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第6話 「殺戮を愛する聖女」
しおりを挟む夕刻。
魔王城の食堂の長いテーブルには料理は並べられていなかった。
「………」
ルーディンは周りを囲むようにして待機しているメイドや執事がどうして黙ったままでいるのかが分からなかった。
部屋にあった菓子類を伝書猫にあげたせいで目を覚ましてからなにも口にしていない。
茶を嗜む程度だったが足りるはずもない。
「サリエル様が直々に料理を振る舞ってくれるらしいってよ」
斜め左側から声がした。
テーブルにもう一人、姿勢悪く座っている青年がいることにルーディンは特になにも反応を示すことをしなかった。
リーネスだ。
見た目通りに野蛮だということが伝わる。
「そうか」
「あのな、サリエルと夫婦関係になったからってよ、調子に乗んなよな? ここで飯を食うことも本当は許されてないんだよ。だから忠告だけはしてやるぜ、彼女にあまり馴々しくすんな……いいな?」
「する気もないし、お前には関係ないじゃないか」
どうしてこんなにも突っかかってくるのか。
まさかな、と半信半疑で予想を口にするルーディン。
「……それともサリエルのことが好きなのか?」
「はぁ!? な、なに言ってんだクソ野郎!!」
「なるほどな。理解した」
否定しないということは図星か。
なら彼がルーディンにちょっかいを出す理由も納得である。魔族には『忠心の儀』という感応現象が存在する。
心から忠誠を誓った主人と魔術的な契約を交わすことによって、主人が強くなればなるほど契約を交わした魔族も効果を得るという。
さらに心も通じ合うということから主人に恋愛感情を抱くことは珍しいことではない。
対してルーディンは鈍感である。
弁えずに率直に告げるのだった。
「好いているのならなにも隠す必要はないだろう?」
恋心をもつ者のプレッシャーさえ知らないルーディンは経験者、あるいは初心者のような物腰で告げた。
リーネスは恥ずかしがっているのか、怒っているのかが判断もつかない真っ赤な顔で怒鳴る。
「簡単に言うじゃねぇかゴラァ!」
「気に障ったか?」
人との接し方はやはり難しい。
自分の失言に気づかず考え込むルーディン。
隣でずっと煩くするリーネスさえ無視するほど没頭してしまう。
「お待たせじゃアナタ☆」
背筋が凍りつくような感覚に襲われる。
厨房から登場したのはエプロンを身に付けるか弱い少女だった。だが彼女を直視した者は誰しもが頭を垂れる。
魔王サリエルの御成りである。
魔王だから、単純だ。
最上位の生物に恐縮するのは部下達の務め。
不思議なことはなにもないはず。
「おおっ……この匂い……ぐぇええっ!」
しかし特筆すべきなのはサリエルではない。
その手に持つ料理とは程遠い原型をしたなにかにルーディンは釘付けになった。
スープなのか、黒いスープなのか。
表面がボコボコと泡立っている。
具が適当に投入されたかのように皮を覆ったままの野菜や、真っ赤な肉が浮いていた。
厨房の扉が開かれた時に流れ込んだ料理の匂いを嗅いだリーネスが失神した。
触れられることなく一撃で倒れたのだ。
「料理は初めてなんでな……あまり整った形をしたものじゃないんだが、余の愛をこもった一品だと思って食べてくれんか?」
侵し難い純粋なサリエル。
対して彼女が作った料理からは絶叫がルーディンに聴こえていた。
万人の強敵を前にしても崩そうとはしなかった表情でさえ、次第に血の気が引いたかのように青ざめていく。
「ルーディン様に敬礼を!」
「……ん? なんじゃ? なんで盛り上がっているのだ?」
ルーディンが死ぬかもしれない。
料理のえげつない狂気に一歩逃げ出そうとしていたメイドや執事たちが、テーブルから立って退去をしないルーディンの勇気に涙した。
敬礼をするに値する人物なのだ。
「変な奴らじゃ……」
サリエルはポカーンとした様子だが。
「げぷっ、ご馳走様」
ゲテモノが皿の上から消えていた。
ルーディンがハンカチで自分の口を拭っている動作から、この短時間内だけでサリエルの手料理を完食したのだ。
それなのに心的外傷は見られない。
反応も今一つで何ともない様子であることにサリエルを除いて皆が驚愕する。
「た、食べてくれたのか!」
初めての手料理だった。
厨房はすべてが未知の領域であったためサリエルは自分には料理は無理ではないかと不安になっていた。
そんな時、諦めかけていた彼女の背中を押したのが魔王城に勤めていた料理長。
『料理はなにも難しい技術、工夫を施さなくても想いがあれば十分なんです。だから諦めようとしないでください、だって貴女は…………』
魔王サリエルなのだから。
感化された恋する少女は純情をのせたのだ。
「美味しかった」
ルーディンにそう告げただけでもサリエルは自分のしたことが無駄ではないと胸を張れていた。
一方、その他大勢が大騒ぎ。
「だれか医者を呼べ!」
《サリエルの手料理の行方》
・魔術『貯蔵』によりルーディンのみに権限が与えられた虚無空間にて収納された。
食べてもいないのに重傷者のような扱いを受けたルーディンは自分に対しての優遇に罪悪感を感じていた。
————
アズベル大陸。
ルーディンの処刑された人族だけが支配している広大な大陸。
中心部の東南には、魔力を人間に与えたとされる少女を信仰する教団の国があった。
『聖神国アヴニール』
密かに設計された地下の礼拝所には両手を合わせ、神々に祈りを唱える白髪の女性がいた。
聖女ヘリヤ・ブランシュ・ユーベル。
「あらあら、これはいけません。最悪の事態です」
「いかがなさいましたか聖女様………!」
付き添いの教徒が困惑するヘリヤに心配そうに声をかけた。
ここ数日、大英雄ルーディンという者の処刑が行われたということ以外の問題は起きていない。
それでもヘリヤは確かに感じ取っていた。
厄災の予兆を、人類の脅威となり得る者の姿もが彼女に見えていたのだ。
魂は地上にはとどまらない。
あるべき場所に戻るはずだ。
なのにヘリヤは心地の悪い存在を感知してしまったのだ。
「ルーディン・アヴニールの魂がまだ地上に留まっている…………」
「な、なんだって!?」
死者蘇生されたのかと彼女は推測をたてた。
更に精密に神経を研ぎ澄まし、この世のどこかにいるであろうルーディンを探す。
そしてヘリヤが精神内の索敵で行き着いた場所は、魔王の国。
(………なんなの、なんなの)
魔王の手駒になったという事実が発覚すれば、全軍の投入は免れない。
ルーディンの損失はかなりの戦力低下に繋がる。
しかし敵陣営に寝返るということのほうがよっぽど恐ろしいことだ。
一刻も早く報告をしなければ。
使命感が駆りたてられたように聖女は力強い歩幅で礼拝所の外を出るのだった。
(ルーディンめ………まだ生きているなんて、どれだけ生命力があるのよ……蜚蠊かよ……貴女の存在意義だけで私が惨めに見られるかもしれないってのに……本当迷惑……とりあえず殺すのが得策よね……そうよね、ねっ母さん)
かつて聖女ヘリヤは教団の信者を地下に潜め、大量虐殺をする事件を起こしていた。
悪魔の仕業やらでなんとか誤魔化すことができて無罪判決にされたが殺人を二度と起こさないよう抑止されていた。人を苦しめることが生きている中でも最も絶頂に感じる彼女にとっては不都合な話だ。
聖女は誰からも尊敬される存在。
人々に幸福を与えるのがヘリヤの役目だった。
しかしヘリヤの殺人欲求はあまりにも大きく歪んでいた、男ではなく女子供を中心に殺していたのだ。
バレないと思っていた。
築き上げてきた地位と権力を行使すれば隠し通せるはずだと楽観視していた。
しかし、ヘリヤの殺人欲求を見破ったのはルーディンただ一人だった。彼が原因で先の人生まで殺人行為を縛りつけられることになったのだ。
人は水中では呼吸はできない。
人は食事をしなければエネルギーを蓄えることもできない、飢餓で死んでしまう。
人は欲求無しでは生きてはいけない。
その要素の一部を奪われたも同然だった。
ヘリヤはルーディンを憎んでいた。
殺したいぐらいに嫌悪を抱いていたのだ。
もしもチャンスがあればヘリヤは自分自身の手でルーディンの血を浴びながら、いたぶり殺したいと思っていた。
「世界に伝えるのです、悪魔が復活したことを」
故に躊躇いはない。
殺戮に手を汚した聖女は称号とは矛盾した思想と願望だけで、ルーディンの新たな脅威となった。
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