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第一章
【1】 人は闇を恐れ 3
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風の鳴る音がして、俺は慌てて頭を下げた。パドルが頭上を空振りして、ものすごい風圧が通りすぎる。
「なんだ」
ガツ、とアスファルトにパドルをたたきつけ、赤いフードをかぶった奴が言った。少女の声だった。
「お前、人間か」
少女は溜息をついた。
「奴らかと思った。危うく殺すところだった」
パドルを避けた拍子に、俺のフードが脱げていた。俺は慌ててフードをかぶり直す。
「どうかな。お前こそ、どっちだ」
――こいつは人間か?
フードを目深にかぶって、スカーフで顔を隠している。
太陽を避ける『奴ら』と同じように。『奴ら』の偽装をして、フードを被った俺と同じように。
どっちにしても、ここで俺を人間と呼ぶなんて、ただの馬鹿だ。
近くのビルの窓から、フードを被った頭がいくつかこちらを見下ろしている。女を殺したのを見られた。
一刻も早く逃げないとやばい。
俺は少女の方を向いたまま、後ずさる。
「あたしはお前を助けたことにならないか」
逃げの体勢に入っている俺に気づいて、少女は心外そうに言った。
「どうだか。獲物の横取りかもしれない」
善意も偽善も信じない。そんなもの、何の役にも立たない。
例えこいつが人間だとしても油断できない。まともな奴はこの街をうろつかない。ここは俺たち人間の縄張りじゃないからだ。
俺は、じりじりと後ずさった。駆けだす隙を窺いながら。
地響きのようなものが足をつたう。爆音が近付いてくる。煤臭い空気が流れてくる。
ああ、なんてこった。俺は舌打ちした。
馬鹿騒ぎの叫声が聞こえだした。銃声が響く。
こんなところで、得体の知れない奴とにらみ合ってる場合じゃない。
赤いフードの少女は、音を探して無防備に振り返った。
大通りの向こうを見遣る。
晴天の下、大通りの向こうから蒸気トラクターが数台やってくる。ガソリン自動車を改造した石炭自動車だ。遠目にも黒煙と水蒸気が見える。
いくら日中とは言え、この天神で、あの大騒ぎをするなんて、普通の神経じゃありえない。
「なんだあれは」
知らないのか。このあたりの人間なら、そんなことはあり得ない。吸血鬼どもだとしても、ありえない。
よそ者か。
だけど、どうでもいい。
少女が気を取られている隙に、俺は踵を返して、一目散に走り出した。
背中のリュックがガシャガシャと音を立てる。やっぱり詰め込みすぎたか。
胸と腹のホールドベルトを締めて、リュックが背中で踊るのを止める。
とりあえず元来た道を駆ける。
地下街へ続く階段の前を通り抜け、次のビルの前に差し掛かった時、何かに足をとられてすっ転んだ。
顔から地面につっこみそうになり、慌てて腕で顔と頭を庇った。
ビキリと肩と腕に痛みが走る。アスファルトに半身を打ちつけ、痛みに顔が歪む。
だけど呻いてる暇なんかない。
すぐさま手をついて身を起こす。振り返りながら立ち上がる。見ると、ビルの中から、ジーンズをはいたブーツの脚が伸びていた。
「人間め」
顔をストールか何かで覆い、フードを被った男が見下ろしている。
夏の名残りの空気の中、汗一つかかずに冷ややかな目で、俺を見ている。
やばい。思いながら足は前を向いて踏みだしている。やばい。逃げないと。太陽のあたる場所に。
ひときわ大きな音が響いて、その男の顔面が弾け飛んだ。
血しぶきと肉片が飛び散った。散弾銃だ。
力を無くした男の体が前のめりになり、ビルの陰から出た。日の光を浴びて傷口が焼けただれて行く。
俺はそれ以上を見ずに駆けだした。転んだ拍子にフードが脱げたが、もうどうでもいい。今度追ってくるのは、人間だ。
炭鉱ヤクザだった。
暑苦しい中、厚着をしていてよかった。
打ちつけた腕と肩が痛いが、多分折れても擦り剥いてもいない。何より頭を打たなくて良かった。
気絶してれば終わりだ。足に噛みつかれなくて良かった。
「待てオラァ!」
後ろでひときわ大きな声があがる。爆音がどんどん近づいてくる。
炭鉱の奴らは吸血鬼を殺すが、人間だって殺す。
日本刀やマシンガンを手に、自分たちのテリトリーを出て来ては、吸血鬼を殺して回り、よその土地を荒らしまわる。
炭鉱はエネルギーを手に入れるために必要だが、光がささない場所は、吸血鬼にとっても格好の住処だろう。
いつ奪われて立場が逆転するかも分からない、危うい均衡にある。闇と向き合って生きている炭鉱の奴らは、もうとっくにどこかぶっ壊れているのかもしれない。
この大通りは見晴らしが良すぎる。
日陰のない場所は吸血鬼を避けるにはいいが、人間相手には不都合だ。無防備すぎる。
それにバリケードをよじ登る間に殺される。俺は歩道を駆け抜けて、さっきのホテルの前を曲がった。
車の爆音が俺を追いかけて、曲がってくる。
次の瞬間、背中を大きな音と衝撃が襲う。後ろで歓声が上がった。
勢いでつんのめった。踏みだした足裏が地面をとらえられず、片膝を地面に打ち付けた。激痛が走る。
転びそうになったが、なんとか片手をついてこらえる。膝は痛みを訴えるが、動く。
今度こそ足裏で地面を踏みしめて、立ち上がる。何とか足を前へ前へと出して走り続けた。
さっきのはなんだ。銃じゃない。背中のリュックに何か当たった。
思った途端、何かが肩をかすめて飛んで行った。近くの車に突き刺さる。
ボウガンの矢だ。冷や汗がつたう。人間相手には銃はもったいないってことか。助かったが、やばい。
片側三車線の大通りを、放棄された車に隠れながら突っ切り、俺は親富孝通りと看板のある道路へ入った。
ここにもバリケードがあるが、隙間だらけだ。
すり抜けて、カフェの角を曲がり、路地へ駆けこむ。テラス席の椅子もテーブルもひっくり返っていた。
暗い路地は危ないが、車が入りにくい場所でないと。
後ろを追ってこられないようにあちこちを曲がりながら、俺はひたすら逃げた。
「なんだ」
ガツ、とアスファルトにパドルをたたきつけ、赤いフードをかぶった奴が言った。少女の声だった。
「お前、人間か」
少女は溜息をついた。
「奴らかと思った。危うく殺すところだった」
パドルを避けた拍子に、俺のフードが脱げていた。俺は慌ててフードをかぶり直す。
「どうかな。お前こそ、どっちだ」
――こいつは人間か?
フードを目深にかぶって、スカーフで顔を隠している。
太陽を避ける『奴ら』と同じように。『奴ら』の偽装をして、フードを被った俺と同じように。
どっちにしても、ここで俺を人間と呼ぶなんて、ただの馬鹿だ。
近くのビルの窓から、フードを被った頭がいくつかこちらを見下ろしている。女を殺したのを見られた。
一刻も早く逃げないとやばい。
俺は少女の方を向いたまま、後ずさる。
「あたしはお前を助けたことにならないか」
逃げの体勢に入っている俺に気づいて、少女は心外そうに言った。
「どうだか。獲物の横取りかもしれない」
善意も偽善も信じない。そんなもの、何の役にも立たない。
例えこいつが人間だとしても油断できない。まともな奴はこの街をうろつかない。ここは俺たち人間の縄張りじゃないからだ。
俺は、じりじりと後ずさった。駆けだす隙を窺いながら。
地響きのようなものが足をつたう。爆音が近付いてくる。煤臭い空気が流れてくる。
ああ、なんてこった。俺は舌打ちした。
馬鹿騒ぎの叫声が聞こえだした。銃声が響く。
こんなところで、得体の知れない奴とにらみ合ってる場合じゃない。
赤いフードの少女は、音を探して無防備に振り返った。
大通りの向こうを見遣る。
晴天の下、大通りの向こうから蒸気トラクターが数台やってくる。ガソリン自動車を改造した石炭自動車だ。遠目にも黒煙と水蒸気が見える。
いくら日中とは言え、この天神で、あの大騒ぎをするなんて、普通の神経じゃありえない。
「なんだあれは」
知らないのか。このあたりの人間なら、そんなことはあり得ない。吸血鬼どもだとしても、ありえない。
よそ者か。
だけど、どうでもいい。
少女が気を取られている隙に、俺は踵を返して、一目散に走り出した。
背中のリュックがガシャガシャと音を立てる。やっぱり詰め込みすぎたか。
胸と腹のホールドベルトを締めて、リュックが背中で踊るのを止める。
とりあえず元来た道を駆ける。
地下街へ続く階段の前を通り抜け、次のビルの前に差し掛かった時、何かに足をとられてすっ転んだ。
顔から地面につっこみそうになり、慌てて腕で顔と頭を庇った。
ビキリと肩と腕に痛みが走る。アスファルトに半身を打ちつけ、痛みに顔が歪む。
だけど呻いてる暇なんかない。
すぐさま手をついて身を起こす。振り返りながら立ち上がる。見ると、ビルの中から、ジーンズをはいたブーツの脚が伸びていた。
「人間め」
顔をストールか何かで覆い、フードを被った男が見下ろしている。
夏の名残りの空気の中、汗一つかかずに冷ややかな目で、俺を見ている。
やばい。思いながら足は前を向いて踏みだしている。やばい。逃げないと。太陽のあたる場所に。
ひときわ大きな音が響いて、その男の顔面が弾け飛んだ。
血しぶきと肉片が飛び散った。散弾銃だ。
力を無くした男の体が前のめりになり、ビルの陰から出た。日の光を浴びて傷口が焼けただれて行く。
俺はそれ以上を見ずに駆けだした。転んだ拍子にフードが脱げたが、もうどうでもいい。今度追ってくるのは、人間だ。
炭鉱ヤクザだった。
暑苦しい中、厚着をしていてよかった。
打ちつけた腕と肩が痛いが、多分折れても擦り剥いてもいない。何より頭を打たなくて良かった。
気絶してれば終わりだ。足に噛みつかれなくて良かった。
「待てオラァ!」
後ろでひときわ大きな声があがる。爆音がどんどん近づいてくる。
炭鉱の奴らは吸血鬼を殺すが、人間だって殺す。
日本刀やマシンガンを手に、自分たちのテリトリーを出て来ては、吸血鬼を殺して回り、よその土地を荒らしまわる。
炭鉱はエネルギーを手に入れるために必要だが、光がささない場所は、吸血鬼にとっても格好の住処だろう。
いつ奪われて立場が逆転するかも分からない、危うい均衡にある。闇と向き合って生きている炭鉱の奴らは、もうとっくにどこかぶっ壊れているのかもしれない。
この大通りは見晴らしが良すぎる。
日陰のない場所は吸血鬼を避けるにはいいが、人間相手には不都合だ。無防備すぎる。
それにバリケードをよじ登る間に殺される。俺は歩道を駆け抜けて、さっきのホテルの前を曲がった。
車の爆音が俺を追いかけて、曲がってくる。
次の瞬間、背中を大きな音と衝撃が襲う。後ろで歓声が上がった。
勢いでつんのめった。踏みだした足裏が地面をとらえられず、片膝を地面に打ち付けた。激痛が走る。
転びそうになったが、なんとか片手をついてこらえる。膝は痛みを訴えるが、動く。
今度こそ足裏で地面を踏みしめて、立ち上がる。何とか足を前へ前へと出して走り続けた。
さっきのはなんだ。銃じゃない。背中のリュックに何か当たった。
思った途端、何かが肩をかすめて飛んで行った。近くの車に突き刺さる。
ボウガンの矢だ。冷や汗がつたう。人間相手には銃はもったいないってことか。助かったが、やばい。
片側三車線の大通りを、放棄された車に隠れながら突っ切り、俺は親富孝通りと看板のある道路へ入った。
ここにもバリケードがあるが、隙間だらけだ。
すり抜けて、カフェの角を曲がり、路地へ駆けこむ。テラス席の椅子もテーブルもひっくり返っていた。
暗い路地は危ないが、車が入りにくい場所でないと。
後ろを追ってこられないようにあちこちを曲がりながら、俺はひたすら逃げた。
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