5 / 236
veritas liberabit vos
quinque
しおりを挟む
昼休み、斎は数学の教科室内にて昨日の本を手にし、眺めていた。放課後に天弥と話をするために、すでに連絡はしてある。それまでゆっくりと続きを読もうと表紙に手を掛けたとたん、教室のドアを軽く叩く音がした。来訪者を確認しようと振り返ると、静かに開いたドアから一人の男子生徒が中へと入ってきた。その姿を見て、思わず立ち上がる。
いきなり現れたその存在に、視線を逸らせなくなり一瞬で心を奪われた。
そこには、白いワイシャツに黒のスラックスという制服姿が艶やかに映える少年が静かに立っていた。まだ衣替え前ではあるが、暑さに耐え切れない生徒達に上着を着ているものは少なく、すでに夏の装いが校内に溢れている。
「失礼します」
そう言い、教室に入ってくる相手を、目で追う。そこに存在しているのは確かに成瀬天弥だが、斎が知る存在とはまるで違うものであった。同じ顔ではあるが、身に纏う雰囲気が異なり、別人なのではないかと錯覚さえ起こさせる。ただでさえ美しすぎる容貌であるのに、更にそれが凄絶なものに成っているのも、そう思わせる要因である。
今の天弥をなんと表現してよいのかと、自分の中にある言葉を漁りだす。そして一つの言葉が浮かぶが、これは男に対して使う言葉ではないと何度もその言葉を否定する。だが、これ以外に上手く表現できる言葉を見つけることが出来なかった。
ただ一つ……傾国の美女、その言葉が思い浮かんだのだ。その、国を傾けてしまうほどの美貌は、男だと分かってはいても、劣情をそそられずにはいられない。唯一人の女に惑い、国を滅ぼした者の想いが、今なら理解できる気がした。
「先生?」
淫靡ともいえる美貌が、斎に向かって妖艶に微笑んだ。それを見つめながら、何とか平静さを装う。
一歩ずつゆっくりと近づいてくる姿から目を放せず、斎は頭の中に10進法で174桁の数の素因数分解の問題を思い浮かべる。これは、複数の数学者と解読ソフトを使用して解答が出されたという難問であり、簡単に答えが出せるものではない。だが、今の状況では冷静さを取り戻すためには丁度よいものであった。
「どうしたんですか?」
目の前で、艶麗な笑みを浮かべる天弥が尋ねる。
「あ、いや……、呼んだのは放課後だったはずだが……」
無意識に後退るが、すぐ後ろは机の為にこれ以上は下がることが出来ず、斎はその場に立ち尽くす。
「すみません。僕の用事で来ました」
少し動けば、互いの身体に触れそうなぐらいの距離となり、斎は戸惑う。
「僕の本を、返してくれませんか?」
天弥の言葉に、机の上の本を手に取る。
「これか?」
天弥は視線を掲げられた本へと移す。
「そうです」
そう答えながら、ゆっくりと本へと向かって手を伸ばした。
「悪いが、俺の用事もこれなんだ」
手を止めると天弥は、斎へと視線を戻した。
「先生には必要ない物だと思いますが?」
「いや、こういうのが好きなんで、もっと詳しく調べてみたいんだ」
斎の答えに、天弥は少し考え込む表情をする。
「もしかして、それが読めるんですか?」
向けられた問いに、斎はふと交換条件を思いつく。
「まあ、困らない程度には」
斎の答えに、天弥の口元に笑みが浮かぶ。
「必要なら俺が訳すから、しばらく貸してくれないか?」
笑みを浮かべたまま、天弥は斎が手にする本を掴んだ。
「hic sapientia est. qui habet intellectum, computet numerum bestiae. numerus enim hominis est: et numerus eius est sexcenti sexaginta sex」
形の良い唇から、流れるように紡がれた言葉に、斎は耳を疑った。
「Apocalypsis B. Ioannis apostoli……altera bestia」
震える声で、斎は天弥の言葉に答える。天弥が口にしたのは、使徒ヨハネの黙示録、地上より起こる獣の最後の一文だ。
「ラテン語、分かるのですね」
そう言いながら、少し楽しそうな表情を斎に向ける。
「成瀬もな」
答えながらも斎は、なぜ天弥がラテン語を理解するのかと考える。現在、この言語が公用語となっているのはヴァチカン市国だけだ。それ以外では、専門用語、学術用語として使われるだけである。ヨーロッパでは、ラテン語の授業もあるため、話すことが出来る者はそれなりにいるが、日本の高校生が学ぶには、敷居が高い言語だ。
「amoto quaeramus seria ludo」
「あ、ああ……」
いきなり現れたその存在に、視線を逸らせなくなり一瞬で心を奪われた。
そこには、白いワイシャツに黒のスラックスという制服姿が艶やかに映える少年が静かに立っていた。まだ衣替え前ではあるが、暑さに耐え切れない生徒達に上着を着ているものは少なく、すでに夏の装いが校内に溢れている。
「失礼します」
そう言い、教室に入ってくる相手を、目で追う。そこに存在しているのは確かに成瀬天弥だが、斎が知る存在とはまるで違うものであった。同じ顔ではあるが、身に纏う雰囲気が異なり、別人なのではないかと錯覚さえ起こさせる。ただでさえ美しすぎる容貌であるのに、更にそれが凄絶なものに成っているのも、そう思わせる要因である。
今の天弥をなんと表現してよいのかと、自分の中にある言葉を漁りだす。そして一つの言葉が浮かぶが、これは男に対して使う言葉ではないと何度もその言葉を否定する。だが、これ以外に上手く表現できる言葉を見つけることが出来なかった。
ただ一つ……傾国の美女、その言葉が思い浮かんだのだ。その、国を傾けてしまうほどの美貌は、男だと分かってはいても、劣情をそそられずにはいられない。唯一人の女に惑い、国を滅ぼした者の想いが、今なら理解できる気がした。
「先生?」
淫靡ともいえる美貌が、斎に向かって妖艶に微笑んだ。それを見つめながら、何とか平静さを装う。
一歩ずつゆっくりと近づいてくる姿から目を放せず、斎は頭の中に10進法で174桁の数の素因数分解の問題を思い浮かべる。これは、複数の数学者と解読ソフトを使用して解答が出されたという難問であり、簡単に答えが出せるものではない。だが、今の状況では冷静さを取り戻すためには丁度よいものであった。
「どうしたんですか?」
目の前で、艶麗な笑みを浮かべる天弥が尋ねる。
「あ、いや……、呼んだのは放課後だったはずだが……」
無意識に後退るが、すぐ後ろは机の為にこれ以上は下がることが出来ず、斎はその場に立ち尽くす。
「すみません。僕の用事で来ました」
少し動けば、互いの身体に触れそうなぐらいの距離となり、斎は戸惑う。
「僕の本を、返してくれませんか?」
天弥の言葉に、机の上の本を手に取る。
「これか?」
天弥は視線を掲げられた本へと移す。
「そうです」
そう答えながら、ゆっくりと本へと向かって手を伸ばした。
「悪いが、俺の用事もこれなんだ」
手を止めると天弥は、斎へと視線を戻した。
「先生には必要ない物だと思いますが?」
「いや、こういうのが好きなんで、もっと詳しく調べてみたいんだ」
斎の答えに、天弥は少し考え込む表情をする。
「もしかして、それが読めるんですか?」
向けられた問いに、斎はふと交換条件を思いつく。
「まあ、困らない程度には」
斎の答えに、天弥の口元に笑みが浮かぶ。
「必要なら俺が訳すから、しばらく貸してくれないか?」
笑みを浮かべたまま、天弥は斎が手にする本を掴んだ。
「hic sapientia est. qui habet intellectum, computet numerum bestiae. numerus enim hominis est: et numerus eius est sexcenti sexaginta sex」
形の良い唇から、流れるように紡がれた言葉に、斎は耳を疑った。
「Apocalypsis B. Ioannis apostoli……altera bestia」
震える声で、斎は天弥の言葉に答える。天弥が口にしたのは、使徒ヨハネの黙示録、地上より起こる獣の最後の一文だ。
「ラテン語、分かるのですね」
そう言いながら、少し楽しそうな表情を斎に向ける。
「成瀬もな」
答えながらも斎は、なぜ天弥がラテン語を理解するのかと考える。現在、この言語が公用語となっているのはヴァチカン市国だけだ。それ以外では、専門用語、学術用語として使われるだけである。ヨーロッパでは、ラテン語の授業もあるため、話すことが出来る者はそれなりにいるが、日本の高校生が学ぶには、敷居が高い言語だ。
「amoto quaeramus seria ludo」
「あ、ああ……」
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
赤い部屋
山根利広
ホラー
YouTubeの動画広告の中に、「決してスキップしてはいけない」広告があるという。
真っ赤な背景に「あなたは好きですか?」と書かれたその広告をスキップすると、死ぬと言われている。
東京都内のある高校でも、「赤い部屋」の噂がひとり歩きしていた。
そんな中、2年生の天根凛花は「赤い部屋」の内容が自分のみた夢の内容そっくりであることに気づく。
が、クラスメイトの黒河内莉子は、噂話を一蹴し、誰かの作り話だと言う。
だが、「呪い」は実在した。
「赤い部屋」の手によって残酷な死に方をする犠牲者が、続々現れる。
凛花と莉子は、死の連鎖に歯止めをかけるため、「解決策」を見出そうとする。
そんな中、凛花のスマートフォンにも「あなたは好きですか?」という広告が表示されてしまう。
「赤い部屋」から逃れる方法はあるのか?
誰がこの「呪い」を生み出したのか?
そして彼らはなぜ、呪われたのか?
徐々に明かされる「赤い部屋」の真相。
その先にふたりが見たものは——。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
【完結済】ダークサイドストーリー〜4つの物語〜
野花マリオ
ホラー
この4つの物語は4つの連なる視点があるホラーストーリーです。
内容は不条理モノですがオムニバス形式でありどの物語から読んでも大丈夫です。この物語が読むと読者が取り憑かれて繰り返し読んでいる恐怖を導かれるように……
私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない
文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。
使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。
優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。
婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。
「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。
優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。
父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。
嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの?
優月は父親をも信頼できなくなる。
婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる