【本編完結】ベータ育ちの無知オメガと警護アルファ

リトルグラス

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運命の匂い

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 学校の玄関まで数メートルという所でゾワゾワと寒気が走る。
 酒田が頷き、先に行く。

 戻ってきた酒田の手には制服の上着があった。そこから漂うフェロモンで解る。この上着は永井の制服だ。
 酒田の予想通り、永井が下駄箱の前で待っていたらしい。下駄箱にいる段階で体に反応があるなら、また疑似ヒートに入ってしまうかもしれないので、匂いに慣れるために制服を借りてきたそうだ。


 保険医が、午前中は追加の抑制剤を飲んで、借りた制服の上着で体を慣らしながらオンライン授業を受けましょう。それで、問題がなければ教室に入ってみましょう。と言われた。

 追加の薬を飲んで20分ほどすると、体の反応が収まっていく。動悸が落ち着き、ムラムラとソワソワの間のような落ち着きの無さがなりをひそめ、副作用の頭痛がちょっとしてきた。まずは薬が効いてくれたことに安堵した。
 薬が効かなかったら今後はずっとオンライン授業になる予定だったのだ。それはさすがにつまらない。たしか、1錠で4時間は効果が持続するって言ってたから次は昼に飲めばいいはずだ。

 でも、抑制剤はあくまでフェロモンに反応する脳の活動を抑える薬で、匂いそのものを減らしてくれる訳では無い。
 永井の制服からは絶えず、甘く誘うような匂いがしている。

 まだ、ガキだった頃、ショッピングモールの香水コーナーの試し嗅ぎを友達と一緒に片っ端から試す遊びをしたことがある。「これがバラ~?」「これラベンダーだって~」「あ、りんごだ~」「こっちミカン~」と言っていた中に、大人向けの本物の香水もあった。
 ガキだった俺たちは、臭い、変な匂い、と散々な評価をしていたが、その中に、俺は心惹かれる匂いが1つあった。
 本物の花の匂いなんて知らないけど、フローラルと書いてあったから、多分、花の甘い匂いだと思う。その子供向けではない複雑な要素が含まれた香りに、本物の香水に「これが大人のイイ匂いなんだ」と子供心にドキドキしたのをハッキリと覚えている。

 永井のフェロモンは、その匂いがする。

 体が疑似ヒートになってしまうのは困るけど、そうでなければ、ずっと嗅いでいたいイイ匂いだ。

 隣に置いていたはずの制服は、いつの間にか膝の上に、そして、無意識のうちに制服の袖を鼻元に持っていき匂いを嗅ぎながら授業をイヤホンで聞いていた。


 様子を見に来た酒田には、薬がちゃんと効いていること、永井の制服を絶えず嗅ぎながら授業を聞いていたことを、恥ずかしさに顔を覆いながらも正直に話した。
 昨日、景明から言われたのだ。
 警護には隠し事をしてはいけない。些細な隠し事が後に大きなトラブルにつがなることがあるから、警護に対して恥ずかしい等という感情を持つな。警護する側はそれをからかったり、囃し立てたりすることは無い、と。
 慶介からの報告を聞いた酒田は少し困った顔をしながら「そうか」と一言だけ言った。


 教室に戻るとちょっとだけゾクッとしたけど、それ以上の症状は出なかったので胸をなでおろした。
 慶介の席は廊下側の後ろ2つ、永井の席は窓側一番前の対角線上の最も離した席だ。
 風紀委員の木戸の采配で昨日の内に移動したそうだ。

「酒田がどうしてもというから対角線上にしたよ。どうせ、そのうち隣か前後にしてくれと頼むことになるんだ。早いところくっついてくれ。」
「席替えってそんなに面倒なのか?」
「細かい希望を考慮するとすごく面倒だよ。婚活中のアルファはオメガの隣や前後にしてくれって言うし、補佐はそういう奴らは遠ざけてくれって、真逆のことを頼んでくるし、そのくせ、窓際がいいとか前の席は嫌だとか。」
「ぉう・・・そんな面倒な風紀委員を2年も、お疲れ様です。」
「言っとくが、風紀委員にはその分、縁故採用というメリットがあるんだ。」
「エンコ採用?」
「その顔、漢字、解ってないだろ?・・・コネ入社だよ。バース社会では一部の職業で強いコネがなければつくことができない職種があるんだ。風紀委員にはそれが約束されてる。」
「え、なに、木戸はもう就職先が決まってんのか?」
「そういうアルファは多い。バース性は20万人ちょっとしかいない狭いコミュニティだからな。」

 聞いてみたところ、婚約者がいるアルファや補佐のアルファの半分は就職先が決まっていた。


 チラチラと視線を感じるものの、接触してこない永井に安堵しながら、安全マージをとって3時間ごとに薬を飲み今日を乗り越えた。と、思っていたら突然、永井が声をかけてきた。

「放課後なら良いんだろ?」
「え?何のこと?」

 永井の視線は後ろの席の酒田に向いていた。慶介にかけられた言葉ではなかったらしい。酒田を見ると強い警戒モードだ。

「あぁ。約束は守れよ。誘引フェロモンは絶対に使うな。挨拶レベルでも禁止だ。疑似ヒートになったら即刻帰る。お持ち帰りは許されない。」
「わーってるよ。あと、接触はお前が同席中のみだろ。」
「・・・すまん、慶介。服だけでいいって言ったんだけど。」

 フェロモンの慣らしには永井の協力は欠かせない。今日のところは服で慣らしをしたかったが、これは、いわゆる「服じゃなくて本物がいるだろ?」ってやつだ。R15指定漫画のヒートの巣作りでオメガが服集めてるシュチュエーションでだいたいアルファが現れてそう言う。

「服は、だめか。・・・欲しかったんだけどな。」

 だが、フェロモンの慣らしはとにかく浴びる量と時間が長いほど早く終わるので、服は欲しかった。抑制剤が効いたままの学校だけでは大胆な慣らしができないし、慣れを把握するのにも時間がかかってしまう。

「全然、ダメじゃないっ!」

 両腕を掴み、永井が前のめりになって言う。

「服なんていくらでもやるっ!そういうんじゃなくて、フェロモン過剰反応おこした事があるからしばらく接触禁止だ、って言われてさぁ、でも、少しでも一緒にいたくて、せめて放課後だけでもっ、って!」
「じゃあ、服は、貰えるのか?助かるよ。早く慣らしたかったから。」

 腕を掴む距離に永井がいるから、肺いっぱいにフェロモンが広がって、脳が痺れた。立ってたら膝から落ちてたかもしれない、椅子に座ってたからバレなかったけど。
 これ以上は、症状が出てしまうかもしれない、と離れてもらった。


 疑似ヒートになってもすぐに対処出来るようにカウンセリングルームに移動した。
 開けっ放しにしてあるドアの向こうにグラウンドでランニングをする部活中の生徒の姿が見えた。

(そういや、2年になったら陸上部入っても良いって話、どうなるんだろう?)

「永井はさぁ、部活、何すんの?」
「俺は柔道部。ーー慶介は?」

 あぁ?聞き捨てならぬ何かが聞こえた。

「ーー名前呼びすんな。」
「俺は永井大征。大征たいせいって呼んでくれ。」
「呼ばない。酒田ですら名前で呼んでねぇのに。永井で十分だろ。」
「じゃあ、なんで酒田だけ慶介なんだよ?」
「それは、いっーーーー・・・警護だからだよ。」

 うっかり「一緒に住んでるから」って言いそうになった。酒田は父のことも信隆さんと呼ぶので、慶介にとって酒田の「本多」は景明のことを指すのだ。

「慶介は、道場の本多さんの甥だ。本多さんの依頼で警護してるからごっちゃにならないように俺は名前呼びさせてもらってるだけだ。」

 ナイス酒田、良いフォローだ。
 アイコンタクトで感謝しておく。

「じゃあ、俺も道場の本多さんの元教え子なんだから慶介でいいだろ。」

 そして、お前はしつこいな。絶対に諦めないタイプだな。面倒くせぇ。

「ちなみに、俺は今年から陸上部に入るはずだったけど、進級早々、緊急抑制剤のお世話になったから、多分ダメになるんだろうな。」
「それは、仕方ないだろ。俺たちは運命の番なんだから。」

 確かに、フェロモンはイイ匂いがするけどッ!
 それで俺がやりたかったことが潰れるのは不満だ。特に不利益を被るのがオメガの側だけってのが気に入らない。仕方がないこととはいえ・・・

「慶介、俺はお前に運命を感じた。運命の番に出会えるなんてこんな幸運はない。大阪に戻ってきてのも運命だったんだ。婚約者はいないって聞いた。ーー慶介、番になってくれ。」

 ワォ~、ど直球の告白を通り越したプロポーズですね。断りますけど。

「嫌だよ。初対面だろ。そもそも、俺はフェロモン過剰反応の慣らしだけで手一杯だ。」
「番になれば、過剰反応の心配はなくなる。」
「なおさら嫌だよっ。生涯1度きりの決断をこんな簡単に出来るかぁ!」

 酒田のスマホが鳴って「時間だ」と告げた。「短すぎる!」と怒る永井に「元より送迎が来るまでだと言ってただろ」と軽い言い合いをした。
 帰ろうと立ち上がったら、永井が急に服を脱ぎだし、上半身半裸になってインナーを突き出してきた。

「服が欲しいって言ってただろ。」
「・・・あ、ああ。うん。」

 インナーじゃなくて、カーディガンで良かったんだが、と思いながら受け取ったインナーはまだ体温の温もりが残っていて・・・

ーーヤバい、めちゃ、理性が、溶ける。


 間。


 ゆっくりと瞼を開けると、目の前に半裸の永井がいてギョッとした。

(いや、違う。今、自分、何してた??)

 ニンマリと満足げな笑顔の永井と握ったインナーを見て、しでかした何かの予想がつくと、頬が、額が、じわじわと熱くなる。

「わ、忘れろッ!!」

 あ”~~~ッ!!と唸りながら両手で顔を覆い隠す。そこからまた甘い匂いがして、頬が緩んでしまい、手に持っていたそれを睨みつけて「ぬんッ!」と床に叩きつけた。
 その全てを微笑ましげに見つめられてることも余計に腹立たしくて、

「てめぇは、早く服着ろー!!」

 と、捨て台詞を吐いて逃げ出した。







***

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