残っていたポテトの欠片を引っこ抜いて噛み砕いた。

「でもさー、永井と番うってやつは、誰も幸せじゃない気がする。」
「でも、みんな、プラトニック案が一番だって言うんだ。」
「正直、何が一番なのか、全然わからん。誰も死なへんだけやん。そんなんやったら、田村が酒田と一緒になって太く短く生きる方が断然ええわ。そんで、葬式でワンワン泣いたるわ。」
「ハハっ、でも、それしたら永井も道連れ。」
「おぅ、そやった。永井が単独で生き残る道はねぇのか?!」


 慶介が酒田と番うと、永井は恐らく運命の番を失ったショックで自殺する。そして、永井が死ねば罪の意識で慶介も衰弱死する。
 これが現在の状態だ。

 永井が事故などで死んでしまった場合は、慶介は罪の意識が無いので腹痛による衰弱死はしないだろう。また、逆に慶介が事故死、又は自殺をしても永井が死ぬことは無い。でも、どちらかは死ぬ。

 プラトニック案は、慶介が永井と番って一蓮托生の2人を生かした状態で、慶介には好きな酒田を愛人として配置することで心の死を防ごうという意図なのだ。この案ならば確かに誰も死なない。だからこの案は平和的だ、と言うのだが、谷口が言うようにこれは誰も幸せじゃない気がする。


「だったら、どうしたら全員が幸せになれるか考えようぜ。」
「・・・っ!」

 慶介は最近ずっと警護のアルファたちに意見を封殺されっぱなしだったので、無責任でも谷口が慶介の意見に同調してくれたのが嬉しかった。

「田村と酒田が番えて、永井ってやつが死ななければOKでいいのか?」
「そうだな。永井が死ななくて、出来ればある程度、幸せになって欲しい。生ける屍、みたいなのは避けたい。」

 慶介が実質とっているのは、20歳まで薬を飲みながら答えを選ばない『先延ばし案』だ。
 この案は、薬が永井の体を蝕み、柔道は出来なくなるし、番を餌にズルズルと生き長らえさせておきながら、番になれたら慶介は酒田を愛人にして別居する。という永井の人生を踏みにじっている最悪の案だ。

「その永井は田村に、柔道が出来ればそれで良い。って言ったんだろ?じゃあ、柔道が続けられれば幸せってことになんのかな?」
「永井が柔道が出来ない理由は、俺のせいで飲んでる薬で胃潰瘍になったからだ。でも、薬を止めるためには、俺と番うしか無い。」
「そこ!なんで永井の薬を止めるのに番いにならなきゃダメなんだよ?薬を止めるだけで良いじゃん。」

 谷口は身を乗り出して慶介の鼻先に指を突きつけて問うてきた。

「薬を止めたら、運命の番いを求める衝動を抑えられなくなるんだよ。」
「具体的には?」
「具体的?え、えっと・・・」
「ラット化だ。威圧フェロモンと性衝動を押さえられなくなる。」

 言葉が出てこなかった慶介に酒田が助け舟を出してくれた。
 でも、その答えに谷口が眉を潜めた。

「ぇ・・・性衝動・・・?アルファってみんな性犯罪者予備軍なのか?」
「ち、違うっ、えっと、この場合、対象は慶介だけだ。えー、つまり、ストーカー化するみたいな感じで認識してくれ。」
「その、らっと化?ってやつは薬じゃないと止められないのか?」
「慶介の匂いを嗅いだり、スキンシップを取ることで防げる。」
「だから、俺が永井と学校で会ってるうちは大丈夫だ。」

 谷口が首ひねり、顎に指を添える。

「ん?でも、学校で会う時には薬飲むんだろ?」
「うん。運命を求める衝動をとめるためにな。」
「んん?ラット化を防ぐためには匂いがいるのに、匂いを嗅いだら衝動を抑えられないって矛盾してねぇ?衝動はラット化のことじゃねぇのか?」
「あー、ちょっと違う。ラット化はなんていうか、バーサーカーモードみたいなやつで、衝動はその手前の状態って感じ?」
「じゃあ、その衝動っていうバッドステータスが溜まったらバーサーカーになるってこと?」

 ゲーム的表現をされて、妙に客観視できるような感覚がした。

「えー・・・っと?いや、やっぱ違う。衝動は恋の暴走って感じ?匂いを嗅ぐと『恋の暴走』を起こすけど、匂いが完全になくなるとバーサーカー化する。・・・酒田、この表現あってると思う?」
「あ・・・ああ、たぶん。」
「じゃあ、薬を飲む理由はバーサーカー化対策じゃなくて、『恋の暴走』対策ってこと?」
「うん、そうです。」

 急な丁寧語。それくらい、今、谷口は大事な役割を担っている直感がある。

「ふーん、田村が薬を飲む理由は腹痛だろ?腹痛は『恋の暴走』のせいってこと?」
「恋といっても、俺の方は気持ちの伴わない体のフェロモン反応って感じだけどな。」

 酒田が手を突き出しストップをかけた。考え込む顔のまま、語りだす。

「・・・いや、違う。慶介の腹痛は永井で言うラット化だ。慶介の腹痛だって永井の匂いを嗅げば治る。慶介が『恋の暴走』を起こしたらなるのは疑似ヒートだ。疑似ヒートを起こさないために薬を飲むんだ。でも、慶介は『恋の暴走』を自制心と抑制剤で抑えられる。流石に誘引フェロモンまで使われたら惑わされるけど、それは俺が引き戻せば戻ってきた。」

 一同、顔を見合わせ、谷口が核心を口にした。

「それって、つまり、永井も『恋の暴走』は薬を使わなくても抑えられるはずってことか?」

 そんなこと?と、脳が理解を拒否している感じがする。慶介は反論の言葉を探していた。

「で、でも、永井は俺と違って、自制心が効かない。フェロモンで本能を刺激されたら反応してしまうのを抑えられないって言ってた。」
「そんなの、やってみねぇとわかんねぇじゃん!」
「そうだ。永井も柔道の為なら『恋の暴走』を抑え込めるかもしれない。」

 酒田まで同意した。
 え、え、じゃあ、なに?これって、永井が薬をやめれば良かっただけって話?

「ただ、永井が柔道を続けられない理由は薬だけじゃない。例の男がいる限り、大会に出られない。」
「例の男ってやつの事も、なんで田村と番えば解決するって話になるんだ?」
「番いを得たアルファの精神的安定は段違い・・・次元が違うと言ってもいい。だから、永井は慶介を番いにすれば、あの男を前にしても威圧を抑えられると思っているんだ。」
「はぁ~?なんだそれ。田村は都合のいい道具じゃねぇぞ。なんつーか、それも、ラット化の時みたいに田村の匂いで威圧を抑えられねぇのかよ?」
「・・・言われてみれば、そうだ。出来るかもしれない。永井に確かめてみよう。」

 酒田がスマホを取り出し、電話をかけようとしたその腕を慶介がガシッと突然、掴み止めた。2人は驚いた顔をする。

「・・・・・・待って。それ・・・、俺と酒田が番になったら使えなくなる。」
「なんで?」
「番になったらフェロモンはお互いの番いにしか匂わなくなるんだ。」
「はぁ、あ、そう。」
「はー、ダメじゃん。いけると思ったのにー。いっそ、俺の匂い付けた服を大量保存する?」
「7日に1枚と考えれば、一年分で50枚くらいいるぞ。」
「50枚?!一枚の服を細切れにして保存とかでなんとかならない?」
「アロマの匂い袋のイメージじゃ足りないぞ。分割するとしても2つが限界だ。それに将来的に足りなくなったら補充できるものでもない。十分すぎる程に余ってるくらいの余裕を持たせないと。」

「いやいやいや、なんでだよ。番ったら使えないってんなら、番わなきゃ良いじゃん。」


「「え?」」


「そもそも、なんで急に番う話になんの?永井が柔道を続けられるにはどうするかって話だろ?そんで、薬はなんとかなるから、威圧?ってのをなんとかすれば良くて、それは田村の匂いでなんとかなるかもって流れじゃなかったっけ?」

 あれ?そうだ。そういう話だったはずだ。と慶介は冷静になるも、なんとも言えない心地悪さを覚えた。
 この永井が単純に薬を止めるだけの案は、プラトニック案を覆す良い案な気がする。
 慶介は永井と番うこともなく、永井は柔道を続けられる。酒田が愛人なんて不名誉なポジションにつくこともない。良いことづくめな気がするのに、慶介の口から出てきたのは、自分でも意識していなかった願望だった。


「そうだけど・・・、それじゃあ・・・、俺、酒田と番になれない。」









***
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