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第五章
【2】 絶望するにはまだ早い 2
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能古島側の渡船場が見える。
「どうせなら、もっと、島がきれいな時に見せたかったけどな」
息を切らしながら、口をついて出た。こんな時に、何言ってんだと自分でも思うが。
どうせ人に見せるなら、この自然豊かな島が、一番いいときが良かった。皆がのびのびと、日常を送っているときが。
馬鹿だな、と紗奈は笑った。
「じゅうぶんだ」
渡船場が近づいて来る。そして、銃声と怒声が、暴風に紛れて聞こえてくる。
俺はボートに積まれていた信号紅炎《しんごうこうえん》を、ブルゾンのポケットにつっこんだ。発煙筒みたいなやつだが、発煙筒より炎が強い。
渡船場についた時には、奴らの船がひとつすでに辿り着いていて、ヤクザたちの死体と、島のおっさんたちの死体が転がっていた。
この島の弱点は、街がほとんど港に集中してることだ。
みんな農作や魚を獲ったりして暮らしてるから、山にいることも多いけど、昔の名残で家がこのあたりに多い。
何かあった時、山か海へ避難するよう、俺たちは叩き込まれている。
だが海が荒れていて、船が出せなてない可能性がある。狼煙台はパーク跡にあるし、戦えない人たちは、たぶんあっちに避難してる。
だけど、母さんたちは多分行ってない。七穂もだ。
「どこに行けばいい」
「たぶん診療所に母さんたちがいる」
海岸線を、南に向けて走る。後ろから、わあ、と怒声が弾けた。
思わず立ち止まる。
「何やってる、行け。食い止めてやる」
紗奈は手袋をキリリと鳴らして、体ほどの大きさのパドルを両手で握りしめる。
「母親と妹を守れ!」
仁王立ちで北を振り返った。
診療所のドアを開けた途端、嫌な感じがして俺はその場に踏みとどまった。刃物が振り下ろされる。
「榛真!?」
中から驚きの声が上がる。鎌を振り下ろした志織《しおり》さんがいた。
「びっくりさせないでよ!」
それはこっちのセリフだけど、志織さんに非はない。志織さんの後ろでは、カウンターの陰からこちらをうかがう患者さんたちの顔がある。
「母さんと七穂は!?」
「七穂ちゃんは奥。須東《すどう》さんは外に、怪我人を助けに行った。中で先生が怪我人の治療してる」
だろうと思った。
俺は後を振り返らず、志織さんも患者たちもほったらかして、診療所の奥に駆けた。いつかと同じ処置室に駆けこむ。
七穂は、奥の部屋の隅で膝を抱えて座っていた。蒼白な顔がこちらを見る。動揺していない、落ち着いた目だ。
それがかえって、七穂の動揺を表していた。
俺は駆け寄って、妹の前に膝をつく。
ゼーゼーと七穂の喉の奥から音がする。見ている方が苦しくなる。
駄目だ、死んだらダメだ。
俺は泣きそうになりながら、ヒップバッグからペットボトルを取り出した。
震える唇にペットボトルの口を当てて水を飲ませながら、俺は、自分の手の方がよほど震えているのに気付く。
だめだ、俺が落ち着かないでどうする。
「深呼吸をしろ。ゆっくり息を吸って、吸って、吐いて、吐いて、吐いて」
俺の声に合わせて、七穂が胸を上下させる。小さな口が懸命に空気を吸って、吐いて、生きようとしている。
「薬はあるな?」
七穂はうなづいて、あえぐ息の合間から、声を絞り出した。
「帰って来てくれたの?」
震える手が俺の手を握った。
「ああ、来るに決まってるだろ」
七穂は、弱々しく笑う。
「ねえ、女探検家さん、見つけた? ちゃんと手当てしてあげた?」
そんなこと言ってる場合か。
あきれるのと驚くのと同時、見透かされてる気がして、焦る。薬を持って行ったと母さんに聞いたんだろうか。
「……ああ」
手当てなんて必要なかったし、したような、してないようなものだったが。
「一緒に来たの?」
「ああ」
「会いたいな」
「お前がちゃんと治して、これが落ち着いたら、会わせてやる」
外から銃声が聞こえる。爆発音が響いて、地面が揺れる。このゴタゴタが落ち着いたら。――生き延びたら。
七穂はうなづいて、俺の手握る手に力を込めた。
「お兄ちゃん、わたしは、大丈夫」
細く浅く呼吸を繰り返す。ぜえぜえと喉を鳴らしながら言う。
「気になるんでしょう。わたしは大丈夫。行って」
診療所を出ると、紗奈が吸血鬼たちをぶちのめしてる向こうで、ガラスの割れる音と炎が弾けた。
火炎瓶に焼かれた吸血鬼が、炎を振り払いながら、苛立たし気に間近の家に踏み込んでいく。炎が家に燃え移って、悲鳴が上がる。
俺はその近くで、誰かの肩を支えながらうずくまる母さんを見つけた。
「母さん、何やってんだ!」
俺の声に気づいて母さんは顔を上げた。
診療所まで道を渡るだけなのに、怪我人が動けなくて来られないようだった。
俺は駆け寄ると、ぐったりした自警団のおっさんを引きずるようにして、駐在所の中に押し込んだ。
当然ながら、中に西見さんの姿はない。この騒動で、おとなしく駐在所にいるわけがない。
「ここでおとなしくしててくれ」
おっさんの脚を止血しながら、母さんは俺を睨み付けた。
「お母さんは、人を助けるのが仕事なの! 放蕩息子の指図はうけないよ!」
滅多に怒らないのに、すごい剣幕で怒鳴った。普段の俺への不満を叩きつけるようだ。
「分かったから、俺を死なせたくなかったら、おとなしく隠れててよ」
言い聞かせるのは無駄だから、俺はさっさと駐在所を飛び出した。もうこの事態を早く何とかするしかない。
外に出た途端に、俺はさっきまでそこになかったものを見た。――いなかった奴を見た。
「どうせなら、もっと、島がきれいな時に見せたかったけどな」
息を切らしながら、口をついて出た。こんな時に、何言ってんだと自分でも思うが。
どうせ人に見せるなら、この自然豊かな島が、一番いいときが良かった。皆がのびのびと、日常を送っているときが。
馬鹿だな、と紗奈は笑った。
「じゅうぶんだ」
渡船場が近づいて来る。そして、銃声と怒声が、暴風に紛れて聞こえてくる。
俺はボートに積まれていた信号紅炎《しんごうこうえん》を、ブルゾンのポケットにつっこんだ。発煙筒みたいなやつだが、発煙筒より炎が強い。
渡船場についた時には、奴らの船がひとつすでに辿り着いていて、ヤクザたちの死体と、島のおっさんたちの死体が転がっていた。
この島の弱点は、街がほとんど港に集中してることだ。
みんな農作や魚を獲ったりして暮らしてるから、山にいることも多いけど、昔の名残で家がこのあたりに多い。
何かあった時、山か海へ避難するよう、俺たちは叩き込まれている。
だが海が荒れていて、船が出せなてない可能性がある。狼煙台はパーク跡にあるし、戦えない人たちは、たぶんあっちに避難してる。
だけど、母さんたちは多分行ってない。七穂もだ。
「どこに行けばいい」
「たぶん診療所に母さんたちがいる」
海岸線を、南に向けて走る。後ろから、わあ、と怒声が弾けた。
思わず立ち止まる。
「何やってる、行け。食い止めてやる」
紗奈は手袋をキリリと鳴らして、体ほどの大きさのパドルを両手で握りしめる。
「母親と妹を守れ!」
仁王立ちで北を振り返った。
診療所のドアを開けた途端、嫌な感じがして俺はその場に踏みとどまった。刃物が振り下ろされる。
「榛真!?」
中から驚きの声が上がる。鎌を振り下ろした志織《しおり》さんがいた。
「びっくりさせないでよ!」
それはこっちのセリフだけど、志織さんに非はない。志織さんの後ろでは、カウンターの陰からこちらをうかがう患者さんたちの顔がある。
「母さんと七穂は!?」
「七穂ちゃんは奥。須東《すどう》さんは外に、怪我人を助けに行った。中で先生が怪我人の治療してる」
だろうと思った。
俺は後を振り返らず、志織さんも患者たちもほったらかして、診療所の奥に駆けた。いつかと同じ処置室に駆けこむ。
七穂は、奥の部屋の隅で膝を抱えて座っていた。蒼白な顔がこちらを見る。動揺していない、落ち着いた目だ。
それがかえって、七穂の動揺を表していた。
俺は駆け寄って、妹の前に膝をつく。
ゼーゼーと七穂の喉の奥から音がする。見ている方が苦しくなる。
駄目だ、死んだらダメだ。
俺は泣きそうになりながら、ヒップバッグからペットボトルを取り出した。
震える唇にペットボトルの口を当てて水を飲ませながら、俺は、自分の手の方がよほど震えているのに気付く。
だめだ、俺が落ち着かないでどうする。
「深呼吸をしろ。ゆっくり息を吸って、吸って、吐いて、吐いて、吐いて」
俺の声に合わせて、七穂が胸を上下させる。小さな口が懸命に空気を吸って、吐いて、生きようとしている。
「薬はあるな?」
七穂はうなづいて、あえぐ息の合間から、声を絞り出した。
「帰って来てくれたの?」
震える手が俺の手を握った。
「ああ、来るに決まってるだろ」
七穂は、弱々しく笑う。
「ねえ、女探検家さん、見つけた? ちゃんと手当てしてあげた?」
そんなこと言ってる場合か。
あきれるのと驚くのと同時、見透かされてる気がして、焦る。薬を持って行ったと母さんに聞いたんだろうか。
「……ああ」
手当てなんて必要なかったし、したような、してないようなものだったが。
「一緒に来たの?」
「ああ」
「会いたいな」
「お前がちゃんと治して、これが落ち着いたら、会わせてやる」
外から銃声が聞こえる。爆発音が響いて、地面が揺れる。このゴタゴタが落ち着いたら。――生き延びたら。
七穂はうなづいて、俺の手握る手に力を込めた。
「お兄ちゃん、わたしは、大丈夫」
細く浅く呼吸を繰り返す。ぜえぜえと喉を鳴らしながら言う。
「気になるんでしょう。わたしは大丈夫。行って」
診療所を出ると、紗奈が吸血鬼たちをぶちのめしてる向こうで、ガラスの割れる音と炎が弾けた。
火炎瓶に焼かれた吸血鬼が、炎を振り払いながら、苛立たし気に間近の家に踏み込んでいく。炎が家に燃え移って、悲鳴が上がる。
俺はその近くで、誰かの肩を支えながらうずくまる母さんを見つけた。
「母さん、何やってんだ!」
俺の声に気づいて母さんは顔を上げた。
診療所まで道を渡るだけなのに、怪我人が動けなくて来られないようだった。
俺は駆け寄ると、ぐったりした自警団のおっさんを引きずるようにして、駐在所の中に押し込んだ。
当然ながら、中に西見さんの姿はない。この騒動で、おとなしく駐在所にいるわけがない。
「ここでおとなしくしててくれ」
おっさんの脚を止血しながら、母さんは俺を睨み付けた。
「お母さんは、人を助けるのが仕事なの! 放蕩息子の指図はうけないよ!」
滅多に怒らないのに、すごい剣幕で怒鳴った。普段の俺への不満を叩きつけるようだ。
「分かったから、俺を死なせたくなかったら、おとなしく隠れててよ」
言い聞かせるのは無駄だから、俺はさっさと駐在所を飛び出した。もうこの事態を早く何とかするしかない。
外に出た途端に、俺はさっきまでそこになかったものを見た。――いなかった奴を見た。
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