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後編・遅すぎた愛
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── 新月の夜の出来事 ──
今夜は新月。
月の無い夜。
この世ならざる者達が跳梁跋扈する夜。
人知を超えた不思議な事が起きてもおかしくないと言われる夜。
「だけど不思議な事じゃないんだよなぁ。」
フクロウと虫の声だけが聞こえる暗闇の中、暢気そうに呟いた男がいた。
「黙って仕事しろ!」
もう一人の男が、声を抑えながらも不機嫌そうに隣にいる男を睨み付けて言った。
「へい、へい。ったく、いいじゃねぇかよちょっと呟くぐらい。」
口を尖らせて言いながらも手は動かしている。
「早くしないと人が来たら捕まるんだぞ。」
そんな遣り取りの後、男二人はせっせと地面を掘っている。
ただ、場所が問題だった。
二人が掘っているのが畑や井戸掘りならば誰に咎められる事も無い。
二人が掘っていたのは墓地。
しかも墓穴ではなく、昼間に棺を埋めた場所だった。
今、二人は“墓荒らし”と言われる事をしている。
とはいっても墓荒らしの稼ぎで生活いる訳では無い。
依頼を受けて掘り返しているのだ。
「埋められた棺を掘り起こし、木偶人形を入れて埋め戻し、遺体は墓地の入り口付近に止めた黒塗りの馬車に乗せて欲しいの。」
そう依頼してきたのは喪服姿の若い女で、黒いベールを被っていたので顔まではわからない。
そして二人は掘り起こした棺に木偶人形を入れて埋め戻し、遺体を馬車まで運んで乗せる。
マントに身を包み、フードを深く被った男が報酬である金貨を一枚手渡すと言った。
「他言無用。誰かに話せば命の保証は無い。」
報酬を受け取った二人が走り去るのを見送った後、男は馬に鞭を入れ馬車を走らせると暗闇の中へと消え去った。
△▽△▽△▽△▽△▽△
── 都会に住む魔女の話 ──
古来より魔女は森の奥の庵に住むと言われている。
そんな事無いのにね。
昔ならいざ知らず、今の世の中森の奥の庵に住むなんて、自ら「魔女です。」と言っているような物だ。
態々トラブルを招き寄せるような事を好き好んでするような者はいない。
魔女は森を出て町中でひっそりと暮らしている。
それをどうやって探し当てたのか一人の若い女が私の住んでいる家までやって来た。
「紹介状が無い以上、主は何方ともお会いする事はありません。」
いつものように執事のクロードが対応している。
もう何度目だろうか?
飽きもせず、今日もやって来た女…。
クロードの話では何やら酷く思い詰めた様子で会わせて欲しいと懇願してくるのだという。
「クロード、お会いするから応接間へお通しして。」
二階へと続く階段の上からその様子を見ていた私は、ほんの少しだけ興味を唆られたのと、一度会って話を聞けば相手も諦めるだろうと思い声を掛けた。
「畏まりました。では此方へどうぞ。」
開いた扉の方へと体をずらし、腰を折り掌を上にして玄関から中へと向けた。
応接間へと誘導するクロードの後ろを女が進んで行ったのを見て、部屋へ戻った私は身支度を整える為にベルを鳴らして侍女を呼んだ。
身支度を終え、クロードを伴って応接間へ向かった。
クロードが扉をノックすると返事があり、応接間に居た侍女が扉を開け中に入った。
先に応接間に通されていた女が、座っていたソファーから立ち上がり礼をした。
やっぱり貴族だったのね。
女の所作を見てそう思い、途端に興味を失った。
というのも、貴族が魔女に用があるとなると大抵が妬みや恨みから相手を呪うとか毒、媚薬など薬の類ばかりだからだ。
クロードが淹れたお茶を私の前に置く。
そのお茶を一口飲んでテーブル上の皿に置いた後で聞いた。
「御貴族様が魔女にどんな御用かしら?」
俯きハンカチを握り締めていた女が勢い良く顔を上げて言った。
「……毒を……お願いしたいのです。」
震える声で怖いほど真剣な目をして言う女の顔色は悪かった。
思わず鼻で嗤いそうになる。
どれ程礼儀正しく大人しそうに見えても、貴族は貴族ね。
扇を広げて口元を隠し、溜め息を吐いた。
「クロード、お客様がお帰りよ!」
そう言って立ち上がろうとした。
「待って下さい!!」
女が叫ぶように言った。
此方へ歩いて来るクロードを片手を上げて制した。
仕方ない。話だけでも聞かないと彼女は引き下がらないだろう。
「話を聞くだけよ。仕事を受けるかどうかは別…。それでも良かったら話して。」
礼を言って頭を下げた女が話し出したのは、これまでの経緯と毒の使い道だった。
「ねぇ、悪い事は言わないからそんな男捨てちゃいなさいよ!それに何であなたが死ななくちゃいけないの?訳わかんないわ!」
相手の男にも目の前の女にも腹が立った私はそう言ったが、彼女は何もかも諦めたように微笑みを浮かべてポツリと言った。
「彼を嫌いになるには遅すぎたんです。それにもう何処にも居場所なんて……。」
何度も念を押したし、家も出てしまえば何とかなる物だと説得したのだが女の意思は固く変える事は無かった。
薬が出来上がったら連絡すると伝え、女が帰る後ろ姿に呟いた。
「私って我が儘なのよね。だから私が作った薬で人が死ぬなんて赦せないの。それが善人なら尚更ね。」
そう、生きている価値の無い、死んでも悲しむ人も居ないような“どクズ”なら話は別だけど…。それでも自分が納得できるだけの事でもないと無理。
しかし…三つ子の魂百までとは言うけれど…幼い頃の想いって結構厄介な物なのね…。
「大丈夫だ。俺がお前の身も心も護る。」
私を後ろから抱き締めたクロードが耳元で囁く。
その言葉に私は自分の背中を彼の胸に凭せ掛ける。
流れ込む彼の水の魔力が心地良くて暫し身を委ねた。
「彼女にはどんな薬を?」
「そうね……かしら。」
私は彼女に相応しい毒を用意する事にした。
△▽△▽△▽△▽△▽△
── 妻の話 ──
私が婚約者と初めて出会ったのは、幼い頃に参加したお茶会でした。
転んだ私は、お茶会に参加していた他の子達にクスクス笑われ、悲しくて泣いてしまいました。
そんな私を助け起こし、ハンカチで涙を拭ってくれたのがあの方だったのです。
あの方は縁談相手として優良物件で物凄く人気があり、いつも令嬢達に取り囲まれていました。
何もわかっていない私は、父にあの方と結婚したいと我が儘を言ったのです。
そんな私の我が儘を聞いてくれた父は大変な思いをしながらもあの方との婚約を決めて下さいました。
婚約が決まった後、あの方は顔合わせも婚約者としての交流の時も私の顔を見る事など無く、いつも不機嫌そうにしていたのです。
それでも私達の関係は良くなっていくと思っていたのですが……。
学園に入ってから、あの方は運命的な出会いをしたと嬉しそうに友人達に話していたそうです。
あの方にも私と同じように幼い頃から心に決めた方が居たと知ったのはその時でした。
婚約を解消しようとした事は何度もありました。
ですが、父がこの婚約を決める為に無理をしたようで、婚約を解消しようとした時には、ウチは色々な柵で雁字搦めになっていて、婚約の解消などできない状況だったのです。
ご存知の通り、この国は一夫一婦制です。
婚約の解消ができない私に残された選択肢は、このまま結婚する事しかありませんでした。
でも、私はあの方を縛り付ける事など望んでいないのです。
ですが、初夜にあの方に受け容れてもらえなければ二度と家には戻るなと父から言われていて近々籍を抜かれます。
そして、彼の両親からも「初夜の完遂を持って婚姻の成立とする。」と我が家に通達がありました。
初夜にあの方に受け容れてもらえなければ、私にはこの世の何処にも居場所なんて無いのです。
ですが、あの方も政略結婚の意味はわかっているはず。
だからそれに賭けてみたいのです。
他者に優しく、責任感の強いあの方ならば……。
そう信じて…賭けたのです…。
そしてこの賭けに負ければ全て失う…わかっていても…もう私には他に道は無いのです。
△▽△▽△▽△▽△▽△
── 魔女の後悔 ──
その日、いつもより早い時間に起こされ不機嫌だった私は、クロードから報告された話に思わず舌打ちしたくなった。
何故かと言うと、今日は毒薬を手に入れようとしていた女の結婚式だった。
しかも彼女の夫になる男の恋人が産気づいたらしい。
私は彼女が賭けに負けたと悟った。
喩え初夜だったとしても、あの男は恋人と生まれてくるであろう子供の所へ駆け付けるだろう。
それが自分ではない他人の子だとも知らずに…。
薬を飲む前に彼女を止める事もできるだろうが、止めれば今度は私ではない誰かに毒を頼む可能性が高い。
それよりは自死に失敗したのだと思わせた方が生きる為の説得がし易い。
「主…。」
クロードが私の手を掴んで握った手を広げる。
知らず拳に力が入っていたようで、広げられた掌に血が滲んでいた。
「喩えご自身の体でも傷を付けて良いものではありません。」
そう言って、うっとりとした表情で血の滲む掌を見詰めた後、その血を舐め恍惚としている。
忘れていたが、彼は闇の支配者だった。
「以後気を付ける。」
クロードは、名残惜しそうに掌を見詰めた後、手にハンカチを巻き付けるようにして結んだ。
深夜になって彼女が薬を飲んだと報せが入った。
恐らく葬儀は明後日だろう。
予てから計画していた通りに準備をさせてその日を待った。
私は自分が作った薬で人が死ぬのは嫌だったし赦せなかった。
だから彼女に渡したのは毒薬ではなく、彼女の体の時間を止める薬を渡したのだ。
そしてそれは私の手で解除できる。
そうすれば再び彼女の体の時間は動き出し、何の支障も無くこれまでのように生活する事ができるのだ。
その筈だった……。
まさかこの様なイレギュラーが起こるとは思わなかった。
目覚めた彼女の体に別の人間…しかもここではない別世界の人間の魂が入り込んだなど…。
しかも、一つの体に二人の魂…。
この場合、生きる意思の強い魂が残り、弱い魂は消える。
そして、目覚めたのは別世界の人間(女性)の魂だった…。
このままでは彼女の魂が消滅してしまう。
私だけの所為ではないが、責任の一端は私にもある。
どれ程後悔しても仕方ない。
私は彼女の説得を試みた。
幸いにも彼女が話のわかる人間で良かった。
だが、彼女の魂が入る為の器が必要である。
暫く木偶人形に入ってくれる事を渋々受け容れてくれた。
しかし、ここで問題が一つ。
体の持ち主である彼女をどうやって目覚めさせるか…。
それが最大の難問だった。
苦渋の決断では有ったが、背に腹はかえられない。
断腸の思いではあるが、あの男の力を借りねばならなくなった。
△▽△▽△▽△▽△▽△
── 元夫の回想 ──
彼女が死んだ──。
その事だけでも苦しくて辛いのに…彼女が遺した手紙を読んで更に辛くなった…。
彼女と俺は政略結婚だった。
幼い頃や学園に通っていた時、社交に出た時など常に令嬢達やその親達に取り囲まれていた事で、子供の頃から令嬢達とその親達に対して嫌悪感を抱いていた俺は、彼女もその中の一人だと思っていた。
だがそんな俺にも幼い頃に参加したお茶会で出会った忘れられない少女がいた。
その時に名前を聞きそびれてしまったが髪の色と瞳の色を覚えていたからすぐに見付ける事ができると高を括っていた俺は、長い間その少女を見付ける事ができなかった。
そんな時に結ばれた婚約に、甘やかされて育った我が儘娘のお願いを親が叶える為にゴリ押しした婚約だと…そう思い込んでいた。
だから顔合わせで婚約者と初めて会った時も、あの少女とは髪の色からして違うからと顔すら真面に見ていなかった。
婚約後暫くは誕生日プレゼントや季節の挨拶等していたが、そのうち侍従に任せっきりになり、やがてそれすらしなくなった。
そして学園に入り、暫く経ってから運命的な出会いをしたのだ。
幼い頃、お茶会で出会った少女だと一目でわかった。髪と瞳があの少女と同じ色だったから。
そんな俺が彼女に恋するのは当然の成り行きで、それが今まで以上に婚約者を疎ましく思う切欠になったのは言うまでもなく、それまで蔑ろにし続けた婚約者と顔を会わせるのも嫌になり、それ以降は一切の交流を絶ったと言っても過言では無い。
そうする事で婚約を解消できると期待してすらいた。
だが婚約者は、俺との婚約を解消する事も無く、学園卒業後に婚約者と結婚する事となった。
相手に嫌われ疎まれているのがわかっていながら結婚した婚約者を心底軽蔑し嫌悪した。
「これまで君には口に出さずとも態度で伝わっていると思っていたんだ。俺が君の事を心底嫌っているのだと…。だから…もう俺には期待しないでくれないか。男女の間にある情を求めるのも押し付けるのも。大体悪い噂しか聞かない君を愛する事など未来永劫無理だ。俺の愛は彼女だけの物。初夜ではあるが君を抱くつもりなど無い。勿論それはこの先もずっと変わる事など無い!」
そして初夜に俺は、愚かにもそんな酷い言葉を、婚約者である女に吐き捨てるように言い放った。
大きく目を瞠った後、諦めたように目を伏せ俯いた婚約者の姿に何故か胸が締め付けられる。
何か言い返してくるのかと思ったが、何も言い返さない。
その事に苛立った。
これではまるで俺が弱い者虐めをしているようではないか。せめて泣いて縋ればいいものを……。
だが、こんな事で時間を無駄にしたくない俺は彼女をその場に放置したまま恋人の元へと急いだのだ。
俺が結婚相手に対してした事は、それらの事だけでも鬼畜の所業と言われても仕方ないだろう。
しかしそれだけでは無いのだ。
初夜に酷い言葉を浴びせ、放置した理由……。
結婚前に恋人から
「何も望まないから最後の思い出に……。」
そう言われて抱いた。
彼女が俺に純潔を捧げてくれたと有頂天になっていた。
その二ヶ月後、子供ができたと知らされた。
そして結婚式当日の未明に産気づいたと連絡が来た。産み月よりもかなり早く、心配で頭がどうにかなりそうだった。
結婚相手がその事を知っていたとわかったのは彼女が死んだ後だった。
人生で一番幸せな筈の結婚式…なのに俺は花嫁を地獄の底に叩き落としたのだ。
そして彼女が死んだ後、目の前に真実を突き付けられた。
今日一日だけで大量の情報と、突き付けられた真実に、俺もまた地獄へと叩き落とされた。
愛する恋人が産んだ子は俺の子ではなく、友人との間にできた子だった。
恋人と運命的な出会いをしたと思っていたのは俺だけで、彼女にとっては運命でも何でもなく単なる火遊びだった。
何より彼女は幼い頃に出会った少女ではなかった。
俺の思い出の中の少女は結婚相手の女だったのだと残された手紙で知った。
そして彼女は、実父や俺の親と俺がした仕打ちに耐えられず、ワインと共に毒を呷って自死した。
「俺が殺したような物だ。」
目を開けて起き上がってくる事を期待したが、そんな奇跡など起こる筈も無く棺の中に眠るように横たわる彼女を葬儀の後埋葬したのだ。
夢であってくれと願った。
だがそれが現実だ。
なのに彼女が生き返ったが目覚めず、俺ならば目覚めさせる事ができるなどと世迷い言を言われても信じられる筈が無い。
縦しんば本当の話だとしても、彼女に冷たい仕打ちを散々した俺が、彼女を目覚めさせる事など無理に決まっているだろう。
俺は目の前の女を信じる事ができなかった。胡散臭い話で金を巻き上げるつもりだと決め付け頑なに拒んだ。
△▽△▽△▽△▽△▽
── 魔女の怒りと悲しみ ──
「俺が殺したような物だ。」
私の正面に座る男は、そう言うと琥珀色の液体を一気に呷った。
時折目を眇め、私の顔をジッと見ている男。
本当に後悔しているのだろうとは思う。
そして罪悪感を感じてもいるのだろう。
けれど私の目には、それは表面上だけで、本当のところは自分を憐れんでいるようにしか見えなかった。
だから言ってやったのだ。
「それがどうだと言うのですか?貴方は彼女に向き合わず話し合いもせずに死なせた。それが真実でしょう。おまけに幼い頃の初恋の相手じゃ無いとわかった途端に冷めてしまうような…そんな貴方の想いの為に彼女は死んだと言うの?巫山戯ないで!」
それを聞いて悲しげな目をする。
何故、貴方がそんな表情をするの?
傷付いたのはそんな貴方に(望みを)賭けて結婚した彼女でしょう。
そして賭けに負けて全て失った。
でも、貴方だけの所為ではなく双方の親も彼女を追い込んだのね……逃げようのない断崖絶壁まで……。
彼女も馬鹿よね。
他に道は幾らでも有ったのに……。
けれど、そんな彼女に薬を渡したのは私だ。その所為で彼女が消えかけている。
帰りの馬車の中、そんな風に考えていた私の頬を涙が伝う。
そんな私をクロードが優しく抱き締め、涙を拭ってくれた。
ねぇ、貴女は本当にそれで良かったの?
死んじゃったらお終いじゃない。
もう泣く事すらできなくなった彼女の為に泣いた。
でもそれすら私の偽善で自己憐憫でしかない。
だって…彼女の本心は彼女にしかわからないのだから…。
△▽△▽△▽△▽△▽△
── 元夫の話 ──
あの魔女だとか言う女が帰って以降、死んだ彼女の事が気になり、仕事も手に付かなくなった。
そんな事など有る訳が無いと思いつつも、もし本当だったらと何度も考えてしまうのだ。
手元に有るあの女の住所が書かれたカードを見詰めては溜息を吐く。
「旦那様、それ程までに気になるなら一度ハッキリさせた方が良いのでは?」
執事に言われ、行こうとしたがどうせ嘘だろうと考え直す。
これを何度繰り返しただろうか。
だが嘘だとしても“彼女が生きている”という話に縋りたくなるほど、もう一度彼女に会いたいと思っている。
それが彼女の手紙を読んだからなのか、彼女が自死した事に対する罪悪感から来る物なのか自分でもわからない。
ただ思い出の中の少女である彼女の笑顔を…今の彼女の笑顔を見たいのだ。
身勝手な望みだとわかっている。
そして、それは彼女の赦しを得た後にしか叶わない事もわかっていた。
立ち上がり浴室へと向かった。
湯浴みを終えた後、髭を剃り身支度を整えて出掛ける事を執事に伝え、邸を出た。
その手に魔女の住所が書かれたカードを持って。
△▽△▽△▽△▽△▽△
── 魔女の話 ──
あの男に会った翌日、意図せず彼女の体に入ってしまった女性…ユニコと話をした。
今のユニコは木偶人形の中に入ってくれている。
彼女の体にユニコの魂が入ってしまったとわかった後に色々な文献を調べ、体の持ち主の魂を温存する事ができそうな方法を見付け、それを試している。
一つの体に二人分の魂が入ったままだと彼女の魂が消えてしまう為、一時的な措置として木偶人形の中に入って貰っている。
ただ、魂が眠り続けた状態が続くと体の方が弱っていくので時々体に戻り、ある程度活動した後に木偶人形に入って貰うのを繰り返している。
しかし、この方法もいつまで保つかわからない。
一刻も早く彼女に目覚めて欲しいのだが…。
だから(渋々)あの男に会いに行ったというのに…。
まぁ仕方ないと言えば仕方ない、こんな荒唐無稽な話を信じろと言う方が無理なのだから。
とは思うもやっぱり言いたくなってしまう。
「ちょっとぐらい信じてもいいじゃない!」
「でも困りましたよね。これじゃ彼女が死んでしまう。何か他に方法無いんですか?」
「無い!無いのよ!」
私とユニコは顔を見合わせて溜息を吐いた。
あれから八日経った。
けれどいくら調べても他に方法が無い上に状況は変わらない。
彼女の体が弱るのを防ぐ為に定期的に体に入るユニコの話では彼女の魂(生前の姿らしい)が薄く透けてきているという。
このままでは、恐らく十日を待たずに彼女の魂は消滅するだろう。
これ以上何もできない自分が情けない。
最近ではユニコも元気が無い。
「彼女の魂が消滅した後、その体に入るなんて…私…嫌ですからね!」
「でも、それじゃユニコが……。」
「嫌です!」
目に涙を溜め、拗ねたように言うユニコを抱き締め、子供をあやすように頭を撫でた。
彼女の気持ちもわかるが、ユニコの魂もずっと木偶人形の中という訳にはいかない。
だからと言って、私もユニコも彼女の魂が消滅するのも嫌なのだ。
その時、扉をノックした後珍しく返事を待たずにクロードが扉を開けて部屋に入ってきた。
「主…あの男が来ました。」
私達は体を離してお互いの顔を見合った後、すっくと立ち上がり玄関へと急いだ。
玄関ホールに居た男は、以前会った時のような髪はボサボサ、服はヨレヨレ、無精髭を生やした酒臭い男ではなく、何処から見てもピシッとした貴族然とした姿の男だった。
「挨拶は抜きだ。彼女に会わせてくれ。」
「後から気が変わったなんて言っても逃がさないわよ。」
緊張した面持ちで言った男を見て私の口角は上がった。
△△▽△▽△▽△▽△
男を彼女が眠る部屋に案内した。
ベッドの上で眠る彼女を見た男は、駆け寄り傍らに跪き彼女の顔を覗き込んだ。
怖ず怖ずと手を伸ばし、その頬に触れる。
「温かい…本当に生きていたのか…。」
そして勢い良く此方を振り返って聞く。
「彼女を目覚めさせる為に何をすればいい?」
食い気味に聞いてくる男に言った。
「このまま目覚めなければ十日を待たずして彼女の魂は消滅するわ。」
「……っ!?」
「だから、あなたには付き添いと世話をお願いいたいの。そして彼女に語り掛けてあげて。お願い!」
「お願いします!」
私も隣に居たユニコも頭を下げて言った。
「…わかった。付き添いと語り掛けは兎も角、世話に関しては何もわからないから教えてくれ。」
その日から彼は彼女の世話をし始めたのだった。
単なる気紛れですぐに逃げ出すかと思われたが、真面目に取り組んでいる姿は本当に彼女を大切に思っているように見えた。
変化が現れたのは五日ほど経った頃だった。
薄く透けていく彼女の魂の輪郭がハッキリしてきたと嬉し涙を流しながらユニコが教えてくれた。
成功したのだと皆で喜びを分かち合い、彼女の魂が生きる力を取り戻すのを只管待つという地味で長い療養が続いた。
彼女の魂の輪郭がハッキリし、薄く透けていたのが濃くなり、ユニコが声をかけると反応が返って来るまでになった。
そのまま療養を続ける事にして、更に数日が過ぎた。
彼には内緒だが、彼女の体を回復させる為にユニコはこれまで通り定期的に彼女の体に入っている。
彼は彼女に話し掛けている時、何度か甘い言葉を囁いた事が有るという。
そして、彼女の魂が最初に反応したのは彼の言葉らしい。
一度興味があってどんな言葉を囁いていたのかユニコに聞いたら
「聞いてるこっちが恥ずかしくなる言葉よ!」
と言うばかりで教えてくれない。
ただ、彼女はユニコが体に入っている時はユニコの背中に隠れてその言葉を聞いているらしく、ユニコもそれを聞く羽目になっている。
その後、彼が世話をしだしてから二ヶ月が過ぎた頃、彼女の魂が回復した事によりユニコが彼女の体に入れなくなった。
彼女の魂が回復したのは良い事なのだが……。
今、私とユニコの目の前で繰り広げられている光景……。
彼が彼女を膝の上に乗せ、給餌…所謂“ほら口を開けて、ア~ン”な事をしている。
彼女の顔が真っ赤なのは言うまでもない。
「何これ。」
「リア充吹っ飛べ!ってやつですよ。」
まだまだ続く二人(だけ)の世界に私もユニコも口から砂糖を吐き続け…いや、もう部屋から出よう。
二人きりにしてあげる事にした。
ユニコは木偶人形に入ったままなので、私には畑違いではあるが錬金術でホムンクルスを作る為の勉強をしている。
ホムンクルスができればユニコはその中に入る事ができる。
「あ~あ。私も恋がした~い。」
そんなユニコを見て思わず笑ってしまった。
季節は流れ、彼女は平民になった彼と結婚した。
今では子供も二人いて幸せそうだ。
そして私はつい先日、ホムンクルスを作るのに成功してユニコの魂はその中に入った。
魂が体に馴染んで定着するまで安静にしなければいけないが、それもあと数日の話だろう。
私はというと、テラスでクロードが淹れてくれたお茶を今日も飲んでいる。
以前と変わらぬ生活…と言いたい所ではあるが、変わった事もある。
死んだ筈の彼女は、当然元の生活には戻れない。
そして遅すぎた愛が彼女に届いた彼は、貴族である事を辞めて平民になり彼女と結婚。
今では子供も二人いて幸せそうだ。
何より驚く事に、私達はこの邸で一緒に暮らしている。
勿論幸せだ。
── 完 ──
~~~~~~~~~
*お付き合い(お読み)いただきありがとうございます。
今夜は新月。
月の無い夜。
この世ならざる者達が跳梁跋扈する夜。
人知を超えた不思議な事が起きてもおかしくないと言われる夜。
「だけど不思議な事じゃないんだよなぁ。」
フクロウと虫の声だけが聞こえる暗闇の中、暢気そうに呟いた男がいた。
「黙って仕事しろ!」
もう一人の男が、声を抑えながらも不機嫌そうに隣にいる男を睨み付けて言った。
「へい、へい。ったく、いいじゃねぇかよちょっと呟くぐらい。」
口を尖らせて言いながらも手は動かしている。
「早くしないと人が来たら捕まるんだぞ。」
そんな遣り取りの後、男二人はせっせと地面を掘っている。
ただ、場所が問題だった。
二人が掘っているのが畑や井戸掘りならば誰に咎められる事も無い。
二人が掘っていたのは墓地。
しかも墓穴ではなく、昼間に棺を埋めた場所だった。
今、二人は“墓荒らし”と言われる事をしている。
とはいっても墓荒らしの稼ぎで生活いる訳では無い。
依頼を受けて掘り返しているのだ。
「埋められた棺を掘り起こし、木偶人形を入れて埋め戻し、遺体は墓地の入り口付近に止めた黒塗りの馬車に乗せて欲しいの。」
そう依頼してきたのは喪服姿の若い女で、黒いベールを被っていたので顔まではわからない。
そして二人は掘り起こした棺に木偶人形を入れて埋め戻し、遺体を馬車まで運んで乗せる。
マントに身を包み、フードを深く被った男が報酬である金貨を一枚手渡すと言った。
「他言無用。誰かに話せば命の保証は無い。」
報酬を受け取った二人が走り去るのを見送った後、男は馬に鞭を入れ馬車を走らせると暗闇の中へと消え去った。
△▽△▽△▽△▽△▽△
── 都会に住む魔女の話 ──
古来より魔女は森の奥の庵に住むと言われている。
そんな事無いのにね。
昔ならいざ知らず、今の世の中森の奥の庵に住むなんて、自ら「魔女です。」と言っているような物だ。
態々トラブルを招き寄せるような事を好き好んでするような者はいない。
魔女は森を出て町中でひっそりと暮らしている。
それをどうやって探し当てたのか一人の若い女が私の住んでいる家までやって来た。
「紹介状が無い以上、主は何方ともお会いする事はありません。」
いつものように執事のクロードが対応している。
もう何度目だろうか?
飽きもせず、今日もやって来た女…。
クロードの話では何やら酷く思い詰めた様子で会わせて欲しいと懇願してくるのだという。
「クロード、お会いするから応接間へお通しして。」
二階へと続く階段の上からその様子を見ていた私は、ほんの少しだけ興味を唆られたのと、一度会って話を聞けば相手も諦めるだろうと思い声を掛けた。
「畏まりました。では此方へどうぞ。」
開いた扉の方へと体をずらし、腰を折り掌を上にして玄関から中へと向けた。
応接間へと誘導するクロードの後ろを女が進んで行ったのを見て、部屋へ戻った私は身支度を整える為にベルを鳴らして侍女を呼んだ。
身支度を終え、クロードを伴って応接間へ向かった。
クロードが扉をノックすると返事があり、応接間に居た侍女が扉を開け中に入った。
先に応接間に通されていた女が、座っていたソファーから立ち上がり礼をした。
やっぱり貴族だったのね。
女の所作を見てそう思い、途端に興味を失った。
というのも、貴族が魔女に用があるとなると大抵が妬みや恨みから相手を呪うとか毒、媚薬など薬の類ばかりだからだ。
クロードが淹れたお茶を私の前に置く。
そのお茶を一口飲んでテーブル上の皿に置いた後で聞いた。
「御貴族様が魔女にどんな御用かしら?」
俯きハンカチを握り締めていた女が勢い良く顔を上げて言った。
「……毒を……お願いしたいのです。」
震える声で怖いほど真剣な目をして言う女の顔色は悪かった。
思わず鼻で嗤いそうになる。
どれ程礼儀正しく大人しそうに見えても、貴族は貴族ね。
扇を広げて口元を隠し、溜め息を吐いた。
「クロード、お客様がお帰りよ!」
そう言って立ち上がろうとした。
「待って下さい!!」
女が叫ぶように言った。
此方へ歩いて来るクロードを片手を上げて制した。
仕方ない。話だけでも聞かないと彼女は引き下がらないだろう。
「話を聞くだけよ。仕事を受けるかどうかは別…。それでも良かったら話して。」
礼を言って頭を下げた女が話し出したのは、これまでの経緯と毒の使い道だった。
「ねぇ、悪い事は言わないからそんな男捨てちゃいなさいよ!それに何であなたが死ななくちゃいけないの?訳わかんないわ!」
相手の男にも目の前の女にも腹が立った私はそう言ったが、彼女は何もかも諦めたように微笑みを浮かべてポツリと言った。
「彼を嫌いになるには遅すぎたんです。それにもう何処にも居場所なんて……。」
何度も念を押したし、家も出てしまえば何とかなる物だと説得したのだが女の意思は固く変える事は無かった。
薬が出来上がったら連絡すると伝え、女が帰る後ろ姿に呟いた。
「私って我が儘なのよね。だから私が作った薬で人が死ぬなんて赦せないの。それが善人なら尚更ね。」
そう、生きている価値の無い、死んでも悲しむ人も居ないような“どクズ”なら話は別だけど…。それでも自分が納得できるだけの事でもないと無理。
しかし…三つ子の魂百までとは言うけれど…幼い頃の想いって結構厄介な物なのね…。
「大丈夫だ。俺がお前の身も心も護る。」
私を後ろから抱き締めたクロードが耳元で囁く。
その言葉に私は自分の背中を彼の胸に凭せ掛ける。
流れ込む彼の水の魔力が心地良くて暫し身を委ねた。
「彼女にはどんな薬を?」
「そうね……かしら。」
私は彼女に相応しい毒を用意する事にした。
△▽△▽△▽△▽△▽△
── 妻の話 ──
私が婚約者と初めて出会ったのは、幼い頃に参加したお茶会でした。
転んだ私は、お茶会に参加していた他の子達にクスクス笑われ、悲しくて泣いてしまいました。
そんな私を助け起こし、ハンカチで涙を拭ってくれたのがあの方だったのです。
あの方は縁談相手として優良物件で物凄く人気があり、いつも令嬢達に取り囲まれていました。
何もわかっていない私は、父にあの方と結婚したいと我が儘を言ったのです。
そんな私の我が儘を聞いてくれた父は大変な思いをしながらもあの方との婚約を決めて下さいました。
婚約が決まった後、あの方は顔合わせも婚約者としての交流の時も私の顔を見る事など無く、いつも不機嫌そうにしていたのです。
それでも私達の関係は良くなっていくと思っていたのですが……。
学園に入ってから、あの方は運命的な出会いをしたと嬉しそうに友人達に話していたそうです。
あの方にも私と同じように幼い頃から心に決めた方が居たと知ったのはその時でした。
婚約を解消しようとした事は何度もありました。
ですが、父がこの婚約を決める為に無理をしたようで、婚約を解消しようとした時には、ウチは色々な柵で雁字搦めになっていて、婚約の解消などできない状況だったのです。
ご存知の通り、この国は一夫一婦制です。
婚約の解消ができない私に残された選択肢は、このまま結婚する事しかありませんでした。
でも、私はあの方を縛り付ける事など望んでいないのです。
ですが、初夜にあの方に受け容れてもらえなければ二度と家には戻るなと父から言われていて近々籍を抜かれます。
そして、彼の両親からも「初夜の完遂を持って婚姻の成立とする。」と我が家に通達がありました。
初夜にあの方に受け容れてもらえなければ、私にはこの世の何処にも居場所なんて無いのです。
ですが、あの方も政略結婚の意味はわかっているはず。
だからそれに賭けてみたいのです。
他者に優しく、責任感の強いあの方ならば……。
そう信じて…賭けたのです…。
そしてこの賭けに負ければ全て失う…わかっていても…もう私には他に道は無いのです。
△▽△▽△▽△▽△▽△
── 魔女の後悔 ──
その日、いつもより早い時間に起こされ不機嫌だった私は、クロードから報告された話に思わず舌打ちしたくなった。
何故かと言うと、今日は毒薬を手に入れようとしていた女の結婚式だった。
しかも彼女の夫になる男の恋人が産気づいたらしい。
私は彼女が賭けに負けたと悟った。
喩え初夜だったとしても、あの男は恋人と生まれてくるであろう子供の所へ駆け付けるだろう。
それが自分ではない他人の子だとも知らずに…。
薬を飲む前に彼女を止める事もできるだろうが、止めれば今度は私ではない誰かに毒を頼む可能性が高い。
それよりは自死に失敗したのだと思わせた方が生きる為の説得がし易い。
「主…。」
クロードが私の手を掴んで握った手を広げる。
知らず拳に力が入っていたようで、広げられた掌に血が滲んでいた。
「喩えご自身の体でも傷を付けて良いものではありません。」
そう言って、うっとりとした表情で血の滲む掌を見詰めた後、その血を舐め恍惚としている。
忘れていたが、彼は闇の支配者だった。
「以後気を付ける。」
クロードは、名残惜しそうに掌を見詰めた後、手にハンカチを巻き付けるようにして結んだ。
深夜になって彼女が薬を飲んだと報せが入った。
恐らく葬儀は明後日だろう。
予てから計画していた通りに準備をさせてその日を待った。
私は自分が作った薬で人が死ぬのは嫌だったし赦せなかった。
だから彼女に渡したのは毒薬ではなく、彼女の体の時間を止める薬を渡したのだ。
そしてそれは私の手で解除できる。
そうすれば再び彼女の体の時間は動き出し、何の支障も無くこれまでのように生活する事ができるのだ。
その筈だった……。
まさかこの様なイレギュラーが起こるとは思わなかった。
目覚めた彼女の体に別の人間…しかもここではない別世界の人間の魂が入り込んだなど…。
しかも、一つの体に二人の魂…。
この場合、生きる意思の強い魂が残り、弱い魂は消える。
そして、目覚めたのは別世界の人間(女性)の魂だった…。
このままでは彼女の魂が消滅してしまう。
私だけの所為ではないが、責任の一端は私にもある。
どれ程後悔しても仕方ない。
私は彼女の説得を試みた。
幸いにも彼女が話のわかる人間で良かった。
だが、彼女の魂が入る為の器が必要である。
暫く木偶人形に入ってくれる事を渋々受け容れてくれた。
しかし、ここで問題が一つ。
体の持ち主である彼女をどうやって目覚めさせるか…。
それが最大の難問だった。
苦渋の決断では有ったが、背に腹はかえられない。
断腸の思いではあるが、あの男の力を借りねばならなくなった。
△▽△▽△▽△▽△▽△
── 元夫の回想 ──
彼女が死んだ──。
その事だけでも苦しくて辛いのに…彼女が遺した手紙を読んで更に辛くなった…。
彼女と俺は政略結婚だった。
幼い頃や学園に通っていた時、社交に出た時など常に令嬢達やその親達に取り囲まれていた事で、子供の頃から令嬢達とその親達に対して嫌悪感を抱いていた俺は、彼女もその中の一人だと思っていた。
だがそんな俺にも幼い頃に参加したお茶会で出会った忘れられない少女がいた。
その時に名前を聞きそびれてしまったが髪の色と瞳の色を覚えていたからすぐに見付ける事ができると高を括っていた俺は、長い間その少女を見付ける事ができなかった。
そんな時に結ばれた婚約に、甘やかされて育った我が儘娘のお願いを親が叶える為にゴリ押しした婚約だと…そう思い込んでいた。
だから顔合わせで婚約者と初めて会った時も、あの少女とは髪の色からして違うからと顔すら真面に見ていなかった。
婚約後暫くは誕生日プレゼントや季節の挨拶等していたが、そのうち侍従に任せっきりになり、やがてそれすらしなくなった。
そして学園に入り、暫く経ってから運命的な出会いをしたのだ。
幼い頃、お茶会で出会った少女だと一目でわかった。髪と瞳があの少女と同じ色だったから。
そんな俺が彼女に恋するのは当然の成り行きで、それが今まで以上に婚約者を疎ましく思う切欠になったのは言うまでもなく、それまで蔑ろにし続けた婚約者と顔を会わせるのも嫌になり、それ以降は一切の交流を絶ったと言っても過言では無い。
そうする事で婚約を解消できると期待してすらいた。
だが婚約者は、俺との婚約を解消する事も無く、学園卒業後に婚約者と結婚する事となった。
相手に嫌われ疎まれているのがわかっていながら結婚した婚約者を心底軽蔑し嫌悪した。
「これまで君には口に出さずとも態度で伝わっていると思っていたんだ。俺が君の事を心底嫌っているのだと…。だから…もう俺には期待しないでくれないか。男女の間にある情を求めるのも押し付けるのも。大体悪い噂しか聞かない君を愛する事など未来永劫無理だ。俺の愛は彼女だけの物。初夜ではあるが君を抱くつもりなど無い。勿論それはこの先もずっと変わる事など無い!」
そして初夜に俺は、愚かにもそんな酷い言葉を、婚約者である女に吐き捨てるように言い放った。
大きく目を瞠った後、諦めたように目を伏せ俯いた婚約者の姿に何故か胸が締め付けられる。
何か言い返してくるのかと思ったが、何も言い返さない。
その事に苛立った。
これではまるで俺が弱い者虐めをしているようではないか。せめて泣いて縋ればいいものを……。
だが、こんな事で時間を無駄にしたくない俺は彼女をその場に放置したまま恋人の元へと急いだのだ。
俺が結婚相手に対してした事は、それらの事だけでも鬼畜の所業と言われても仕方ないだろう。
しかしそれだけでは無いのだ。
初夜に酷い言葉を浴びせ、放置した理由……。
結婚前に恋人から
「何も望まないから最後の思い出に……。」
そう言われて抱いた。
彼女が俺に純潔を捧げてくれたと有頂天になっていた。
その二ヶ月後、子供ができたと知らされた。
そして結婚式当日の未明に産気づいたと連絡が来た。産み月よりもかなり早く、心配で頭がどうにかなりそうだった。
結婚相手がその事を知っていたとわかったのは彼女が死んだ後だった。
人生で一番幸せな筈の結婚式…なのに俺は花嫁を地獄の底に叩き落としたのだ。
そして彼女が死んだ後、目の前に真実を突き付けられた。
今日一日だけで大量の情報と、突き付けられた真実に、俺もまた地獄へと叩き落とされた。
愛する恋人が産んだ子は俺の子ではなく、友人との間にできた子だった。
恋人と運命的な出会いをしたと思っていたのは俺だけで、彼女にとっては運命でも何でもなく単なる火遊びだった。
何より彼女は幼い頃に出会った少女ではなかった。
俺の思い出の中の少女は結婚相手の女だったのだと残された手紙で知った。
そして彼女は、実父や俺の親と俺がした仕打ちに耐えられず、ワインと共に毒を呷って自死した。
「俺が殺したような物だ。」
目を開けて起き上がってくる事を期待したが、そんな奇跡など起こる筈も無く棺の中に眠るように横たわる彼女を葬儀の後埋葬したのだ。
夢であってくれと願った。
だがそれが現実だ。
なのに彼女が生き返ったが目覚めず、俺ならば目覚めさせる事ができるなどと世迷い言を言われても信じられる筈が無い。
縦しんば本当の話だとしても、彼女に冷たい仕打ちを散々した俺が、彼女を目覚めさせる事など無理に決まっているだろう。
俺は目の前の女を信じる事ができなかった。胡散臭い話で金を巻き上げるつもりだと決め付け頑なに拒んだ。
△▽△▽△▽△▽△▽
── 魔女の怒りと悲しみ ──
「俺が殺したような物だ。」
私の正面に座る男は、そう言うと琥珀色の液体を一気に呷った。
時折目を眇め、私の顔をジッと見ている男。
本当に後悔しているのだろうとは思う。
そして罪悪感を感じてもいるのだろう。
けれど私の目には、それは表面上だけで、本当のところは自分を憐れんでいるようにしか見えなかった。
だから言ってやったのだ。
「それがどうだと言うのですか?貴方は彼女に向き合わず話し合いもせずに死なせた。それが真実でしょう。おまけに幼い頃の初恋の相手じゃ無いとわかった途端に冷めてしまうような…そんな貴方の想いの為に彼女は死んだと言うの?巫山戯ないで!」
それを聞いて悲しげな目をする。
何故、貴方がそんな表情をするの?
傷付いたのはそんな貴方に(望みを)賭けて結婚した彼女でしょう。
そして賭けに負けて全て失った。
でも、貴方だけの所為ではなく双方の親も彼女を追い込んだのね……逃げようのない断崖絶壁まで……。
彼女も馬鹿よね。
他に道は幾らでも有ったのに……。
けれど、そんな彼女に薬を渡したのは私だ。その所為で彼女が消えかけている。
帰りの馬車の中、そんな風に考えていた私の頬を涙が伝う。
そんな私をクロードが優しく抱き締め、涙を拭ってくれた。
ねぇ、貴女は本当にそれで良かったの?
死んじゃったらお終いじゃない。
もう泣く事すらできなくなった彼女の為に泣いた。
でもそれすら私の偽善で自己憐憫でしかない。
だって…彼女の本心は彼女にしかわからないのだから…。
△▽△▽△▽△▽△▽△
── 元夫の話 ──
あの魔女だとか言う女が帰って以降、死んだ彼女の事が気になり、仕事も手に付かなくなった。
そんな事など有る訳が無いと思いつつも、もし本当だったらと何度も考えてしまうのだ。
手元に有るあの女の住所が書かれたカードを見詰めては溜息を吐く。
「旦那様、それ程までに気になるなら一度ハッキリさせた方が良いのでは?」
執事に言われ、行こうとしたがどうせ嘘だろうと考え直す。
これを何度繰り返しただろうか。
だが嘘だとしても“彼女が生きている”という話に縋りたくなるほど、もう一度彼女に会いたいと思っている。
それが彼女の手紙を読んだからなのか、彼女が自死した事に対する罪悪感から来る物なのか自分でもわからない。
ただ思い出の中の少女である彼女の笑顔を…今の彼女の笑顔を見たいのだ。
身勝手な望みだとわかっている。
そして、それは彼女の赦しを得た後にしか叶わない事もわかっていた。
立ち上がり浴室へと向かった。
湯浴みを終えた後、髭を剃り身支度を整えて出掛ける事を執事に伝え、邸を出た。
その手に魔女の住所が書かれたカードを持って。
△▽△▽△▽△▽△▽△
── 魔女の話 ──
あの男に会った翌日、意図せず彼女の体に入ってしまった女性…ユニコと話をした。
今のユニコは木偶人形の中に入ってくれている。
彼女の体にユニコの魂が入ってしまったとわかった後に色々な文献を調べ、体の持ち主の魂を温存する事ができそうな方法を見付け、それを試している。
一つの体に二人分の魂が入ったままだと彼女の魂が消えてしまう為、一時的な措置として木偶人形の中に入って貰っている。
ただ、魂が眠り続けた状態が続くと体の方が弱っていくので時々体に戻り、ある程度活動した後に木偶人形に入って貰うのを繰り返している。
しかし、この方法もいつまで保つかわからない。
一刻も早く彼女に目覚めて欲しいのだが…。
だから(渋々)あの男に会いに行ったというのに…。
まぁ仕方ないと言えば仕方ない、こんな荒唐無稽な話を信じろと言う方が無理なのだから。
とは思うもやっぱり言いたくなってしまう。
「ちょっとぐらい信じてもいいじゃない!」
「でも困りましたよね。これじゃ彼女が死んでしまう。何か他に方法無いんですか?」
「無い!無いのよ!」
私とユニコは顔を見合わせて溜息を吐いた。
あれから八日経った。
けれどいくら調べても他に方法が無い上に状況は変わらない。
彼女の体が弱るのを防ぐ為に定期的に体に入るユニコの話では彼女の魂(生前の姿らしい)が薄く透けてきているという。
このままでは、恐らく十日を待たずに彼女の魂は消滅するだろう。
これ以上何もできない自分が情けない。
最近ではユニコも元気が無い。
「彼女の魂が消滅した後、その体に入るなんて…私…嫌ですからね!」
「でも、それじゃユニコが……。」
「嫌です!」
目に涙を溜め、拗ねたように言うユニコを抱き締め、子供をあやすように頭を撫でた。
彼女の気持ちもわかるが、ユニコの魂もずっと木偶人形の中という訳にはいかない。
だからと言って、私もユニコも彼女の魂が消滅するのも嫌なのだ。
その時、扉をノックした後珍しく返事を待たずにクロードが扉を開けて部屋に入ってきた。
「主…あの男が来ました。」
私達は体を離してお互いの顔を見合った後、すっくと立ち上がり玄関へと急いだ。
玄関ホールに居た男は、以前会った時のような髪はボサボサ、服はヨレヨレ、無精髭を生やした酒臭い男ではなく、何処から見てもピシッとした貴族然とした姿の男だった。
「挨拶は抜きだ。彼女に会わせてくれ。」
「後から気が変わったなんて言っても逃がさないわよ。」
緊張した面持ちで言った男を見て私の口角は上がった。
△△▽△▽△▽△▽△
男を彼女が眠る部屋に案内した。
ベッドの上で眠る彼女を見た男は、駆け寄り傍らに跪き彼女の顔を覗き込んだ。
怖ず怖ずと手を伸ばし、その頬に触れる。
「温かい…本当に生きていたのか…。」
そして勢い良く此方を振り返って聞く。
「彼女を目覚めさせる為に何をすればいい?」
食い気味に聞いてくる男に言った。
「このまま目覚めなければ十日を待たずして彼女の魂は消滅するわ。」
「……っ!?」
「だから、あなたには付き添いと世話をお願いいたいの。そして彼女に語り掛けてあげて。お願い!」
「お願いします!」
私も隣に居たユニコも頭を下げて言った。
「…わかった。付き添いと語り掛けは兎も角、世話に関しては何もわからないから教えてくれ。」
その日から彼は彼女の世話をし始めたのだった。
単なる気紛れですぐに逃げ出すかと思われたが、真面目に取り組んでいる姿は本当に彼女を大切に思っているように見えた。
変化が現れたのは五日ほど経った頃だった。
薄く透けていく彼女の魂の輪郭がハッキリしてきたと嬉し涙を流しながらユニコが教えてくれた。
成功したのだと皆で喜びを分かち合い、彼女の魂が生きる力を取り戻すのを只管待つという地味で長い療養が続いた。
彼女の魂の輪郭がハッキリし、薄く透けていたのが濃くなり、ユニコが声をかけると反応が返って来るまでになった。
そのまま療養を続ける事にして、更に数日が過ぎた。
彼には内緒だが、彼女の体を回復させる為にユニコはこれまで通り定期的に彼女の体に入っている。
彼は彼女に話し掛けている時、何度か甘い言葉を囁いた事が有るという。
そして、彼女の魂が最初に反応したのは彼の言葉らしい。
一度興味があってどんな言葉を囁いていたのかユニコに聞いたら
「聞いてるこっちが恥ずかしくなる言葉よ!」
と言うばかりで教えてくれない。
ただ、彼女はユニコが体に入っている時はユニコの背中に隠れてその言葉を聞いているらしく、ユニコもそれを聞く羽目になっている。
その後、彼が世話をしだしてから二ヶ月が過ぎた頃、彼女の魂が回復した事によりユニコが彼女の体に入れなくなった。
彼女の魂が回復したのは良い事なのだが……。
今、私とユニコの目の前で繰り広げられている光景……。
彼が彼女を膝の上に乗せ、給餌…所謂“ほら口を開けて、ア~ン”な事をしている。
彼女の顔が真っ赤なのは言うまでもない。
「何これ。」
「リア充吹っ飛べ!ってやつですよ。」
まだまだ続く二人(だけ)の世界に私もユニコも口から砂糖を吐き続け…いや、もう部屋から出よう。
二人きりにしてあげる事にした。
ユニコは木偶人形に入ったままなので、私には畑違いではあるが錬金術でホムンクルスを作る為の勉強をしている。
ホムンクルスができればユニコはその中に入る事ができる。
「あ~あ。私も恋がした~い。」
そんなユニコを見て思わず笑ってしまった。
季節は流れ、彼女は平民になった彼と結婚した。
今では子供も二人いて幸せそうだ。
そして私はつい先日、ホムンクルスを作るのに成功してユニコの魂はその中に入った。
魂が体に馴染んで定着するまで安静にしなければいけないが、それもあと数日の話だろう。
私はというと、テラスでクロードが淹れてくれたお茶を今日も飲んでいる。
以前と変わらぬ生活…と言いたい所ではあるが、変わった事もある。
死んだ筈の彼女は、当然元の生活には戻れない。
そして遅すぎた愛が彼女に届いた彼は、貴族である事を辞めて平民になり彼女と結婚。
今では子供も二人いて幸せそうだ。
何より驚く事に、私達はこの邸で一緒に暮らしている。
勿論幸せだ。
── 完 ──
~~~~~~~~~
*お付き合い(お読み)いただきありがとうございます。
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