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しおりを挟む「あなたに付いていくと決めたんです。ですので、野菜を食べたくないとか服を畳むのがめんどくさいとかいうわがままくらいは全然許してあげるつもりです。私、この街に越してきてからあの貿易事務所で仕事を始めましたが、それだってあなたに少しでも近づきたかったからです。私も何か一つくらい熱中できるものが見つかればなと思って、初めての土地で初めての分野の仕事をね。でも、案の定それに生涯をかけたり仕事を忘れて取り組んだりといった気持ちにまではなれませんでした。やりがいは感じますし、まあできる女の私なので、いつもの調子でそこそこ上手くこなせちゃってるんですが」
マーリンが、そこでやっとゆっくり口を開きます。
「前から言おうと思ってたが、お前その自画自賛癖やめたほうがいいと思うぞ」
ようやくしゃべったと思ったらこれです。無視して続けました。
「・・・・・・そんな私でしたけど、それでもたった一つ生きがいを持って熱中できるものがあります。それで、実は今毎日楽しいんです」
やや斜め下を向き、口をへの字に曲げているマーリンに、「これからきっとめきめき世間に認められる新進気鋭の科学者、マーリン=ジュークを横でずっと見ていたい。それが私の今の一番の生きがいで、将来の夢です」と、優しく強く語ります。
私はそこで一旦言葉を切って、静かにマーリンの反応を待ちました。沈黙というのは恐ろしいものです。「うむむ・・・・・・」と唸る彼を見ながらじりじりとした時間が流れていると、ついついまた何か口を挟みたくなってしまいましが、ぐっと堪えます。
「なんかまた子供扱いされてるような」
彼は面白くなさそうにそう呟きました。でも、なんだか不思議です。その瞬間、はっきり分かりました。今、空気がふっと緩んだと。なぜでしょうね、熟年の夫婦ならそのような僅かな機微も読み取れるとは聞きますが、私たちはまだ婚約中の間柄なのに。
「そりゃ仕方ありません。あなたが子供みたいなことばかりするから」
きっぱりと、でも少し茶目っ気を入れてそう返します。
その時、月にかかっていた雲が途切れました。月灯りに照らされたマーリンは、泣き出しそうなのと安堵の感情がごちゃまぜになっているように見えます。
「・・・・・・いいのか?」
「え?」
ぽつりと出た彼の言葉。いつもの彼でした。子供みたいで、私がいなくちゃだめだと思わせるようなちょっと頼りない顔つき。けれど・・・・・・。
「そんなこと思ってくれてるなんて全然知らなかった。信じていいのか?本当に?本当にまた僕と一緒にいてくれるのか?ワガママばっかり言って、自分のこともまともにできないのに?」
私にないものをいっぱい持っていて、それを惜しみなく私に見せてくれる婚約者なのです。
「はい。もちろんです」
頷く私の頭上に、満天の星空が広がっています。明日はきっと晴れでしょう。あまり気温が低くなりすぎないといいな。寒がりな彼が、大事なプレゼンへ身体を縮めながら向かわないで済むように。
「ごめんなさい。私も、まだまだ努力が足りていませんでした。自分の心を表に出す努力も、あなたのことを理解する努力も。・・・・・・できることならば、ここからやり直したいです」
「・・・・・・僕もだ」
にっこりと微笑んだ私に対して、マーリンは気恥ずかしそうにしばらくの間下を見つめておりました。
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