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オメガの自覚
しおりを挟む慶介と本家の3男の婚約は破談になった。
どう伝えたのかは知らないが、信隆が証拠の品を持って本家に話をしたようだ。
重岡いわく、3男は慶介と婚約するだけして、慶介の大学卒業まで結婚を引き伸ばす。その頃にはベータの女が28歳になるので勝手に籍を入れて結婚してしまうつもりだった。一方、女の方は名家として名のある本多家に嫁入りしてバース社会へ仲間入りするつもりだったようだ。遠くない未来、二人は破局していただろう。
帰ってきた信隆はワインのボトルを開けながら愉快そうに勝利宣言した。
「本家が口出ししてくることはない。」
それから、信隆は休みのたびに帰ってくるようになった。
毎日している夜の業務報告もビデオ通話アプリで参加し、報告を聞くので、毎度、酒田が緊張すると言っている。
信隆は帰ってくるたびに、慶介を食事に連れ出す。
最初は「フレンチのフルコースに連れて行く」と言うので水瀬に教えてもらいテーブルマナーを勉強してから挑むと、まずは正装用の服を買いに行くところから始まった。
服1つとっても、勉強の機会は逃さない。女装が嫌いな慶介が選ぶべき男っぽさを残しつつオメガらしさが出る服のポイントや慶介好みのブランド名を教えられる。
いざ、知識で覚えたエスコートも実際に受けると恥ずかしくなってしまうのを慣れるまでやり直しさせられた。せっかく覚えてきたマナーは「知識として知っていれば十分」とあしらわれ、逆に、食事から話題をどう拾い上げるか、会話を盛り上げるための返事の仕方、タイプ別の会話術などを教えられ、他にも、エスコートを受けたときの感謝を言うタイミング、その時に目を合わせるなど、事細かく指示され、練習させられた。
あと、婚活のコーチングも受けた。
最初はちゃんとどんな相手が好ましいか、結婚において大切にしたいこと、などといった自分探しみたいな事をしていた。
だが、慶介が、結婚を想像出来ないのではなく、興味がないだけと、気づいてからは、結婚は避けられるものではないとか、ベータらしく結婚が早すぎると思っている意識を払拭すべく、クドクドとバース社会におけるオメガの結婚の重要性やらを聞かせられた。
その中で、信隆が問題視したのが、酒田との距離感だ。
信隆は、2人の行動が、恋仲のような甘さのある触れ合いではないことを認めたうえで「アルファ同士のように振る舞っているが、酒田が警護としてオメガに対して一線を超えない引き際を見せるので、それが逆に秘めたる恋のようにも見える」と、言った。
そして、慶介の行動がどの様に周囲が誤解するかを一つ一つ、具体的な例をだして、どう良くないかを説明し、最後に、決定事項を伝えるように冷酷に告げられた。
「水瀬と同じ距離感に戻しなさい。出来ないなら酒田を警護から外す。」
「なっ!なん、で・・・ッ、・・・・・・、」
瞬間的な怒りで声が出たが、それがただの子どもっぽい我が儘の反抗心だと気づき、言葉を飲み込んだ。
それに対する反省をしながら、丁寧に説明された相手の正論を頭の中でリピートした。信隆は間違ったことも理不尽なことを命じたわけではない、認めざるを得ない事実だった。
酒田が警護の枠を超えて慶介のためにやってくれていた気安いやり取りは、酒田の優しさに甘えていた慶介の我が儘だ。結婚相手を探すこのタイミングは止め時なのだろう。
「・・・はい。」
慶介の体から力が抜け、表情が固くなる。
「少し、失礼します。慶介、ちょっとこっち来い。」
酒田が急に慶介の腕を掴んで立ち上がり、引きずるように連れて行く。
階段の一番下の段に座らされた。僅かに上の階のリビングの物音が聞こえる。それぞれの個室がある13階の廊下は、最低限の明かりしかなく薄暗い。
酒田は何も言わず、ただ、隣に座っている。
その横顔が寂し気に見えて「酒田も寂しいとおもってくれてる?」と、思うとじわじわと涙が溢れてきた。
ハンカチを指し出されて「さすが警護」と褒めたら「今は友達としてここにいる」と言われて涙が決壊した。
言葉が出ない分、涙となって寂しさと悲しさが溢れ出た。
酒田の手がやや乱暴に頭を撫でくりまわし、乱れた髪が手ぐしで整えられ、最後に垂れた髪がゆっくりと耳にかけられると、その手が遠のく近い未来に震えてしまう。
「俺はこれからも慶介の警護で、友達だ。例え、距離が離れても友達でいることは出来るだろ?谷口や山口はもう友達じゃないのか?そんなこと、ないだろ?未だに、こっそりメッセでやり取りしてるの知ってる。2人とはもう半年間、会ってない。でも、友達だろ?・・・大切なのは距離じゃなくて気持ちだ。・・・警護でも友達だと俺は思ってる。」
僅か数センチ離された距離と、背中を撫でる手が許された範囲内を温める。
それが正確に緊張を解すポイントを緩ませるから、慶介の涙と震えが止まる。安心を覚えた体に受け入れきれない心がもう少し泣いていたかったと、怒っている様な妙な気持ちになった。
酒田は待ってくれた。
鼻をすするのも落ち着き、目元もスッキリして、波立った心が凪いでも、ずっと、待ってくれた。
いっそ、いつまで待ってくれるか試したくなるくらいだ。
握り込んでいた湿ったハンカチを返して、ゆっくりと立ち上がった。
半歩下がって歩く距離。
でも、心が離れたわけじゃない。
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