【本編完結】ベータ育ちの無知オメガと警護アルファ

リトルグラス

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永井の哀願

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 3月。高校生柔道大会。
 永井は余裕の優勝を決めた。ウチの学校は団体も優勝したけど、これは永井がいるからって感じ。
 永井の胃の状態は悪化はしていないが改善してもいない。酒田が言うには万全の体調からは遠く、薬の副作用の頭痛と吐き気、胃痛の不調を抱えたままの出場だったらしい。それでも全ての試合を一本勝ちで勝利した。


「永井君、素晴らしい試合だったよ。圧倒的だった。」

 酒田が慶介を守るように動いたので永井も前に出た。

「やっぱり、国内選手権大会に出場してみないか?君の実力なら優勝間違いなしだろう。そうなれば、強化選手入も間違いない。君の夢だったオリンピックに出られる。」
「だったら、アイツを柔道界から追放してくださいよ。そしたら喜んで出ますよ。世界で金メダルもとってみせますよ。・・・でも、出来ないんですよね?世界レベルじゃろくな成績も残せないようなアイツでもとっておきたいんですもんね。」
「何度も言っているが、なんの瑕疵もない彼を追放なんて、どうやってやれと言うんだ。パワハラか?スポーツ業界がハラスメント関係に敏感なのは知ってるだろう?」
「・・・ええ、そうですね・・・。」
「ろくな成績と言うが、実力があっても、大会に出ずなんの成績を残していない君に言える言葉ではないと思うよ。まずは、出てみたまえよ。君にはそこのがいるじゃないか。」
「こいつは関係ない。何を言われても、俺の意見は変わりません。アイツがいる限り俺は出ない。」

 柔道関係の偉いさんだと思われる人との会話。
 さっきまでの楽しそうだった匂いが消えて、大人に対する失望の匂いがする。
 酒田が小声で「向こうでやれ」と言って永井が偉いさんの男を誘導するように離れていく。

 予想通り、あの偉いさんの男は柔道の選手選考委員会の人間で、最近、ああやってしきりに永井を国内大会に出場させようと誘ってくるらしい。永井が出場しない理由が『アイツ』の存在だけでなく、慶介という運命の番から拒否されたからだと知ったらしい彼らはまずは慶介の方を籠絡しようと画策中なのだとか。
 永井はさしたる時間もかからずに戻ってきた。

「国内の大会、出ないのか?」
「出ない。アイツがいる限り俺は負ける。」
「こんな事言うのは、あれだけど、アイツは本当に真犯人なのか・・・?」
「フッ、俺が勝手に逆恨みしてるってんだろ?東京で散々言われたよ。『アイツは証拠不十分で釈放された。そんなに言うなら証拠をだせ』って。俺だって、探偵雇って調べたさっ。でも確固たる証拠は見つからなかった!でも、そんなものはどうでもいい!ーー証拠があろうがなかろうが、俺の逆恨みだろうが、どっちにしろ、俺は威圧を抑えられねぇんだからな・・・。」


 慶介もなんとかしたくて、永井の事件を調べてくれ。と景明に頼んでみたことがある。景明はすでに調べたと言った。その結果、重岡をつかってもどこにも確固たる証拠がなく、あの男は「シロ」と判明しただけだ。
 その結果に対して、信隆がこう予測した。

「おそらく、その男は『永井がいなければ自分が一番になれるのに』といった希望を呟いただけだ。」

 そして、実行に移したのは周りにいた補佐アルファか取り巻きのベータあたりで、そいつが突き止められたとしても『そいつが勝手にした』という形で逃げられる。あの男は何一つ、悪事に手を染めず、欲しい物と地位を得る。卑怯なやり口だが、ズル賢く有効な手段だ。と、評価していた。

 でも、永井が大会に出れない理由は「アイツ」のせいだとしても、柔道そのものを続けられない原因を作っているのが慶介なのは間違いないので、選考委員の人が慶介を籠絡するのは正しい順序ではある。


「俺の柔道は今年の夏で終わる。それで・・・」

 永井が放つ威圧フェロモンには怒りの感情と「目にもの見せてやる」という挑戦、そして僅かな希望が混ざっている。
 以前は死の覚悟の匂いがしたが、今は少し違う。永井は完全に諦めていない。
 賭けている。柔道の選手選考委員たちに圧倒的な勝利を見せつけて、あの男を切り捨てて自分を選べと突きつけるつもりなのだ。

 でも、たぶん、その意図はもう伝わっている。その上であの偉いさんは国内の大会に出るように言ったのだろう。
 永井の実力は本物で圧倒的だ。世界でトップを狙える予想はできる。でも、現状、永井の実績は中学生で止まったまま。膝の怪我という爆弾もある。世界大会では勝てなくても国内ではトップを維持しているアイツをキープしておきたい。という彼らの考えも解らなくはない。だったら競わせて決めたいと思うのは極自然なことだろう。



 3年に進学した。
 慶介の希望調査票はほぼ通って、当然、酒田と永井とは同じクラスになった。

 最近の慶介の悩みは4月のヒートを自宅で過ごすか否か、である。
 そりゃあ、家で酒田とヒートを過ごしたいと思っている。酒田もそう思ってくれている。でも「セックスができるのは永井と番う前の今だけだから」という本音が見えているのが気に入らない。他の皆も最後のチャンスだぞ?という顔をする。
 最初は頑張って反発していた慶介だが、最近はそれも疲れて胸がチクチクと痛む。


「酒田の案に乗ってもいいぜ。」
「なんの話?」
「プラトニック案だ。」

 永井に酒田をプラトニックな愛人とする案を伝えるというのは警護たちの会議で決まった永井の自殺防止策だ。例え、慶介が望んでいない選択とは言え、永井に死なれては慶介まで死んでしまうかも知れないと。しかし、それを伝えるということは、酒田は慶介を諦める事と同意だから、あの会議のときに慶介は「酒田に俺のことを諦めるような事言わせたくない」と言った。

「・・・酒田から聞いたのか?」
「あぁ、酒田が言ってきた。項を譲ってもいい、その代わり心は譲らないって。自殺で慶介の心に傷は残させない。心を守ると決めたから。って」

 酒田の決意は慶介の胸に突き刺さる。

 永井は春の大会より前に「プラトニック案」を伝えられたらしい。慶介が罪の意識で腹痛を起こしていること、そして、恐らく慶介は20歳まで答えを先延ばしにするだろうということ、を聞かされたそうだ。
 その話を聞かされた時、永井は「NO」を返したらしい。
 自殺の決意が固いわけではない。酒田を警護として雇うことは構わないが、酒田と慶介を共有するのは断る。寝取られも寝取らせも趣味じゃない、と。

「俺も、・・・そう思う。」

 心の伴わないセックスをするのも、心が通じ合っているのに交わせない体も、どちらも嫌だ。
 慶介は僅かに滲んだ涙をまばたきで鼻に逃した。

「なぁ、慶介、俺はそんなに酒田に劣るか・・・。」
「劣るとか、優劣じゃない。俺にとって酒田は特別なんだ。」
「運命以上の特別があるのか?なんで、・・・・・・なんで、よりによって酒田なんだ。」

 高ぶる怒りの感情を抑えようと、髪をかき乱し、拳は固く握り込まれ震えている。慶介は永井の怒りがいつ爆発するかと恐れて、逃げ腰になって足が半歩引けた。しかし、怒りのエネルギーは収縮して、悲しみのフェロモンが漂い出す。

 顔を上げた永井の目から一筋の涙がこぼれた。

「・・・・・・柔道が出来なくなって、運命の番に会えて神の慈悲かと思った。なのに運命に否定されて、せめてと思った最後の栄光も薬のせいで得られないかもしれない・・・、俺にはもう何もないのに、・・・番も酒田に奪われるのか・・・。それで、俺が得られるのは項を噛むことだけってか?たった、それだけか?・・・慶介・・・なぁ、慶介っ、俺たちは運命の番だろっ?なんで、俺を選んでくれないんだ・・・!?」

 永井が救いを乞うように手を伸ばし慶介に迫る。あんなに大きく見えた体がとても小さく見える。「俺を選んでくれ」「もう慶介しか残ってない」「捨てないで」と、うわごとのように慶介を求める言葉を繰り返すが、その言葉には心が乗っていないように見えた。

「永井、フェロモンに操られるな。その気持ちは本心か?本能か?」
「本能だよ!本能で慶介が欲しいんだ!本能だって立派な心だろ!俺だって心から慶介が欲しいって思ってるっ!」

 誘引フェロモンが放たれた。しかし、命を縮める薬を飲み、本能に惑わされることのない慶介にはもう効かない。
 フェロモンに突き動かされた永井の叫びは、他のバース性になら痛いほどに突き刺さるだろう。だが、慶介にだけはどうあがいても届かない。

「ダメだ、やれない。俺は酒田が好きだから。」

 やっぱり、永井を選べない。例え、腹痛に苦しもうとも、それが死に至ろうとも、選べない。慶介の心が決まってしまった。ただ、この決心に永井を巻き込むことにだけは一縷の後悔が残る。
 永井の目に涙がたまり、瞳が悲しみに光る。

「・・・コレは報いなのか?昔、オメガの嫌がることばかりした、嫌われ者の俺に定められた運命なのか?・・・・・・いつも、いつも、最後は酒田にとられるんだ。俺の欲しい物は、俺の手をすり抜けて酒田の背の後ろに隠れて、酒田が立ちふさがる。何度叩きのめしても、酒田が守ると決めたら、二度と戻ってこない。俺の欲しいオメガは・・・、運命の番ですら・・・。なんで・・・、なんで、酒田なんだよぉ・・・。」

 泣きじゃくりながら「何故」と問いつづけ、崩れ落ちた永井の背を慰めていいかのか、慶介は二度三度、手を出しては引っ込めた。最後は、しゃくりあげ震える肩に手をかけて、謝罪の気持ちを込めて撫でた。そうすれば、永井の声は一層悲壮感が増し、慶介までつられて泣きそうになった。


 悲しみの情動の波が静まりをみせ、永井は大きく鼻をすすり、大きく深呼吸し、まるでため息のような力ない声で言った。

「・・・わかった・・・。もう、心も欲しいなんて言わない。・・・せめて、体は俺にくれ。・・・項だけでいい。項を噛んだあとは、一生別居でも良い。2人の生活に割り込む事も一切しない。子どもだって体外受精なら、酒田の子供も産める。」
「な、何言ってんだ。・・・そんなん、虚しすぎるだろうが・・・。」
「その代わり、今年の夏までに項を噛ませてくれ。」


 永井が、プラトニック案を飲もうと思ったのには理由がある。

 例の真犯人かもしれない男が、『アイツ』が未成年に飲酒させレイプをしたとして、大会出場停止2回の処分を受けることになった。
 選考委員は、この隙に永井が国内の2つの大会で優勝という成績を残せれば、強化選手入りを約束してくれるそうだ。そして、来年の国際大会にアイツと2人で出られるようになる。というのだ。

 「アイツはブチのめす、または、ぶち殺す。」という永井の信念を曲げた選択だ。

 そのためにも、命を縮める薬を止めたい。アイツの前で威圧を抑えられるようになりたい。だから、慶介の項を噛みたい。という。
 
 永井は慶介に訴えた。「たった一度のチャンスなんだ」と。
 強化選手になって、世界選手権大会で優秀な成績を残せれば、アイツの方が階級を変更されて、アイツがいたポストに永井が納まることになる。でも、その前に、あの薬を止めないと、本当に胃に穴が開く。もう、怪我、病気でチャンスを潰したくない。

 永井は慶介に懇願した。


「柔道ができる。俺は、それだけで良い。」










***
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