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20 ここに定まる

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 俺が持ち帰った、領主の館で執務事務員として雇ってもらえそうだという朗報にカトリーヌは飛び跳ねて喜んだが、ディランは「そんなウマい話があるか。騙されてんじゃねぇか?」と警戒心を見せた。
 俺も聞く側だったら疑っただろう。俺自身もまだ、雇用契約は交わしていないのだから確定ではない。と言い聞かせ浮足立つ心を鎮めている。

 疑うディランに俺は経緯を説明した。約束通り、売り込みの機会を与えられたのだと言うところから始まり、その時に出てきたのが大商人の振りをしたポテンテの領主様だったと言えば、ディランの疑いは少し和らいだ。
 俺は自分の言語能力を売り込んだ時に出した『南の文字が読める』という言葉から、父の同僚のディディエ子爵が領主の兄君だったという話になり、南の文字が読めるなら雇ってやろうと言われたのだと言った。

「まさか、子どもの頃に欲しがった本がこんなところで繋がるなんて思いもしなかった! 10歳で冒険者見習いを始めて、師匠から『海が魔物の住む魔境だ』って教えられた時、南の言葉を覚えても無駄だと知ったんだ。すっげーショックでさ、思わず父さんとローランに謝ったよ。でも、『いつか役に立つ日が来るさ』なんて、笑ってたけど・・・っ、まさか・・・こんなとこで・・・役に・・・」

 感極まって、涙がボロボロと溢れてこぼれた。

 何故か、ものすごく、胸が痛い。だけど、苦しいとも悲しいとも違う。どう考えても、俺の心は安堵している。

 これで、辛い追放は終わりだと。無職が就職先を見つけた安心感と同じ感覚だというのに、安心を確信した胸が何故こんなに痛むのか分からない。
 心配がなくなってホッとして涙が出る。そんな、ポロリと溢れる涙じゃない。体の真ん中にポッカリと空いたうつろな穴から流れ出てきて止めることが出来ない。

 正面から隣に移動してきたディランが、俺の頭を優しく撫で、たんこぶになっているところは一層、優しく撫でながらこう言った。

「いつか、墓前で報告しような。」

 その一言に、俺はハッとした。

 これは、後悔の涙か、と。感謝を告げたい相手が、もう二人は居ないということが悔しい。「二人のお陰で助かりました。」と、口にすること。その事自体があまりに悲しくて苦しい。二人の存在を過去にすることを、頭が拒否している。

──嫌だ。とても嫌だ。認めたくない。

 でも、心が受け入れてしまっている。

 こんな感覚、初めてだ。物事はすべからく、理屈があって脳がそれらを理解して、心と体が脳から発信される電気信号を受け取って反応するものだと思っていた。
 俺は死を理解したつもりでいたが、死を受け入れていたわけではなかったのだと、たった今、知った。急速に頭の中の記憶が『思い出』にカテゴライズされて、いつでもすぐに取り出せるところにあった父とローランの記憶が思い出の箱に収納されていく。はるか遠く、終わった出来事として、いつか色褪せて消えていく、思い出せなくなる日がくることを想像して怖くなる。

「ディラン・・・、胸が・・・心臓が痛い・・・」
「ああ、そういう時は泣け。泣けば少しは紛れるから。」


 俺はディランの胸でまた泣いた。心臓が引き裂かれる痛みに泣いて、ディランの両方の腕で抱き込まれた包みこまれる温かさに傷を癒やされ、また心が傷ついて、ディランが居なかったら、俺はきっと死んでいた。









 雇用契約のために領主の屋敷に行くと、領主様がわざわざ、俺なんかのために面談の時間を取ってくれた。

 最初、使用人たちと同じ住み込みを想定されていて、俺は恩赦で追放された子どもたちと一緒だということを説明した。そのために、通いで且つ夕方上がりの働き方をさせて欲しいと頼んだ。

 使用人の宿舎に子ども連れで入ることも可能だが、俺一人に対して連れ込む子どもの人数が多すぎるのだ。

 貴族学院入学の少し前まで学習内容が済んでいるステファンのことを話すと、領主様のご子息付きの小間使いとして雇ってあげよう。と言われ、また、カトリーヌの身元保証人を探している話をすると領主様が保証人になってくれると言う。

 あらゆる悩みが一気に解決した。と思ったら、一筋縄ではいかない条件をつけられた。

「家は、貴族地区で探すように。」

 想定外の出費だ。今までのように、宿屋のワンルームに5人で寝るような節約は出来ない。
 貴族地区で家を借りるとなったら一軒家から。なんとか安いところを、と探して見つけたのが、老人の男性が一人で住む家に間借りするという方法。それでも家賃は俺の給与の7割がもって行かれた。
 普通なら使用人は雇い主の家で住み込みだから、住宅手当が含まれないためだ。決して家賃をふんだくられているわけでも、安月給で働かされているわけでもない。
 更に、貴族地区には保育所がなく赤子は子守りを一人雇う必要があるし、ダミアンが通うための学習所もなく、家庭教師を雇うのが一般的なようだと聞けば、増えていく出費の多さに俺はこめかみを押さえた。

 これだけではない。カトリーヌが家庭教師をするための服を買わなければならないし、貴族地区を平民レベルに合わせた服で出歩くのも大いに不興を買う。
 家の家具や生活必需品を揃えるにも初期投資にどうしても金がかかる。

「俺とステファンは、ダミアンと赤子を連れて使用人の宿舎に住んで、カトリーヌだけ宿ぐらしをしばらく続けるのはどうだろうか?」
「なんでそうなる? 俺がヒュドラの報酬取りに行ったら済む話だろうが。」
「そうよ。たった2日で金貨2枚を稼げるのだから、いいじゃない。」
「カトリーヌッ! 命がけの金貨2枚をそんなふうに言うなっ!」

 あまりに失礼な発言。命を張る職業に対する敬意がないのかと、俺は怒るも女に手を上げることは出来ない。

 だが、ディランは出来たらしい。平手でスパーンと頭をはたき「てめぇの服代だけ借金として徴収してやろうか?」と凄めば、カトリーヌは慌てておべっかを使ってシナをつくる。しかし、ディランは男が好きだから効果はない。
 きっちり、誠心誠意、心からの謝罪──土下座をさせてカトリーヌの図に乗った態度を改めさせていた。


 夜、俺はベッドでディランに抱き込まれた状態で、『ダミアンの教育を貴族に寄せるのか、平民に馴染ませるのか。』で悩んでいた。
 貴族として育ったダミアンはまだ6歳、価値観を下降修正出来るのは今だけだと思っている。ステファンくらいになってしまうと「自分は貴族だった」という意識を消すことが出来なくなる。
 それが人生を良い方に転がすのか、悪い方に転がるのかは本人の性格や環境、境遇で変わるだろうが、自己認識と現実は乖離し過ぎない方がいい。

 俺も転生してこの世界で15年生きているが『俺は、元日本人である』をやめられでいる。
 だから、世界に馴染めないなら異物としての自覚を持って、前世の知識や技術を持ち込まないように心がけている。

「なんだよ、心ここにあらずだな。」
「うん・・・ダミアンに家庭教師をつけて貴族のように育てるのを迷ってて。貴族のように育てても俺たちはもう貴族ではないわけだし、平民と同じ学習所に通わせたほうが良いのかな・・・」
「良くわからねぇが、貴族から平民に落ちるより、平民から貴族に成り上がる方が良いんじゃねぇか?」
「あぁ、なるほど。」

 ダミアンは平民に馴染んでもらい、教育は俺とカトリーヌで教えることにした。上の空だった分、俺はディランから濃厚なキスをされた。


 ディランが魔獣使いに依頼して、ヒッポグリフという空を飛ぶ魔物で報酬を受け取りに行き、その金で俺たちの生活の基盤作りが始まる。

 家を借りて、服は中古品で良いものを探して、家主の老人と折半して子守りもしてくれる住み込みのメイドを雇った。
 ダミアンを通わせることにした商業地区の学習院に寄付金という名の入学金を払い、街歩きの経験が少ないダミアンとカトリーヌのために練習を何度もして、俺とステファンは仕事が始まった。


 領主が身元保証人になってくれたカトリーヌに家庭教師先が決まり、ダミアンも学習所で友達を作れたと報告してきて、生活が軌道に乗り安定してきたと感じた時、ディランが「来週末にはこの街を出る。」と言った。






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