29 / 37
第四章
【3】 闇は嗤い哭く 5
しおりを挟む
杏樹の悲鳴が響き渡る。博登《ひろと》の笑い声がそれにかぶさってくる。
「史仁をとってやった!」
少年は高笑いしながら叫んだ。
「お前の大事なものをとってやった! これでちょっとは僕の気持ちも分かるだろ」
――好きにしろ。杏樹に向けてあの少年は言った。
それはつまり、自分も好きにする、ということか。
「ふざっけんな!」
杏樹は喚叫《おめきさけ》ぶ。
「あんたに教えてもらわなくたって、知ってるわよ! どれだけ失ってきたと思ってるのよ!」
至近距離で杏樹が弓を引き絞る。放たれた矢を、博登は後ろ向きにエスカレーター手すりに飛び乗り、避けた。
榛真が包丁を手に突進する。博登はそれもひょいと避け、榛真を蹴飛ばした。榛真は声もなく後ろに吹き飛ぶ。
「ひどいなあ。ぼくの顔を見ると、いっつもお前はそうだ」
エスカレーターの上に軽やかに着地する。
「俺たちは、怪物じゃないのになあ。ねえ、杏樹」
少年は大げさに腕を広げる。
――たくさんの命を奪っておいて
こんな風に。
あんなに、楽しげに。
感染して吸血鬼になると、以前よりも性格が攻撃的になると言われていた。
博登のあの残酷さが、彼のものなのか、吸血鬼のものなのか、あたしも抱えるものなのか、分からなかった。
それがまた、ひどく恐い。
駆けつけなきゃと思うのに、足が動かなかった。
「黙れ、あんたと一緒にするな」
杏樹は低く抑えた声で唸る。倒れた史仁の側に駆け寄って、その前に立ちはだかる。
「そんなに邪険にしなくていいじゃないか」
あははは、とまた笑い声が響き渡った。
そして少年は、軽い足取りで榛真の側へ近寄った。うめく榛真に顔を近づけて、にんまりと、目を三日月のようにして嗤《わら》う。
「ねえ、お前の家に招待してほしいなあ」
「はあ?」
榛真が声を上げる。
「西の方、お前の父親を殺した姪浜《めいのはま》のあたりだろ。ずっと少しずつ調べてたんだよ。知ってた? 気づかなかったかなあ。能古島《のこのしま》。いいところだよねえ。子供の頃に、家族で行ったことがある」
「……いい加減なこと言いやがって」
榛真の声が、動揺に揺れた。嘘のつけない奴だ。
またひときわ、少年の笑い声が高く上がった。
「どっちでもいいや。お前たち、潮時だよ」
少年は楽しそうに笑っている。またふわりと飛んで、エスカレーターの上に戻った。地下へ続く道へ。
「待て、ふざけんな、逃げるな!」
胸を押さえながら榛真が起き上がる。後ろ向きに闇の中へ下がっていく博登の方へ突進した。
「榛真、追うな!」
あたしは思わず叫んでいた。
榛真はエスカレーターの前で踏みとどまる。ギリギリと歯を噛みしめる音が聞こえそうなほど、悔しげにエスカレーターの先を睨みつける。
この下は闇。
地下鉄へ続く階段の先には、明かりは一つもない。吸血鬼達の住処だ。
「史仁、史仁!」
杏樹は血だまりの横に膝をついて叫んでいた。
杏樹自身も出血している。もう傷が塞がっていたとしても、その血のついた手で触ると感染する可能性がある。
史仁に近づくことも出来ずに、歯がみした。
「許さない、許さない。あいつ絶対許さない」
ただ唸るように唱える。
あたしも立ち尽くしたまま、動けなかった。心臓がざわめいて、息が苦しい。
まるで、噛まれた時のあたしと紘平の姿を、後から見せつけられているようで。
「杏樹。――杏樹」
なだめるように、史仁はそっと杏樹を呼ぶ。杏樹はその吐息のような声を聞こうと身を乗り出した。
史仁はゆっくりと手を上げる。
「噛まれてない」
防具をはめた腕。傷はついているけど、穴はあいていない。血も出ていない。
――だけど。
「史仁」
杏樹は泣きながら手を握ろうとして、やめた。――触れない。
「飲め」
どくどくと流れる血だまりの中で、史仁は、まっすぐに杏樹を見上げて言った。杏樹は震えていた。
「だめよ、史仁」
「このままだと、どっちにしろ死ぬ。俺の血の一滴も無駄にするな」
冷静に言いつのる。少女はボロボロと涙を流しながら、震えていた。駄々をこねるように首を横に振る。
杏樹が噛みつけば、もしかしたら史仁は吸血鬼になって生き延びるかも知れない。何より、血の誘惑が思考を覆い尽くしているはずだ。だけど強情に杏樹は首を振る。
ふと少年の目が和む。
「飲んで、杏樹。吸血鬼になるなら、それでいい。杏樹と同じになるだけだ」
「ばかね。あんた、あたしが、どれだけ吸血鬼を嫌いなのか分かってて言ってるでしょ」
「でも俺は、杏樹があのとき、死ななくてよかった。俺も死にたくない。まだ杏樹と一緒にいたい。死んでも、杏樹の命になるならそれでいい」
「嫌よ、そんなの」
杏樹は泣きながら、史仁に言いつのる。
「わたし、全然生きていたくなんかなかった。こんな世界で、こんな体になってまで、生きていたくなんかなかったわ。でも、史仁がいるから、我慢してた。史仁がいないんだったら、どうだっていい。生きていたくない。人間も吸血鬼も滅びるんだったら滅びたらいいのよ!」
悲痛な叫び声が、ロビーに響き渡った。
だん、と大きな音がその上に重なる。
博登を追うのを諦めた榛真が、イラだちまぎれに足を踏みならした。
「バカじゃねーのか、お前ら! 悲劇気取ってんなよ!」
戻ってきた榛真が、憤慨して叫ぶ。
「なに油断してんだ、いつも全然隙なんか見せねーくせに」
榛真はリュックからタオルを取り出すと、史仁の傷口に押し当てる。あっという間に真っ赤に染まった。
「止血もしねーで、バカじゃねーのか!」
杏樹もあたしも史仁には触れなかった。人間の榛真をのぞいては。
それを分かっているのかいないのか――わかってるんだろうけど、榛真は悪態をつきながら傷口を押さえ続ける。
「誰が手当できる奴はいないのか。ここ病院だろ」
「お医者先生と看護士が」
「さっさと連れてこい!」
誰かが駆けていく音がした。まわりにいた吸血鬼のひとりかもしれない。
薄く、弱々しく、笑い声が下から聞こえる。
「お前に借りが出来るとはな」
「生き延びてから言え。お前なんかくそみたいに嫌いだけどな!」
「史仁をとってやった!」
少年は高笑いしながら叫んだ。
「お前の大事なものをとってやった! これでちょっとは僕の気持ちも分かるだろ」
――好きにしろ。杏樹に向けてあの少年は言った。
それはつまり、自分も好きにする、ということか。
「ふざっけんな!」
杏樹は喚叫《おめきさけ》ぶ。
「あんたに教えてもらわなくたって、知ってるわよ! どれだけ失ってきたと思ってるのよ!」
至近距離で杏樹が弓を引き絞る。放たれた矢を、博登は後ろ向きにエスカレーター手すりに飛び乗り、避けた。
榛真が包丁を手に突進する。博登はそれもひょいと避け、榛真を蹴飛ばした。榛真は声もなく後ろに吹き飛ぶ。
「ひどいなあ。ぼくの顔を見ると、いっつもお前はそうだ」
エスカレーターの上に軽やかに着地する。
「俺たちは、怪物じゃないのになあ。ねえ、杏樹」
少年は大げさに腕を広げる。
――たくさんの命を奪っておいて
こんな風に。
あんなに、楽しげに。
感染して吸血鬼になると、以前よりも性格が攻撃的になると言われていた。
博登のあの残酷さが、彼のものなのか、吸血鬼のものなのか、あたしも抱えるものなのか、分からなかった。
それがまた、ひどく恐い。
駆けつけなきゃと思うのに、足が動かなかった。
「黙れ、あんたと一緒にするな」
杏樹は低く抑えた声で唸る。倒れた史仁の側に駆け寄って、その前に立ちはだかる。
「そんなに邪険にしなくていいじゃないか」
あははは、とまた笑い声が響き渡った。
そして少年は、軽い足取りで榛真の側へ近寄った。うめく榛真に顔を近づけて、にんまりと、目を三日月のようにして嗤《わら》う。
「ねえ、お前の家に招待してほしいなあ」
「はあ?」
榛真が声を上げる。
「西の方、お前の父親を殺した姪浜《めいのはま》のあたりだろ。ずっと少しずつ調べてたんだよ。知ってた? 気づかなかったかなあ。能古島《のこのしま》。いいところだよねえ。子供の頃に、家族で行ったことがある」
「……いい加減なこと言いやがって」
榛真の声が、動揺に揺れた。嘘のつけない奴だ。
またひときわ、少年の笑い声が高く上がった。
「どっちでもいいや。お前たち、潮時だよ」
少年は楽しそうに笑っている。またふわりと飛んで、エスカレーターの上に戻った。地下へ続く道へ。
「待て、ふざけんな、逃げるな!」
胸を押さえながら榛真が起き上がる。後ろ向きに闇の中へ下がっていく博登の方へ突進した。
「榛真、追うな!」
あたしは思わず叫んでいた。
榛真はエスカレーターの前で踏みとどまる。ギリギリと歯を噛みしめる音が聞こえそうなほど、悔しげにエスカレーターの先を睨みつける。
この下は闇。
地下鉄へ続く階段の先には、明かりは一つもない。吸血鬼達の住処だ。
「史仁、史仁!」
杏樹は血だまりの横に膝をついて叫んでいた。
杏樹自身も出血している。もう傷が塞がっていたとしても、その血のついた手で触ると感染する可能性がある。
史仁に近づくことも出来ずに、歯がみした。
「許さない、許さない。あいつ絶対許さない」
ただ唸るように唱える。
あたしも立ち尽くしたまま、動けなかった。心臓がざわめいて、息が苦しい。
まるで、噛まれた時のあたしと紘平の姿を、後から見せつけられているようで。
「杏樹。――杏樹」
なだめるように、史仁はそっと杏樹を呼ぶ。杏樹はその吐息のような声を聞こうと身を乗り出した。
史仁はゆっくりと手を上げる。
「噛まれてない」
防具をはめた腕。傷はついているけど、穴はあいていない。血も出ていない。
――だけど。
「史仁」
杏樹は泣きながら手を握ろうとして、やめた。――触れない。
「飲め」
どくどくと流れる血だまりの中で、史仁は、まっすぐに杏樹を見上げて言った。杏樹は震えていた。
「だめよ、史仁」
「このままだと、どっちにしろ死ぬ。俺の血の一滴も無駄にするな」
冷静に言いつのる。少女はボロボロと涙を流しながら、震えていた。駄々をこねるように首を横に振る。
杏樹が噛みつけば、もしかしたら史仁は吸血鬼になって生き延びるかも知れない。何より、血の誘惑が思考を覆い尽くしているはずだ。だけど強情に杏樹は首を振る。
ふと少年の目が和む。
「飲んで、杏樹。吸血鬼になるなら、それでいい。杏樹と同じになるだけだ」
「ばかね。あんた、あたしが、どれだけ吸血鬼を嫌いなのか分かってて言ってるでしょ」
「でも俺は、杏樹があのとき、死ななくてよかった。俺も死にたくない。まだ杏樹と一緒にいたい。死んでも、杏樹の命になるならそれでいい」
「嫌よ、そんなの」
杏樹は泣きながら、史仁に言いつのる。
「わたし、全然生きていたくなんかなかった。こんな世界で、こんな体になってまで、生きていたくなんかなかったわ。でも、史仁がいるから、我慢してた。史仁がいないんだったら、どうだっていい。生きていたくない。人間も吸血鬼も滅びるんだったら滅びたらいいのよ!」
悲痛な叫び声が、ロビーに響き渡った。
だん、と大きな音がその上に重なる。
博登を追うのを諦めた榛真が、イラだちまぎれに足を踏みならした。
「バカじゃねーのか、お前ら! 悲劇気取ってんなよ!」
戻ってきた榛真が、憤慨して叫ぶ。
「なに油断してんだ、いつも全然隙なんか見せねーくせに」
榛真はリュックからタオルを取り出すと、史仁の傷口に押し当てる。あっという間に真っ赤に染まった。
「止血もしねーで、バカじゃねーのか!」
杏樹もあたしも史仁には触れなかった。人間の榛真をのぞいては。
それを分かっているのかいないのか――わかってるんだろうけど、榛真は悪態をつきながら傷口を押さえ続ける。
「誰が手当できる奴はいないのか。ここ病院だろ」
「お医者先生と看護士が」
「さっさと連れてこい!」
誰かが駆けていく音がした。まわりにいた吸血鬼のひとりかもしれない。
薄く、弱々しく、笑い声が下から聞こえる。
「お前に借りが出来るとはな」
「生き延びてから言え。お前なんかくそみたいに嫌いだけどな!」
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
S級騎士の俺が精鋭部隊の隊長に任命されたが、部下がみんな年上のS級女騎士だった
ミズノみすぎ
ファンタジー
「黒騎士ゼクード・フォルス。君を竜狩り精鋭部隊【ドラゴンキラー隊】の隊長に任命する」
15歳の春。
念願のS級騎士になった俺は、いきなり国王様からそんな命令を下された。
「隊長とか面倒くさいんですけど」
S級騎士はモテるって聞いたからなったけど、隊長とかそんな重いポジションは……
「部下は美女揃いだぞ?」
「やらせていただきます!」
こうして俺は仕方なく隊長となった。
渡された部隊名簿を見ると隊員は俺を含めた女騎士3人の計4人構成となっていた。
女騎士二人は17歳。
もう一人の女騎士は19歳(俺の担任の先生)。
「あの……みんな年上なんですが」
「だが美人揃いだぞ?」
「がんばります!」
とは言ったものの。
俺のような若輩者の部下にされて、彼女たちに文句はないのだろうか?
と思っていた翌日の朝。
実家の玄関を部下となる女騎士が叩いてきた!
★のマークがついた話数にはイラストや4コマなどが後書きに記載されています。
※2023年11月25日に書籍が発売しています!
イラストレーターはiltusa先生です!
※コミカライズも進行中!
声劇・シチュボ台本たち
ぐーすか
大衆娯楽
フリー台本たちです。
声劇、ボイスドラマ、シチュエーションボイス、朗読などにご使用ください。
使用許可不要です。(配信、商用、収益化などの際は 作者表記:ぐーすか を添えてください。できれば一報いただけると助かります)
自作発言・過度な改変は許可していません。
如月さんは なびかない。~クラスで一番の美少女に、何故か告白された件~
八木崎(やぎさき)
恋愛
「ねぇ……私と、付き合って」
ある日、クラスで一番可愛い女子生徒である如月心奏に唐突に告白をされ、彼女と付き合う事になった同じクラスの平凡な高校生男子、立花蓮。
蓮は初めて出来た彼女の存在に浮かれる―――なんて事は無く、心奏から思いも寄らない頼み事をされて、それを受ける事になるのであった。
これは不器用で未熟な2人が成長をしていく物語である。彼ら彼女らの歩む物語を是非ともご覧ください。
一緒にいたい、でも近づきたくない―――臆病で内向的な少年と、偏屈で変わり者な少女との恋愛模様を描く、そんな青春物語です。
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
桜井正宗
青春
――結婚しています!
それは二人だけの秘密。
高校二年の遙と遥は結婚した。
近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる