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ラット
しおりを挟む「永井、くっつき過ぎた。慶介も嫌ならちゃんと拒否しろ。」
「もういい。諦めた。」
永井は大運動会の延長線で慶介にベッタリだ。授業中以外は常にバックハグで、今はおでこをグリグリと押し付けて匂いを堪能している。
永井の幼稚園時代を知っている人にはその行動が、オメガの後ろ襟を掴んで引きずり回していた姿とダブって見えるらしいし、知らない人はアツアツの運命の番に見えるみたいだ。竹林と野本君で反応が違うので聞いたらそう言っていた。
慶介の気持ち的には、ウザ絡みのターゲットにされた、ちょっとした軽いイジメかな?くらいに思っている。
「はぁ~、慶介~、噛ませてくれ~。」
「嫌だ。おら、授業始まるから席に戻れ。」
前にカウンセラーと話をして「運命の番」が何か教えてもらった。フェロモンで本能的に惹かれ合う者のことで1万組に1組の割合でいると言われているそうだ。ただ、フェロモンはまだ科学的に検出出来ていないし、数値化出来るものでもない。運命の番は存在する現象ではあるが、まだまだ研究中。
本能で惹かれるアルファはすぐにでもオメガの項を噛んで番にしたがるし、オメガは項を差し出し番にして欲しいと言う、はず。なのだそうだ。
慶介が永井を拒否しているのはバース社会の人間からすると全くもって思考を理解できないらしく、本能で惹かれ合うのだから、運命の番である永井が慶介を好きになるのは当然のことで、永井の求愛は止められるようなものではない。とカウンセラーは言った。
慶介が、止めてもらうにはどうしたら?と聞いたら、即答で「無理でしょう」と、関わりを断ちたいのなら物理的に距離を置くしかない。けど、多分、運命の番を見つけたアルファはどこまでも追いかけてくるでしょうね、とも言われた。
そういうことなら、永井の猛プッシュはそういうモノなのだと思って諦めることにした。
でも、本能で惹かれ合うと言われても慶介は永井を「好き」になったという感覚がない。体は確かにおかしくなったけど、コレは別に慶介の意志とは関係のない生理現象だと考えている。
慶介がとれる対策は、永井がどれだけ番いたいと言ってきても、拒否することだけ。
防犯の心得として、2人きりにならないこと、ネックガードをきちんと付けることを守ればいいだろう。と、永井の行動に抵抗するのを諦めたのだ。
と、いうか、もう疲れた。
永井の過度なスキンシップは『基本無視』なのだが、無視しすぎると、時々、ちょっとだけ誘引フェロモンを出しながら項を鼻でスリスリしてくる事がある。さすがに、それをされると腹の奥に甘い痺れが走って、慶介もちょっとだけ誘惑フェロモンが出てしまう。
いつも「止めろ」と言おうとするんだけど、嬉しそうに匂いを嗅ぐ永井を見たら、怒りの感情が霧散してしまって怒れなくなってしまう。
一度、声が漏れるほどの刺激を受けた時は、さすがに酒田も永井を無理やり引き剥がしてくれた。
「誘引フェロモンを使うなって言ってるだろっ!」
「うっかり出るんだから仕方ないだろ!」
酒田が持っている追加の抑制剤を飲むように渡されて、この時から誘惑フェロモンを出してしまった時は追加の抑制剤を飲んでおくことにした。
その日も永井がすれ違いざまに頭にキスをしてきたので、ハエを払うように追い払った。
その後、一瞬、膝から力が抜けてカクンとふらついた。
それを見た酒田は慶介の状態を確認した。額を撫でて発汗を確かめ、首筋に触れて熱を測る、最後に手首で脈を測った。「発情の症状が出ているから薬を飲め」と言われて、慶介は動揺した。
なぜなら、景明から貰った薬はもう無いからだ。
「・・・あ、の・・・」
「どうした?薬、持ってきてないのか?」
「いや、その・・・」
酒田の顔が険しくなる。慶介は平均より大きい体を縮めて怒られる心の準備をした。
「慶介、何をした。」
「・・・薬、もうない・・・」
「ない?1ヶ月分だぞ?全部、飲んだのか?」
「だ、だって・・・」
慶介は言い訳に永井を使うことにした。
「永井が誘引フェロモンを使っている?いつ?」
「飯の時とか、部活行く前のキスとか、さっきの頭にしてきたやつだって、しょっちゅう使ってる。」
「今、さっきだって?なんで言わなかった?」
「酒田が何も言わねぇから、許容範囲なんだと思って・・・。」
頭を抱える酒田。
「まず・・・、まず、俺は永井を止めなかったのではなく、誘引フェロモンに気づいていない。今さっきだって、俺には全く分からなかった。・・・おそらく、普通には気づかないくらい極微量のフェロモンなんだろう。それから、慶介が薬を飲むということは、誘惑フェロモンも出してたんだろ?でも、俺は・・・それにも気づいたことがない。」
「え・・・?」
ーー気づかない?あの永井の誘引フェロモンも、出てしまったあの誘惑フェロモンも?
けど、永井は気づいてた。だから、慶介は皆にバレているものだと思って、いつも内心焦っていた。いつ、誘惑フェロモンが抑えられないならオンライン授業だけにするぞ。と言われるかと恐れていた。
「・・・気づいてやれなくて、すまなかった。不安だったろ。」
酒田は慶介の固く握られた手の甲を労るように撫でた。
慶介は温かな酒田の手の温度に、久しぶりに詰められた距離感に懐かしさが込み上げた。
でも、慶介の嬉しさに反して酒田の顔は険しく、一言、ぽつりとこぼした。
「これが、運命の番か。」
その日は、酒田が持っていた予備の抑制剤を飲んで別室でオンライン授業を受け、早々に帰り、警護たちによる、今後についての話し合いが行われた。
酒田から報告を聞き、慶介からも聴取して、景明は太い腕を組み、でかい体を縮めて唸り「運命の番のフェロモンを甘く見ていたようだ」と、反省の言葉を素直に口にした。
景明も警備の経験上、運命の番を自称する輩の対処をこなしたことがあるが、明らかに慶介たちは別次元を行っている。
他のアルファに気づかれない程の極微量のフェロモンで誘引されては警護も止めようがない。慶介の方も極微量とはいえ、誘惑フェロモンが出てしまうと身体にも発情症状が出る。そうなれば抑制剤を飲むしか無く、しかし、追加の抑制剤を常用するのは副作用や身体への負担を考えれば、避けたいところ。と、なれば原因の方を取り除くしか無い。
酒田は薬の過剰摂取があったことを永井に告げた。また、誘引フェロモンについて改めて使わないように頼むと、永井は「意図して使ったことはない」と反論した。永井も慶介と同じく出てしまうのだ。
永井も慶介と同様に、皆も気づいていて、酒田が止めないのは容認しているからだと思っていた。
コントロール出来るものではないのなら、接触を控えるべきと提案すると、永井は漏れ出す威圧の抑制に苦心しながらも、歯を食いしばり了承した。
しかし、永井の威圧はコントロールしきれなかった。常に漏れ出す威圧に根を上げたのはクラスメイトたちだ。
「運命の番を引き離すなんて、何を考えてるの?」
「もう、番になってしまえばいいのに。」
「あの永井だぞ?こうなることは目に見えてただろ。」
「もう、オンライン授業にすればいいじゃないか。」
「本多の誘惑フェロモンなんて感じなかった。」
「そうだよ。今まで通りじゃダメなのか?」
皆、永井のフェロモンで気が滅入っているから言葉が刺々しい。どれも慶介には容認しがたい言葉ばかりだ。
その場は木戸が風紀委員として仕切り収め、今後、教員とクラス替えを含めた対応の話し合いをすることで、クラスメイトにはもうしばらく我慢してもらう事になった。
居心地が悪い教室ともしばらくは離れられる。もうすぐ6回目のヒートがあるからだ。
対応についてはまだ協議中だそうだ。永井の威圧がクラスを変更しただけで落ち着くのか?とか、オンライン授業をオメガ側に強要するのは学校の理念の1つ「公平な教育」に反するのでは?とか、そもそも、どちらかに転校を勧めるのはどうか?という話まで出ているそうだ。
前回の二の舞いは困るので、常用してしまっている追加の抑制剤に、さらに追加の抑制剤を「数日分だけだよ」と処方してもらい、薬を飲んで学校へ行く。
ここ数日の永井は接触を控えるどころか、近づくこともなく、目も合わせようとしない。
だから、酒田ですら油断していた。
(今日も乗り切った。明日からはヒート休みだ。)
ホッと息をついた時、後ろに圧を感じて振り返ると永井がいてギョッとした。
荒い呼吸と焦点があっていない仄暗い目を見て、唐突に昔読んだ中学生向け性教育の本の『アルファはオメガの発情フェロモンを受けて発情しラットと呼ばれる強い興奮状態になる。』という内容を思い出した。
「な、永井・・・」
「・・・甘い、匂い。・・・俺の・・・」
「永井ッ!止せッ!!」
放たれた永井の誘引フェロモンと薬を飲んでもなお引っ張られた慶介の誘惑フェロモンが教室に、教室から廊下へ他の教室にまで溢れて広がった。
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